ブログ記事3,031件
この話題なんでこんなに荒れてるんだと思ったら、そっち系の人の話だったのか。https://t.co/777T9nx3Dp—トトメス(@totomesu0330)February26,2026↑昨日の続き。なんでこの話題こんなに荒れているんだろうと思ったら、あっち系の人のお話だったようです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E5%B7%9D%E3%82%8C%E3%81%84%E5%AD%90↑この人鳩山由紀夫の奥さ
なぜ今、日本で「戦争の現実感」が急速に薄れているのか最近、音楽評論家・湯川れい子さんが自身の戦争体験を語ったところ、「それは戦争体験ではない」といった批判が一部ネット上で起きました。終戦時9歳。幼い頃に見た空襲、機銃掃射、家族の戦死。本来なら、静かに受け止められるはずの記憶です。しかし、なぜ今、こうした反応が生まれるのでしょうか。これは単なるネット炎上ではありません。日本社会全体で「戦争の現実感」が急速に失われているサインです。戦争体験者が、ほぼいなくなった2026年現在、戦
【『平和学習島根ふるさと読本』顛末記】早いもので、2025(R7)年度もあと1ケ月あまりとなりました。今年度の活動総括と来年度の活動計画立案については、来る2月28日(土)開催の総会で実施予定です。本会では、昨年8月に島根県内の全小学校と各教育委員会へ「平和学習島根ふるさと読本」を贈呈する事業を実施しました。本会には事業実施の財政的な基盤がありませんので、複数の教育助成財団へ助成金申請を行いご支援をいただきました。2025年3月に加納莞蕾平和国際交流基金からの助成決定通知
中村宏さんの静岡での回顧展の事が日曜美術館でもピックアップされていましたが、中村宏展|展覧会一覧|展覧会|静岡県立美術館|日本平のふもと、緑に囲まれた美術館静岡県立美術館公式ホームページです。spmoa.shizuoka.shizuoka.jp東京でも(小規模ですが)今、展示やってます!(画廊SNS)静岡県立美術館とギャラリー58で開催中の中村宏展を、本日2月21日(土)付の日本経済新聞で紹介していただきました。ギャラリーでの展示は2月28日(土)までとなりました。貴重な初期作品や資
【日本伝統の和紙と戦争~爆弾に使われた和紙その③】これまで2回にわたって「爆弾に使われた和紙」について紹介してきました。過去の記事は次からご覧になってください。【「和紙その①」へはこちらから】風船爆弾①|PIECEofPEACE島根教師の会【「和紙その②」へはこちらから】風船爆弾②|PIECEofPEACE島根教師の会太平洋戦争末期の切迫した戦況や、勤労動員で風船爆弾の製造に従事させられた高等女学校の生徒達の体験は、「あの戦争は何だったのか」「戦争
湯川れい子氏は「戦争を経験していない」の声に本人が反論「寝ぼけたことを言わないで下さい」-スポニチSponichiAnnex芸能作詞家で音楽評論家・湯川れい子氏(90)が22日までに自身のX(旧ツイッター)を更新し「戦争」について言及した。www.sponichi.co.jp戦争の悲惨さを訴えていた湯川氏に一部ユーザーから批判的なコメントが寄せられた。これに湯川氏は「私が戦争を経験していない?寝ぼけたことを言わないで下さい(^^)」と反論する。「私の18歳上の大好きだっ
MSNwww.msn.com湯川れい子さんの貴重な戦争体験を今こそ生かすべき時だ。バカいちなんぞに騙せているネット愚民を一掃せよ!
こんにちは😊~私のために、家族のために、幸せな本物のパートナーシップを手にしませんか?そして、そこからさらに、自分らしい幸せを手にしませんか?~パートナーシップ専門ストレスクリア®️マスターコーチのあいです🌸今日もご訪問くださりありがとうございます💗先日、平和についての講演会と映画鑑賞に行ってきました。日本の戦争末期、国策により外国に渡った方々のお話でした。この映画の中で、特に心に残った言葉がありました。戦争で生き延びた方が「国に騙された」と語ったことに対
押入れの中の大きなトランク。今ではだれも使用している者も無くなったが、お前が中支から持ち帰った、その頃では貴重な存在だったチョコレート色のかなり大きなトランクが遺品として保存してある。その中に、昭和六年、(たしかお前が十八才だったと思う)の日記が一冊残っている。その日、その日の作業はもちろん、わずかな小使銭の、たとい一銭、二銭の使途までも克明に記入してある。それはなつかしいお前の性格の記述であり、俺とお前の若い日の生活の記録でもある。やぶ蚊鳴く九月も末の夜のしじま
だが戦地という最悪の条件、遠い南の島でお前の生命が一瞬にして消えてしまったのか、何時間もの長い時間を苦しみながら死んで行ったのか知る事は出来ない。お前が戦死して五、六年後に相ついで亡くなった父も母も、お前がまだ元気で戦地に居る頃にもそうだったが、戦死と知らされてからはことさらに、畑に居れば畑の中で、ある日には田圃の畦に行って、又ある時は家の軒下で沈む夕陽を拝んで、その場に置き忘られた物のように、いつまでも佇ずんで居た。夕陽の沈む彼方が南の国であり、
たといば或る種の動物が自分の命数を感知してその生命のつきる時何時か知らぬ間にその姿を何処かへひそめてしまうような霊的な作用が常にそうさせたのかも知れない。そんな事をいつも見ていた祖母は何事にも不始末の俺に弟を見ならいと時々小言を言っていた。お前のたった一とつの趣味、道楽と言えば絵を描く事であった。小供の頃からよく絵を描えていた。小学校の頃でさい四つも年上の俺だったがとてもお前の描いた絵には及ばなかった。青年期になってからもわずか
家が貧しく俺もお前も仕事さいあれば、定められた一ヶ月二回の休日なども問うところでない。その日、その日を先ず働く事であった。丈夫なお前はよく働いた。まだ少年という年頃だったが、大人にまじって、どんなつらい仕事でも口数の少ないお前は只黙々と一心に働いていた。過ぎ去った月日とともにほとんどの事は忘れてしまったが、子供の頃から我が儘な俺は四つ歳上の兄であることを幸にお前には実にワンマンだったようである。身丈けの合わない俺のお古るの着物を着せられて、俺
そしてその言葉はどうにもならない運命としてのあきらめのつぶやきであり、その運命のきびしさを自分自身の心に尚たしかに言い聞かすことのくり返しでもあった。召集、また召集、たまたま帰休によって帰っては来ても生家での生活は長くても半年、十年近い年月をほとんど戦地ですごさなければならなかった。「明日は出て行く前線に、いずれか花と散ろうとも」戦地から帰って、家に居る間のある日、何かの仕事をしながら時々思い出したように、しんみりとそんな軍歌をうたってい
学校が終れば「二十才までが生家親達への奉公、それから二ヶ年が兵役」それが男と生れた当然な義務として定められ、きめつけられていたそれが終った。ようやく与えられた己の生活に、立ち入ろうとするお前に運命は実に残酷であった。大東亜戦争へ、太平洋戦争、世界大戦へとはてしもなく拡大した日支の風雲。何時召集という否やの無い赤色の令状が下されるか知れない、必ず召集されるであろうお前の運命、日々の生活。大任終って吾が家の生活半年、ついに来た第一
だがその男らしい顔立ちのどこかに、侘しさとでも言おうか、何んとなく一抹の翳りのあることを俺には感じさせられた。あるいはそれがお前の穏和な性格から来る感じであったのかも知れない。身長五尺四寸、ガッチリと均整のとれた美事な体格は、その当時の国の掟であった徴兵検査にはもちろん甲種合格。兵科は工兵に徴集という、現在から考えれば実に残酷な名誉が背負わされた。甲種合格、現代子であれば豚や鶏の選別ではあるまいし、人間を侮辱するな、と言いたくな
電子版連載〈chronicle〉池田先生の若き日を学ぶ【ユース特集】www.seikyoonline.com
亡弟に捧ぐ昭和44年12月人間だれもそのすべてが可能というほどの人の生活はもちろんないであろう。人間の倖はその人の思想に生き、ある程度の自由な生活の出来得ることであろう。少年期には少年期の周囲の慈愛、青年期には希望と自由青春の華ぎ、そして老後の安らぎ。人それぞれの自分自身の生活が与えられる。それが倖な人生というものだろう。弟よ、たった一人の弟よ、お前の人生はあまりにも短く、あまりにも悲惨であった。
【日本伝統の和紙と戦争~爆弾に使われた和紙その②】前回2月16日のブログ記事では「爆弾に使われた和紙」について紹介しました。〔2月16日ブログ記事はここから〕風船爆弾①|PIECEofPEACE島根教師の会太平洋戦争末期の1944(S19)年11月上旬から翌年の4月までに、太平洋側の3つの基地〔千葉県一宮、茨城県大津、福島県勿来(なこそ)〕から風船爆弾が全部で9,300個放球された記録があります。アメリカ本土に与えた被害は、原因不明の爆発や森林火災、原子力工
有料会員向けサービス朝刊・夕刊:日経電子版日本経済新聞の電子版。日経や日経BPの提供する経済、企業、国際、政治、マーケット、情報・通信、社会など各分野のニュース。ビジネス、マネー、IT、スポーツ、住宅、キャリアなどの専門情報も満載。www.nikkei.com被爆者に限らず、戦争経験者の資料はしっかりと遺すことは本当に大切で、遺すだけじゃなくしっかりと今を生きる人たちの目に触れらる機会を設けることが大切。仕方がないと周りの人が思う事でも、当事者にとってもそうではないことは多々あ
【日本伝統の和紙と戦争~爆弾に使われた和紙その①】アジア太平洋戦争中には、政府が戦争遂行のためあらゆる物品や価格の統制を行いました。それによって、企業や生産者は自由な生産や販売、価格設定も厳しく制限されました。日本古来からの伝統品のひとつである「和紙」も統制の対象となりました。2月2日のブログ記事「この世は「金太郎飴」のような…?」の中で紹介した中脇初枝著『伝言』に登場する「風船爆弾」の大量生産のため、気球用の生紙を生産する命令がいくつかの和紙生産地に出されました。〔2月2
コラムの窓・・・戦争体験の継承に思う「ワーカーズ」2o15/8/1今や日本の人口の5人に4人が戦後生まれになり、戦争体験の風化(戦争の「語り部」世代がいなくなる)が語られて久しい。沖縄戦の「ひめゆり学徒隊」の生き残りの「語り部」は、多い時は30人近くもいたが、今では4人だけに。沖縄戦体験の風化に危機感を持つ「ひめゆり平和祈念資料館」では、10年余りかけて後継者(次世代の「語り部」)を育てている。あの広島の被爆体験の証言者も、恐らく100人前後しかいないと言う。しかし、危うい空気を感
ある人の記事みて少し歴史観で気になった。加害国被害国は“語り方”で形が変わる歴史をめぐる論争は、どの国でも必ず起きる。戦争の被害が大きかったのか、少なかったのか。加害があったのか、なかったのか。こうした議論が噴き上がる背景には、事実そのものより“報道の偏り”が大きく影響しているという現実がある。■被害は大きく語られ、加害は小さく語られる人間の心理として、怒り・悲しみ・恐怖といった感情を刺激する情報は強く記憶に残る。そのため、被害を訴える側の声は広がりや
前回の記事はコチラ『【出雲・松江】小泉八雲に会いに行く⑩水木しげるにも会いに行く』前回の記事はコチラ『【出雲・松江】小泉八雲に会いに行く⑨小泉八雲記念館と小泉八雲旧居』前回の記事はコチラ『【出雲・松江】小泉八雲に会いに行く⑧松江堀川めぐ…ameblo.jpいよいよ記念館の中にはいります。ここでも障害者割引がききました。ありがたや(確か半額だったと思う)ここでは鬼太郎の誕生までの話や、水木しげるが描いてきた他の漫画の話もあります。ぬりかべと同じポーズが、一番のみどころは水木し
【「大社基地」を教材にした平和学習モデルについての研修会に参加しませんか?】2025年度もあと残り1ケ月となり、新年度の計画について検討・決定する時期になりました。本会も令和5(2023)年6月の結成から4年目を迎えようとしています。今年度最後の活動となる「総会&研修会」を2月28日(土)午後に開催します。昨年12月のブログ記事にて紹介しましたが、総会に引き続いて研修会「「大社基地」を教材にした平和学習モデル提案に向けて」を開催します。ふるさとに残る戦争遺跡をどのよ
今回の衆院選の結果を見ていて、世代交代が進んだことを痛感しました。中道の大敗は、社会党&民主党を源流とする野党を支持していた高齢者は亡くなったり、存命でも今回は悪天候で投票出来なかったということ。私が見ていても、戦争体験から来る護憲、平和を第一に考える人たちがいなくなったら、誰が支持するのか?と思います。護憲、平和というのは、単純な総論ではなく、そうならないための仕組みや、社会の在り方を実現するための政策を各論とするものですが、最近の若者には、思考停止の護憲論などと揶揄されていました。私
【荒神谷博物館で第242回定例講演会】令和8年2月21日(土)13:30~15:00、荒神谷博物館で第242回定例講演会が開催されます。演題は「出雲の戦争遺跡を写真で巡る」で、講師は高嶋敏展氏(写真家・アートプランナー)です。高嶋さんには、『平和学習島根ふるさと読本』を制作するにあたり、「松から採れる油で飛行機を飛ばす」のタイトルで読み物資料を新たに寄稿いただきました。高嶋展敏さんは、写真集『忘れられた戦争』を2021年に出版。島根県内に残る戦争遺跡等の掘り起こし取り組んで
「中村宏展アナクロニズム(時代錯誤)のその先へ」(静岡県立美術館)開幕レポート。絵画にこそ宿る変革への予感|美術手帖https://share.google/RckuxOKqZme8wU9O8芸術とか美術とか詳しくない私が強く見に行きたいと思ったものでした。戦争体験を描き続けるというより戦争をイメージして描く。93歳だったら記憶で描いていくはずなのに戦争からイメージするものを想像で描いていく立ち入り禁止の線や便器といったモチーフがたくさん使われており、それは現代、現実世界の象徴となっ
【大切な人の「名前」をとりもどすために】広島平和記念資料館に展示されている「人影の石」。その人影は、もともと爆心地から260mにあった紙屋町住友銀行広島支店の入口階段に残されていたものでした。それを、昭和46(1971)年に資料館へ移設されたものだそうです。資料館にある「人影の石」には、現在次のような展示解説が付されています。「銀行の開店前に階段に腰掛けていた人は、近距離で原爆が炸裂し、逃げることもできないままその場で死亡したものと思われます。原爆の強烈な熱線により階段は
X(旧Twitter)に投稿した、書籍『日本鬼(ヤンプングワイ):日本軍占領下香港住民の戦争体験』の自己感想の転載です。33)1980年代以降に香港が日本人にとって人気の観光地と化したことで街に日本人があふれ、その日本人が自国の対港加害行為や蛮行の歴史の数々を果たして知ってるのか?というやり場のない怒りや複雑な心境が取材の中には時折出てくる。自分が加害者の子孫であることが身にしみて痛い。#香港—阿香(Axiang)(@qingxiang_wushu)May16,202533
【この世は「金太郎飴」のような…?】中脇初枝著『伝言』は、満州にあった敷島高等女学校の1年生・ひろみが主人公。自分たちが何を作っているのか。何に使われる物なのかをまったく知らされないままに勤労動員作業は始まりました。「これから行う作業は軍事機密である。決してだれにも言ってはいけない。」「ここであったことは、親にも兄弟にも言ってはいけない。」「絶対にだ。たとえ寝言でも言ってはいけない。」全てが機密の中で、彼女達が作っていたのは、アメリカ本土を爆撃するための風船爆弾だった。