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少し秋めいたと思ったのに晴れると暑いこと。先週は例大祭準備でお休みした楠川サロン。今日は梱包テープで籠作り。なかなかうまく行きません。先生も大苦戦。まあうまく行かないのも、がちゃがちゃして楽しい時間。朝日。上の方の空もいい色。県道沿いにはようやくサキシマフヨウが花盛りに。薄い花弁が芙蓉の花ですね。県道沿いに鮮やかな黄色の花、ゴールデンシャワーかと思いましたが撮影してみるとコバノセンナのようです。毎年新しく発見する花があるのはどういうことなのでしょう?特に
桂太郎は、第11代、13代、15代総理大臣である。在任中に日露戦争があり、桂は小村寿太郎を外相に任命した。だが、ポーツマス講和条約で賠償金が取れず、日比谷焼き討ち事件などの暴動があった。日本に戦争継続の余力は無く〝辛勝〟だったのを庶民は知らず、メディアは煽った。かくして、日本は大陸に進出し、近代史の〝泥沼〟に嵌っていった。桂と小村について、拙著で以下のように書いた。◆◆◆帝政ロシアは、シベリア鉄道経由で
1904年に始まった日露戦争ですが、陸戦は日本の大勝利。連戦連勝ですが、薄氷の勝利でした。多数の犠牲者を出しながら、国力の差で、武器弾薬が尽きる寸前のところでの勝利でした。陸戦では日本の勝利だったのですが、ロシアはロシアの威信にかけて引きません。ロシア帝国にとっての頼みに綱はバルチック艦隊でした。このバルチック艦隊、バルト海にいました。もし、東洋近海にいたら、日本は危なかったのですが、バルト海という場所から出港することになります。およそ、世界を半周する感じで、日本に迫ります。途中で同盟国のイギ
【勉強メモ】メモです。理解が違ってるかもです。みどりの字は、読者(栗林)のつっこみです。野口良平『幕末的思考』第3部公私第3章敗者における大義と理念-1■顕密システムほころびるエライ人たちが、とりあえず近代国家の体裁を整えるためにとった「顕密システム」(大事なことはエライ人たちだけで決めてしまい(密)、一般大衆には市民宗教=「天皇バンザイ」教のもとに国民意識をもたせる(顕))だったが、だんだんボロが出てくる。《ボロ①》日比谷焼き討ち事件きっかけは日
大正デモクラシー前夜「第一回護憲運動」と陸海軍の不祥事日本を未曽有の危機におとしいれた「太平洋戦争(大東亜戦争)」。1941年12月の真珠湾攻撃から約4年間つづいた戦争の発端については諸説あるが、大正時代だという意見もある。大正時代初期の日本は、日露戦争の賠償金放棄に反発した国民による暴動事件「日比谷焼き討ち事件」で社会不安が増大し、さらに公債負担と軍事費の増加で財政難がつづいていた。こうした最中に発生したのが、第二次西園寺内閣と陸軍の対立だ。1912年12月、陸軍は朝鮮半島への
読書時間:3h一読:あり再読:ありR指定:なし著者:藤野裕子刊行:2020年8月価格:820円+税出版:中公新書民衆の暴動が起きた背景を多面的に観る近世日本の民衆暴力1百姓一揆の作法と仁政イデオロギー2世直し一揆3通俗道徳と解放願望新政反対一揆-近代化政策への反発1人々を襲う「異人」への恐怖2被差別部落を襲う-賤民廃止令への反発3鎮圧と処罰秩父事件1秩父事件とその背景2自由民権運動か、負債農民騒擾か3国家に対抗することの困難都市暴動、デモクラシー、ナ
世界各地では今でも暴動が起きており、警察や軍隊との衝突が報道されています。平和な現代日本ではちょっと考えられませんが・・・かつては我が国でも一般国民による暴動が起きたことが。それは、今から115年前の今日・1905(明治38)年9月5日の日比谷焼打ち事件前年・1904年から始まった日露戦争は、日本海海戦の勝利を契機としてセオドア・ルーズベルト米大統領の仲介によりアメリカ・ポーツマスで和平交渉が行われ、終戦合意がなされました。小村寿太郎を全権とする日本代表団が8月からロシア側と
・・・といっても、『ドカベン』の里中投手ではありません。今日は、身長150cmに満たない小柄な体格ながら、明治時代後期の激動期に日本の外交を取り仕切った政治家・外交官、小村寿太郎の命日にあたります。寿太郎は1855(安政2)年、日向国飫肥藩(おびはん=現在の宮崎日南市)の藩士・小村寛平の長男として生まれました。1861年に藩校・振徳堂に入ると、そこで教鞭を取っていた藩きっての俊傑で、寿太郎より9歳年上の小倉処平に見込まれ、彼の推挙により明治維新後の1870
日露戦争(1904~1905)日露戦争の原因は(詳しくは前章を参照)義和団事件で満州(中国東北地方)を軍事占領したロシア軍が事件後も撤兵せずに、朝鮮半島に圧力をかけたので、ここを支配しようとした日本と対立したことや日清戦争後日本が獲得した遼東半島をロシア、ドイツ、フランスの三国干渉により清に返還せざる得なかったことで日本のロシアに対する敵意が強まったことなどがあげられる。ロシアの満洲占領は日本とロシアの対立だけでなくここに利害をもっていたアメリカやイギリスをも警戒させた。とくにイギリ