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少女漫画の歴史を紐解くと女性版トキワ荘と言われた大泉サロンが何故2年で消滅してしまったのか?共に暮らした竹宮惠子と萩尾望都は何故絶縁した?問題に行き当たる。今に至るまで2人は一切の接触無く竹宮は「大泉サロン」の話をするけど萩尾は「上京に際し住居を提供してもらい2年間一緒に暮らしました。」とだけ語りサロンも革命も全く無かった事にする。少女漫画の歴史に名を刻むはずだった場所。2人の自伝本を出版順に読んだ。大泉サロンは1970~72年まで存在した。同居の解消を提案したのは竹宮
今更ながら初めて「ポーの一族」を読んだ。1972年発表、1976年小学館漫画賞を受賞、以来、年代問わず幅広い支持を得て1992年(平成4年)のアンケートでも好きな少女マンガベスト100のなんと1位に輝く!萩尾望都の出世作にしてど名作である。恥ずかしながら全く予備知識ナシ、マンガ読むと馬鹿になる!とシツコク親に言われた世代なのでスポ根は通って来たがくるくるキラキラ画風には無縁で。雰囲気からして華麗な貴族が没落してしまうオハナシかな。。。?なんて読み始めたらいきなり吸血鬼の
漫画の歴史は西武池袋線沿線にあった。池袋から西へ1駅の椎名町にトキワ荘。1953~1961そこから3駅、桜台は石ノ森章太郎の自宅兼仕事場で、さらに3駅、富士見台は手塚治虫の虫プロ。そしてまた3駅、大泉学園に出来るのが女性版トキワ荘「大泉サロン」1970~2年。因みに伝説のトキワ荘は新築アパートだがうら若き漫画女子達が集った「サロン」は築30年、キャベツ畑の中のボロ屋だった。この本では2人の生い立ち以前から少女漫画の変遷が年代記として書かれ戦後の「漫画史」でもあるんだが
ささやななえこさん(旧ささやななえ)が亡くなったというニュースが出て、漫研友達としみじみしていました。ささやさんの漫画は怖かったんで、あんまり本は持っていなかったんですが、「たたらの辻に」と「真貴子」が好きだったなあ。金田一耕助シリーズの短編を漫画化した「百日紅の木の下で」も忘れられない作品です。今も活動されている竹宮恵子さんと萩尾望都さん以外の大泉サロンのメンバーの皆さんの最近の活動を知りたくなって、検索をしてあちこち見ました。坂田靖子さんや花郁悠紀子さんの妹さんの波津彬子さん
『萩尾望都と竹宮惠子大泉サロンの少女漫画革命』(中川右介/幻冬舎新書/2020.3.25初版)〈萩尾望都が実家を出た日は雨だった。母は「いつでも帰って来んさい」と言ったが、「錦を飾るまで帰らんと」と宣言した。萩尾望都、二十一歳の秋での巣立ちだ。〉どうもイメージに合わないような場面だが、ここは漫画家一流のユーモアと解しておけばいいのだろう。それはともかく、いよいよプロとしての道に踏み出すために、萩尾は九州の実家を出て、東京での生活を始めることになった。一人暮らしではない。この後、萩尾が数
大泉サロンの続きです。周辺を詳細に紹介しようと思ったのですが、大泉サロンについては、当事者同士のいろいろな事情があるので(詳しくは「大泉サロン」で検索してください。)場所が特定できた最低限だけを書いておきたいと思います。書籍やネットの情報からいくつかの場所にしぼり、1972年の住宅地図で確認したら、載っていました。「竹宮」そして、右下斜め向かいに「増山」とあります。地図の右上隅に鉄塔の記号もあります。「念願の共同生活の場は、増山さんの自宅から徒歩30秒。道を隔てた、斜
久しぶりの書き込みが、ドラマロケ地ではなくて申し訳ありません。ちょっと気になった場所があったので探してみました。ファンやマニアの間では「大泉サロン」、「女性版トキワ荘」と呼ばれている、伝説のアパート。漫画家の竹宮恵子さんと萩尾望都さんがデビューしたての頃、萩尾さんのペンフレンドだった増山法恵さん(のちに竹宮さんのブレーンとなる方)の実家斜め向かいあった二階建ての二軒長屋の片方で1970年から1972年までの二年間共同生活を行い、同年代の他の女性漫画家やそのたまごたち、そしてファンや編集
最近遅ればせながら漫画家の萩尾望都さんの自伝的な書籍「一度きりの大泉の話」を読了しましたいや~重かったですね何と言っていいかしばし呆然としてしまいました今更ですが読んだ感想を何回かに分けて書いてみようと思いますこの本が出ていたことに最近まで気が付いてなくて読むのが遅くなったわけですが感想を書く前にまずこの本が出る以前2016年に出版された竹宮恵子さんの「少年の名はジルベール」という本に触れないと「一度きりの大泉の話」の感想は書けないなと思いましたなぜ
風と木の詩最近、とても興味深い本を2冊、続けて読ませてもらいました。最初に読んだのは、2016年に出版された、竹宮惠子・著『少年の名はジルベール』で、続けて読んだのは、2021年に出版された、萩尾望都・著『一度きりの大泉の話』です。『少年の名はジルベール』を読むことになったのは偶然でした。こんな本があるとも知らなかったし、読みたいと思って探した訳でもありませんでした。僕は本を読むのが大好きで、子供の頃から書店で気に入った本を時間をかけて探すのが楽しくて仕方がありませんでし
何泳ぎが得意?金槌なので、泳げません。世間の荒波も、うまく泳いでいけません。ま、そういう人もいるっぺ。多様性ッぺ人の記憶とか受けとり方とか気性とかって、千差万別だから、同じことでも見方によって全然違うよね~というエッセイ。『少年の名はジルベール』読みました。【電子版限定特典付】少年の名はジルベール(小学館文庫)Amazon(アマゾン)770円少年の名はジルベール(小学館文庫)|惠子,竹宮|本|通販|
“昔懐かしい”漫画家さんの自叙伝を、古書店でめっけたので読んでみた。竹宮さんの作品は『地球(テラ)へ』しか知らなかったにもかかわらず、それ以外のことばかり色々書かれている本書を読んで、「へぇ~、そうだったんだぁ」などと思いつつ、今から50年ほど前の45日間にわたるヨーロッパ旅行の記述や、マンガ業界の編集に関することなどが面白くて、たちまち読み終えてしまった。マンガ家を目指している人が読んだら、具体的な学びがテンコ盛りだろう。2016年2月初版。【萩尾望都との出会い】上京していた才
どもです。結構読んだという話をあちこちで聞きます。わたしは野次馬ですが、この本を紹介された方の記事に引き込まれて読みました。知ってる人は気になるでしょうね2人とも少女マンガ界の巨匠ですもんね。ーーー前書き(そもそものきっかけ)竹宮惠子先生と私は東京都練馬区大泉の2階家で、仕事をし、共同生活をしていました。1970年から1972年の2年間ほどです。引越し後は竹宮惠子先生と増山法恵さんとは交流を絶ってしまいました。竹宮惠子先生の作品も読んでおりません。ーー-竹宮先生が2016年に自伝
パロディと言うより模写ですね!秋本先生のペンネームは私は山止たつひこと言う名前の方はよく知ってますね初期の代表作が好きですね、先生の名前が若い人二知れ渡ったのはなんと言ってもこの作品ですね!秋本先生は初期の作品に憧れて名前をつけたのでしょうかね投稿した作品のペンネーム岩森章太郎改め山止たつひこと言うペンネームは目立つようにと言う事だったようですね!長期連載されたこち亀は面白いですね!絵柄もどんどん変わっていますがこれを読むと先生のお仕事発想が良く解りますね!残業なんて無いみたい
少女漫画のトキワ荘と言われる大泉サロン。竹宮惠子先生や、萩尾望都先生らが共同生活し、少女漫画に革命を起こしたといわれる、大泉サロン。その大泉サロンについて、大泉住民目線で、語りました。是非ご覧になってください。【少女漫画のトキワ荘?】『大泉サロンの話し』ロードふじみch15少女漫画のトキワ荘とも言われる、「大泉サロン」をご存じでしょうか?1970年から1972年にかけて、竹宮惠子さんや萩尾望都さんらが、南大泉のボロアパートで共に暮らし、そこから、少女漫画の革命
風の木の詩への道、100円書斎Love。竹宮惠子少年の名はジルベールマンガ家、竹宮惠子のデビューからの軌跡、「風と木の詩」という衝撃的な作品が生み出されるまでのことを書いた自伝的エッセイ。マンガ家デビューしてからのこと、萩尾望都と同居して多くの若い少女マンガ家たちの居場所となった大泉サロンとのこと、描きたい作品がうまく書けない、さらに描かせてもらえないという苦しみ。萩尾望都という存在に対する恐怖とあせり。そのことで竹宮惠子が神経症に陥っていたというのは初めて知りました。やがて、「ファ
伝説の地で、100円書斎Love。萩尾望都一度きりの大泉のはなし萩尾望都が、今まで語らなかった大泉での竹宮恵子との大泉サロンとのことを話したエッセイ・・もしくはドキュメンタリーか。マンガの聖地として、手塚治虫のトキワ荘と並び称された、竹宮・萩尾の大泉サロンでのことを語っております。彼女が上京して竹宮恵子と出会い、同居しつつマンガを描いたときに数多くの少女マンガ家がそこに集ったとされる大泉サロン。そして、その終焉。いままで、語られなかった竹宮との確執・・というより、竹宮のある仕打
足元をかさこそ音を立てながら駆け抜けていく落ち葉。北風が吹いて寒かった朝散歩の写真は明日のお散歩写真と一緒に。今日は最近読んだ本の感想を。『一度きりの大泉の話』:萩尾望都5年ほど前に出版された竹宮恵子さんの『少年の名はジルベール』と対をなす本としていいのかな?『少年の名はジルベール』も読んだのですが、その時は大泉サロンとか二人の間との確執なども知らずに、同じ年齢、似たようなジャンルの漫画家さん同士が一つ屋根の下に暮らすしんどさなどを感じたのですが。誰もが心の中に持っている黒いも
「いつも外に出ているけれど、家の中にいるのは苦痛なんでしょ」などとよく言われる私ですが、この連休中、2日間は本を読もうと決めました。今はともかく、大昔は本好きな内気な少女だったのです(*^^*)漫画家の竹宮恵子さんの「扉はひらくいくたびも」と萩尾望都さんの「一度きりの大泉の話」を続けて読みました。1973年の2人の決別は、竹宮さんからの一方的なもので、萩尾さんは全く予想していなかったというのが、それぞれの本からわかり、何とも切ない気持ちになりました。それは、めきめきと頭角を
ずうっと書きたいなぁと思いながら日が経ってしまった読書感想。竹宮恵子、萩尾望都って令和の皆さん、ご存じなのかな?いえ、昭和の皆さんでも下手したら読んでない人も居るかもですよね。二人とも、いまだに第一線の漫画家さんではありますがあえて全盛期を挙げるなら、団塊世代の青春時代くらいです。1970年~1980年くらいに、彼女らの代表作は生み出されました。だから、ゆーたら団塊ジュニアのわしもよほど漫画好きでなければ、知らんはずの世代なんですが我が家は実母がよほどの漫画好
JR新宿駅の東西を貫く通路に沿って超横長の広告パネルが設置されていて、さまざまなプロモーション活動に利用されている。今日は、12年にわたる連載の幕を閉じ、最終第34巻が明日9日に発売される『進撃の巨人』の告知である。進撃の巨人コミック1-34巻セットAmazon(アマゾン)24,000円横一列に並んだ巨人たちの両目から涙がこぼれ落ち、それがどんどん溜まって画面下からせり上がり、遂には画面全体を覆い尽くし、「感激の巨人」の文字が映し出されるという趣向である。大勢の人がい
萩尾望都『一度きりの大泉の話』河出書房新社読了。ネタバレです。2年前に『少年の名はジルベール』を読んだ。面白かったが、このブログには書かなかった。竹宮恵子が萩尾望都を嫉妬した。それはよくわかる。不思議ちゃんだと思っていたらとんでもない才能を持っていた。(しかも自分が共同生活を呼びかけたのだ)類は友を呼ぶ。萩尾望都の才能を見抜いた竹宮恵子もすごいと思うのだけれど。『一度きりの大泉の話』は『少年の名はジルベール』の応答だ。萩尾望都は『少年の名はジルベール
最近、某SNSにおいてたくさんの漫画家さん達がこの2冊の本を読んでそれぞれが持論を展開みたいな?事になっていたもちろん・・・マンガ好きの(マニア?w)私はどちらも購入この2冊は漫画ではなくどちらも「自伝」になっており同じ時期の同じような内容についてお互いの立場や考え方から書いているもの竹宮惠子先生の自伝に対し萩尾望都先生の本は「アンサー自伝」のような構成になっているそのため、竹宮惠子先生の本を先に読むことがオススメってわけだったんですね(^_^;どちらも読
竹宮恵子さんの自伝『少年の名はジルベール』読みました。主に、『大泉サロン』と呼ばれたアパートで生活していた頃の話が書いてあります。萩尾望都さんへの嫉妬、焦り。少女漫画に革新をもたらしたいのにそれができない、また、一番書きたい「少年愛」を描かせてもらえないことへの苛立ち。これらのことが、淡々と綴られています。この作品は、クリエイター目指す方には読んでほしい!竹宮先生は、苦しい思いをして、体調を崩したりもしたけど、それでもあきらめなかった。その情熱や姿勢は本当に頭が下がりま
「一度きりの大泉の話」萩尾望都一度きりの大泉の話Amazon(アマゾン)1,900円をついに読みました。・・・一言で言うと、ショック・・・・重い、・・・あまりに重すぎる・・・僕は、大泉を愛する大泉の住民として、大泉の宝であり、日本の文化史にとっても重要な宝である、大泉サロンが、いまだに練馬区もあまり顕彰できず、その確実な場所も特定されず、記念碑の一つも建てられないという現状に、大いなる疑問を抱き続け、訴え続けてきました。それ以前から、
『一度きりの大泉の話』(萩尾望都/河出書房新社)今日の昼間に届いて3時間ちょっと。一気に読了。いや~感想が難しいです。実は「大泉サロン」のこととか、全く知らなかった私。萩尾望都先生の作品は小学校の頃に「週刊少女コミック」「別冊少女コミック」で読んでいたけど、竹宮惠子先生はあまり読んでなくて。お二人が一緒に暮らしていた時期があったことも知らなかったので。ただただ、よく勇気を出してこの話を公になさったな~と。そして本当にもう今後は、萩尾先生を心穏やかに過ごさせてあげてほしいと、願うば
一度きりの大泉の話萩尾望都『一度きりの大泉の話』本日ついに発売!──初めて語る、最初で最後の“大泉時代”回想録河出書房新社のプレスリリース(2021年4月22日06時00分)萩尾望都『一度きりの大泉の話』本日ついに発売!──初めて語る、最初で最後の“大泉時代”回想録prtimes.jp読んだあと言い表せないそんな気持ちになった凍土にしまうのだまた24年組も大泉サロンも知らないドラマ化しようと押し寄せる人達真実を知っても来ようとするかも知れないおちょやんみたいにドラマ化
海松「モーサマの『一度きりの大泉の話』読んだ?あすかっちは24年組の少女漫画家はモーサマ派?ケーコタン派?」あすか「読んだ。私は私はお凉さま派」海松「モーサマかケーコタンで答えて~」あすか「モーサマ派」海松「よかった~。あたしもそうなの。お姉ちゃんはケーコタン派なの。昨日、モーサマの自伝買ってきて読んで喧嘩になっちゃった」海松「モーサマとケーコタンの決裂についてどう思う?お姉ちゃんはあの頃の少年愛ものは『風と木の詩』以外認めないって言ってるんだけど、モーサマが先にギムナジウムもの描
このところ、通勤時間が長く、9時17時の8時間をみっちり頭を働かせる職場のために、すべてがそこを中心にした生活になっています。通勤時間にipodでロックを聴くくらいが娯楽です。新たな職場に慣れるので精一杯な感じ。でもこんな時に注文していた書店から「萩尾望都の新刊が入荷しました」と言う悪魔の電話。。。これね。今日、やっと買いに行きましたよ。買ってすぐ、書店が入っているデパートのEV前で読み始めてしまったら、根っこが生えそうになり、「ダメダメ!」と本をカバンにしまって帰宅したところで
田舎の自宅から三ノ宮に帰り着いたのが20時半その足で予約していた本を受け取りにジュンク堂へ寄る萩尾望都『一度きりの大泉の話』4月発売決定──出会いと別れの“大泉時代”を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録河出書房新社のプレスリリース(2021年3月15日16時33分)萩尾望都『一度きりの大泉の話』4月発売決定──出会いと別れの“大泉時代”を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録prtimes.jp竹宮惠子さんの自伝や女性漫画家が集っていたという大泉サロンについての
「萩尾望都と竹宮惠子ー大泉サロンの少女マンガ革命」中川右介萩尾望都と竹宮惠子大泉サロンの少女マンガ革命(幻冬舎新書)Amazon(アマゾン)884円を読みました。これは大泉住民必読の本です。かつて、大泉には、大泉サロンという、日本の少女マンガ、いや世界の少女マンガに革命を起こした「少女マンガのトキワ荘」と呼ばれるところがあったんですよね。この本は、その大泉サロンが、いかに日本の文化史にとって重要であったかをしっかり教えて