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3連休最終日、家族で会津へ。高速が混みそうなので、郡山まで新幹線、大宮から1時間、速いあとはレンタカーで、GO待合室にあった新幹線のマッサージ機?賑やかな駅構内まずは飯盛山を目指す上までは動く歩道で(階段は183段、今回はパス)白虎隊については良く知らないかった。1名生き残ったことくらいしか知らなかった。白虎隊は戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際に会津藩隊士の子息で組織された軍隊。会津藩は朝敵でした。ここから燃える城下を見て玉砕か
最近再び明治政府、明治維新について思うことがあり、書いてみようと思います。まず大前提がこれ。明治維新の背後が英国だった、という事実をNHKが認めている。『150年ぶりに醍醐寺で行われた太元帥法要と泉涌寺の孝明天皇陵』先日京都の醍醐寺で、太元帥大法が明治以来150年ぶりに執り行われました。こちらの記事の続きとなります。『橘逸勢に導かれて京都を巡るvol.1醍醐寺編』…ameblo.jp今週のNHK特集を見ていて「ついにこのことが表立って語られ始めたな」と思ったので、
幕末、続きます150年前の本日は、慶応4年9月4日。この日、一ちゃんが隊士を率いて如来堂に転陣しました。我局二十有余名、如来堂に宿陣す。(立川主税戦争日記)同九月四日高久村にて戦争相始り、当隊より応援として一小隊繰出す。(島田魁日記)8月24日に、一ちゃんが「誠義にあらず」と言って、14人が会津に残るという意思を示しましたね。(その時の記事はこちら☆)で、負傷者たちはその時に、安富さんが引率して仙台へ向かいました。その時のブログ
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をするシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。本日は、「天童陣屋」(山形県天童市)をお届けします。天童陣屋絵図この陣屋は
郡山の戊辰戦争混乱する二本松藩新政府軍は、会津藩の征伐を仙台藩や二本松藩等の奥羽諸藩に命じた。しかし会津藩に同情的な奥羽諸藩は動かなかった。逆に会津藩の戦意は高く、佐幕か勤皇かで決断ができない二本松藩に威嚇行動を行った。会津藩兵により安積郡の村々が略奪・焼き討ちされた。御霊櫃峠の戦いその頃、二本松藩兵の主力は白河方面にあり、代わって郡山宿に駐屯していたのが仙台藩兵です。当初は戦意が低かった仙台藩兵も、藩士が会津藩兵に射殺されたのを契機に、会津藩攻撃を決断。御霊櫃峠を守備していた会
韮山笠(にらやまがさ)です。良く、幕末を描いた戦闘シーンで登場する【餃子ヘッド】ですね(笑)。今年の大河ドラマ【青天を衝け】でも度々登場しておりました。皆さんも、何度か見かけられた事があるでしょう?恐らく、珍奇なイメージでご覧になられていると思います。(なんじゃありゃ?幕末の足軽はチンチクリンな被り物ばっかり...。チンドン屋か...笑。)まあ...分かります(笑)。戦国時代の甲冑武者の様に、ゴージャスな兜ではありませんからね(笑)。足軽ですら戦国期には頑丈そう
さて、そろそろ時間を戻しましょう。慶応四年(1868)二月三十日の夜、三枝蓊に対して二回目の尋問が行われました。一回目の尋問では共犯者はいないと述べた三枝でしたが、二回目の尋問では共犯者がいることを認めました。ミットフォードの回顧録によると、「朱雀操と名乗っていた共犯者の本姓は林田というが名前は知らない。彼は京都の近くの桂村の村医者の息子で士族ではない。彼は浪人で御親兵の南一番隊に属していた」と三枝は供述したようです。が、先述したように、実際には朱雀操はれっきとした武士であり、おそらく三
今日紹介するのは、たびたびブログで紹介した、身内で在家僧侶の師匠の、離れ業エピソード。※師匠は数年前に亡くなっています。師匠が50~60代の、僧侶として現役で、活躍していた頃。とあるお盆の時期に、北海道・道南の、戊辰戦争激戦地跡を、供養法で鎮めた。・・・ちなみにその場所は、川も流れています・・・(-_-;)・・・お盆の時期に、川の側の激戦地跡を供養とか・・・。厳しい修業を積んだ方とはいえ、無茶にも程があります(T^T)※良い子は絶対真似
日本は縄文の頃から金を生む国でした。今回は、浅く読んだ(笑)、落合莞爾先生の書から。天皇と黄金ファンド古代から現代に続く日本國體の根本Amazon(アマゾン)落合莞爾先生の天皇ファンドの考え方は、以前紹介した高橋五郎さんの「黄金の百合」とは根本が食い違っています。天皇の金塊ゴールデン・リリーの謎Amazon(アマゾン)日本の黒幕(ムー・スーパーミステリー・ブックス)Amazon(アマゾン)美しきペテンの島国続・真説日本の正体Amaz
前回、韮山笠をご紹介したので、ついでと言っては何だが...半首笠(はっぷりかさ)をご紹介しておきたい。地域によって発音が異なり、【はつぶりがさ】とも表記される。まあ、とにかくインパクトのある形状の被り物である。このハップリ...円錐形のトンガリ帽子なので、見た目のインパクトは凄まじい物がある。半首笠は戦国時代からある陣笠とは異なり天保年間に高島秋帆が考案した《トンキョ笠》から発展した幕末期特有の尖笠。薩摩藩等が装備した。しかし基本構造は戦国期に足軽が被った陣笠と同様なので古
今回の旅のメインとなった、推し活の話をしよう。こちらです。佐賀の八賢人おもてなし隊、通算三千回記念公演。この告知を見た瞬間、わたしは衝動的に航空券の予約をしたのでした。最近は毎週東京に通っているため、脳内の距離感がバグっている…ところで、おもてなし隊のシステムってどうなっているのでしょうね?全国に隊があるけど、何か協会とか認定基準とかあるのだろうか。戦国時代の武将隊が多い中、幕末偉人は珍しいと思います。わたしが知っているのだと、あとは二本松少年隊かな。ちなみに今週末は二本松で「二本松戊辰
会津若松を訪れて旅の目的梅雨が明けてくそ暑い日が続いてます。雨降るともちろんツーリングにも出掛けたくありませんが、このくそ暑い日も出掛けたくありませんね今回は大好きな街、福島・会津若松に行ってきました。かれこれ片手以上は楽に行ってますが、懲りずにまたです。予定の記事にも書きましたが、私じゃどうは幕末の歴史が大好きです。京都も数回行ってますし、函館・五稜郭も行ってます。会津若松もほぼほぼ見尽くした感があるのですが、なぜか行ってなかった場所を今回は制覇し、自分の中
⭐吉方向へ運気アップ⤴️の旅🚙「仙台國寶大崎八幡宮⛩️」さまへ新潟市西区青山「占いルームゆま〜る」占い師天川裕麻です🔯ホームページhttps://www.yumaru-ama.com/予約電話07033410880いつもご縁をいただきまして本当にありがとうございます✴️わたくしこの期間。吉方向が東北仙台方面。四年半ぶりに「國寶(国宝)大崎八幡宮⛩️」さまへ行ってまいりました🚘慶長12年に「伊達政宗公」によって創建された
1858年に日米修好通商条約に基づき、日本とアメリカの貿易が始まったのですが、それが徳川幕府の命脈を絶つことになりました。そのことをきっかけとしてハイパーインフレが発生して、日本経済が史上初の大破綻をしたからです。そして一方、倒幕の機会を窺っていた西南日本雄藩の経済は、発展し続けていました(どのように発展していたかは、3月19日付ブログ『薩長に負けた幕府官僚の経済無策-今の日本財政は黒船来航3年前の幕府財政と同じ(9)』に説明しています)。幕府を中心とする東日本と西南日本雄藩を中心
2013年の大河ドラマ【八重の桜】において、板垣退助を演じた加藤雅也が被る【赤熊(しゃぐま)】である。何とも異様な被り物...。これほど洋装に似合わない頭巾も他に無いだろう。詰襟服の洋装に、この被り物(笑)...。やはり今日的な感覚だと、どうしてもチンドン屋だ。どうせなら、【荒れる成人式】でヤンチャな連中に試して貰いたい。学ランさえあれば何とかなるので安上がりだ。見た目はともかく、我々幕末オタは狂喜乱舞!少々悪さをしても、大目に見てやる(笑)。内部の構造は、こんな感じにな
神保修理ChangeTalk,ChangeLife."喋りを変えたければ生き方を変えろ!"「喋りは生き方が9割」「FreeTalkEntertainment~喋りはもっと自由で心から楽しむもの」「人見知りとは克服するものではなくまず話を聞く人の姿勢を改めるべきもの」22世紀の「広辞苑」から"人見知り"の項目をなくす話をしっかり伝えられる人と聴く人を増やす人一般社団法人日本フリートーク協会代表理事ライフスキルトークカレッジ学長のターキーですこんにち
ブログ村に参加しています。ぽちっと押していただけるとうれしいです。にほんブログ村夏なのにコロナやインフルエンザが猛威を振るっているようで、バイデン大統領もコロナで休養です。アメリカの大統領選挙もおおよそのところは決まったのでしょうか?こんにちは!今回も靖國神社遊就館へ行ったつづきです。靖國神社遊就館では、大政奉還についても書いてありましたので今回は大政奉還です。1866年12月に孝明天皇が亡くなり、明治天皇が就任すると討幕を
〈澤野大樹氏インタビュー世界のいちばん長い日(前編)からの続きです〉――7月8日に消えた彼について、彼はすでに2年前には死亡していて中曽根康弘元総理の自民党合同葬で葬られたと。だから今回亡くなったのはゴムでありクローンであると。そのように言っているSNS界隈の自称インフルエンサーが多くいますが?そのようなことを言いふらしている人たちがたくさんいますよね。そのような情報の出どころは統一側なのでしょうね。そのような人は同時に「スナイパー説」も言っていますよね。しかしそ
仙台藩の戊辰戦争について調べている仙台市泉区の郷土史家木村紀夫さんの講演によると、「仙台藩は会津への恩義があり、朝廷を悪用した薩長のやり方が許せず、形成が悪くても義を貫いた」とのことである。仙台藩士達は形勢が悪くても義を貫く為に、奥羽鎮撫総督府参謀の長州藩士の世良修蔵を悪逆非道な人物にしたてて暗殺して戦争を始めたことになる。この発想は、まるでパールハーバーの奇襲攻撃によって日米戦争を始めたのによく似ている。石原莞爾が満州事変を起こして以来、板垣征四郎、東條英機らの陸軍統制派が戦争を煽って日米
会津は、戊辰戦争で新発田が裏切ったと言います。では、新発田の当時の立ち回りをザックリ見てみます。新発田藩は、新政府軍と旧幕府の奥羽越列藩同盟のどちらにつくか迫られていました。米沢藩と会津藩の兵に囲まれ、結局は、奥羽越列藩同盟に入ることを宣誓させられます。しかし、それを聞いた江戸駐留の新発田藩士が、新政府側にゆき、「新発田藩は、圧力をかけられて、やむなく奥羽越列藩同盟に加担させられた、天皇に弓を引くつもりはない。」と申し出ます。新発田藩は、会津や米沢から、新政府軍と戦うための兵を差し出せと迫ら
登別の温泉で3日目の朝を迎え、当然の朝風呂。7時ころかな硫黄たっぷりの極上温泉での朝風呂は最高。平日でお客さんも多くないのでほぼ貸し切り状態です。8時前にバイキングの朝食をとって、予定通り9時少し前に出発。向かうは、函館!の予定だったんですが宿の人に言われて、”鬼”の由来となった「地獄谷」があるよと言われて、折角だから見に行くことにしました。8:45:宿出発。この時点で出発からの走行距離は122.6kmそう、↓国道から右へ折れて山道を温泉へ上がってくる途中にも大きな鬼がいた
コロナ禍の中(10/29~30)、初めての一泊二泊の「お城巡り紀行」、二日目の二城目は「桑名城」(三重県桑名市)です。城内唯一の復興櫓「蟠龍(ばんりゅう)櫓」「桑名駅」に到着し、観光協会でレンタサイクルをお願いして14時20分に市内へスタートしました。帰りの列車まで約2時間20分もあります。地図は事前に入手して訪問する場所をマーカーして臨みました。観光パンフレットの城内案内図観光パンフレット「桑名市内版」1635~50年位の「桑名城」縄張図(「本丸」跡「天守台」脇に掲
仲野太賀さん朝ドラの次は大河の主役とめざましい活躍ですその仲野太賀さんと山田孝之さんのダブル主演の作品「十一人の賊軍」が公開になります監督は白石和彌さん1868年戊辰戦争での話のようです勝てば官軍、負ければ賊軍といわれていました戦争は勝った方が正者負けた方が悪者となりますそのためここに悲劇が生まれます興味をひかれたのがこの作品の原作が1964年に書かれた映画のプロットだということです
幕末、続きます150年前の本日は、慶応4年1月16日。この日、勇さんと歳様が江戸城に登城いたしました新撰組近藤勇帰り来、上様へ御目見仕候由、砲疵実全快仕候由。(藤岡屋日記)この時、後の日本の漢学者、文芸評論家、小説家、劇作家である、依田七郎(学海)さんと、会っています。依田さんは下総国佐倉藩の藩士で長柄奉行を務めた依田貞剛さんの次男。長じて藩校・成徳書院で漢学・経史を学んだ方です。この時は佐倉藩江戸留守居役でした。十六日。晴。寒甚し。(
1,岩倉具視の子・具定さて、主要登場人物は一段落して、脇を固める面々を。まずは・・・作中一の肩書の長さを誇る「東征府東山道軍鎮撫総督」こと岩倉具定卿です。・・・と言っても、世間的にはほぼ無名の人物。「岩倉具視の息子」と説明して、「あ~」というリアクションがありました。岩倉具定は嘉永4年(1852)生まれ。幼名は周丸(ちかまる)武子、綾子より1つ年下です。母の槇子は実は作中の時期は父・具視の妾です(維新後、後妻になりますが)具定の少年時代は孝明天皇の側近だった具視の失脚
おはようございます。戊辰戦争から156年会津松平家当主が戦地初訪問、藩士を追悼福島(TUFテレビユー福島)-Yahoo!ニュース戊辰戦争から、今年で156年です。奥会津にある戦地を、当時の藩主・会津松平家のいまの当主が初めて訪れ、戦いで散った人たちを追悼しました。戊辰戦争の戦地のひとつ、福島県昭和村を訪ねたのは、会津松平news.yahoo.co.jp戊辰戦争から156年。会津の松平家当主が手を合わせるというニュースがありました。大政奉還後、ひたすら恭順の意を示して戦おうとしな
↑幕末期の拳銃今日は、東中野にある酒場「14」で、火縄銃に関するイベントが開催されたので参加して参りました。お店の公式サイトはこちら14へさて、君が辿り着いたのは木製の木の扉の前だ。古びた釘で「14」と記されている。とある死んだガンマンがやっているという、曰くつきの酒場だ......。扉の下にはボロボロの紙束が落ちている。一番上の紙には「14簡易案内書」とだけ文字が書かれている。勇気を出して扉を開ける急いでいるので(まさか怖気づいたのではあるまいな?)簡易案内書に目を通
私がかつて訪城した約25城の「模擬天守」を順次お届けしています。前回のブログでも記載しましたが、今や市町村のシンボルで市民権を得た状態で聳えている等という理由で、「模擬天守」を採りあげました。そして「模擬天守」について以下の分類があることも簡単に纏めました。①お城に「天守」があったものの、現在城域外のかなり違う場所に「天守」が建てられている場合②お城に「天守」があったことが絵図で描かれているが、その絵図とは全く違った形状の「天守」が建てられている場合③お城に「天守」があったものの
皆さんさすけねーか!こんばんは。お元気でしょうか?私ですか?私は疲れていますよ!😄先日紫雲寺の温泉施設に行きました。したらこの映画のポスターを発見「11人の賊軍」ですぞ。千原せいじさんとか山田孝之さんでてます!オレはこの映画がみたいぞジョジョー!元々戊辰戦争で幕府側についた新発田藩ですが、途中で新政府側についてしまいますこの新発田藩が新潟の太夫浜から新政府軍の進行を手引きしたことから、旧幕府側は窮地に陥るのです映画のあらすじとかネットで調べても、いまいちどん