ブログ記事833件
舟木一夫全曲集2026-舟木一夫Amazon(アマゾン)
先日に続き、古いブログから「舟木一夫芸能生活45周年記念コンサート」新宿コマ劇場に入場できなかったブログを読んでくれた舟友さんから、この年2007年上半期の舟木さんのスケジュールが届きました。有難い事で、後援会に入ると、こうした情報を得られることも初めて知りました。この年から、コンサートや舞台の情報を得て、行くようになったと思います。秋田市民会館や岡山シンフォニーホール、新橋演舞場などに行ったと記憶しています。それにしても、こうして日程を並べてみると、その数は凄いですね。この当時は昼
1964年国際劇場
母親が9人代わった話や、ピストルを突き付けられた話は、舞台「おやじの背中」の中でも演じられていました。破天荒な父親のもと育った上田成幸少年ですが、父親の栄吉さんの事は、大好きだったと思われる話も沢山あります。
流行歌万才流行歌と言う言葉を聞く事は少なくなりました。と言うより、ほとんど耳にする事が無くなった言葉です。同じように歌謡曲と言う言葉もあります。戦後生まれの私には、どちらも聞きなれた言葉であり、どちらの言葉も意味が通じる訳ですが、あえてこの時代に流行歌と言う言葉を使われた舟木さんの思いは、とても判るような気持ちでいます。演歌と言う言葉は、その歌謡
寒い時期を脱出するきっかけは、船村徹先生の言葉であり、お客様の眼差しだったわけです。そんな事を淡々と語る舟木さんの姿を見ていると、寒い時期と言うのをご自分でしっかり受けとめてお過ごしになった時期なのでしょう。我々凡人からすると「よく自暴自棄にならなかった」と思うのです。インタビューの淡々とした言葉と同じで、その寒い長い時期を淡々と過ごされていたように思われ
おとなデジタルTVナビ2026年1月号Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}おとなデジタルTVナビ関西版2026年1月号Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}
御三家の中で、一番乱暴者は私。舟木さんの言葉です。良くも悪くも御三家と言う言葉で、括られた時代がありました。三人の中で、御三家と言う言葉を一番意識していなかったのは舟木さんではないでしょうか。今考えるとマスコミに作られた御三家と言う言葉が、長い間付いて回りました。同時期に三田明さんが鮮烈なデビューを飾っていますが、玉置宏さんが評した四天王の言葉
舟木さんが音楽に目覚める最初は、ハモニカとの出会いでした。中学に入って音楽部に入り、女生徒の中で、一人だけの男性だった舟木さんは、部長になります。舟木さんの楽器はハモニカ。それは今でも、コンサートで舟木さんご自身が演奏されます。そして、三橋美智也やハリー・べラフォンテとラジオやレコードで出会い、歌えの魅力を感じていきます。そんな中のチャンスから「湖愁」を歌って、その縁からホリプロに入り、高校卒業の頃に「高校三年生」吹込み。6月5日にデビューを果たしました。
一カ月の舞台公演では、お愉しみは千穐楽。長い公演を何度か見てから、千穐楽を見るのがファンにとっては何が起こるかのお楽しみ。中には、お話がガチャガチャになって、何だか判らない事が起こりますが、これは見ている方も、演じている方も理解してのこと。ハチャメチャになればなるほど楽しいひと時になるのです。さて、千穐楽の事など知らずに見に行ったさすらいです。博多座まで向かったのですが何だかお芝居がおかしい。コンサートになっても、高校三年生もなければ、知っている曲は数曲だけ。まだ舟木詣での新参者
2017.4.15BS朝日ザ・インタビューインタビュアー嶌信彦(しまのぶひこ、1942年5月5日-)は、日本のジャーナリスト。元白鴎大学経営学部教授(定年退官)。前慶應義塾大学メディアコム講師。NPO「日本ニュース時事能力検定協会」理事、NPO「日本ウズベキスタン協会」会長。先進国サミットの取材は約30回に及ぶ。会計検査院「会計検査懇話会」、総務省「NHK海
舟木さんの1か月舞台公演が、お休みになってしまい、長谷川稀世さんも葉山葉子さんのお顔を拝見することが亡くなってしまったのが残念ですが、座組の方々が、舟木さんのコンサートをご覧になりに来ている事があります。もう、舟木さんの時代劇舞台は見られないのでしょうか。大変だとは思いますが、再演を期待したいものです。長谷川稀世さん葉山葉子さん
2013年にBS朝日でスタートした「ザ・インタビュートップランナーの肖像」は、芸能人をはじめ、スポーツ選手、政治家、小説家など各ジャンルのトップランナーにスポットを当てて、これまた各業界のインタビューアーがその方を、掘り下げていくインタビュー番組でした。舟木さんの回のインタビュアーは、テレビキャスターとしても活躍された、ジャーナリストの蔦信彦さんです。テーマごとに、語られていますので、お読みいただきたいと思います。*明日よりテーマごとに掲載していきます。
2007年6月5日に日刊ゲンダイで「舟木一夫歌に抱かれて」の連載がスタートしました。この年舟木さんは芸能生活45周年を迎えて、2月から「舟木一夫芸能生活45周年記念コンサート」を始められています。当時舟木さんは62歳で、中日劇場で「喧嘩安兵衛」新橋演舞場で「銭形平次・蛍火の女」大阪・新歌舞伎座で「次男坊鴉」と一カ月公演を3会場で行ってもいます。芸能生活65周年を迎える事を目標に定めた舟木さんのその年は、再来年と近づき、まもなく81歳のなられる舟木さんは、ますます元気に張り切って
先日の川崎でのコンサート「さすらいさぁ~~ん」の大きな声。ブログにいつもご訪問していただいているご夫婦で、声をかけてくださって、記念写真。舟木ファンであり、武蔵野舟木組ファンであることが嬉しい。ご主人は、舟木さんのレコードを集まておられて「あと1枚。怪傑地雷也なんです」という事を聞いて、その後Lineのやりとをしました。「出来ればそのレコードの写真を送ってください」とお願いしていたので送っていただきました。これだけ集めるのも大変だったと思いますが、この他にアルバムもお持ちだ
舟木一夫全曲集2026-舟木一夫Amazon(アマゾン)3,500円舟木一夫と言う歌手の唄う歌が、なぜ50年も60年も新鮮に感じられるのか。そして、それはその同時代を過した人々にとって、なぜ特別なものになりうるのか。答えは簡単なのだが、それを語られる事は少ないし、聞いた事も余りない。舟木さんのヒット曲を考えて貰いたい。それはデビュー曲の「高校三年生」に始まります。「学園広場」「仲間たち」と続きました。そして次々に出される新曲は、殆どが映画化されて行きます
舟木一夫全曲集2026-舟木一夫Amazon(アマゾン)舟木一夫ファンにとっては、聞きなれた話ばかりで、きっと皆さんお頭の中にはインプットされている事ばかりでしょう。当然、さすらいの頭の中にもインプットされている話です。こうして端的に書いて貰うと、何かすっきり読めるものです。54歳の舟木さんが、目指すは60歳還暦と書かれていますが、この頃は、20年後の今日の事など、考えても見なかったことだと思います。それが70歳までがんばりたいから、5
今日の「徹子の部屋」に大川橋蔵さんの奥様、真理子夫人と次男坊の丹羽貞仁さんが出演された。奥様は、橋蔵さんが銭形平次888回を記念して作って下さった置物で登場され、貞仁さんは、父上の橋蔵さんが着られていた袴を穿いての出演でした。落ち着いた上品なお二人を見ていると、橋蔵家がいかに穏やかなご家庭だったかを思わせます。前回登場予定だった真理子夫人は、当日具合が悪くなり、代わりに登場されたのが、銭形平次の奥さん役の香山美子さんで、その時には、今回真理子夫人がお召しになっているお着物と、同じもの
50年以上前の写真が出て来ました。滅多に残っていない剣道着姿の写真です。子供たちの夏合宿に、指導者の一人として行った時のものです。山の上の湖のある場所で、地面の土をならし、危険な石やゴミなどを全員で片付け、裸足で土の上での剣道の稽古でした。こんな経験をした事のある、剣道をする子供たちは今はいないでしょうね。今はどうか知りませんが、さすらいの時代には、神社での奉納試合などがあり、府中の大國魂神社の境内や、中里介山が書いた「大菩薩峠」に出て来る、奥多摩の御岳山の御岳神社の奉納試合も、地
2005年8月ブログ初投稿の頃のブログ記事ブログ名「逢えるじゃないかまた明日」ボスザウルス2005年8月15日~2019年11月現在休止中ブログ名「武蔵野舟木組」さすらい2011年2月~2025年現在まで継続中ブログ名「さすらいの主夫と生活」2022年2月~2025年現在まで継続中本格的に、ブログを始めたのは、今から20年前の8月15日です。「yahoo!ブログ」で、恐る恐るブログを投稿したのを思い出します。20年前ですから、さすらいも50代半ば。考えて
今年は、今までにないほど舟木さんのコンサートに行っていますが、6月に行われる茨城県水戸市のコンサートを知って、少し、行ってみたいと思うようになりました。そして思い出す事があります。ブログが機縁で舟木一夫コンサート2005年8月16日、初めてブログを書きました。1カ月の出張は、水戸市での仕事でした。長期の出張は初めてで、マンスリーマンションを借りて、自炊の生活です。長くなる事は判っていたので、使い始めたばかりのパソコンを持参しました。パソコンは、使うものではなく、ネットを見るだ
【楽券】サンマルクカフェ1,000円デジタルギフト1枚楽天市場ブログを始めた当時、生の舟木さんに会いたくて、神田明神に行ったのは2007年の事でした。まだまだ新参者でしたから、舞台にもコンサートにもそれ程行っていた頃ではありません。その年新橋演舞場で行われる「銭形平次」の成功祈願の為の参拝でした。カメラを持って御茶ノ水駅を降り、聖橋を渡って神田明神へ。神田明神へ行くのは数十年ぶりの事でした。すでに沢山の舟木ファンの方がいて、参集殿から出て来る舟木さんを待っていま
舟木一夫80歳誕生日記念2024舟木一夫コンサートカウントダウン80’(DVD)Amazon(アマゾン)2013年に、「武蔵野舟木組」ブログにたどり着いたメディアから取材の依頼がありました。すでに12年も前の事になります。舟木さんが芸能生活50周年を迎えたこともあり、未だに絶大な人気を誇る舟木さんの、人気の秘密と、舟木一夫ファン同士の交流と「舟友」についての番組でした。舟木ファンしか知らない言葉「舟友」沢山のファンたちの交流グループがあ
時が流れるのは実に早い。それは歳をとるに連れスピードが上がっていきます。特別毎日忙しく過ごしている訳では無いのですが、ここのところ昼夜逆転も甚だしく、完全に昼夜を取り違えているので、目覚めて時計を見ても、それが朝の6時なのか夜の6時なのか判らないで、「あっ!ゴミ出し」と慌てて起きだしたりします。そんな事もあり、最近では午前3時頃に、その日のゴミ出しを、ゴソゴソと始めたりします。我が地域の場合は、家の前まで取りに来てくれるので、玄関を開け、門の手前に置いてあるポリバケツに入れて置
今年の一年を振り返ると、長男に待望の娘が生まれた事から始まります。昨年の暮れから正月に掛けては、家族で過ごす事が出来ましたが、正月明けにはカミサンが再び入院しますが、あとを追う様に、お嫁ちゃんが同じ病院に入院し孫が誕生。さすらいの二人目の孫が生まれました。2月に入り、カミサンが退院し、我が家のベットでカミサンと生まれたばかりの孫が、一緒に寝ている姿も見る事が出来ます。カミサンの看取りの生活続き、3月には、ついにカミサンは逝ってしまいました。長い闘病生活は、さぞ辛かった事でしょう。