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ネルケ無方老師は、太祖「瑩山禅師の禅」である!・「生死の巻」は、非『正法眼蔵』である。…「坐禅」がない。「行」がない。「旧草75巻+新草12巻」のみが、「道元和尚の親選」の『正法眼蔵』である。ただし、「旧草は、誤解を招く部分があり、訂正する」と言っている。・如浄禅師の「帰家、穏坐」を「道元」和尚は採用せず。他方「瑩山」禅師は採用する。これは、「自己」というものを信じている「中国人の土着の信仰」である。道元和尚は「日本天台本覚思想」と同じ傾向にあるから採用しない。
大船を整えて、南の海を経て広州に到着した『第十六行持下』16下-1-2shobougenzo.blogspot.com
修証義全文意味現代口語訳【曹洞宗のお経】『修証義(しゅしょうぎ)』は、曹洞宗(そうとうしゅう)において、主に一般の信徒に向けた教えの要点をまとめた基本聖典です。基本概要由来:曹洞宗の開祖・道元禅師(どうげんぜんじ)の主著である『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』から、大切な言葉を抜き出して編纂されました。編纂の時期:明治時代(1890年)に、当時の一般の人々にも分かりやすく教えを広めるためにまとめられました。構成:全5章31節で構成されています。構成と主な各章では、仏教徒と
「道元」和尚は、「知らないこと」を知ろうとして、中国・南宋に渡ったのではない。「知っていること」を「それが正しい」と証明してもらうために、その「正師」を「探し」に、中国に渡ったのである。日本には、そんな人物は、一人もいなかった。つまり、師の「明全」禅師も、道元を「証明できる師」ではなかった。道元は、「明全」禅師に「嗣法」していない。だからこそ、「からっぽで、何も持たないで、日本に帰って来た」と宣言するのである。「空手、還郷」が、「上堂」での第一声だった。きっと、みん
生母が、一晩で深夜亡くなったのは、中学一年生の6月だったが、「道元」和尚を知ったのは高校三年生の「倫理・社会」の授業の中だった。戦後のベビーブームのトップであり、文部省が「新しい課程」に切り替える、そのタイミングであり、花巻北高校という当時「大学進学校」だったので、教科の「全科目」を受講した。なお、「私の学年」では、50人x4組=200人だった。男子が150人、女子が50人であったので、男子だけの2クラスと、男女混合の2クラスで構成された。私は、男子だけのクラス(男クラ
達磨大師は法を伝え衆生を救うために、インドから中国に来た『第十六行持下』16下-1-1ashobougenzo.blogspot.com
道元和尚は、鎌倉幕府への布教に失敗して、再び、永平寺に戻ってきたが、後生に託して、『正法眼蔵』の完成へと邁進した。その時、「旧草75巻」を、皆、書き改める必要性を感じていた!だから、12巻本を中心・基礎にして、以前の『正法眼蔵』を、解釈・読まなければならない。仰以前所撰仮名正法眼蔵等、皆書改、并新草具都盧壹百卷、可撰之云云(右の本は、先師最後の御病中の御草なり。仰せには以前所撰の仮名正法眼蔵等、皆な書き改め、并びに新草具に都盧壹百卷、之を撰ずべしと云云)。
自分は死ぬんだと思った時に、道元和尚は「八大人覚の巻」を残した。さて、自分は何をするのか?「頭が回る」のは、せいぜい、後、1年。何をするかは、「自分の脳細胞」を用いて、決めることができる。それを越えたら、後は、自然現象の世界に突入するだけである。恐ろしくもある。もともと、「自分」は無くて生まれて、外部から、情報を受けて、徐々に「自分」が形成されていった。その「自分」が、徐々に、老化して、機能しなくなって、消えていく。つまり、もともとの状態に、戻っていく。「
思想として、「道元和尚の禅」と「瑩山禅師の禅」と異なっている事実を、認めるか?認めないのか?の分水嶺に、立っているのである。〇〇〇「鎌倉仏教の中世」平雅行著、2025年発行、P151より1243年、「道元」和尚は、天台宗の著名な学僧「俊範(佐法師)」によって、その教えが吟味され、「原始仏教」と正しく判定されて答申され、後嵯峨天皇によって、「追却」された。しかし、いち早く、感知して、北陸に逃げていた。その判定は「道元の主張は、二乗(声聞乗、縁覚乗)中の、
要は、ネルケ無方老師の禅は、沢木興道老師、内山興正老師の禅であり、太祖「瑩山」禅師から、正統に「嗣法」してきた「正しい禅」である。「如浄」禅師は、初め「教家」であって、19歳で「中国禅」へ移って来た。だから、ご自身の基本思想は「中国天台宗」天台智顗の教学、更に、坐禅は『摩訶止観』を基礎にしている。他方、「日本天台宗、達磨派」も、天台智顗の教学を基盤にして、伝教大師「最澄」は「北宗禅」を将来し、後の弟子は「密教」を将来し、両方を、総合する「修行」であった。つまり
🟩⬛️愛語廻天⬛️🟩むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり(道元禅師「正法眼蔵」)🌿https://www.e-gojokai.com/
思う存分親近できる良縁に恵まれることは稀である『第十六行持上』完16-22-3shobougenzo.blogspot.com
学ぼうとしても、師が得られない悲しみがある『第十六行持』16-22-2shobougenzo.blogspot.com
どうも、自分は、「自分自身で<考える>」のではなく、「知りたいと思って、いろいろと、探究し、<見つける>」という方法を選んできた。きっと、これは、小さい時から、自分で考えることに、自信がなかったせいだろう。〇〇〇道元は、以下の教えを述べる中国・臨済宗の「徳光」禅師を批判する!・・・彼は、「日本達磨宗」の初祖「大日・能忍」禅師に印可状を渡した。その法は、三祖・懐鑒禅師、四祖・義介禅師、三祖・懐奘禅師と、嗣法された。瑩山禅師は「五祖」となる。「直指人心、見性
座禅開始から40分ほど経ったら、直堂は警策を持つのを止め、とあるお経を挙経します。普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)または正法眼蔵坐禅儀(しょうぼうげんぞうざぜんぎ)というお経を読みます。どちらも曹洞宗開祖・道元禅師様によって書かれたものです。特に重視されるのは前者の普勧坐禅儀。非常に長いお経なので、偉い方がこっちを読むぞ、と指示したときに読まれます。どちらも非常にゆっくり読むので、めちゃめちゃ時間が掛かります。速く読もうとすると、役寮さんからマジ切れを喰らいます。また、夜
「瑩山」禅師の禅は、『伝光録』で示される「釈尊のお悟り」そのものである。具体的には、釈迦牟尼仏。見・明星、悟道、曰。我・與・大地・有情、同時、成道。しかし、「道元」和尚は、これと別の「正伝の仏法」「原始仏教」だった。『正法眼蔵』の、最初の説法は、「摩訶般若波羅蜜の巻」である。これこそが「原始仏教」そのものである。正法眼蔵第二摩訶般若波羅蜜私釈:経に依り教に依る有の思惟2020/10/29松岡由香子(著)「摩訶般若波羅蜜」巻は、道元33歳頃、観音
道元の正法眼蔵を読み解くと、相対的自己と絶対的自己を区別していることが分かる。相対的自己は、すべてが相互の関係性で成り立っていると理解し、その関係性の中に埋め込まれた自己である。子は親がいなければ生まれないが、子がいなければ親になれない、無があるから有がある、といった話しが良く知られている。縁起のことで、生態系の考え方に通じる。絶対的自己は、こうした一切の対象とそれらとの関わりを超えて、世界そのものと同一になった自己だと言う。言葉にもならない。認識主体も霧散していて、悟りを得たという次
Kokkpåhttps://www.instagram.com/reel/DXMurGnjRcu/?igsh=MXNwOTc0bTBpNnd2aw==NicolasHulscheronInstagram:"TheCDCjustadmittedinanewstudythattheCOVIDshotstheytoldallpregnantwomentotakeincreasetheirriskofaleadingcauseofm
幸運!道元が、最後まで「懐奘、義介」に嗣法を許さなかった。むしろ、二人とも「嗣法」しなかった!だから、「瑩山」禅師は、直接、「如浄」禅師に「嗣法」した。『如浄禅師語録』『宝慶記』の教えを、正しく「嗣法」した。その内容は、「南宋」の「中国禅」であった。それに「助証」として「日本達磨宗」の「嗣法」を加えた。「道元」和尚の「正伝の仏法=原始仏教」は完全に封印された。~~~~~~~~~~~~~~先ず大谷哲夫先生のP302の「豁然、大悟の物語」は、事
「瑩山」禅師は「日本天台宗、達磨派」の「天台密教の禅」である。伝教大師「最澄」の始めた「日本天台宗」を、最終的に、完成させた。「外来の宗教・仏教」を、「ご先祖様信仰」と結び付けて、一体のものとして、日本人の長年の懸案事項「死者と死の問題」を、これで、一挙に、解決した!(これは、「中国禅」、と同じで、「自己」は「実体」であり「永遠なもの」である。中国人の死生観では、死者は、永遠に生きる。だから、子孫は、毎日、食事を与え、時々、お札も与え、続ける、必要がある)他方「道
次をお届けしますhttp://shobougenzo.blogspot.com/2026/04/16-21-2.htmlhttp://shobougenzo.blogspot.com/2026/04/16-21-2b.html合掌
「道元が開山」である「永平寺」の住職、「義雲」禅師に、対抗して、その「道元の師」である「如浄」禅師を、自分の「高祖」に据えた?〇〇〇「万法に証せらるる」といふは、「自己の身心」および「他己の身心」をして「脱落せしむる」なり。「身心」に法いまだ「参飽」せざるには「法」すでに「足れり」とおぼゆ。法もし「身心」に充足すれば、ひとかたは「足らず」とおぼゆるなり。〇〇〇瑩山禅師は、なぜ、道元和尚を、ご自分の「高祖」に据えなかったのか?もしも、「道元」和
宣宗皇帝は、常に結跏趺坐を好み、宮中にあって常に坐禅した『第十六行持』16-21-1shobougenzo.blogspot.com
「南方の中国語」「寧波の地域の方言」では、「如浄」禅師語録の「心塵脱落」と、「道元」和尚聞き取りの「身心脱落」は、ほぼ「同じ発音」になる。石井修道著『道元禅師正法眼蔵行持に学ぶ』2007年発行P579、注(11)で説明し「結果的には“聞き違い”と同じ説となるが…」とある。「中国語」というものは、思考を論理的に表現するには、「機能不足な道具」である。だから「インド仏教の経典」も中国語訳にすると「意味が曖昧になる」。道元は、だから、主著『正法眼蔵』を、日本語を用いて、著
こんにちは。ファスティングセラピストさわぴーです。私の自己紹介はこちらランキングに参加中です。クリックお願いします。ダイエットランキングコロナで止まった私の人生が動き出した日2020年コロナで、それまで続けていたマネキンの仕事がなくなりました。外に出ることも減り、人と会うこともなくなり、気づけば、家にいる時間ばかり。体は重い。気分も沈む。でも――「年齢のせいかな」って、どこかで自分に言い聞かせていました。本当は、違和感に気づいていたのに。「
わが宗は、お前に到って大いに世に興るであろう『第十六行持』16-20-2shobougenzo.blogspot.com
”「道元」第一主義こそが、誤りの根源!道元の下で、義介は、道元傘下から出て行った「懐鑒」禅師から「日本達磨宗」を嗣法した。”同じ「如浄」禅師の中に、「道元」和尚は「原始仏教」へ、瑩山禅師は「天台密教の禅」へ「根拠」を見る(1)同じ「如浄」禅師の中に、「瑩山」禅師は「天台密教の禅」へ「根拠」を見る「瑩山」禅師は、『如浄禅師語録』と『宝慶記』の中に、「己の教えの根拠」を見出している。No.38坐禅は直に、乃ち、「帰家」穏坐するなり。瑩山禅師の『坐禅用心記』に引用
『【最終章】まで完成(笑)』『【新連載】(笑)』『さらに、新たに(笑)その2』『さらに、新たに(笑)』『やれることをやり切る(笑)その2』『やれることをやり切る(笑)』『いい…ameblo.jp『【目次】『大いなるゴルフの道(TAO)』』『【新連載】(笑)』『さらに、新たに(笑)その2』『さらに、新たに(笑)』『やれることをやり切る(笑)その2』『やれることをやり切る(笑)』『いい…ameblo.jpに引き続き、少し(笑)。皆様、こん
臨済の修行は純一でその行持はずば抜けていた『第十六行持』16-20-1shobougenzo.blogspot.com
「中国禅」は、天台智顗の『摩訶止観』の禅ではない。「老荘思想」の「坐禅」であり、「坐亡」のことである。如浄禅師は、19歳まで「教家」であった。幼少から「叩き込んだ教え」は、不動のものである。「雀百まで、踊り忘れず」天台教学の下にあり。『摩訶止観』の坐禅だった。だから、「無師独語」だったのである。道元が、如浄禅師一人が「正師」であると教える所以である。道元は「正師に逢わずば、学ぶに如かず」と、心から、教える。私も、78歳まで「正師」を求めて、迷走している次第です。