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こんにちは!らぱんです。≪健康は、生きるうえでのすべての基本≫健康でなければ、私たちは日々の生活を十分に楽しむことができません。仕事や趣味、家族との時間さえも健康であるからこそ充実させることができるのです。私の信条は「健康はすべての基本」でありそれを維持するために薬に頼らない生活をお伝えすることです。≪薬に頼らない生活と健康法とは?≫私が提案するのは薬に依存することなく生活習慣を改善し身体と心のバランスを取り戻す方法です。≪
日本を代表する詩人の谷川俊太郎さんが、老衰のため11月13日92歳で亡くなったという報道がありました。谷川さんは、自身の戦争体験をもとに、平和とは何かを自らの言葉で問い続けてこられた詩人です。少年時代の1945(S20)年5月、東京・山の手空襲を間近で体験した谷川さんは、戦争をどのようにとらえていたのでしょうか。戦争を知らない世代に戦争や平和をどのように伝えていこうとしていたのでしょうか。谷川さんの詩に込めた思いを今一度噛みしめてみたいものです。谷川さんは詩「平和」の中で、平和を、
2024年11月22日(金)から24日(日)まで、出雲市斐川町の久木・直江コミュニティーセンター共催の「戦後79年久木・直江特別企画平和学習会」が原鹿の旧豪農屋敷で開催されます。この特別企画は、地元の幼稚園・小・中学校、地区遺族会が連携し、パネルや写真、戦争遺品の展示、合唱発表など、様々な団体による「戦争と平和」に関する情報発信の「地域住民のための平和学習会」です。地元出身の偉人・江角ヤスの人生を紹介するパネルや、地元小学校で行われている平和学習の内容を紹介する資料展示も予定されてい
ある新聞に掲載されていた書評に刺激され、11月の3連休に小手鞠るい『つい昨日のできごと~父の昭和スケッチブック』平凡社2024.9刊をいっき読みしました。著者の小手鞠るいさんは、私より2歳年上の1956年生まれ。家庭環境や父親が記した銃後生活スケッチブックとの出会いから、父親の銃後体験を「つい昨日のできごと」という意識でとらえることができる人でした。ただ、多くの人は、自分の両親達が少年少女から青年時代をどのように過ごしたかを詳しく知りません。「つい昨日のできごと」という意識は、両親
サーロー節子氏は、その著書『光りに向かって這っていけ~核なき世界を追い求めて』岩波書店2019で、平和学習に関して次のように語っています。「どんな先生が学校に勤めていようとも、私自身が授業に関わることができなくなっても、安定的に軍縮・平和教育が取り組まれるよう、教育行政が責任をもって「制度」として確立させなければならない。」「心ある先生の努力頼みでは、心もとない。すべての生徒が、地球の将来すら脅かす核の時代に生きる意味をわがこととして学ぶ機会を、保障しなければならない。」(95p)こ
貴重な体験談ですね。
<今日の表紙>車の給油口に留まっていたカマキリKBAからの帰りで気が付きました。昨日は今回のKBA合宿の精神的、肉体的な疲れを癒すために90歳近くの男女の名優の映画を観に行きました。久しぶりの伏見ミリオン座です。ノルマンディー上陸作戦70周年の記念行事に申し込み遅れた主人公が黙って老人ホームを出て一人旅で現地に向かう物語です。戦友にかけた自分の言葉「お前は死なないで戻ってくる」に反して自分の見てる前で戦死したショックを70年経っても引きずって生きて来た。70年連れ添った妻にも言
あなたと民医連をつなぐ月刊誌「いつでも元気」12月号が発行されました。◆巻頭エッセイは沖縄国際大学非常勤講師、沖縄戦若手研究会共同代表の吉川由紀さん2004年に「沖縄戦若手研究会」を立ち上げ、2019年『沖縄戦を知る事典-非体験世代が語り継ぐ』をそして今年『続・沖縄戦を知る事典-戦場になった町や村』を刊行しました。戦争が、長く深く、人生と社会を破壊することを沖縄の戦後史が証明しているからこそ、戦争体験を今こそ活かさなければと語ります。◆9月29日~30日、岡山市で開催された第16回全日本
11月9日(土)9:30~11:00本会事務局を会場に、第3回「平和学習『島根ふるさと読本』を読む会」を開催しました。これまでに制作した「読み物資料」を「参加者で実際に読み合い、読後の感想や意見等を自由に出し合いながら勉強を深める」という初企画の連続講座第3回目でした。今回は、太平洋戦争末期に広島市内を走る路面電車の車掌・運転士として、軍都・広島の輸送業務を支えた島根県出身の女学生たちの物語を読みました。現在の大田市大森町出身の岡姉妹の証言から、戦時中の女学生や原爆投下時の状況等に
金八先生の脚本「徳川家康」「翔ぶが如し」「マー姉ちゃん」・・・。戦争で多くの友人を亡くし厳しい戦争体験、結婚、離婚、シングルマザーで子育て・・・。金八先生は荒れる学校の時代、子どもの世代を見て子供や仲間からの取材から書き上げました。そして自ら武田鉄矢さんを指名して番組を作り上げたとか・・・。「生きる」意味、「満足感」のある生き方、資料からは伝えられないものにスポットを当てドラマに・・・。見事な作品を多く作りました。今年94歳でなくなりました。
11月8日(金)、市民文化会館にて「令和6年度市戦没者追悼式」がありまして、参加させてもらいました。1945年(昭和20年)から、79年という時間が経っていること。今年、土佐清水市は市制70周年とありましたが、終戦後の9年後の昭和29年であったこと。その頃は、終戦からまだ9年、様々な場面に戦争の傷跡が多く残っていたことと思います。79年という時間は、本当に長い…僕ら40代のおじいちゃんおばあちゃんは、戦争体験世代ですが、親世代は戦後生まれ。なので、自分たちの子ども世代は、
おじいちゃんは戦争体験者。お酒を飲んで気分が乗るとよく銃弾で撃たれた跡を見せてくれた。銃弾が少しずれていたら命はなかったかもしれない。傷跡は心臓近くにあって、うっすら膨らんでケロイド状になっていたけれど気持ち悪さはなかった。むしろ、かっこよくて幼い私の目には勲章にうつった。おまけに、戦争体験は、口数少ないおじいちゃんを饒舌して孫からすると臨場感のある楽しい話だった。あとがきに、作者ののぶみさんが「ぼくも前は、戦争の話は、嫌いだったし見たくもなかった」大きくなると私も同じ
8月5日に開催した研修会「学童集団疎開体験者の証言を聞く会~大社へ集団疎開した本田国民学校の子ども達」の報告を、『大社の史話220号』に寄稿していました。10月15日付で発刊された冊子を事務局から送っていただきました。皆さんにもその内容をご紹介したいと思います。令和6年(2024)は、太平洋戦争末期の学童疎開実施から80年目にあたる年です。今から80年前、島根県には、大阪市西区の国民学校14校から約3千人の児童が、第一次集団疎開ため来県した歴史があります。私たちのふるさとに残る
村上春樹『猫を棄てる』(文春文庫)これは小説ではなく、父親についての回想記(エッセイ)と言えるものです。初出は『文藝春秋』2019年6月号で翌年単行本化されました。あとがき「小さな歴史のかけら」によれば、いつか亡き父のことをまとまった形で文章にしたいと思っていたのが、ようやく実現したとのこと。この文章で主に書きたかったのは「戦争というものが一人の人間」の「生き方や精神をどれほど大きく深く変えてしまえるかということ」であり、それを「歴史の片隅にあるひとつの名もなき物語として、できるだけそのまま
「被爆者とそうでない人びととが、心を割って話し合える場がなくてはならない。とりわけ若い世代の場合、私たちの方からそのきっかけをつくっていかないことには、偶然の機会などは少ないのではないかと‥。」「「誰か」が原爆のことを語り、訴えていかなければならない。若者からの「体験がないから実感がない」とか「実際、何をしたらいいかわからない。」の反応にどうに答えていくかが課題です。」この言葉は、『ヒロシマの子~君たちはどう生きるか~』汐文社1983刊の中のものです。ここに出てくる「被爆者」を「戦
研修会当日は、演題「今を生きる子ども達に「戦争」を伝えるということ~終戦80周年を迎えるにあたって考えたいこと~」をテーマに、次の柱でお話をさせていただきました。はじめに1戦後80年を迎えようとする現在の状況とは…〇「戦争を知らない国・日本」への移行〇「戦争体験継承」に関わっている各世代の人々〇戦争と隔絶されている現代の子ども達2「何を」「どのように」伝えていくのか…〇学校で学ぶ「戦争」とは~小学校の場合〇平和学習「私たちのふるさとに戦争があっ
前回は戦争体験の継承に関して、「語る人」の現状について触れました。今回は、「受け継ぐ人」の現状はどのようになっているかを話題にしたいと思います。宍道町遺族会研修会参加の皆さんへお示ししたもうひとつの資料は、「令和3年版高齢者白書(全体版)」内閣府でした。それによれば、昭和55(1980)年当時、日本の全世帯の50.1%が三世代同居世帯でした。それが40年後の令和元(2019)年になると9.4%まで減少しています。令和元年の三世代の実態は、その多くの場合が戦後生まれの三世
2024年10月19日(土)、松江市宍道町遺族会様からお声がけいただき、情報提供させていただきました。皆さんに最初にお示ししたのが、次の問いと情報でした。「令和6(2024)年4月に日本が失ってしまったもの。もう二度と取り戻すことができないものとは何でしょうか?」今年8月14日の産経新聞の掲載記事「明治・大正生まれは総人口の1%を切っている」を紹介しました。これは、総務省統計局の人口推計から新聞社が作成した資料です。平成11(1999)年には、1091万7000人(8.7%)の明
「語る人」と「受け継ぐ人」、そして学校が担うべき役割や責任について触れてきました。これからの「語りの場」をどのように設定していくか。このことについて、あるひとつの試みを含めた研修会を開催しました。2024年8月5日開催の「集団疎開体験者の証言を聞く会~大社へ集団疎開した本田国民学校の子ども達」での試みです。研修会終了までの経緯を簡単に紹介したいと思います。①事前に講師の方の疎開体験等を条件なしで聴き取りながら、質問で必要な情報を確認する。〔面会・電話・手紙等で複数回〕
Yahooニュースより転載。「戦争する政治家選ばないで」澤地さん、講演で訴え10/22(火)18:23東京都多摩市で講演する澤地久枝さん=22日午後「九条の会」呼びかけ人の一人で、ノンフィクション作家澤地久枝さん(94)が22日、東京都多摩市で講演した。自らの戦争体験や日米の戦死者遺族らを取材した経験を振り返り、「私たちは平和であるために一生懸命でなければいけない」と強調。27日投開票の衆院選を念頭に「戦争をするような政治家は選ばないで」とも呼びかけた。【写真】不明パイロ
【子ども達に当時の「歴史的背景」を語るのはだれ?】このことを考えるとき、いつも思い出されるのが平和学習プログラム「私たちのふるさとに戦争があった頃」の実践を始めた時にご指導をいただいた郷土史家の故・池橋達雄先生のご指導内容です。今から8年前の平成28(2016)年度から、勤務する小学校で平和学習プログラム「私たちのふるさとに戦争があった頃」の実践をスタートさせました。その学習内容の流れは、⓪広島方面への修学旅行へ向けた事前学習と広島での現地学習①「ヒロシマ」についての学びのま
『戦争をいかに語り継ぐか』水島久光NHKブックスを読んだメモについて、私の考えを付け加えたいと思います。【「語る人」に求めたいものとは…】〇学校などで、子ども達に与えられる戦争に関する「知識」は、いつも唐突で、断片的だ。乏しい人生経験や生き抜かねばならない現実生活のいずれともつながりのない情報として突きつけられる。理屈や背景事情は「理解できないだろう」とばかりに省略され、悲しさ・むごさといった感情的なメッセージばかりが押し付けられてきたとは言えまいか。(230p)〇伊勢原市被爆者の会
イギリス映画『2度目のはなればなれ』を観て来ました。映画の公式サイトはこちら↓映画『2度目のはなればなれ』公式サイト映画『2度目のはなればなれ』俳優人生最後の上映中。この秋、名優マイケル・ケインが俳優人生最後に贈る感動の実話!2度オスカー受賞のふたりマイケル・ケイン×グレンダ・ジャクソンの【2度目の夫婦役!】全英で10億円越えのスマッシュヒット作hanarebanare.com【内容】2014年夏。89歳の退役軍人が、ノルマンディー上陸作戦70年記念式典に参加するため、老人ホームを抜け出
『戦争をいかに語り継ぐか』水島久光NHKブックスを読んだメモについて、私の考えを付け加えたいと思います。【「語る人」と「受け継ぐ人」との共同作業としての「語り継ぐ」行為】〇広島の語り部の悩みとは…語り部の言葉が修学旅行生の心に届かない。それを旅行生の無関心、風化とみなし、若い受け取り手側の問題として扱う。「過去の話として聴いているだけでは心が動かない。自分がこれから経験するかもしれないこと」を想像すべきである。(35p)「語り継ぐ」という行為が「語る人」と「受け継ぐ人」との共同作業であ
昨年から企画している講座が一つ終了した。これです↓『怖れの先の喜び』こう見えて(どう見えているか知らんが)ビビりだ。その正体はというと人からどう思われるかを気にする自分だ。こう見えて、人の目が気になるのだ。昨…ameblo.jp90歳の方の講演会。この方の体験した、戦中戦後のおはなしを語っていただく企画だ。今回は初めての場所での開催だった。口コミのみで、28人の方にご参加いただいた。相変わらずお元気な90歳は、素敵な
『戦争をいかに語り継ぐか』水島久光NHKブックスを読みました。「「戦争体験の継承の大切さ」についてお話をさせていただく機会を得た」ということも、この本を選んだ理由のひとつです。このタイトルに結びつく「何らかの答え」が得られるかなと思いながら読みました。やはり、明確なその答えは示されておらず、克服すべき課題が示されていました。この本と出会い、自分自身がこれまで考えてきたり、取り組んできたりしたことを振り返ってみる機会になりました。きっと、その答えは自分の中にあるのだろうと思
ノーベル賞委員会は10月11日に、2024年のノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与すると発表しました。70年近くにわたる核兵器の廃絶を訴えてきた功績が主な受賞理由でした。ノーベル委員会の受賞理由の最後に、次の言葉があります。「いつの日か、私たちのなかで歴史の証人としての被爆者はいなくなるだろう。しかし、記憶を残すという強い文化と継続的な取り組みで、日本の新しい世代が被爆者の経験とメッセージを継承している。彼らは世界中の人々を刺激し、教育している。それによって彼ら
こんにちは私は半世紀ちょっと前に産まれ落ちました。そんな半世紀前に大人だった人たちって、第二次世界大戦を経験している方が多かったんでしょうね。小学校では、牛乳は食べ物!と、教育されました牛乳は飲み物だと今でも思っていますが、栄養価で見たときには、たんぱく質が豊富で、脂質もあって、確かに牛乳は食べ物私の想像なのですが、戦争という非日常の中で、飢えた人々、子供たち。戦後、進駐軍が食べ物を配る❗️というので集まってみたら脱脂粉乳を配られた。そこにあるのはどう見ても飲み物。だけど、
太平洋戦争時、祖父が海軍だったことは過去にブログに書きました。当時、祖父はすでに結婚をしていて、幼い子どもが二人いました。年齢的に若々しい歳ではないし、戦争にものすごく駆り出されたイメージはなく、生きて終戦を迎えました。ブロガーさんからアドバイスをいただき、祖父の軍歴証明書を申請し、無事届きました。その内容は、文字が小さく読みにくいので、手書きで直し、私の父に見せたところ、父の姉(私からすると伯母)たちに見せたそうです。すると、父の話では、伯母たちは『わぁ~!』と、感動していたそうです。伯母
10月5日(土)9:30~11:00本会事務局を会場に、第2回「平和学習『島根ふるさと読本』を読む会」を開催しました。これまでに制作した「読み物資料」を「参加者で実際に読み合い、読後の感想や意見等を自由に出し合いながら勉強を深める」という初企画の連続講座第2回目でした。今回は、昭和20(1945)年7月28日に発生した空襲被害の資料を読み進め、当時の状況や資料から感じた事を出し合いながら進めました。今回の読み物資料には、出雲・雲南・松江・安来市内の各所における12名の方々の手記が収