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賢女鼻防備衛所には増改築したと思われる箇所が存在するので本項で考察する。『引渡目録』の配備図には、衛所の左斜め前方と右横に2つの区画が描かれている。(色付けした部分)平面図でも示す。衛所左斜め前方の(A)には石積みを施した掩体が残っている。対して衛所右横の(B)は平坦地で谷側に石垣が積まれているが、建物基礎などの遺構は確認できない。ただ、衛所の窓を出入口に改築して(B)に繋げた痕跡が見られる。***********************************まずは(
「その2」では衛所内部を見ていく。平面図を掲載する。衛所内には7つの部屋があるが、部屋の用途は『一五定防備衛所工事基準(草案)昭和15年』(『工事基準』)を参考に推測した。「白瀬防備衛所」のように複雑な増改築の痕が見られないので、衛所本来の基本構造を把握しやすい。ただ、鉱滓煉瓦の瓦礫が衛所内に落し込まれているので足元注意。『工事基準』に記載の設置すべき部屋と条件を表に纏めた。*************************7つの部屋のうち「蓄電池室」と「便所」の内
蓋井島には2つの防備衛所が置かれていた。前回は西側の白瀬防備衛所をレポートしたが、今回は東側の賢女鼻防備衛所を詳しく取り上げる。「賢女鼻」は九七式水中聴音機5基と九ニ式管制機雷3個群連を配備した防備衛所(甲)として、海上見張および対潜哨戒と撃退を任務とした。詳細は以前のレポートで述べたので省略する。===================【以前のレポート】『下関海軍防備隊探訪㉑~蓋井島の防備衛所』蓋井島に置かれた下関海軍防備隊所属の2つの防備衛所を紹介する。==========
本項では増設箇所を探索する。正面図と背面図。平面図。赤色で記載した部分が増設箇所だが、衛所の基礎構造が赤煉瓦積みであるのに対し、増設箇所は鉱滓煉瓦で建てられているのが特徴となっている。なお、大東亜戦時下に竣工した下関防備隊波津崎防備衛所の建築物が鉱滓煉瓦造りであるため、「白瀬」の増設も同じく戦時下に施されたと推測される。*****************************まずは衛所右前方に築かれた(H)の増設部屋から見て行く。(H)は(A)に隣接して造られ
引き続き衛所内部を探索する。平面図『一五定防備衛所工事基準(草案)昭和15年』(以下『工事基準』)に記載の衛所に設置すべき部屋と面積および条件***********************背面の出入口から中へ。入ってすぐ左手の壁に凹みがある。方形の凹みの上にケーブル溝のような物がある。その内の1本は天井を走っている。おそらくこの凹みには分電盤があったのではないか。ちなみに賢女鼻防備衛所にも同じ位置に凹みがある。(凹みと言うか崩されて開口しているが)*
「その2」では衛所内部を見ていく。平面図を掲載する。部屋にはアルファベットを付与した。増設部屋(H)を含めて8つの部屋が確認できるが、増設以外にも改築されたと思われる箇所がいくつか見受けられる。なお屋上建屋は増設分となる。『一五定防備衛所工事基準(草案)昭和15年』(以下『工事基準』)には、衛所に設置すべき部屋と面積および条件が記載されている。表に纏めると以下の通り。『工事基準』はあくまで(草案)なので現実に即していない部分も多いように感じるが、この表に基づき部屋の用
蓋井島に置かれた白瀬防備衛所を詳しく取り上げる。「白瀬」は九七式水中聴音機8基と九ニ式管制機雷6個群連を配備した防備衛所(甲)として、海上見張および対潜哨戒と撃退を任務とした。詳細は前回のレポートで述べたので省略する。===================【前回のレポート】『下関海軍防備隊探訪㉑~蓋井島の防備衛所』蓋井島に置かれた下関海軍防備隊所属の2つの防備衛所を紹介する。===================【参考記事リンク】◎下関海軍防備隊の概略→→→◎防備衛…ame
蓋井島に置かれた下関海軍防備隊所属の2つの防備衛所を紹介する。===================【参考記事リンク】◎下関海軍防備隊の概略→→→◎防備衛所について→→→===================下関を出入港する船はすべて蓋井島を左舷に見ながら航行していたが、船が入って行く航路側(島の西側)には白瀬防備衛所、出て行く航路側(島の東側)には賢女鼻防備衛所が設置され、海上見張と対潜哨戒を行っていた。地図で位置を示す。南側から見た蓋井島。両衛所は元
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/関連施設][P247施設群][電燈所][第二電燈所][繋船場][洞窟砲台][偽砲][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]===================蓋井島に残る4門の偽砲を紹介する。偽砲とは敵の目を欺くため本物に見せかけた大砲で、英語ではdummygun、fakegunなどと呼ばれている。戦時下には火砲だけではなく戦車や飛
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/関連施設][P247施設群][電燈所][第二電燈所][繋船場][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]====================下関要塞の島嶼部に配備された要塞砲の任務は、担当海域である響灘に出現した敵艦船・潜水艦を撃退し海上航路の安全を確保することにあったが、大東亜戦争末期の昭和20年(1945)になると米軍
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/関連施設][P247施設群][電燈所][第二電燈所][繋船場][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]====================蓋井島第二電燈所は、島の最北西端、泉水ノ鼻に設けられた。地図で場所を確認する。『現代本邦築城史』に掲載の履歴は以下の通り。◆着工:昭和13年(1938年)7月21日
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/関連施設][P247施設群][電燈所][第二電燈所][繋船場][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]=========================================その2では、247mピークに置かれた司令所以外の遺構を紹介する。==========「発電所B」が置かれた平坦地の北東側に
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/関連施設][P247施設群][電燈所][第二電燈所][繋船場][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]=========================================本項では、鞍部に置かれた関連施設群から北に上がって247mピークに置かれた施設群を紹介する。P247には北から順に、「第一砲台の
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/関連施設][P247施設群][電燈所][第二電燈所][繋船場][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]=========================================蓋井島北西部に最初の要塞関連施設が作られたのは第一砲台の補助観測所(八八式海岸射撃具観測所)だと思われるが、昭和13年(1938)に第二砲
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/関連施設][247mピーク施設/大隊本部][電燈所][第二電燈所][繋船場][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]=========================================「その3」では増設分の「南部砲座」をレポートする。南部砲座は北部砲座にあった観測所や弾薬室はなく、増設分であるため
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/関連施設][247mピーク施設/大隊本部][電燈所][第二電燈所][繋船場][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]=========================================蓋井島第二砲台は十一年式七糎加農2門の砲台として昭和13年(1938)7月21日に起工された。同年12月11日には2門の備砲
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/関連施設][247mピーク施設/大隊本部][電燈所][第二電燈所][繋船場][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]=========================================昭和8年(1933)の「要塞再整理修正計画」にて朝鮮海峡要塞系に編入された下関要塞は、昭和10年(1935)3月に蓋井島砲台
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/大隊関連施設][247mピーク施設/大隊本部][電燈所][第二電燈所][繋船場][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]================================蓋井島電燈所は、島の中央南端、鐘ヶ崎の標高120m付近に設置された。地図で場所を示す。電燈所の履歴。◆起工:昭和9年(193
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/大隊関連施設][247mピーク施設/大隊本部][電燈所][第二電燈所][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]==========================================本項では、第一砲台の射撃の首線と、前方に配置された補助観測所について考察する。まずは下段砲台の第2砲座前方の景色を掲載する
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/大隊関連施設][247mピーク施設/大隊本部][電燈所][第二電燈所][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]=====================前回砲座の紹介を終えたので、今回は主観測所を見る。石垣沿いの軍道を歩く。大きな掘削地がある。下段砲台の出入口付近にもあるが何用途なのか?地下壕が崩落
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段][第一砲台の考察][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/大隊関連施設][247mピーク施設/大隊本部][電燈所][第二電燈所][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]上段砲台は乞月山の山頂一帯に築かれているが、下段砲台に向かう軍道が分岐して山頂に向かっている。道すがら下段砲台の物と思われる射界標石が抜かれて放置されている。軍道沿いの石垣が見えてくるまで下段砲台から10分足らず。見取図を掲載する
◆蓋井島リンク:[概略][第一砲台下段][第一砲台上段砲座][第一砲台上段観測所][第一砲台補助観測所][第一砲台関連施設][第二砲台][第二砲台/大隊関連施設][247mピーク施設/大隊本部][電燈所][第二電燈所][洞窟砲台][偽装砲台][白瀬防備衛所][賢女鼻防備衛所]=======================後編では砲側庫から第2砲座そして指揮所に向かう。第1砲座と第2砲座を繋ぐ通路間に2つの砲側庫が並んでいるが、『日本築城史』には掩蓋式穹窖と同じく100㎏爆弾
下関市阿弥陀寺町には安徳天皇を祀る赤間神宮が鎮座していますが、後背の紅石山(べにしやま)に防空陣地と思しき痕跡が残っています。アメリカ国立公文書館のページで検索した写真を掲載します。この写真は昭和20年(1945)9月に撮影されました。赤間神宮は見切れて写っていませんが、紅石山山頂一帯に複数の円形掩体が確認できます。拡大してみます。土塁を配した円形掩体が西側に2つ、東側に3つ、さらに掩体から伸びる交通壕が見られます。************************
先日、北山防空砲台の発電所跡を確認して来ましたのでレポートします。砲台の詳細と遺構は以下の記事にて。(2022年1月再訪)================================◎徳山海軍警備隊探訪51~北山防空砲台-再訪-(前編)◎徳山海軍警備隊探訪52~北山防空砲台-再訪-(後編)================================北山防空砲台は、周南市街地北方の標高180m付近の山に構築された防空砲台です。過去に2度訪問しましたが発電所の場所は未確認
砲側庫(砲側弾薬庫)は填薬弾丸と装薬鑵を置く場所で、堡塁砲台では通常砲座に隣接した横墻の下に設けられました。明治期の堡塁砲台における砲側庫は、穹窿(天井アーチ)・脚壁(穹窿を支える壁)・奥壁を基本構造とした掩蔽部でしたが、その形状や使用される建材は年代や火砲の種類または地域によって様々です。**************************ここでは二十八糎榴弾砲の砲側庫を見ていきます。大日本帝国陸軍による沿岸防御の要塞築城は明治13年(1880)から始まりましたが、穹窿や脚壁に
「砲床」とは火砲を据え付ける台のことを言います。火砲によってその形状は様々ですが、二十八糎榴弾砲(以下“28H”)の砲床は直径6m弱の円形であることが特徴です。同砲は明治期の沿岸砲台における主力砲でしたので全国の砲台跡で砲床の遺構を見ることができますが、そのほとんどは砲床内部に土が溜まっているため、中の様子を観察することができません。==============芸予要塞来島中部堡塁の28H砲床は、標準的な埋もれ方。函館要塞御殿山第二砲台は、堆土どころか草生えるww由良要塞友
下関要塞火ノ山砲台の跡地は戦後に公園化され、昭和31年(1956)7月に「火の山公園」として開園しました。開園後はロープウエイ(1958年開業)や回転レストランを持つ展望台(1973年建設、2016年営業終了、解体済み)などが整備されて賑わいを見せましたが、近年は観光地として低迷しています。そこで下関市は、火の山再生に向けての再編整備計画「光の山プロジェクト」を令和5年度(2023年度)より始動しました。ロープウエイに代わるパルスゴンドラ、リング状の展望デッキ、アスレチックやキャンプ場など整備
今日は宇部市の西宮八幡宮の【明治参拾七八年戦役記念玉垣】を紹介します。場所はこちら。やって来ました。紹介する玉垣は二の鳥居の手前にあります。玉垣とは神社の境内の周りを囲んでいる柵のことを言いますが、注目するのは矢印で示した所です。右側に刻まれた文字は「明治参拾七八年」。左側は「戦役記念玉垣」。2つを合わせると「明治参拾七八年戦役記念玉垣」となります。明治参拾七八年戦役とは日露戦争のことですので、戦勝を記念して奉献された玉垣と思われます。日露戦争を簡単
今日は爆弾跡が残る山陽小野田市の縄地ヶ鼻公園を訪れます。まずは場所を確認します。縄地ヶ鼻公園内には大きなクレーターがありますが、工藤洋三先生の『アメリカが記録した山口県の空襲』によると、昭和20年(1945)3月3日の午後11時10分、マリアナから飛来した1機のB29が縄地ヶ鼻上空にて投下した爆弾の跡だそうです。高高度からレーダーを使って500ポンド爆弾を8発投下したものの、雲のため地上の様子は観察できなかったとのことです。縄地ヶ鼻周辺には攻撃目標がありませんので、宇部の工場
今日は船舶工兵第六連隊補充隊および広島陸軍第一病院柳井分院が置かれた柳井市伊保庄(いほのしょう)を訪れます。地図で場所を確認します。**********************大日本帝国陸軍における船舶工兵とは、「大小発動挺を運航し、上陸作戦において輸送船より陸岸に到る上陸部隊の上陸軍需品資材の揚陸を担任し、また敵の妨害を排除しつつ行う水路輸送及び第一線で海空の敵の勢力下における舟艇輸送、隠密輸送等に任じた」部隊のことを言います。そもそも工兵は、築城(味方陣地の構築、敵陣地の