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ショート動画桜井誠桜井誠「こんな立派な朝鮮人、いたんですよ」靖国神社に祀られた朝鮮人とその歴史桜井誠が語る、靖国神社にまつわる歴史。靖国神社には、日本人だけでなく外国出身者も祀られているという事実や、洪思翊中将のエピソードを通して、その背景について触れています。歴史や価値観について考える一つの視点としてご覧ください。※本動画は発言内容をもとに構成した解説・考察動画です。日本第一党公式チャンネルhttps...youtube.com靖国神社には朝鮮人が二万柱もまつられている。
[広島湾要塞]鷹ノ巣高砲台③低観測所(補助観測所)鷹ノ巣高砲台(厳島/宮島)起工:明治31年7月21日竣工:明治33年3月31日備砲:28センチ榴弾砲×6門(1座2門)備砲:143メートル目的:大那沙美島砲台(大奈佐美島)、鶴原山砲台(西能美島)、三高山堡塁(西能美島)と協力して、海峡の前方一帯の海面を射撃し、海峡封鎖を破らんとする敵艦の動作を妨害するを主とし、尚、厳島北東部に設ける諸建築物を掩護す。廃止:大正15年6月(大正15年8月陸軍第5師団経理部に移管)※明治34年に
[広島湾要塞]地区砲兵司令所※2024.1.28修正※2026.4.14加筆鷹ノ巣高砲台の観測所の北に設置された。観測所と通信室も持つ砲兵司令所は、広島湾要塞での那佐美島海峡地区における総合司令所のような位置づけ。鷹ノ巣高砲台観測所(高観測所)正面前の道を北に歩く。程なくT字路に出る。進行方向右の交通壕は行き止まり?(藪で阻まれた)。T字路の分岐点(左)に砲台長位置のようなものが左側にある。*直進する(少し歩く)。石垣がみえる直前、左(下る道)と直進のY字交
ここからはほぼ戦跡巡り大房岬は、日本陸軍によって昭和三年から四年を費やして要塞が築かれました。発電所跡横の階段を上って行きキャンプ場方面へ現在も倉庫として使用されているような建築物どう考えても戦跡の一部?向かい合っているこちらもたぶん戦跡…。後から調べたら第一探照灯掩灯所跡、らしい。少し先に進むと案内板探照灯跡更に奥に行くと探照灯が格納されていた場所全く何がなんだか想像もつかないここで行き止まりなので戻ります。戦跡、ん~、何となく怖いけど見ち
こんにちは。本日は、シンガポールのM.Z.B.T様より、日本陸軍の昭和11年製ニ種航空頭巾の製作依頼がありましたので、ご紹介したいと思います。Hello.Thistime,wereceivedarequestfromM.Z.B.T.inSingaporetoproduceaJapaneseArmyType2aviationflighthelmetfrom1936.日本陸軍ニ種航空頭巾(昭和11年製)JapaneseArmyTyp
対馬要塞(明治期/第2期)四十八谷砲台②砲座や観測所など長崎県対馬市美津島町島山四十八谷砲台(5)起工:明治31年8月15日竣工:明治33年11月15日備砲:28cm榴弾砲×6門(砲座6)標高:20m目的:浅海湾(浅茅湾)口を縦射し、敵艦の進入を防止する廃止:大正2年4月に廃止予定リスト入り→昭和9年8月に全部除籍特記:明治34年より35年に掛けて兵舎・将校室・炊事場・繋船場等を増築。(引用:対馬砲台あるき砲台)四十八谷(しじゅうやたに)砲台対馬要塞の第2期工事中、最
対馬要塞(明治期/第2期)四十八谷砲台①掩蔽部など長崎県対馬市美津島町島山四十八谷砲台(5)起工:明治31年8月15日竣工:明治33年11月15日備砲:28cm榴弾砲×6門(砲座6)標高:20m目的:浅海湾(浅茅湾)口を縦射し、敵艦の進入を防止する廃止:大正2年4月に廃止予定リスト入り→昭和9年8月に全部除籍特記:明治34年より35年に掛けて兵舎・将校室・炊事場・繋船場等を増築。(引用:対馬砲台あるき砲台)四十八谷(しじゅうやたに)砲台対馬要塞の第2期工事中、最初に着
武田信玄が残した言葉「戦は8割勝てば勝ち過ぎ」というものを多くの人が心に刻むべきです。今のアメリカのやり方を見ていると自分の都合を100%主張しているだけなのです。そこには少しの理性も感じられず面子と自分の利益だけを気にしている姿があるだけなのです。あれでディベート術と言われても、そんな高尚なものかと言いたくなります。あれから何を学ぶのでしょうか。子供が自分の都合だけを言うのと何が違うのでしょうか。あれではまるで昔の日本陸軍を見ているようです。ですからアメリカがイラン
今回のホットウィール謎車天国番外編は「日本軍戦車」資料見たらあかんヤツ謎天はプラモ製作に入る前に資料集めから入るタイプです。写真やら図面は当然ですが、戦記や当時の搭乗員のインタビューやら実戦記録などなど。ドイツ戦車であれば、ビットマンやらカリウスの戦歴をつづりながら、タイガー戦車の模型製作にひたる的な流れです。で、日本戦車と言えば零士先生の「鉄の墓標」ですなんと「90mm砲」装備の「四式戦車」が活躍するとんでも戦記劇画です。で、こんなのも読んでしまいました。上田先生、意気消沈
軍隊の始まり⏬️✨️歩兵第十八聯隊戦役記念✨️⏬️明治十四年には一四%十六年一八%、十八年には一挙に二五・四%国際情勢があわただしくなった二十五年(一八九二)にはついに三一%とうなぎ上ぼりに増えてしまったその間に軍制もかわった陸軍ができたころは兵制はフランス式で制度だけではなく教育も作戦もすべてフランス陸軍の翻訳であった日本陸軍がこのようにフランス一辺到であったころ政府の伊藤博文は憲法を学ぶためにプロシアに赴いていたまた、多くの留学生もかの地に
こんにちはハセガワ1/48日本陸軍鹵獲機P-40Eウォーホークの制作記です。作りやすいキットです。機体は、塗装図通り、下面は、ニュートラルグレー、上面は、オリーブドラブで塗装します。このキットに搭乗員はついていません。搭乗員は、タミヤです。すこし小さいきがします。
前章に続き、日本と日本軍を貶める情報であれば真偽を問わず飛びついてきた朝日新聞を筆頭とするマスメディアと、それに同調してきた、いわゆる文化人たちの思考構造を批判した一篇である。吉田清治の虚偽証言、毒ガス使用の証拠とされた写真の誤鑑定、元軍人や大学教授による権威づけと、それを検証なく拡散した報道機関の責任を指摘し、日本に不利益な情報だけを無批判に増幅してきた戦後日本の言論空間の歪みを告発している。問題の本質は個々の誤報ではなく、日本を悪く見せる材料に歓喜して群がるメディアと知識人の精神構造その
『ラバウルの落日』ラバウル航空隊ファンの私は「ラバウル」と本のタイトルに入っているとつい購入してしまう。世の中に出ている日本語で書かれた本で「ラバウル」とタイトルに入った戦記ものは、ほぼ収集しているのではないかと自負している。将来「ラバウル図書館」でも開けそうな勢いである。そんな私が古本で見つけた『ラバウルの落日』。はい、即、購入。岡本信男氏著。お名前を見かけたことがない方だ・・・と思ったのですが。この方は海軍ではなく、陸軍でした。陸軍もラバウルにいましたからね。岡本信男著『ラバウ
こんにちは次回のおおなみ会の展示会テーマは、日本陸軍です。最近いくつか記載したのは、購入済みのキットです。今回のテーマにあわせて、新しく購入したキットを紹介します。第一弾は、ファインモールドのメッサーシュミットbf109E-7日本陸軍です。キットは、タミヤ製です。フィギアの追加やデカールがファインモールド製です。日本陸軍は、ドイツからメッサーシュミットを購入、テストしたので、日の丸つきは、事実です。
トランプはホルムズ海峡の護衛に協力しない国々に対し言った。「(協力しなかったら)忘れないからな」あーあ。英国が西部戦線での戦況悪化に伴い、日本陸軍の欧州派遣を複数回強く求めたが、「国防が唯一の目的」「主義上不可能」「大規模派遣で本土防衛が欠落する」と拒否し、それが日英同盟破棄の遠…pic.twitter.com/MN8uqD9neP—髙安カミユ(ミジンコまさ)(@martytaka777)March16,2026
こんにちは。本日は、日本軍航空隊の防眩・遮光眼鏡(鷲の目飛行眼鏡)をご紹介いたします。日本軍航空隊における遮光眼鏡は南方戦域などの強烈な陽光の下、上空での直射日光や雲・海面からの反射光による眩しさを軽減し、搭乗員の視界を確保しました。高高度飛行時における強い紫外線から目を守り、眼病の予防や、疲労軽減の役割を果たしました。夜間戦闘時の搭乗員が、昼間の任務中にあらかじめ装着して夜目をならしておくなど、夜間戦闘能力を維持する目的でつかわれた話も残っています。地図をにらんで
最悪の戦場独立小隊奮戦す【4】沈黙五十年、平成日本への遺書緩詰修二【著】(潮書房光人新社)前回のブログ記事は以下の通りです。最悪の戦場独立小隊奮戦す緩詰修二【著】【3】アメーバブログ記事より最悪の戦場独立小隊奮戦す緩詰修二【著】【3】アメーバブログ記事『最悪の戦場独立小隊奮戦す緩詰修二【著】【3】』最悪の戦場独立小隊奮戦す【3】沈黙五十年、平成日本への遺書緩詰修二【著】(潮書房光人新社)またしても、読み進み具合が滞っております…。とりあえずマイペース…am
最悪の戦場独立小隊奮戦す【3】沈黙五十年、平成日本への遺書緩詰修二【著】(潮書房光人新社)またしても、読み進み具合が滞っております…。とりあえずマイペースで、じっくりと取り組んでいます。前回のブログ記事は以下の通りです。最悪の戦場独立小隊奮戦す緩詰修二【著】【2】アメーバブログ記事より最悪の戦場独立小隊奮戦す緩詰修二【著】【2】アメーバブログ記事『最悪の戦場独立小隊奮戦す緩詰修二【著】【2】』最悪の戦場独立小隊奮戦す【2】沈黙五十年、平成日本への遺書緩詰
すこれは私の妄想物語『お母さんは…北斗七星を眺めながら帰って来る途中だったのよ。夜中だもん。誰も歩いてないし、車の通りもない。夜空を眺めて星を探すの。酔っ払ってたし…だからきっと…』莉朶から先日聞いた話。夜中に履いていたパンプスを俺に投げつけたあの時。『お前も仕事帰りは酔っ払ってるんだから気をつけろ!』確かそんなことしか言えなかった。まるで『親父の教科書』と莉朶が例えるような。もっと何か言えたかもしれない。もう少し相手の気持ちに寄り添って…たったひとり
奉天作戦ほうてんかいせん日露戦争1905年2月21日〜3月10日⏬️✨️坂の上の曇より✨️⏬️奉天作戦の勝敗は十日夜に決定した。この夜、ロシア軍の後衛軍団は退却を開始したがすでに日本軍の包囲運動が活潑になっていたためにさきに退却した前衛の諸軍団のように整然とはゆかなかった。『蹄厩(ていじん)十里、曠野ことごとく露軍たらざるなし』と、日本軍の一将校が表現したように鉄嶺街道といい鉄道線路といいさらにはこれと並行する道路と言いロシア軍の人馬、砲車で満ち
東ニューギニアでの戦死者数の中、90%は餓死。本当に日本陸軍の舐めた神経は許されないよなぁ😤日露戦争に勝って気が大きくなった末路がコレ。どれだけ不遜な神経をしていたかをエグいレベルで憤るよね。
まず、新京成終点駅の話をさせてください。なぜって???、、、、それは、単純なんですよ、、、^^;実は、私、、、、「津田」姓でして、、、、で、この津田姓と言う人々の共通点は、、、「港に近い田んぼ」の地に、住んでいた人々でした、、、我が祖先は、北九州市津田村の村長だったもんだから、、、「津田」にしたそうな〜^^;で、「津」と言うのは、海や湖の「港」を指しています。一番いい例が、「滋賀県」県庁所在地「大津市」ここは、琵琶湖を行きかい、北陸からの素晴らしい海産物、米が、「
Hello.Today,IwouldliketointroducetheW-typelifevestusedbytheImperialJapaneseArmy.Armytroopswaitingtoboardtransportships.WhileitiswellknownthattheNavyhadtheRikusen-tai(陸戦隊),itissurprisinglylessknownthatthe
今日の歴史の一幕1944年3月8日、牟田口中将指揮のもとインド北東部のインパールを包囲する「インパール作戦」開始されました。インパール作戦は、1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続され、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことで、日本軍10万人がほぼ全滅しました。私の父は弓兵団の工兵隊将校で従軍して、英軍の戦車に追われ、マラリアにかかり、俘虜(ふりょ)になり、戦後復員しました。父が戦死してたら、私はこの
本日は、日本陸軍「鉄道連隊」を行く。いやぁ、ちょっと前まで、「新しい」って、言ってたのに、、、^^;その「鉄道連隊引き継ぎ路線」は、、、「習志野駐屯地」の前を行く。でも、、、「新しく」無くなってしまいました。。。(´・ω・`)歴史的には、本線よりも古い可能性さえも感じながらも、、、もう、お分かりだね〜「新しいケイセイ」と言っていたのに、、、^^;新しい京成、、、新京成と言っていたのに、、、とうとう、お上に丸め込まれまして、、、、2025年(令和7年)4月1日京成電鉄
最悪の戦場独立小隊奮戦す【2】沈黙五十年、平成日本への遺書緩詰修二【著】(潮書房光人新社)暫く、本ブログ記事の更新が滞っておりました。あまり、読み進めてはいません。内容が戦闘詳報のような記述も多々ある為、本書掲載の戦闘地図を見比べながら、理解しつつ読み進めています。多分、小生の若い頃ならば直ぐにギブアップしそうな書籍です。著者自身のエピソード部分は大変興味深く読めるのですが、その外はなかなか頭に入って来ません。前回のブログ記事は以下の通りです。最悪の戦場独立小隊奮戦す緩詰修
空を愛した男の死闘譜平塚勝手記(絵も)Skylover'sDeathBattleNote1942-1945byHiratsukaMasaruEditedbyHiratsukaShigeru(C)2017-___________________平塚勝1937年14歳少尉19歳___________________遺書永年(なが
空を愛した男の死闘譜平塚勝手記(絵も)Skylover'sDeathBattleNote1942-1945byHiratsukaMasaruEditedbyHiratsukaShigeru(C)2017-___________________修武台記念館(航空士官学校跡、現航空自衛隊入間基地内)現航空自衛隊入間基地は昭和13(1938)年に陸軍航空士官学校として開設され、昭和天皇から「修武台」の名前が
空を愛した男の死闘譜平塚勝手記(絵も)Skylover'sDeathBattleNote1942-1945byHiratsukaMasaruEditedbyHiratsukaShigeru(C)2017-___________________編集後記平塚勝略歴大正12(1923)年1月5日平塚勇・チヨの三男として宮城県刈田郡白石町(現白石市)に生まれる。本籍地福島県北會津郡町北村(現会津若
空を愛した男の死闘譜平塚勝手記(絵も)Skylover'sDeathBattleNote1942-1945byHiratsukaMasaruEditedbyHiratsukaShigeru(C)2017-___________________後記忘れざる為に書き残す昭和(西暦)月日昭和(西暦)月日11(1936).4.1東京陸軍幼年学校入校注:13歳13(193