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復興は人材育成から米百俵の精神を説いた小林虎三郎幕末維新の風雲は、戊辰戦争で長岡城下にもおよんでいました。長岡藩は、軍事総督・河井継之助の指揮のもと、奥羽越列藩同盟に加盟し、新政府軍と徹底的な戦闘を行いました。その結果、250年余りにかけて築き揚げた城下町長岡は焼け野原となり、石高は7万4千石から2万4千石に減らされてしまいました。戊辰戦争後の長岡の人々の暮らしは、その日の食事にも事欠くありさまでした。そんな長岡藩の窮状を見かね、支藩の三根山藩から見舞いとして、「百俵の米」が送られてき
2013年のNHK大河ドラマは、綾瀬はるかさん主演の『八重の桜』です。幕末の会津藩で砲術師範の娘として生まれ、「幕末のジャンヌ・ダルク」と称された新島八重の波乱に満ちた生涯を描いた物語でした。現在もなお、そんな綾瀬はるかさんと繋がりを感じられるポスターが会津歴史資料館に貼られていました。ここは会津武家屋敷。その広大な敷地の中でも、一際重厚な空気を感じさせるのが、家老・西郷頼母の邸宅です。家老屋敷以外にも、広大な敷地内には見所が豊富にあるため、西郷頼母と会津藩の歴史について語りながら、歩
2019年5月のブログです*5月1日といえばメーデー。現役時代はメーデーの行進をしたものですが、引退後はひとり旅の日々。今日は秋田県内を南下しました。秋田美人といいいますが、確かに美人ちゃんが多いです。街を歩く女性の2人に1人は美人ちゃん。青森も意外と(?)美人ちゃんが多く、街を歩く3人に1人は美人ちゃんでしたが、さすがは秋田です。美人恐怖症のじーじにはうれしい悲鳴(?)。そういえば、じーじの母方の先祖は秋田出身(ちなみに父方は仙台出身で、戊辰戦争後
桜と歴史が交差する「表門」からの幕開け会津武家屋敷の最大のハイライトは、復元された「家老屋敷」です。ここは会津藩の家老、西郷頼母の邸宅を忠実に再現した建物。入り口の大きな門をくぐると、視界いっぱいに広がるのは壮大な木造建築。昨年(2025年)の訪問時は、ちょうど桜が「散り際」の美しさを見せていました。風が吹くたびに、重厚な瓦屋根や白壁を背景に花びらが舞い散る様の儚さ、この光景だけでも、ここに来て良かったと心から思える瞬間でした☺️威厳に満ちた「表玄関」と「式台」まず目に飛び込んでく
先日、ゴマが話題に上ったときのこと。母はこう言うのです。「うちの家系は、ごまを栽培できない家系だから。」それを聞いて、私はなぜだろうと思いました。母の実家は農家です。戦前からの自作農。それでも、なぜかゴマだけは作らない。代わりに、えごまを植えていたというのです。なぜなのか。久しぶりに、先祖の過去を遡ってみました。農家をやる前は、どうも武士だったらしいのです。話は、戊辰戦争まで遡ります。聞くところによると、母の実家の先祖は、伊達家家臣・茂庭家に仕えていたらしいのです。慶
2026-04-05うっっすっ地図には戊辰戦争淀千両松の戦いの碑となっています下の方に激戦って書いてるねもう少し丁寧に見れば良かったなぁ〜AIに聞くと・この戦いで新選組六番隊組長の井上源三郎をはじめ、多くの隊士が戦死・1907年(明治40年)、かつての同志を供養するため、榎本武揚らによって「東軍戦死者埋骨地」の碑が建立淀城が幕府軍の本陣だったから、ここで激戦ってことは、かなり新政府軍に押されてきてたんだね〜淀城は、もうすぐそこだもの淀競馬場トコトコ〜前にヒロミさん・
小室直樹は会津藩士の血が流れていましたが、長州人であった吉田松陰の精神をもってしか、現状の日本を救えないと考えていました。小室は「松陰の真骨頂、大本領とは何か。松陰は、常に、死ぬつもりでいた。死ぬことの教育こそ、まさに、教育の大本領である」(『歴史に観る日本の行末予言されていた現実!』)と主張したからです。松陰がどこで死ぬかを絶えず自分に問うたことを、小室は高く評価しました。松陰が幕府の逆鱗に触れ、29歳(満年齢)で死に場所を得たことで維新回天は実現したというのです。小室は「松下村塾
秋田新幹線こまち号は、田沢湖駅を出ると渓谷に分け入りながら蛇行して進み、昭和41年(1966年)に開通した、奥羽山脈を貫く全長3915mの「仙岩トンネル」に入ります。秋田県と岩手県の県境は、かつては標高940mの笹森山を越える「国見峠」でした。この道は坂上田村麻呂の蝦夷征伐の際に開かれた、または前九年の役の時に源義家が切り開いたと伝えられています。江戸時代には秋田街道として整備されましたが、秋田藩と南部藩の藩境紛争の場でもあり、秋田藩は生保内に、南部藩は「橋場」に関所を置いて国見峠はどちら
最近読んだ本、聴いたポッドキャスト、観たドラマからかなり泣かされたものをシェアしてみます①会津藩目線の戊辰戦争白虎隊の悲劇のことは子供の頃からテレビなどでみて知っていましたが、コテンラジオで今配信中の西郷隆盛編の中の戊辰戦争の会津藩の様子がかなり細かく解説されていて、その惨さにポッドキャストを聴きながら、まさかの涙がhttps://open.spotify.com/episode/6NbP1cCHof7f7lRF1BC3Ax?si=0mvC9UShQLmRcc30
七日町駅から「七日町通り」へ出るとすぐに、そこには、静謐な時間が流れる寺院が点在しています。祈りと歴史が交差する、静寂の寺院巡り。七日町は、戊辰戦争という激動の歴史と深く結びついた場所でもあります。ここ阿弥陀寺(あみだじ)は、境内に入ると周囲の喧騒が嘘のように消え、厳かな空気が漂います。このお寺は、ただの古刹ではありません。戊辰戦争の際、戦火に見舞われた会津の人々を救った場所であり、のちに新政府軍から許可を得て、長らく葬ることが許されなかった藩士たちの遺骸をこの地に埋葬したという、歴史
戊辰戦争・函館戦争坂本龍馬と土方歳三函館朝市🦑🦀ブログ&動画https://ek0901.hatenablog.com/entry/2026/04/23/063000
先日の業者市にて、とある方からこの柄巻良いよーとオススメされたのですが、これがまた手にしっくりきて全くズレず手汗をかいても素材の糸が吸うので全く滑りません。かなり実戦向きの柄巻です。何巻と言うのかは謎です…仮に戦場で使って血が付いても絶対にこれは滑りませんね。素材的に鑑賞要素は低いのですが、武術をされる方にかなりオススメです。右がその柄巻です。左は普通の捻り巻の一般的な柄巻になります。握り心地が段違いです。かなり凹凸があるので、目貫も正直要らないみたいです。有難いことに貸して頂
こんにちは。石好きのハーバリスト北方碧です。4月17日(金)飯沼氏ご夫妻、森川氏と会津若松駅で合流。森川さんの車で塩川(喜多方市)へ向かいます。戊辰戦争時、会津藩の塩川本陣になっていた近江屋跡。生存白虎隊士・飯沼貞吉ゆかりの地でもあります。近江屋は、飯盛山で自刃後に村人に救助された飯沼貞吉が、印出ハツ(飯沼家に出入りしていた武具役人の妻)に連れられて辿り着いた場所でもあります。此処で地元の医者・三本住庵(住まいは近江屋の斜め前)、
渋江抽斎森鷗外岩波文庫【5】前回のブログ記事は以下の通りです。渋江抽斎森鷗外(岩波文庫)【4】アメーバブログ記事より渋江抽斎森鷗外(岩波文庫)【4】アメーバブログ記事『渋江抽斎森鷗外(岩波文庫)【4】』渋江抽斎森鷗外岩波文庫【4】前回のブログ記事は以下の通りです。渋江抽斎森鷗外(岩波文庫)【3】アメーバブログ記事より渋江抽斎森鷗外(岩波文…ameblo.jp目次となります。目次渋江抽斎7注(中野三敏)343解説(
こんにちは。石好きのハーバリスト北方碧です。4月16日(木)朝食後、飯盛山へ。スロープもあるのですが、敢えて石段を選択。日頃の運動不足のせいか、きつかった!自刃した十九士の墓所。白虎隊自刃の地。自刃の地から見た鶴ヶ城方面。白虎隊士たちが辿り着いた洞穴の出口。飯盛山の中腹で、此処から山頂へ登っていったのですね。友人にも見てほしかったので、さざえ堂にも行きました。中に入ったのは、19年ぶり
湯野上温泉駅でタクシーが来るのを待ち、鶴ヶ城に向かいます。鶴ヶ城までは結構な距離があったのでタクシーの運転手さんと色々話をしたです。福島訛りの素朴なおじさんで「本土からハワイに来た人たちも同じ気持ちになるんだろうな~~」って感じたです。ハワイの人たちもかなり英語なまっておるですからね、「あああ、ハワイに来たな~~~」と旅行気分が盛り上がるんじゃないかと思うです。ちなみに私もよく
やっほい(*・∀・*)ノご訪問いただきありがとうございます♪いつも読んでいただけて大変、嬉しく思います!(*´ω`*)前回の続き昼は石田屋そば店さんで。先輩は2回目の来店であるそば!へぎそば食いたかったけどへぎそばはまた今度!すんごい、コシがあって美味しかったテンプラもサクサク蕎麦湯も出てきたし満足しかないなんでここで食べたかというと城を奪還した河井継之助が負傷した場所なんだって!この看板は有志の方が置かせてくれって。※城を奪還した話は次に回った史跡にて説明あ
こんにちは。石好きのハーバリスト北方碧です。4月15日(水)~18日(土)、3泊4日で会津に行ってきました。前半は大阪の友人との二人旅。彼女は以前から会津に行きたい!と言っていたのですが、ついに実現。駅名の案内がちょっとお洒落なのです。周遊バス「あかべぇ」で早速、鶴ヶ城に向かいます。まずは腹ごしらえということで、喜多方ラーメン。久しぶりの鶴ヶ城。会津の名刀展が開催中で、「町野兄弟」と題
宇都宮線小山駅の近くの常光寺。戊辰戦争に巻き込まれ、流れ弾で仏像の台座が損傷した歴史があるそうで。浄土宗のお寺さんです。立派な本堂です。六地蔵尊にも雰囲気があります。鐘撞堂の向こうにビルが見えなければもっと風情があるところ。駅近なので仕方ないですね。
昼ごはん食べたら、今回の会津旅で行きたかった"鶴ヶ城(会津若松城)へ…今年は桜の開花が早かったらしく、いつも満開のこの時期はすでに散ってました。戊辰戦争では新政府軍を相手に一カ月以上猛攻に耐えた難攻不落の城です。白虎隊の悲しい逸話も有名ですね。日本で唯一の赤瓦で覆われた天守…昭和40年に再建されたそうです。勇壮な7層の天守…天守閣からの会津の風景…広々してます。お城と南走長屋…鉄門からの天守…桜は散ってだけど、お堀の周りは新緑が芽吹き綺麗でした。戦争で負けたけど"ならぬものは
先日、自民党の党大会で、自衛官が、国歌を歌ったということが、自衛隊員の政治的中立を定めた自衛隊法に違反するのではないかと、問題になったようですね。自民党にしろ、自衛隊にしろ、「法的に問題はない」という見解のようですが、恐らく、それは、詭弁のようなものでしょう。軍隊、軍人は、政治に関わってはならない。民主主義国家の制度では、当たり前のことでしょうが、それを理解していない人たちが、憲法改正と騒いでいるのは、何とも、怖いこと。ただ、今のアメリカを見ていると、軍事に、全く、無知な人が、軍の最高司
中国の「教科書問題」は、日本批判そのものが主目的ではなく、鄧小平と人民解放軍との権力闘争の中で利用された外交カードだった。本稿は、宮脇淳子と宮崎正弘の対話を通じて、中国政治の本質、日本の対中配慮の愚かしさ、そして朝日新聞やNHKが見抜けなかった中国の深層を鋭く浮かび上がらせる。2019-07-01共産党の権力闘争を知らないバカな日本人が、教科書検閲だの、近隣諸国条項だのと中国に配慮したため、中国は対日関係でも利益をえて、一石二鳥か三鳥になったというお粗末な話です宮脇淳子が世界有数の東洋史
酒田の米倉庫と欅〔ケヤキ〕山形県酒田市は北前船交易で栄えた場所です。数年前まで米倉庫として使われていた建物には米が湿らないような工夫がされています。この倉庫の前には運河があって女性が米俵を運んだとのこと。NHK朝ドラマ「おしん」の別れのシーンの説明をガイドさんがしていました。倉庫の前に植えられた欅〔ケヤキ〕観光客のために石畳にしたら欅の根に悪影響があったそうです。欅は最も高価な材木として神社⛩️寺院に使われ境内や参道に植えられました。都内
中学生の時、社会の先生にこんな歌を教わりました宮さん宮さん、お馬の前にひらひらするのはなんじゃいなトコトンヤレ、トンヤレナあれは朝敵征伐せよとの、錦の御旗じゃ知らないかトコトンヤレ、トンヤレナ戊辰戦争の時に、官軍のことを歌った歌です。薩長土を中心とした新政府は、天皇を擁することで「官軍」と言う大義名分を得て、正義のもとに戦うことができたわけです。逆に、自分たちこそが正統政府だと思って戦っていた幕府軍は、錦の御旗に逆らうことで「賊軍」に成り下がることに大いにうろたえ
チョット面白い説明だったので載せますMizunoeonInstagram:"【教科書もこんな感じだったらなぁ…】日本史上最大と言っていい内乱である戊辰戦争を面白く伝える雑学#雑学"62likes,2comments-mizunoe_akane18onApril14,2026:"【教科書もこんな感じだったらなぁ…】日本史上最大と言っていい内乱である戊辰戦争を面白く伝える雑学#雑学".www.instagram.comホント良く生き残れたよね…日本
やっほい(*・∀・*)ノご訪問いただきありがとうございます♪いつも読んでいただけて大変、嬉しく思います!(*´ω`*)ようやく書けた。なんせ1時間残業終えると既に18時半。19時に晩飯食って風呂入ってストレッチやらし終えると21時くらい。入院生活で規則正しい生活になってしまって丁度、寝るには最適な時間だ。※たまに22時くらいになるが。だから平日のスプラがまともに出来ないのだ。スプラもだが記事の更新も中々出来ないのだ。そんな久々の記事は真面目な内容wwwさて職場
これだけ、植松さんのものが続いたんだから,全部制覇しようかなと、、、幕末のことってややこしくてよくわからない慶喜のことも、鳥羽伏見の戦いで全てを投げ出してこっそり江戸に逃げ帰った、、、のもとんでもないことだともとれるし、ある意味、日本を徳川を残すために仕方のないギリギリの選択だったという見方もあるかもしれない最近、山岸美喜さんという方のXをみているネットニュースなんかでと時々お名前をみつける江戸幕府最後の征夷大将軍の徳川慶喜と陸奥国会津藩第9代藩主の松平容保の玄孫で2023年1月か
4/5(日)〜6(月)、会津若松へひとり旅に行ってきた記事の続きです。前記事はこちら『【ひとり旅】会津若松4/5④鶴ヶ城その3』4/5(日)〜6(月)、会津若松へひとり旅に行ってきた記事の続きです。前記事はこちら『【ひとり旅】会津若松4/5③鶴ヶ城その2』4/5(日)〜6(月)、会…ameblo.jp鶴ヶ城を後に。次に訪れたのは、鶴ヶ城が目の前の北出丸大通り。会津戊辰戦争終結の地写真奥が、鶴ヶ城方向です。左上の街灯奥にちょこっと天守閣が見えます。この通りに毛氈を引いて、
福島県会津若松市の鶴ヶ城へ夜ざくら見学に行きました幕末の戊辰戦争の激戦地です天守閣は昭和40年(1965)に再建されたものです2016年4月の蔵出し写真です国の史跡です鶴ヶ城は愛称で正式名は若松城です天守閣はコンクリート造りで現在は博物館荒城の月歌碑土井晩翠ライトアップされたお城や桜が幻想的です麟閣茶室県指定重要文化財☆ご覧いただきありがとうございました
日曜日の事八重の桜観ながら戊辰戦争と、西南戦争が良く理解出来一つも嬉しくなく実感も当然無く怖かったとしか良いようがなかった同志社も、育て上げるのが思っていたより何百倍も大変で、恐ろしくて私が知ってる同志社大学では、なかった途中観たかったSNSで、良く拝見していた前両脚のない柴犬の女の子の特集がありまして力を貰いました私は、与える事より貰ってばかり愛犬柴犬かんのすけぎゅーっと抱きしめて今夜も眠れる事が何より幸せですまた明日