ブログ記事3,000件
【出雲市灘分コミセン主催「平和の集い」に参加して】2025年11月29日(土)、出雲市灘分コミュニティセンターで、「平和の集い~こだまする優しいまなざし~」が開催されました。集いの内容は、3つに分かれており、【発表の部】オープニングは光幼児園年長組有志によるダンス発表でした。「平和の集いでダンス?」と一瞬感じましたが、自分の身体全体を力いっぱい使い、全員笑顔で表現する園児たちの姿こそ、まさに平和な世の中ならではの場面でした。そして、たくさんの保護者の方々に見守られての発表場面は、現在
先の大戦の終結から80年。一つの節目の今年もまた、12月8日が近づいてきた。戦争の実体験を持つ人々が年々歳々少なくなっている昨今、様々なメディアでも、また個人個人でも、記憶を残そうとする動きが多くなっているように思う。私は無論、戦争を体験していないが、それでも「戦争」という言葉に直結している「記憶」がある。4年前の自らの投稿を読み返してみて、やはりこの記事もまた、少しでも多くの人の目に触れるようにしておきたい、という願いが湧き上がった。楽
【父祖の戦争体験を知りたいという要望】親族の「軍歴資料」、24道県が公開範囲を拡大[R7/12/01]※自演防止@jien1:■忍【LV35,しんりゅう,JK】第13艦隊◆IpxlQ2BXrcdb:25/12/01(月)11:33:45ID:???太平洋戦争などに出征した陸軍将兵らの「軍歴資料」について、24道県が戦後75年の2020年度以降、公開する親族の範囲を拡大したことが読売新聞の調査でわかった。遺族の世代交代が進む中、父祖の戦争体験を知りたいという要望に応えるためだ。(
X(旧Twitter)に投稿した、書籍『日本鬼(ヤンプングワイ):日本軍占領下香港住民の戦争体験』の自己感想の転載です。27)そして香”港”という地名が示すように海辺の街であるため、海に突き落とせば人減らしの困難度も下がるため、日本軍の占領期間中は連日千人単位でそれが実行されていたそうである😔なるほど占領開始当時の人口が日本敗戦時には半分以下になっていたわけだ😱🥶😱#香港https://t.co/xdtRUqTXhz—阿香(Axiang)(@qingxiang_wushu)A
【「今どき」の中高生の姿とは?②】出雲市灘分コミュニティセンターでは、まちづくり部・健康福祉部・灘分地区青少年育成協議会の共催で、平田高校2年生の「総合的な探究の時間」の探究課題として「防災」と「平和」をテーマ提案し、地域と高校との協働学習を進めています。このテーマに関心を持った高校生達が、コミュニティセンターを学びの場として、地域と連携した学習が進められています。この協働学習では、つぎのような具体的取り組みがこれまでにありました。10月22日(水)…授業「ヒロシマと島根とのか
2025年11月28日最近の世界情勢を見るに、子供の頃を思い出す。戦争2年目からはまるで乞食のような生活であった。当時はそれが普通であった。冬になると大勢の子供は靴もなく、草履で裸足アカギレは普通で、夜になると針で足の裏に穴をあけ膿を出してもらっていた。足が痛いのでけんけん歩き、まるで不具者のよう。時には泣きながら歩いていた。大人も同じく、のみやしらみ、カイセン等は普通であった。暖房などはなく、練炭のコタツは有り難かった。ご飯も大根飯や麦飯は良い方で、丸麦の5分は喉を通らなか
天の神様地の神様八百万の神様英霊の皆様日本を守って頂きありがとうございます✨美しい日本をありがとうございます✨平和な日本をありがとうございます✨船田さんのブログをリブログします10代の時から美輪昭宏さんの大ファン学校を人生初のズル休みしてコンサートにも行ったこともある書籍もたくさん持っていて私のバイブルになっている【中古】微笑みの首飾り/水書坊/美輪明宏(単行本)楽天市場355円ああ正負の法則[美輪明宏]楽天市場1,650円【中古】美輪
【「今どき」の中高生の姿とは?】2025年11月14日付の山陰中央新報に、戦後80年関連記事として「戦争絶対避けて96歳の思い」が掲載されました。貴重な銃後体験を証言されたのは、今年96歳を迎えられた出雲市在住の勝部禮子さん。特に、終戦を迎える昭和20(1945)年の体験は印象深い内容でした。当時、今市高等女学校〔現在の出雲高校〕3年生だった勝部さん。生徒は陸軍の軍属となり、軍服縫製工場にかわった女学校で、毎日シャツの手縫い作業を行っていました。昭和20年7月28日に発生し
【島根へ再疎開してきた大阪の学童たち】昭和19(1944)年7月7日、絶対国防圏内にあったサイパン島の日本守備隊がアメリカ軍の攻撃を受けて全滅すると、日本本土への空襲の危険が一気に高まりました。13都市の国民学校初等科の学童に対し、8~9月にかけて第一次学童疎開が実施されました。その予測通りに昭和20年3月に入ると、大都市への無差別爆撃が苛烈となり、大阪も3月13日~14日にかけて大規模な空襲を受けました。この空襲被害を受けて、これまで大阪府内に集団疎開していた多くの国民学校
20世紀は「戦争の世紀」と言われるくらい、多くの戦争があった。日本も、無茶な戦争をして甚大な被害を被った。私の世代は、直接の戦争体験はない。しかし、祖父母や父母からその悲惨さは耳にタコができるほど聞かされた。映画やドラマなどで描かれているようなカッコよさなど微塵もないのだ。さて、最近なんだか日中関係がきな臭くなってきた。高市総理の台湾に関する発言がその原因であろう。中国は激怒という体であるが、国内では彼女の発言を擁護する声や中国を挑発するような発
7月にコチラを観ました。イオンシネマ考えさせられる映画だったな。観て良かった!平和である為に人は努力しなければ。anne2025.7.27日曜日に鑑賞👣2025.7.29火曜日に記載🖊📲
◆この旅行記は、複数の病の闘病中に3人の医師からドクターストップが掛かりながらも夢を叶える為に出た一人旅です『イスラエル私だけ入国出来ないなんで?銃持った警備員。ありがとう大好きだよ!ヨルダン死海、忘れない』5億円の借金返済の重圧は私に一生治らない病気をもたらした事今回の旅の始まりの手続きと労働基準法でタダ働きだったブログを貼り付けておきます『片道100万円…ameblo.jp私自身が長年闘病してきて瀕死の野良猫を保護したら、安楽死の対象の病気だと分かり2人とも苦しん
>スポニチアネックス>小林よしのり氏「戦争前夜」高市首相の台湾有事発表に私見「徴兵制を敷いて支持者を最前線に送って…」>スポーツニッポン新聞社の意見・>14時間>「おぼっちゃまくん」「ゴーマニズム宣言」などで知られる漫画家・小林よしのり氏(72)が20日までに公式ブログを更新。>高市早苗首相の発言に端を発した中国との外交問題について私見をつづった。>小林氏は「我々は大きな時代の転換点にいる。>最近ひしひしとそれを感じる」と切り出し「感じな
【平和と戦い平和にうち勝って手に入れるもの】2025年12月6日(土)雲南市が開催する「うんなんヒューマンライツ・フェスタ2025」での講演依頼をいただき、お話させていただく機会を得ました。今年は戦後80年の年にあたり、あらためて平和の尊さについて考え、戦争のない人間の尊厳が守られる世界の実現を求めていく決意を新たにする機会です。今回お話するテーマを「平和と戦い平和にうち勝って手に入れるもの~「島根の子ども達には島根の平和学習を」の取組を通して」としました。どれだけの
2025年11月8日(土)この日の沖縄・伊平屋島(伊平屋村)は気持ちのいい晴天。ムーンライトマラソン前の時間に島南部のある所を訪ねた。ごつい石碑が立ち並び、地面には太い線が引かれている。右の石碑に示された通り、この太線は北緯27度線。島と第二次世界大戦の関わりを伝える記念の場だ。石碑の広場の奥には、碧くきらめく海が広がる。沖縄らしい光景だ。ここは北緯27度線記念広場。石碑にはめ込まれた写真や絵で歴史をたどれる。戦後に沖縄・奄美周辺は米国統治下となった。1953年に日本への一
三田市戦没者追悼式に参列いたしました。第1部の式典三田市からは1,075柱の御霊が日本の為に尊い命を捧げられました。式では国歌斉唱・献花を通じて、先人への感謝と哀悼の思いを深く捧げました。改めて、今の日本の平和が、尊い犠牲とご遺族の長い歳月の上に成り立っていることを胸に刻み、これからも地域のために邁進してまいります。第2部の講演と「語り継ぐ戦争体験」追悼式の第2部では、「戦争を語り継ぐ」取り組みについての講演が行われました。三田市遺族会が昭和55年から10年をかけてまとめた『
紅白歌合戦私が今も心に残っているのはコロナの時に観客を入れずにした時のたしか?あれは?朝ドラはエールだったかなぁ何故かわからないけれど戦争体験がない私だけれどみんながコロナと戦っていた様な気がします笑ってはいけない!をいつも見ていたけれどあの時は?どうだったのか忘れたけれどみんなで頑張ってると、思ったのです♪
「人斬り以蔵」司馬遼太郎新潮文庫667円税別何度となく読み返す名作。司馬遼太郎は読みたくなる作家の一人だ。村上春樹が同じ時代を歩いた作家であるのに対して司馬遼太郎は戦争体験のある世代。日本人の厳しい経験を経た時代の代表だと思う。流行作家としてこれほどの作品と読者を得た人は稀有だと思う。好きな作家の一人だ。その中で短篇としてこの作品を置いて第一の名作といえるものはないのではないか。そう思っていた。改めて読んでみると文章としての完成度の高さも見せつけられた思いだ
2024年6月27日のブログにおいて、昭和19(1944)年9月に大阪府南河内郡内へ疎開していた東住吉区の桑津国民学校が、戦況悪化に伴い大阪府内から島根県へ再疎開してきた様子について、『志学教育百年史』掲載の当時6年生・中山継治さんの池田村での疎開生活を紹介しました。三瓶山のふもとへ再疎開した桑津国民学校の子ども達|PIECEofPEACE島根教師の会今回、『あの日の子どもたち1945.8.15』藤本浩之編著・朝日新聞社を入手。掲載の当時桑津国民学校5年生・田村悦一さ
戦争を語り継ぐ今日は朝から晴れてとても良いお天気でした。風もなく歩いていると心地よい陽気でした。茄子は夏の茄子よりかなり小ぶりになりましたが、1日1~2本収穫できます。焼き茄子にすると柔らかくてとても美味しいです。散歩道で通りかかるお店にコリウスの鉢植えが置いてあり、葉が鮮やかな色合いでとても綺麗でした。散歩道にはピンク色の綺麗な薔薇が咲いていました。秋空に優しいピンクが映えます。●戦争体験者継承の取り組み。戦後80年
漫画で知る「戦争と日本」-敗走記篇ー[水木しげる]楽天市場水木しげる先生の漫画「戦争と日本」敗走記篇、読まれましたか?戦争体験を赤裸々に描いた作品ですが、「戦争」という重いテーマを、水木先生ならではの視点で描いているので、スッと心に入ってくるんですよね。今回は、この「戦争と日本」-敗走記篇ー[水木しげる]を、私がぜひ読んでほしいと思う3つの理由をご紹介します。少しでも興味を持っていただけたら、嬉しいです。**1.水木しげる先生自身の「戦争体験」を追体験
「平和学習島根ふるさと読本」に収録した内容をもとにした授業「私たちのふるさとに戦争があった頃」。その授業内容について、4回にわたって授業概要を紹介しています。最終回の第4回目は、授業⑤「ヒロシマと島根とのかかわりについて考えよう」について紹介します。【授業⑤「ヒロシマと島根とのかかわりについて考えよう」構想】〔授業コンセプト〕広島方面への修学旅行を実施する学校の多くは、平和学習に関する教育目標を設定して実施しています。世界で初めて原子爆弾が人類に対して使用され、悲惨な被
先輩たちは苦い思いを飲み込み、演じ続けた。その『笑いごとではない』過去は今を生きる私た自身の過去なのです。ゲストで口演した林家三平さんは両親のすさまじい戦争体験を紹介し、代をさかのぼれば戦争の恐ろしさを戦争の恐ろしさをみな味わっているはず。それを語り継ぎ、自由に話すことができなくなる時代が再び来ないように監視しなければならないと。劇中、時勢を案じる師匠が語ります。そして、神様だの、お上だのをむやみに奉って有り難がってる輩は、しまいにきっと間抜けな
【益田市の皆様へ情報提供させていただくことになりました】この度、島根県芸術文化センター「グラントワ」小ホールにて、11月4日(火)開催の「令和7年度戦後80年益田市戦没者合同追悼式」において、「平和の語り部」としてお話をさせていただく機会を得ました。益田市では、3年に一度合同追悼式を開催されているようですが、今年は戦後80年の節目の年に当たることから、昨年に引き続き本年度も合同追悼式を開催されると、担当者の方からお聞きしました。今回お声がけいただけたのは、昨年度に複数の町遺族
今日は、先日のbaraさんのもう一つのブログのご紹介です戦争を体験した者として、少しでも多くの人に読んで欲しい、と言われるbaraさん。戦後に生まれた私も、日本のあちらこちらの都市が爆撃に遇ったことを少しは知っていましたが、実際に体験された方からお話を伺うことはなかなかありませんでした9月24日に投稿された文章ですが、ぜひ、みなさんにも読んでいただきたいと思います同じようなことを絶対にくり返さないよう平和を守っていきたい、とあらためて思いましたバラの名前は«ピース»です
96歳の叔母の家へ来ました一人暮らしですが歩けて話せてスポーツ観戦が大好きな叔母叔父が97歳で亡くなってから5年余り寝込みもせず毎日頑張っています今の時代は楽しみが沢山あっていいなと言っていたのが印象的で戦争の時代を生き抜いて来た人なので今の時代を戦争体験をした人は羨ましいと言っていましたワタシは戦争体験話を聞けることだけでも貴重な体験です戦争体験した人からすると今の時代は良く思いまた悪くも思うのかもしれません同じ時代に同じ時を過ごせていることに感謝をしながら叔母と
以下は昨日の文章に関連した内容です。先日の話し合いで町内会長から知らされたことですが、私たちが使っているゴミ置き場は、隣接するマンションの敷地内なんだそうです。ずっと昔のマンションの管理人の好意でゴミ置き場になっているのです。だから美観を損ねるような使い方をすると、廃止される恐れさえあるとのこと。これは知りませんでしたね。怖いですね。おそらくほとんどのゴミ置き場の使用者は知らないでしょう。もちろんそういう事情を知らなくても、きれいに使うのは当たり前ですが、知れば意識が一層高まる
【世代を超えた「戦争体験の継承の場」を具体的に創り出す】次世代への戦争体験の継承が大きな課題となっています。私たちの会では、各学校で実施されている平和学習の授業を、保護者や地域の皆さんに積極的に公開していただき、「共に学び・考え・継承する場」として再設定していくことが重要であると考えています。これまで、出前授業を希望される学校へは、「授業公開日に出前授業を設定していただいて構いません。」「どなたでも授業をご覧になって結構です。近隣学校の先生方へ公開されても結構です。」
X(旧Twitter)に投稿した、書籍『日本鬼(ヤンプングワイ):日本軍占領下香港住民の戦争体験』の自己感想の転載です。23)「日本兵は上官に言われたから蛮行したんだろうし」という理解を見せる意見も若干数は同書に見られたものの、生き返らせることのできない人命はともかく、債権は履行が可能といえば可能なので「両親や祖父母の香港ドルを返せ」発言は多い。「末代まで受け継ぎますからね」という意見も。#香港—阿香(Axiang)(@qingxiang_wushu)March27,2025