ブログ記事836件
ブログを始めて今日で22年目になります。よくぞ長きに渡って続けてきたものだと思います。必ずしも、順調に継続できた訳ではなく、細々と意味なく書き続けた事もありますし、途中で投げ出そうとした事もありました。22年前と言えば、さすらいは55歳。今考えてみると若いですが、当時ブログを始める人はまだ少なく、「おじさんがブログを始めた!」と言われたものでした。最初にスタートしたのはyahoo!でのブログでした。yahoo!ブログは、初心者には簡単に出来る事から、当時約350万人が利用していたと
2007年は、ブログを始めて2年目。まだまだ「武蔵野舟木組」などとは名乗る前の話で、それでも舟木さんのコンサートはブログを始めた2005年9月に水戸で行われた赤詰コンサートに行き、翌年2006年には、一人で京都旅行を兼ねて京都南座で「坊ちゃん奉行」の公演を見ました。そして新橋演舞場で「船頭小唄」を見ています。そんな翌年、新宿コマ劇場でのコンサートを知り、出掛けた時のブログです。残念ながら満員で入れず、映画を見て帰って来たという顛末です。チケットは事前に買わないと入れない。という事すら知らな
2010年地元に近い「府中の森芸術劇場」でのコンサートに行った時のブログ記事です。今とは大分違った感覚でコンサートを見ていたようです。2005年にブログを始め、その年に出張先の水戸で赤詰コンサートを見た事が現在に繋がっているさすらいです。会場となった府中の森芸術劇場どりーむホールは今回で二度目二年前やはり同じように舟木一夫コンサートがあってその時は小金井からタクシーでギリギリの時間だった今回はカミサンの助けを借りて車で到着すでに会場内に殆どの方が入っていて会場前はもう
65周年で舟木さんに歌って欲しい曲アンケート(こちらから)
今は既に無くなってしまった東京・新宿コマ劇場浅草国際劇場、日本劇場(日劇)そして新宿コマ劇場と、昭和の芸能を彩った劇場が、次々と無くなってしまった。そうした劇場があった事など、これからの時代を生きる若者たちは知らないで過ごすのだろう。新宿コマ劇場での舟木一夫コンサートの模様の舞台裏。30年前の舟木さん、そして今はない新宿コマの様子をアップする。リハーサルの模様は、銭形平次の歌と共にファンへの手拭いを投げる段取り。司会の玉置宏さんも手拭い投げのリハーサル。照明や音響の確認。本番
2019年読売新聞よりチャンネルNECOの広告と共に、青春賛歌でお馴染みの大倉明さんが書かれた記事です。
*この記事は数年前に書いたものですつい最近の様な気もするが「赤詰コンサート」冗談のように話をしていた還暦を迎えたら「赤い詰襟の学生服」そんな話が出たのはいつだっただろうか。還暦が近づいた時ではなかったと思う。そしてそれが現実となり、お約束の赤い詰襟の学生服で登場された。あれから15年、芸能生活50周年を迎え、古希を迎え、55周年を過ぎた。次の60周年も間近になる。コロナ禍による長い空白期間が生まれた事は、よく考えれば、60周年に向けてのリフレッシュ期間と捉えても良いだろう。
.近衛十四郎さんと言えばTV時代劇「月影兵庫」でお馴染みだった。映画界が斜陽になり、各映画会社の俳優さんたちがTVにも登場する時代になったが、TVに出るようになって、映画館にかなければ見る事の出来ない俳優さんたちが、お茶の間での人気者になる。映画の世界で育った俳優さんたちにとっては、じくちたる思いだっただろう。近衛十四郎さんも「月影兵庫」でお茶の間の人気時代劇俳優として活躍された。非常に殺陣の上手い時代劇俳優さんでした。私の友人の俳優、堀田眞三さんもデビューして間もなく「月影
さすらいが、10代から20代と憧れたのが加山雄三さんだった。「君といつまでも」が大ヒットして国民的に有名になったが、それ以前から加山さんの映画を見てファンになったと言って良い。初めて見た映画が「日本一の若大将」で、これですっかりファンになった。その後も若大将シリーズは全て見ている。ただコンサートには一度も行った事はない。当時思ったのは、有名俳優を父に持ち、おぼっちゃまでありながら、スポーツは万能、歌の他に作曲も出来楽器を弾けるし英語は堪能で、スーパーマンのような俳優さんだと思
20年もブログを続けていると、何かそれ自体が資料であり、新たに資料探しをしなくても、皆さんにお伝えできるものもあるようです。今回のブログ記事は、yahoo!ブログの時代のもので、アメブロに移行が上手く出来たものと、全く消えてしまったもの。何かの関係で隠れているものなどがあり、思い出せないような記事が出てくることもあるのです。今回の記事は、舟木一夫芸能生活50周年記念の東京国際フォーラムが行われ前の、前年11月の京都南座でのシアターコンサートですが、私が行っている訳ではありません。
『希望対談舟木一夫・美空ひばり(1964年)』ameblo.jp
『舟木一夫・吉永小百合初対談(1963年)』1963年11月1日舟木一夫日記より10時からNHK「歌謡寄席」の音どり。金原亭馬之助さん、林家珍平さんらとの愉しい仕事だった。夜7時から、読売のインタビ…ameblo.jp『二度目の対談舟木一夫・吉永小百合(1964年)』吉永小百合さんと舟木さんは、映画での主役コンビでの作品はありませんでしたが、舟木さんがデビュー登場からは、人気者同士での雑誌での表紙や対談は、少なくはありま…ameblo.jp
いつも沢山のご訪問ありがとうございます。昨年の8月で、20周年を迎えた「武蔵野舟木組」ブログです。フォローしてくださる方々も、今でも徐々に増えていて、新しく舟木ファンになられた方もいらっしゃり、大変うれしく思っています。さて、ブログに寄せられる「コメント」の件でお話しさせていただきます。「武蔵野舟木組」でへ、コメントは戴ける様にはなっていますが、返事を一切書いてないので、ご不満の方もおられると思いますが、大変申し訳ないのですが、返事のコメントは書かない事にしています。理
まさか本間千代子さんと、先輩の守屋浩さんが結婚するとは・・・
大鵬と柏戸の活躍する柏鵬時代。大横綱二人の熱戦は、相撲ブームを牽引していた。憎たらしいほど強かった横綱大鵬は多彩な技と柔らかな身体で全戦全勝。それを阻むのが、一気の速攻相撲で押し切る横綱柏戸。人気は大鵬に集中し、「巨人大鵬卵焼き」の流行語が出来る程だった。舟木さんの場合は「巨人柏戸卵焼き」だった訳だ。柏戸は我が父の大好きな相撲取りで、この二人を比べたら、大鵬は憎らしくて柏戸が私も好きだった。その前の時代、若乃花好きの父に対し、私は栃錦が好きで、柏鵬時代は、同じ春日野部
「絶唱」の撮影の為断髪式(平凡より)デビューの年NHK紅白歌合戦出場「絶唱」の撮影を終え再び「雨の中に消えて」
舟木さんがデビュー前から住んでいた新宿区若葉の青葉荘。青葉荘の舟木さんを一挙公開です。男所帯のこうした写真が雑誌のグラフで紹介されるのも、60年前の昭和の時代だからだろう。生活感丸出しの写真ばかりで、隣に住んでるお兄ちゃんと言う感じにしか見えない。ファンレターが毎日2500通とか、年賀状は佐藤栄作首相より多い10数万通だったとかは、この写真のファンレターの数を見て現実のものだと感じる。文字で書かれるよりも、こうしたビジュアルの写真を1枚見るだけで「凄い!」と伝わって来る。当時の
多くの方にご参加いただきありがとうございますある程度皆様からのアンケートを頂きましたので、3月31日でアンケート終了とさせていただきます。№1の後、曲酢が少ない事から、№2を追加で作りましたが、こちらへのアンケートの数が、少ないようなので、是非参加がまだの方は、アンケートを宜しくお願いします。アンケート募集期間終了後は、結果発表させていただきます。アンケート↓舟木一夫好きな曲は!№2追加49曲|投票(アンケート)既に「舟木一夫好きな曲は!」スタートしていますが、前回の49曲で
舟木さんにとっては思い出の街である四谷周辺。この写真から四谷書店を探ってみたが見当たらない。既に、若葉一丁目のアパート青葉荘も梅の湯も無くなっていると言うので、写真を頼りに、ホワイトホースセーラーを探ってみたら、四谷二丁目に「ガスライトホワイトホースセーラー」と言うバーを見つけた。四谷駅と四谷三丁目との中間に存在している。当時から同じ場所なのかは定かではないが、ビル内にあるので、ビルに建て替えた時に、そのまま同じ場所に店があるのかも知れない。
舟木一夫好きな歌は?|投票(アンケート)舟木一夫ファンの皆様すべての楽曲は載せられませんでしたので、セレクトした49曲からのランキングですがお選びください。blog.with2.net舟木一夫好きな曲は!№2追加49曲|投票(アンケート)既に「舟木一夫好きな曲は!」スタートしていますが、前回の49曲では足りないので、更に49曲追加しました。票数をなるべく近づけるため、選曲は5曲まででお願いします。№1のアンケートのまだな方は、両方のアンケートに投票ください。blog.