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「細谷十太夫その波乱万丈の生涯」青葉区子平町の龍雲院は、子平町という町名の由来となった林子平の墓があることで知られています。この龍雲院に、『當山八世中興鴉仙直英和尚』という墓碑銘の墓があります。この墓は、明治の混乱で荒れ果てていた龍雲院の復興に功を為し、龍雲院中興の祖といわれる龍雲院八世住職の細谷十太夫直英のものです。墓の側に立てられた木柱には、『負け知らずで有名な』『伊達藩隠密鴉(からす)組の大将細谷十太夫の墓』と記されています。龍雲院には、墓のほかにも、顕彰碑や細谷地蔵と呼ばれて
福沢諭吉1991年8月24日公開幕末の動乱の中、新たなる時代を切り拓いた福沢諭吉の半生を描く伝記ドラマ。あらすじ1835年、豊前(大分)中津藩の下級武士の家に生まれた諭吉は、同じ年に生まれた家老の息子・奥平から下士として扱われ、言い知れぬ屈辱を味わいながら、封建体制の矛盾とそのいわれなき差別を激しく憎んで育った。21歳の時、兄の勧めで蘭学を志した諭吉は、奥平の供という形で長崎に留学。父譲りの勉強熱心が実り、その進歩は著しかった。そして、さらに蘭学を学ぶ為大阪へ向かった諭吉は緒方洪庵の適塾
そして四番崩れです浦上のキリシタンたちは250年間禁教令の中地下に潜伏し密かに信仰を続けていましたそして江戸幕府はその間厳しくキリシタンの取り締まりをしてきました信徒は厳しく捕縛して徹底的に拷問にかけて改宗させる政策ですそれこそ江戸幕府の徹底した思想統制政策なのですしかし幕末になると日本も開国します日本の外国人居留地には教会建設が許可されてしまいますそんな中で浦上村の潜伏キリシタンたちはプチジャン神父と接触して自らの信仰を告白します東洋の奇跡「信徒発見」ですこれ
朝比奈茂吉(嘉永4年(1851年)~明治27年(1894年)7月14日)と、名前をあげても分からない人が多いと思います表題の「鶴ヶ城を落とすな」は次の本からもじりました「凌霜隊(りょうそうたい)は、慶応4年(1868)に郡上藩の脱藩士によって組織された部隊戊辰戦争において、幕府側に立って新政府軍と戦った部隊で、その隊長が朝比奈茂吉です幕末の動乱期、郡上藩でも、勤王派、佐幕派に分かれて激論が繰り広げられて、藩は勤王に付くと決まったのですしかし、徳川家譜代の
河井継之助(文政10年1月1日〈1827年1月27〉~慶応4年8月16日〈1868年10月1日〉)幕末の歴史に詳しい方であれば知られている名前です越後長岡藩家老・河井継之助は、藩政改革や戊辰戦争で武装中立を試みたことで知られています剣術や蘭学、砲術を学び、財政や兵制改革に着手し、長岡藩の軍備強化に尽力しました戊辰戦争では新政府軍と旧幕府軍の中立を保とうとしましたが、交渉は決裂して、奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦いました戊辰戦争で負傷し会津若松に向かう途
父が腰を悪くしまして今、やっと入院させたりで、それに付随するあれやこれやで正直大変です。だけど記事にしておきたいことが一つ残っていまして。有澤樟太郎くんの10周年コンサート参戦で上京したとき靖国神社に行ったんです。初めてでした。靖国神社に行こうと思ったのは、まっぷる刀剣乱舞が発売されたときに、靖国神社が載ってることでX(旧Twitter)でプチ炎上したことがきっかけでした。さて、初めての靖国神社神社自体はめちゃくちゃ大きいけれどフツーな感じでお参りさせてもらいました。で、
ヨークベニマル堤下店から如宝寺の下に戻って、郡山駅に戻る途中に善導寺がありました。本尊は阿弥陀如来で、広い境内にある本堂は戊辰戦争で焼失して、明治になって再建されたとのことです。http://otera.jodo.or.jp/temple/08-071/善導寺|寺院を検索する|浄土宗寺院検索浄土宗公式の寺院紹介(寺院検索)サイトです。全国の浄土宗寺院を地域別に検索できるほか、総本山・大本山・海外の寺院なども紹介いたしております。otera.jodo.or.jphttps://
昨日は雪が降ったり止んだり、量はそんなでも無かったですが、寒かったです今日はほとんど降らず、寒さも昨日よりはマシかもしれないです(でも寒いです)昨日は寒くてお散歩は無理なので、ワンコが歩きやすいように、雪を寄せました外に出たがってたので、気分転換はしたかったみたいですワンコの道を作っても、結局雪の中に入っていきますが今季の雪はどんな降りかたをするでしょうか別日ですが、冬になると寒さ対策で窓にガードをするので、ワンコ
辰年の昨年五龍神がいらっしゃる東京田無神社から白と黒のお塩のお守りが私の元に来てくださいました。2人のお友達から違う時期にお2人は面識ありません。白と黒陰陽☯️みたいうれしくて大切にお祀りしました。使ってもいいかなお塩だしと思いよく見てびっくり一年したら返さなければいけないとのことという事で巳年も終わりに近づきました先週の土曜日東京田無神社へお返しに関東日帰り強行軍昨年の冬至には埼玉へ日帰りなんだか毎年関東へ強行軍😅『星祭に呼ばれて高山不動』昨日は夏に
上ノ国勝山館を後にして、海沿いの道をひたすら南下。ただ、地図上は海沿いだが、あまり海沿い感が無い。海の近くまで迫るちょっとした台地のような地形が続き、道の大半はこの台地の上を走る。道の脇には風力発電の風車ばかり。街や民家はこの道沿いではなく、川が削ってできた平らな谷間や、道よりも海に近く海との高低差も小さい「本当の」海沿いにある。漁業を生業にするのであれば、利便性を考えるとそうなるのか、と一人納得。いろいろ考えを巡らせているうちに松前城に到着。到着と同時に雪が降り始める。戊辰戦争で幕府軍相
令和七年十一月二十五日、帰宅して郵便箱を開くと、数通の喪中の葉書が届いていました。その中に、菊地明さんの奥様からのご逝去のお知らせが入っておりました。十一月三日、七十四歳で永眠され、家族葬で済まされたとのことでした。また、次号の『碧血碑』最終号は発行日未定ながら準備中と記されていました。菊地明さんが運営する「碧血碑」の会員や、賀状のやり取りをされていた方々に送られたもののようです。実は、十一月十五日に「碧血碑」の集まりがあるはずでした。しかし、どなたにも連絡がつかず、私は十一月十七日に現状
こちらは、初めての作家さん映画化で、二重表紙戊辰戦争のただ中侍殺しの罪で捕まった駕籠かき人足の政は薩長率いる「官軍」から砦を守るよう命じられる勝てば無罪放免、負ければ死共に戦うのはあらゆる悪事を犯した十人の罪人たち彼らは生きて帰ることができるのか…強者たちの狭間で足掻く者の熱き闘いを描く極上の時代アクション通勤路の木も葉が散ってきょうも、皆さまとともに”いい日”でありますようにc
おはようございます、ケンです。Netflixにて「イクサガミ」を視聴しました。非常に面白かった。緋村抜刀斎+あずみ+バトルロワイヤルの混ざったような作品ですが。明治時代の戊辰戦争が終わった頃、廃刀令が出された武士が殺し合う作品。キャストも豪華でv6岡田、嵐二宮、他多数でてます。6時間弱なのでNetflixに入ってる方オススメです
宮城県の端っこ第3弾は南端です。宮城手帳2025では北緯37度46分24秒(東経は140度47分34秒)です。国土地理院のホームページで場所を探します。丸森町筆甫(ひっぽ)の南にあるちょうど盲腸のように細長く突き出た部分にあります。なぜこんな形なのでしょうか?気になります。仙台方面からは丸森町の筆甫集落を経て南下するのが最短ですが、道が狭く令和元年の台風被害の復興工事のための工事車両が行き交うことから、ここは遠回りですが、国道113号線で福島県新地町を経由して向かいます。新地町との境の手前に
今日の午前中に、福沢諭吉関連史跡を巡ってきました。というのも、幕末明治史の思想史分野をやっていく上で、福沢諭吉は絶対に外せない人物なんですね。常に時代の最先端を走り、知識思想を世に広めて世論を作る。それだけ影響力があったわけです。そのためには江戸時代の常識倫理や思想に縛られないことが必要です。これができる人はあまりいません。あの藩というものにとらわれずに脱藩し、一時期は水戸学の攘夷論とらわれていたものの後に開国論に転じる坂本龍馬でさえ、武士道という江戸時代の倫理道徳にはある程度縛られてい
年に一度のミチノークス(旧・劇団短距離男道ミサイル)祭りへ行って来ましたー「おきがきトロイアの男たち1868」今回も脚本演出の本田さん、この度は宮城県芸術選奨演劇部門新人賞おめでとうございます令和7年度宮城県芸術選奨及び同新人賞受賞者の決定について芸術選奨,選奨www.pref.miyagi.jpギリシャ悲劇「トロイアの女たち」を原案に戊辰戦争最大の悲劇をいつものユーモアで描き出していましたそれにしても主演俳優の武長さん…普段はJTCおじさ
棚倉城は今年築城400年、元和8年(1622年)、棚倉に移封された丹羽長重は、幕府より築城の命を受け寛永元年(1624年)、近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、翌2年、その跡地に棚倉城の築城に着手しました。棚倉城は、水戸街道を守る重要な城でもありました。城の特徴は、大きな土塁と、土塁の上を全周する多門櫓などで、二ノ丸西面には約160mにわたり石垣が残っています。土塁のまわりに遊歩道があり、お濠に映る紅葉を愛でながら周回することができます。時折、日が差すと一段と鮮やか
今回の旅で最初に訪れた観光施設は《会津武家屋敷》でした。戊辰戦争で焼失を免れた会津藩の武具や家財、家老西郷頼母邸が復元され会津武家文化を伺う事が出来ます。入口の《冠木門》を抜けると庭内は多種多様な鑑賞菊が並んでいました。「秋ですねぇ~!」そして、庭内の木々も真っ赤に燃えて正に紅葉真っ盛りでした。此方は西郷頼母の養子であり、小説「姿三四郎」のモデルとなった《西郷史郎像》です。記念写真を撮っているとインバウンドの青年が「2Sで撮りませんか?」と声を掛けてくれたので・・・。夫婦で
🍁紅葉🍁の綺麗な季節ですね〜🌟もみじ🍁の見事な🌼能仁寺🌼参道がめちゃくちゃ綺麗😍✨✨🍁本堂🍁🍁境内のアチコチ🍁🌼飯能戦争について🌼https://www.city.hanno.lg.jp/soshikikarasagasu/kyoikubu/hakubutsukan/hannotoshibusawaeiichi/1679.html「飯能戦争」とは?|飯能市-HannoCity-渋沢栄一は慶応3(1867)年にパリへと旅立ちますが、その間に勃発したのが戊辰戦争です。そ
喜多方市から会津若松市へ車を走らせます。向かったのは鶴ヶ城です。立派なお城です。我が親は足が悪いので休憩所で待機。甥っ子とふたりで天守閣に入ります。場内は鶴ヶ城の歴史や戊辰戦争、白虎隊の説明などがありました。天守閣の最上階へやってきました。360°会津の街並みを見渡せます。天守閣を出て、再び壮大な鶴ヶ城を眺めてプレミアム特濃抹茶ソフトクリームをいただきながらクールダウンし鶴ヶ城を後にしました。
2025年11月13日より、今村翔吾の同名小説をドラマ化した『イクサガミ』がNetflixで配信開始された。本作は藤井道人をはじめとする実力派監督陣が手掛け、主演には岡田准一。さらに岡田は主演だけでなくプロデューサー、アクションプランナーも兼任し、壮絶なアクション表現の中心を担っている。本作が描くのは、明治時代に存在した“旧武士階級=士族”たちが、莫大な賞金10万円(現在の数十億円相当)を懸けて挑むデスゲーム「蠱毒」。単なる娯楽作品ではなく、史実に基づく社会
日本史は、その呼称からして特徴的です。例を挙げるのなら、西南戦争、戊辰戦争などです。少し、蛤御門の変を詳らかにしたいと思います。その理由は、細部の事情が複雑怪奇すぎるからです。元来、私はそういった、不自然な記述を好みません。それでも、真理は未来永劫、真理の一端として、紐解かれます。まぁ、例外的な事例と考えて下さい。蛤御門の変と言えば、幕末における、歴史の転機ですね。長州藩が坂道を転げ落ちる事変です。そこには、仏教的な要素が凝縮され過ぎているのでしょう。明治維新は外様大名によ
◤劇場本予告◢映画『十一人の賊軍』11月1日(金)公開-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be◤DragonAshのタイアップ楽曲がフラストレーションぶった切り!壮絶な本予告解禁!◢常に進化をし続け、圧倒的な支持で日本の音楽シーンを走り続ける怪物バンド・DragonAshと『十一人の賊軍』のコラボが決定!キャンペーンソングとして起用された楽曲タイトルは「
鳥羽伏見の戦い勃発の地慶応4年/1868年1月3日夕刻…この付近で起きた戦いが「鳥羽伏見の戦い」の発端となった小枝橋/こえだばしを渡り京へ入ろうとする幕府軍に対し…薩長軍/新政府軍が放った一発の砲弾が合図となり鳥羽と伏見の両方面で激戦が展開されたこの戦いを皮切りに…約一年半の内戦/戊辰戦争が始まった(京都市の説明板)標石の立つ現在地は…小枝橋東詰め鳥羽街道/千本通と城南宮道が…丁字に交差する地点です▽交差点からみた南方/鳥羽街道▽交差点から
皆さまこんにちは。隊士吹雪です。先日11月2日(日)に安達ヶ原ふるさと村にて開催された「第15回福幸祭~皆と紡ぐ、故郷の誇り~」に出陣してまいりました!ステージパフォーマンスでは、二本松北小学校の剣舞、二本松南小学校の舞踊、二本松岳下小学校の居合いを通して”二本松少年隊”を顕彰しました。また和雅美太鼓さんのパフォーマンスや二本松第一中学校の合唱、キッズダンス、萬代宏樹さんとなすびさんによるコラボトーク、annacallaさんの歌で会場が盛り上がりました。我ら二本松
やっと!という気持ちは否定できないN党党首の立花孝志氏が逮捕された(死亡した県会議員の名誉毀損の罪で)そもそも彼はある裁判で有罪判決を受けており禁錮1年強、執行猶予中の身だったにもかかわらずやりたい放題の行動で社会の秩序を乱していたそこには一部の支持者が唱える「表現の自由」という理屈は全く通用しないものと思っていた彼はお金稼ぎのための炎上商法を展開していた怒りと感情を煽り、敵と味方を設定し、話を大きくしそしてフェイクだろうがなんだろうが、やったもん勝ち!を幾度も繰り返して
まずはごあいさつアラフィフ転勤族サラリーマン関西人(^_^)/AKAIです備忘録代わりに日常をテキトーにあることないこと書いてます!だから皆さんどうか話半分で読んでやってください!ここから本題2025年8月11日-12日彼女(嫁さん)とふたりでお盆に福島県に行きました!会津福島ふたり旅【まとめ記事】『'25.8.11-12会津福島【まとめ記事】』まずはごあいさつアラフィフ転勤族サラリーマン関西人(^_^)/AKAIです備忘録代わりに日常をテキトーにある
・写真は、「最後の将軍」徳川慶喜。明治維新に関連するエピソードを拾い集め、新たな光を当ててみる。そうすると「そうかもね・?」という新しい側面が見えてくる。「慶喜」は自分の役割としては国内を分断して、外国に付け込まれるよりは、大政を奉還して自分が蟄居するほうが、日本のためになると判断したのだろうという。「英邁な」将軍と期待されていたのだが、その判断は、長い目では、正しかったのだろう・・・・。・ところで、日本に「開国」をせまり、諸外国の中で、突出して要求が強かったアメリカが、突然シーンから消え
日本の体質は明治維新以来まったく変わっていない。要するに"富国強兵"の"国家主義"である。「国際金融資本」*戦争ほどスケールの大きな"儲け話"はない*戦争を起こす本当の黒幕・・・ヨーロッパを中心とした"大銀行家"*国家同士を争わせる・・・莫大な利益の源泉「景気対策」としての戦争のメリットどんなに良いビジネスでも以前ほど儲からない。イギリス、クロムウェル・・ヨーロッパの大銀行家が資金提供し"戦争"を起こした。国際金融資本が目論んだ真の目的・・・(イングランド革命)イング