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正9-2-1a『第九古仏心』第二段その1a〔今は亡き宏智古仏(たった今にいる人の中の第一人者)と対面した〕shobougenzo.blogspot.com
正9-1-2a『第九古仏心』第一段その2a〔古仏の道を修行するとは、古仏の道をこの身心で明らかにすることである〕shobougenzo.blogspot.com
正9-1a『第九古仏心』第一段その1a〔釈尊以前の過去七仏より大鑑慧能禅師に至るまで四十人の古仏心である〕shobougenzo.blogspot.com
・前回の記事から1年以上空いてしまった。正法眼蔵を読みながら,思ったことなんかを書いていこうと思っていたが,内容が難しすぎて何も書けなかった。10年以上前に斜め読みしたのとは違って,今回は語句の意味を辞典で調べながら読んでいったが,道元禅師がなにを言われているのかほとんどわからない。それでもなんとか第4巻の途中まではこれた。これたといっても,頭の中を振り返ってみればな~んも残ってない,日常の行住座臥にもその
正8『第八心不可得』完〔『正法眼蔵』評釈〕〔考察:道元禅師は「心不可得」で何を示そうとされたのか〕shobougenzo.blogspot.com
下記の商品は本日入荷したホンの一部です。大阪駅前第3ビル地下2階・永井古書店店頭でも購入できますがインターネット通販サイト「日本の古本屋」でのご注文が確実です。http://www.kosho.or.jp/「日本の古本屋」で当店の商品がヒットしない場合は売約済みか売り切れです。『正法眼蔵釈意(既刊全4冊揃)』(橋田邦彦述)昭和16~25年、山喜房佛書林刊売価10,000円第3巻に『文藝春秋』の一部と思われる切り抜き挿入「わが師・橋田邦彦先生」(杉靖三郎)全25頁
正8-4a『第八心不可得』第四段a原文私訳〔心不可得とは、今の様子(心)は得ようとしても得られない矛盾的ありようである(不可得)ということである〕shobougenzo.blogspot.com
正8-3-3a『第八心不可得』第三段の3a原文私訳〔この腑抜けめ、ぼやぼやするな〕shobougenzo.blogspot.com
正8-3-4『第八心不可得』第三段の4〔画に描いた餅は、飢えを止めることはできない〕shobougenzo.blogspot.com
正8-3-3『第八心不可得』第三段の3〔どの心で、餅を食べようとしておられるのですか〕shobougenzo.blogspot.com
正8-3-2『第八心不可得』第三段の2〔和尚は心が餅を点ずることを知らず、心が心を点ずることも知らない〕shobougenzo.blogspot.com
正8-3『第八心不可得』第三段〔徳山に代わって私が言おう〕shobougenzo.blogspot.com
正8-2『第八心不可得』第二段〔まだ真実の言葉を一言も述べたことのない者を許してはならない〕shobougenzo.blogspot.com
【放てば手にみてり】これは、曹洞宗の開祖道元禅師の『正法眼蔵』に見られる言葉😊あれもほしいこれもほしいああしたいこうしたいこの様な思いはごくごく当然のこと🙂むしろそれが目標になって「よし!頑張るぞー!」って自分を奮い立たせる原動力にもなる💪だけど時には…うまくいかない事もある…そんな時は思い切ってその両手に掴んだああしたいこうしたいを、手放してみよう🍀あるフィギュアスケート選手のお話で金メダルを取った時の言葉「金メダルを取ろうなんて思ってなかったけ
正8-1-4『第八心不可得』第一段4原文私訳〔画に描いた餅は、飢えを止めることはできない〕shobougenzo.blogspot.com
愛語(あいご)人と人との関係の基本になるもの。それはやはり言葉ではないでしょうか。自分の考え方を伝えるのも言葉。相手の心を知るのも言葉。言葉のやり取りによって私たちは、互いの絆をつくっているのです。たとえ長年寄り添ってきた夫婦とて同じことです。「いちいち言葉にしなくてもわかってくれる」。そんなことを言う人もいますが、それはとても傲慢な考え方だと思います。言葉のすれ違いは、やがて心のすれ違いになっていくこともあります。そのことを忘れてはいけません。人と人とをつなぐ大切な言葉を蔑
正8-1-3『第八心不可得』第一段3原文私訳〔和尚さんが答えられないなら、餅を売ることはできません〕shobougenzo.blogspot.com
今日、ただ今、ここに生きている命は、何よりも尊く、この体はこの世に一つしかない、かけがえのない尊い存在である。『正法眼蔵』
正8-1-2a『第八心不可得』第一段2a原文私訳〔徳山宣鑑禅師が金剛般若経を明らめたと自称した〕shobougenzo.blogspot.com
稲津先生は師から学ばれた観点からと、実際に探訪成された《地獄巡り》の視点を元に次の如く仰せに成った…霊的視野から見詰めて、最も優れた祖先達の古典『古事記』は、神界の消息を語り継ぐ天界の経綸、即ち、日本及び日本人の霊的因縁の解説書としての存在価値は霊学研究の最高峰に位するものではあるが、身近な霊界構造つまり日本人の霊的帰趨の在り場所を説いた書物は、何と言っても弘法大師『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』に記された《十住心論》を以て右に出るものは無い。既に、日本人が心の内に抱く"心の赴く処"に従って、
正8-1a『第八心不可得』第一段1a原文私訳〔過去の心は不可得であり、現在の心も不可得であり、未来の心も不可得である〕shobougenzo.blogspot.com
正7-7-2a『第七一顆明珠』第七段2a原文私訳〔心と思われているものは私ではない〕shobougenzo.blogspot.com
正7-7-1a『第七一顆明珠』第七段1a原文私訳〔黒山鬼窟と思っている日常の起居進退も、すべてただ一個の明珠にほかならないのである〕shobougenzo.blogspot.com
正7-6-3a『第七一顆明珠』第六段3a原文私訳〔どうあろうが、すべてはいつもみな明珠なのである〕shobougenzo.blogspot.com
今朝は4時起き。目覚める前からか後からだったか【仏道とは己を知ること也】という言葉がいきなり入ってきてびっくりした。日頃からそんな事ばかり考えてるからかと思ってしまうけど💧その時はかなり明確にいきなり入ってきて動揺した。しかし、何か何処かで聞いたことのある言葉だなと思い調べてみるとオリジナルは道元禅師の【仏道を習うとはいうは自己を習う也自己を習うというは自己を忘るる也自己を忘るるは万法に証せらるる也・・】という有名な(?)正法眼蔵の言葉がちょっと違う感じで出てきたみたい💧。自己を習うを
正7-6-2a『第七一顆明珠』第六段2a原文私訳〔明珠が衣の裏に懸かっているのに、衣の表に懸けようと言ってはならない〕shobougenzo.blogspot.com
正7-6-1a『第七一顆明珠』第六段1a原文私訳〔自己の全身がそのまま一つの正法眼蔵涅槃妙心である〕shobougenzo.blogspot.com
正7-5-3a『第七一顆明珠』第五段−3a原文私訳〔黒山鬼窟の暗がりに頭を突っ込んで生活しておるな〕shobougenzo.blogspot.com
正7-5-2a『第七一顆明珠』第五段−2a原文私訳〔しばらく廻光返照すべし〕shobougenzo.blogspot.com