明治元年(1868年)11月、戦い終えて鹿児島に凱旋した西郷は日当山(ひなたやま)温泉で50日ほどの湯治の日々を過ごしていた。倒幕維新の大業を果たした後は、山野に獲物を追い、温泉に浸って狩りの疲れを癒す隠居の身となることを西郷は本気で願っていたようである。彼は、亡君斉彬に死に遅れ、命に代えて護るべき月照を我が手で殺して生き永らえた罪を償い、あの世で二人の霊に再び相まみえる際の申し訳とするための戦死を願って戊辰戦争を戦ったのだが、運命はなお生き永らえることを彼に強いたのだ。その後、新たに発足した政