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【雲南市立木次小学校区内の戦時中の状況】〔「ヘトヘト」と「ペコペコ」の毎日だった太平洋戦争時の子ども達〕雲南市立木次小学校の太平洋戦争中の様子については、『竣工記念木次小学校史』に当時の学校の様子が記載されています。昭和17~18年頃の学校生活としては、・鉛筆やノートでなく、鍬や鎌が学習の友になっていた。毎日作業の連続だった。・雨の日は作業ができないため、授業が行われた。・手にできたまめが痛くて鉛筆を握ってもうまく字が書けなく、身体もだるく苦痛だった。・増産の声に励まされ、一粒で
高市総理靖国神社に直接参拝はせず「遥拝」全国戦没者追悼式前にhttps://news.yahoo.co.jp/articles/9ab57e4fc4c1c92c12bbd3b41d2365469d652147高市首相、「反省」「不戦の誓い」触れず戦没者追悼の式辞全文https://news.yahoo.co.jp/articles/d0e636868e411a9a66160125834283943a75a2af戦禍「繰り返さ“せ”ない」高市氏なぜ式辞変更?戦没者追悼式https
この3年ばかり、伯母の介護問題に首を突っ込み、名古屋と東京を行き来することが増えた。緊急連絡先は、近隣市町村に住む妹だったのだけれど、偶然帰省していた日に救急搬送されて、2人で夜中の10時に病院に駆けつけ、入院の手続きをしたこともあった。何度かの入院を繰り返し、失禁も増え、本人の意志はさておき、空きが出来たからという理由で老人ホームへ入所。すっかり身体機能が落ちてしまった。それでも預かってくれる所があるし、その施設の感心する点は、尿臭とか施設臭がほとんどしなくて、保清は優れているところ。
水木しげるさんの「白い旗」をアニメ化した16日放映のNHK番組を見ました。米軍の猛攻をうけた硫黄島で部下の命を救おうと白旗を振った若い海軍中尉。水木さんはその物語を生涯に3度も漫画にしていました。陸軍兵士として南太平洋の激戦地ラバウルに送られ、爆撃で片腕を失った水木さん。「白い旗」は自身の体験記ではありませんが、評論家の鶴見俊輔氏はこの漫画を「数ある戦記漫画の中の代表作」と評しました。「いつ来るかもしれない玉砕の不安の中で、水木が空想し、望んできた戦闘の終結の形がここにあらわれている」
私はちょっと変わった子供だったのか幼い頃から祖父母たちの戦争体験を聞くのが好きだった………今ではもう聞けない貴重なお話だったなぁ~と思う戦争体験を聞くとほんとに今の自分が幸せだなぁと感じられるというのが理由だったような気がするその頃は広島に原爆が落ちた日や終戦日には何かしらの戦争体験のドラマが放送されていた……81年経過した現在では……全く無くてまるで戦争などなかったような番組構成に驚く……もう戦争なんてほとんどの人は知らないんだし、暗いことを思い出したくないのは当たり前ですもんね
【311】武術と死生観・・・(現代人は)自分は死なないと思っている。来年の公演を頼まれて、「そのとき生きていたら伺います」というと、相手が笑うからそれがわかる。少なくとも自分だけは死なないつもりなのである。・・・と云うのは、養老孟司氏の60代半ば頃の文章(『まともな人』より)。振り返って考えると、自分も「自身の死は遙か遠くにある、今は死なない」と思い込んでいる。養老氏の場合、大学の研究室で多くの死体を解剖していた亊や、子供の頃の戦争体験があるので、「自分は、いつ死ぬか分からない」と
【2年連続の「終戦の日」特集記事~活動の充実と実践の広がりを誓って】2026年8月15日、戦後81年となる終戦の日を迎えました。先の戦争で犠牲となられた多くの人々を追悼し、二度と戦争を起こさないと誓う日です。1945年8月15日、「玉音放送」により国民へ戦争終結が知らされ、その後政府による全国戦没者追悼式がこの日に開催されるようになったことから、8月15日が「終戦の日」とされてきました。日本国民が、戦没者を追悼し、平和への誓いをあらためて確認する日に、地元紙に本会が進める戦争体験
今夜、帰宅してからNHKスペシャルを見ました。水木しげるさんご自身の戦争体験を元にした「白い旗」。水木さんの漫画とドキュメントの合作でした。最初、「白旗」の意味がピンと来なかったのですが、直ぐに解りました。81年、日本は戦争がありませんでした。今日までお守りくださってありがとうございました。私の祖父は戦時中、食べ物がなくて革靴👞を食べたと聞きました。裕福な時代になりました。しかしきな臭い昨今です。【戦争を賛美するのは戦地にいかない人間ですよ】まさしく!【暑中お見舞い申し上げます🌻】熱
サンリオ創業者で名誉会長の辻信太郎さん(98)は、自身が10代で経験した第二次世界大戦をきっかけに、平和な世界を作りたいと起業。サンリオの企業理念は「みんななかよく」辻さんは毎年、サンリオの月刊機関誌の8月号で自身の戦争体験を綴り、平和を願うメッセージを発信している。
「ガラスのうさぎ」という本に出会ったのはいつのことだったかな・・・けど、この本で戦争の悲惨さをはじめて学んだように思います。著者は高木俊子さん。名前は知っていたけれど、このブログで改めて彼女の素晴らしさを感じました。同時にボクも心から哀悼の意を表します。このブログにあるように「子ども達に戦争体験を継承することが平和を守ることにつながるという考え」はとても大事な事のように思います。戦中の人たちは戦争のことを語りたがりません。ボクの父に戦争の話を聞こうとしても、東京で逃げ回って
蝉の声アスファルトからムワッとする熱気盆踊りの提灯日本の夏戦争の記憶を語り継ぐお盆休み夏は先祖を敬う心が清らかになるそんな季節ですねこの時期には、利用している大阪いずみ市民生協の宅配のチラシの中に「わたしの戦争体験」という冊子が入ります毎年、そうやって戦争体験に触れます私の住んでいる大阪府堺市堺の空襲を知りながら当時に生きた方達の思いに触れる夏はこういったことから「平和」への意識が高まりますね私の両親は二人とも高知県宿毛市出身です父は1997年、64歳
見ていただきありがとうございますなおですプロフィールはこちら→なお🍀のプロフィール今は夫と猫1匹作業療法士で園芸療法士IFAというアロマセラピストアメリカ、オランダ滞在経験あり節約しながら暮らしてますTwitterはこちら→なお🍀のTwitter立ち退きにあって、2022年冬、新しく家を建てました。二人暮らし、終の棲家。とても小さい家づくりをしました。そこに「みんなの居場所」園芸療法の庭をつくります。『園芸療法の絵本づくり絵本完成、届き
私が小4の時、宿題が出ました祖父母やお年寄りに戦争体験を聞いてレポートにまとめてくるように私は父に聞きましたチビおひるねおばあちゃんて戦争のときもう生まれてたの?父戦争のときもう大人だったよいちおばさんは戦争中に生まれたんだチビおひるねじゃあ戦争の話してくれるかな父あ~まぁ…してくれるんじゃないか?電話してみろチビおひるね戦争っていつおわったの?父1945年、昭和20年だチビおひるね(((((;゜Д゜)))以外と最近なんだねじゃあ私が生まれる
きょうは8月15日、終戦の日。あれから81年の年月が経ちました。2026年、世界は今、混沌としてあちこちで紛争や戦いが起きています。そんな中、我が国日本でも憲法改正案や核兵器を持つことへの関心を示す人々が増えてきているようです。戦争体験を知る語り部たちも他界されて少なくなってきています。そんな中で今一度、あの時代を思い起こしてみる日が8月6日と9日、そして終戦の日。あの頃の人々の精神は気高かった。平和に慣れ切った今の日本・・・。あの時代を生きた人たちは今の日本をどのように思うのだろう・・・。今
こんばんわお盆休みいかがお過ごしでしょうか今日は終戦の日でもありましただんだん戦争体験の方が少なくなってきましたやがて、実体験を御本人からうかがうことができなくなる時代がやってきますそうなると孫世代の将来は戦争がない世の中を続けていけるのかとても心配になります平和はしっかりとみんなで掴んで放さない気持ちでいないとあっと言う間にどこかへ行ってしまいます当たり前にあるものではないと、みんなが自覚して戦争のない時代が続くことを希望しています今日はいただきも
戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。終戦後81年。多くの人々が努力して困難や苦難を乗り越えてきてくださったおかげで今の日本の平和と繁栄があります。今の生活は「当たり前」ではないのです。戦争・戦時中・戦後の苦難や苦しみや悲しみを【二度と繰り返してはならない】です。私たちは歴史から人間の愚かさを学ばなければなりません。ひとりひとりが強い意志をもって行動し皆で対話による平和な世の中を共につくっていきましょう。わたしも身近なところから、命を大切にします。手を
おはようございます🐤米国の兵士で帰還した人に精神疾患(PTSD)で飲酒や麻薬に溺れる人が大勢いるとは4.50年前から知らされていた。日本でも世界対戦時に数万人が発生したと。自分の親父も海外派兵された。その時の様子や何をしていたかと聞いた時に、その日の記録係をしていた。又、銃弾があちこち通り過ぎたと。他には話しをしたくない様子。当時の恐怖をフラッシュバックするのを恐れたのかもしれない。当時子供だったが話ししたくない様子を感じてをそれ以上聞かなかった。戦争体験や被爆体験を聴いて記録
今までたくさんの人と出会って別れてきたもう二度と会えないだろう人もたくさんいるそして今言える事は「すべての出会いは人生の糧になる」大嫌いな人との出会いも人生の糧となる例えば私は元義理の両親が大嫌いでした初婚の離婚原因のひとつは義理の両親もちろん私にも悪い所は多々あるんだけど義理の両親は幼い頃の戦争体験でとにかく「誰かが何かを盗った」そう言い続けて精神疾患も発症していた延々と続く義理の両親の「誰
今朝、子ども達に、「今日は何の日?」と尋ねました。8月15日は終戦の日です。何となく過ごしていると、日常に流されてしまいそうになるけれど。でも今日の日付は、今を生きる日本人として、覚えていなければいけないのではないかと私は思っていて。「ガラスのうさぎ」を書いた高木敏子さんの訃報にも接していたばかり。児童文学作家・高木敏子さん、老衰のため死去94歳戦争体験つづった『ガラスのうさぎ』||オリコンニュース|佐賀新聞www.saga-s.co.jp「ガラス
今日は終戦の日だんだん戦争体験された方が減ってきてそのうち戦争体験のない人ばかりの世の中になるとどうなるのだろう孫たちの将来が戦争のない世の中であることを願ってやまない旦那さんの夏休みもあとわずか今日の晩御飯は、旦那さんが作ると言うのでおまかせした私はリビングで🐕️と遊んでいた、するとオイスターソースはどこにある??フライ返しはどこにある??と、、質問が多いチンジャオロースを作るらしい完成〜!!携帯のレシピを見たそうでレシピに忠実で美味しかった
今日は、お盆なので、お墓参りへ。13日の大雨の影響もさほどなく、実家最寄駅に到着。兄が駅まで迎えに来てくれ、車で霊園へ。途中、路上停車したまま、故障中と張り紙のある車を何台も見かけました。雨の凄さを目の当たりにしました。実家エリアは、ものすごく雨が降り、床上浸水した場所もあったとか。被害に遭われた皆さま、大切な方を亡くされた方には、心よりお見舞い申し上げます。実家では、父が少し前に市の広報に寄せた戦争体験のDVDを観ました。これまで父から戦争に関する話を聞いたことがなかったので、
元消防士がBARのマスターにタイムリッチな生活にシフトチェンジ開店から2977日No.2328いらっしゃいませKitchen&BarFUZZYです継承者BARのマスターです還暦を超えたところです8月15火と言えば終戦の日国によって終戦の日の取り扱いはちがうようですが今年は81年目ということは……終戦の日に生まれた方は81歳終戦の日に生まれたんだから戦争のことは知らないはず物心ついた頃は貧しいという記憶だけなのかなだったら当時
皆さんこんにちは、介護予防アドバイザーの篠原めぐみです。今日のワンポイント平和への願いは、過去を知り、伝えることから始まるのかもしれません。今日、8月15日は戦後81年の終戦記念日です。私が子どもの頃、8月15日の正午になるとラジオから合図が流れ、母と一緒に必ず黙祷をしていました。それが子どもの私には、当たり前の8月15日でした。私は昭和30年、東京に生まれました。もちろん、戦争そのものを経験してはいません。私が育った頃の日本は、高度経済成長
平和と幸せを祈ろう!甲子園で黙祷、高校球児たちの今があること敗戦後の日本を生きてきた証として今、生きて存在をしていること感謝をして、犠牲者への哀悼をしました。私の両親も、戦前生まれ育ちなので戦争体験をしています。もう、お墓の中の人になっています。今朝、桔梗の花が2つ咲きました。同時に咲いたので父と母が来てくれたような感じがします。お墓は代替わりをし女三界に家無しのわたしには遠い故郷となっています。なかなか足を運べない私は親孝行ではないですね。でも、
平和と幸せを祈ろう!▼本日限定!ブログスタンプまずは、身近なトコロからだと思う。自分の思い通りにならないからと相手に暴力ふるったりいじめたり陥れたり…『気に入らん』って怒ったり…。知らない人に暴力ふるったり脅したりそれを止めるコトができなければ幸せは来ないでしょ、その人に。そんな日本にしたわけじゃナイ🐘!若者たちよ。終戦記念日を記念日って呼ぶのはどうなんだろう…と思うし、自ら、戦争を終わらせたなら終戦記念日なのかな…とも思う。日本が負けて終わったから日本に
東京大空襲で肉親を失うなどみずからの壮絶な戦争体験をつづった「ガラスのうさぎ」の作者として知られる児童文学作家・高木敏子さんが今月8日、老衰のため亡くなりました…94歳でした。高木さんは現在の東京墨田区に生まれ、12歳だった1945年に東京大空襲で母親と2人の妹を亡くし、さらに終戦直前には疎開先の神奈川県で父親が機銃掃射に遭い死亡しました。みずからの壮絶な戦争体験をもとに、戦争の悲惨さと平和への願いを子供たちに伝えようと1977年に出版した「ガラスのうさぎ」はベストセラーとなり、累計
このニュースを見てからプーチン大統領、択捉島を初訪問日本政府「強く抗議」(BBCNews)ロシア国営タス通信は13日、ウラジーミル・プーチン大統領が択捉(えとろふ)島(ロシア名はイトゥルップ島)を訪問したと報じた。日本とロシアが領有権を主張する島を、プーチン氏が訪れるのはu.lin.eeAIに家族の歴史を聞いている人がいたので、同じく真似してみたら、とても興味深い結果ががコピー貼ると字数オーバーし投稿エラー連発するのでスクショで💦祖父が生前話していた、うろ覚えの話を元に軌跡をAI
8月15日終戦記念日。今年で戦後81年です。私の両親は、戦争体験者です。終戦時、父は尋常小学校の4年生で、母は2年生かな。今回は父から聞いた、父の戦争体験について書こうと思います。私の父は、兵庫県の尼崎市で生まれ育ちました。カメラ屋さんの次男坊です。父は、小学校3年生の時に、学童疎開に行きました。場所も聞いたように気がしますが、私が失念💦確か、同じ兵庫県内の郊外だったと思います。そして、お寺でした。4人兄弟で、4つくらい上の兄と、3つくらい下の弟、そして赤ちゃんのうちに
2026年-令和8年8月15日NHKG2026年-令和8年8月12日放送番組ドラマは昭和48年の虫プロ危機から始まり、手塚治虫の戦争体験へ、、、紙の砦Amazon(アマゾン)
病院で働いていると、患者さんから戦争中の話を聞くことが時々ありました。昭和から平成に変わったばかりの頃、私はまだ20代。私にとって第二次世界大戦は、教科書の中にある、ずっと昔の出来事でした。そんな私に、患者さんが「“この間”の戦争でね」と話されることがありました。「この間?」その言葉に、私は少し驚いたものです。けれど、それから30年以上の時が流れ、私自身も歳を重ねました。今では、30年前のことを「ついこの間のこと」のように思い出すことがあります。あの頃、戦争を「この間」と話