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念願の琵琶湖を見に行ってきましたついでに色々史跡巡りもまずは長浜城小さいかなと思ったけど近くでは大きく感じます公園内にあるので見るだけなら0円珍しく平地に建っている城です近くの黒壁の街並みもイイ感じ次に彦根城侮っていましたかなり立派なお城でしたお掘りがかなり整備されていてプチ皇居な感じ入場料1000円反り上がった屋根が特徴的天守閣は入場60分待ちなのでパス厠も立派井伊家の井の字が屋根に刻まれて居ます最後に安土城天守閣は無いけど石垣が立派で見応えあります古い石垣
谷城麓に神社の裏手から登城開始⑥の曲輪の脇から登城すると、二重の堀切が出迎えてくれる二重堀切。残念ながら、もう一つは藪に覆われ見る事が出来なかった⑥と⑦の帯曲輪へと出るここで、くの字に折れ⑥へ⑥の腰曲輪そして、本丸へ。右は④の腰曲輪。この上が本丸。虎口っぽいけど当時のものではない左に⑤の帯曲輪。谷城は、標高206mの古城山山頂にあり、東西20m・南北40mの本郭跡と、その北側に一段低く16m×18mの平坦地がある。
先日ですが柏原市の国分エリア&藤井寺市の道明寺エリアを散歩してきました。コース的には、近鉄あみま倶楽部の『古代から近世柏原史跡巡りコース』を基本にしています。≪『古代から近世柏原史跡巡りコース』のMap≫このコースを無事完歩したのですが、チェックポイント・小松山古戦場碑からチェックポイント・大和川治水記念公園の間では藤井寺市にある道明寺方面を経由しています。その理由は、今回のコースの歴史は堺の歴史と関連深い点にあります。石川の河原を含む道明寺辺りは1615年5月6日に行われた大阪夏の
岡山県和気町にある和気北曽根城跡。現在、和気アルプスと呼ばれる山々のひとつ、和気富士(標高172m)に和気北曽根城跡がある。和気アルプストレル50に参加して走っている途中に見つけて、短時間ながら見学。北曽根城跡は、名黒山城とも呼ばれ、戦国末期に備前・美作・西播に権勢を誇った浦上宗景の家臣、明石景行が開いた城。その後、弟の宣行が跡を継ぎ、宇喜多氏の反乱に呼応して浦上氏を滅ぼし、四千五百石を与えられたが朝鮮戦役で戦死。遺子久蔵も関ケ原の戦いで宇喜多氏に従って西軍につき敗北、この城
どんな旅をしてみたい?>日本地図を作ったと言われる、伊能忠敬さんのように、いつかは全県制覇まだ行ったことが無い場所だらけ、日本全国の美味しいものを食べたいし、温泉に浸かってきれいな景色を眺めたいです特に九州地方、福岡、長崎は行った事があるけど、九州の南の方はまだ全然温泉と史跡巡りをしたいですね▼本日限定!ブログスタンプ
どんな旅をしてみたい?▼本日限定!ブログスタンプ史跡巡りチビ「国宝五城制覇を目指すか。犬山城と彦根城は済みだからね」あとは銀閣寺(慈照寺),大阪城,安土城(伊勢忍者キングダム)かな
やっほい(*・∀・*)ノご訪問いただきありがとうございます♪いつも読んでいただけて大変、嬉しく思います!(*´ω`*)ようやく書けた。なんせ1時間残業終えると既に18時半。19時に晩飯食って風呂入ってストレッチやらし終えると21時くらい。入院生活で規則正しい生活になってしまって丁度、寝るには最適な時間だ。※たまに22時くらいになるが。だから平日のスプラがまともに出来ないのだ。スプラもだが記事の更新も中々出来ないのだ。そんな久々の記事は真面目な内容wwwさて職場
こんにちは!きよもんだよ(^O^)/「歴史の宝庫「ひらの」と頑張る商店街探訪」阪急沿線まち歩き令和8年度のスケジュールが決まったよ10月17日(土)・11月14日(土)の2回開催神戸文化ホール前に9:45集合近隣の史跡を巡りながら平野商店街を散策、ネイチャースタジオや祇園神社、湊山温泉を訪ねるよ平野商店街で使える金券付き!!参加費:1,500円申込先:hirano-kiyomon@grace.ocn.ne.jp(阪急沿線まち歩きのパンフレ
モーニングがわりのおだしとだしまき。めちゃ気に入ってしまって、またもや味わいに。いつ来ても、京都の風情を感じられて好き。春のメニューに。彩りも良く、おだしの香りもそそる。口に運ぶたび、う〜んと唸る。最後のだし茶漬けまで、じっくり味わい堪能。旨かったわ〜城南宮へもお詣り。ゆっくりと。安楽寿院前の桜が美しく。鳥羽上皇による院政の舞台となったところ。鳥羽離宮の跡。私としては、新選組、幕末好きですので、鳥羽伏見の戦いで官軍の本陣となったということで史跡巡りで巡っていた場所
さて、新年度になりました!今年の春から、何か新しいことを始めたい方もいると思います。そんな方にオススメなのが愛知県の城巡りです。私が参加している愛知ウォーキング城巡りクラブは、愛知県内外の戦国好き、城好きの方が207名参加しています。もちろん、全員が毎回、全ての見学会に参加されるわけではないです。都合がつく時に参加してもらえばOK。平均年齢は50~60代くらいです。もしあなたが、王道の城巡りではなく、少しマニアックな城巡り、史跡巡りに興味があれば参加してみませんか?会員登録は個人情報の入
豊臣兄弟が面白くて毎回楽しみにしています♪ドラマの舞台となる、名古屋(中村)や清洲、岐阜など、馴染みの場所ばかりでより身近に感じていて、各所を巡りたいと思っていました清洲城→名古屋城→中村公園と思っていましたが、名古屋城は飛ばして清洲城→中村公園のコースをランニング🏃♀️➡️桜もまだ楽しめました🌸中村公園は初めて行ったのですが、道がよく分からずウロウロ公園ではイベントやお茶会が行われていて賑わっていました私の目的は大河ドラマ館なので、混み出す前にまずは入館。思ったよりコンパク
一宮友歩会の第114回ウォーク例会です。今回は名鉄笠松駅から名鉄南宿駅まで歩く計画となっていましたが、途中で雨が降り出したので、名鉄柳津駅までのウオークとなりました。境川沿いに植えられたサクラが良い時期になっていました。境川沿いの堤防に咲く桜は「要桜」と呼ばれます。初代柳津村長である伊藤要氏の発案で、1889年(明治22年)から9年の歳月を掛けてかけて植樹されました。戦時中は薪にするため伐採されたりしましたが、桜が復活し、今では絶好のお花見スポットになってます。桜の時期で満開の桜を
釜山慶州東宮と月池(경주동궁과월지)はい池に鴨いました。韓国の建造物には東屋が多いですね。広いと休憩もしたくなるんだろうな。内緒話しもどこの場所から写真を撮るのが良いのかどこも綺麗です。新羅時代最大の人工池もう少し暗ければ、よりライトアップが綺麗だっただろうなぁ~貴族たちが船を浮かべては「池に映る月」を楽しんだらしいGoogle先生調べ(笑)雁鴨池は鴨やんYさん「あひる?」って。鴨や!鴨や!って
岐阜県不破郡垂井町関が原合戦・史跡巡りも、ここで一区切り。近場だけに、時間をかけて何度も行った圭那です。と言うことで・・・安国寺恵瓊陣跡から、南宮山のハイキングコースを1時間かけて登った場所でした。スタートが緩やかだったので、1時間もかからないと思いましたが・・・。途中、キツイ個所も有り1時間以上かかりました。兵力数:毛利秀元・15000人南宮山周辺部隊※資料により諸説ありです。南側の養老方面は、開けていて眺望も良かったですが。肝心の、関
こんばんは。みくまちえこです。【先週の主な活動報告】15日(日)岡垣歴史文化研究会町内史跡巡り糠塚地区→バレーボール福岡ギラソール16日(月)連合審査会→電気自動車見学17日(火)海老津小学校卒業式出席18日(水)議会広報常任委員会協議会19日(木)議会広報編集打ち合わせ20日(金)女子ラグビーNanairoCUP北九州21日(土)自治区隣組長会議出席岡垣歴史文化研究会の皆さん、そして川地議員とともに町内史跡巡りに参加し、糠塚地区を訪れました。須賀神社をはじめ、伊能忠敬も通っ
お疲れ様です。ここでの仕事も残り1週間弱となりましたが、未だに忙しい感じですさて、自分は石川県へ転勤しますが、年に数回参加しているウォーキング大会は必ず出ようと思ってましたこれは6月に青森県の弘前市で開催される大会ですが、今回は金曜日と月曜日を移動日に充てて参加するつもりです(笑)で、毎年1日目は25km、2日目は20kmに参加しており、初日はゆったり史跡巡りコースとなっているんですが・・・この大会に来るトップの人たちは25kmを3時間半掛からず完歩する=時速7k
岐阜県不破郡垂井町関が原合戦・史跡巡りも終盤になって来ました。。。久しぶりに、天候と休みが重なった圭那です。と言うことで・・・垂井町の南宮大社の本殿南側の出入り口を抜けて、南宮稲荷神社へ向かい手前に左折して南宮山ハイキングコースの入口に建っています。兵力数:安国寺恵瓊・1800人南宮山周辺部隊※資料により諸説ありです。「安国寺恵瓊陣跡」安芸武田氏の一族なので、家紋も武田菱。陣跡の左側の道を進むと、南宮山ハイキングコースの入口です。※害獣防止ネッ
おはようございます月曜日…今週も始まりましたねさて、もう先週の話になってしまいますがお付き合いくださいませ先週の火曜から金曜まであれこれと予定が入っておりました火曜日は、ミュウのトリミングトリミング時間は、1時間半…その間に、お買い物をあれこれ🏃♂️🏃♂️そんな時に、懐かしい同級生とバッタリ(笑)久しぶりだから、二人で機関銃の様にスーパーの通路でおしゃべりした後パン屋さん、卵屋さんと駆け足で寄ってミュウのお迎え…ふぅ水曜日は、お楽しみなランチ何でも話せる友とのラ
沖縄に行った。勝連城(かつれんグスク)の頂に立ち、360度のパノラマに身を委ねた。吹き抜ける海風があまりに心地よくて、心から癒やされる「パワースポット」だと感じた。でも、ふと思う。この穏やかな景色の裏側で、かつて尚巴志や護佐丸や阿麻和利たちが、どれほどの陰謀と戦いを繰り広げてきたのかを。歴史を紐解けば、そこにあるのは血塗られた権力争いの連鎖である。けれど自分は、それを「悲しいこと」として遠ざけたくはないのだ。むしろ、そのドロドロとした執念や欲望こそが、抗えない「人間の性(さが)」な
2/17~20まで鹿児島出張に行ってきました。仕事しながらの合間に少し空き時間ができたので、歩けてない鹿児島市内を散策したくてホテルから歩きに出かけます。いきなり現れたのが加治屋町にあった東郷平八郎誕生地です。いまの鹿児島中央高校の敷地内に看板が立てられています。この加治屋町は薩摩藩の藩政がうまくいったからか明治の英傑が続々と生まれ育っていきました。そのうちの1人がこの東郷平八郎です。1848年、薩摩国加治屋町に生まれる。西郷隆盛・大久保利通らを輩出した土地で育ち、
中日文化センター栄で【桶狭間の戦いゆかりの史跡巡り】シリーズを開催中ですが、4月からはいよいよクライマックスの古戦場、そしてその後に岡崎城で独立を果たす松平元康関連の史跡巡りを行います。春からあなたもマニアックに史跡巡りをしてみませんか?予定しているのは以下のとおりです。【4月】第七幕「ふたつの桶狭間」(名古屋市緑区)【5月】第八幕「大樹寺と周辺史跡」(岡崎市)【6月】第九幕「今川義元の胴塚と糟塚砦」(豊川市)毎回土曜日開催で2時間半~3時間ほど。史料をもとに現地を歩きます。参加
4年ぶりの鹿児島・宮崎旅行。目的は前回同様DQWのランドマーク&城&動物園巡りです。失効間近のアップグレードポイントを使い、羽田からプレミアムクラスにアップグレード。ラウンジと機内で朝から生ビールを楽しみ、贅沢な旅のスタート鹿児島空港からは「出水市ツル観察センター」へ。田んぼの中を歩くたくさんの鶴を見ることができ、のどかな風景に癒されました。展望台から見るより途中の道の方が鶴が多く見られました。夜は鹿児島市内で鹿児島県産黒豚料理黒福多の黒豚ロースカツ定食。とてもジューシーで美
9回シリーズで歩く愛知ウォーキング城巡りクラブの桶狭間合戦ゆかりの史跡巡り。第6回は鳴海城と織田軍の丹下砦、善照寺砦、中島砦を歩きます。熱田神宮で戦勝祈願を済ませた織田信長は、今川軍の鳴海城を牽制して、自軍の丹下砦、善照寺砦、中島砦を経由して桶狭間に向かいます。今回は信長公記に記載があるルートで砦を巡り、砦間の高低差や距離感を楽しみます。ネットではわかりにくい現地での醍醐味桶狭間の戦いゆかりの史跡はインターネットでかなりの数が紹介されています。しかし今回は現場ならではの楽し
昨日のことになりますが、千葉の方に行って参りました。目的は千葉市立郷土博物館で開催されている特別展「千葉氏と城館」の見学です。千葉氏というと源頼朝と関係が深い武士団であり、当然千葉城(猪鼻城)も千葉氏の本拠地として頼朝と関係している城とされていました。が、近年の研究成果と実証主義に基づくと千葉城と源頼朝の関連が見いだせないという話になり、学術界で論争段階に入っていたわけです。この疑問に関して、千葉氏の研究といえば千葉市郷土博物館ですから、まずここの公式見解は如何ということで、文字道理「城
前回の続きです。有子山城の麓に造られたのが、出石城但馬の小京都と呼ばれる出石は、この城の築城とともに整備され、五万八千石の中心として発展してきました。野面積みの石垣は当時のまま残り、隅櫓、登城門、登城橋が復元されています。出石城は出石川に沿った山間の城で、山頂の有子城と北麓の平山城が複合して成立しました。室町時代以降、守護大名山名氏は現在の出石神社の場所に城を築いたが、1580年に落城するとともに滅びました。その後1595(文禄4)年に入封した小出吉英(こ
最新、記事up状況♪今まで、ご紹介した陣跡達。。。関ケ原の合戦と関係する思い出・・・(笑)思い起こせば・・・今から、約40年前・中学2年生の文化祭の催し物で『関ケ原の合戦のジオラマ』をクラスメート全員で製作しました。残念ながら、当時の写真等は残っていませんが・・・。正しい記憶では有りませんが、畳8枚分くらいの大きさで分割したものを前日に組み合わせたと思います。イメージとして、山や平地などの地形と各軍の陣跡に名前と家紋が入ったのぼりを立てました。ど
岐阜県不破郡関ケ原町雲多めの、晴れです。。。主な陣跡は、ほぼ周った圭那です。と言うことで・・・関ケ原合戦当日午前11時ごろ、家康は苦戦に苛立ち、本陣を桃配山からまさに関ケ原の中央部、三成本陣の笹尾山のすぐ下(直線距離にて約800m)へ移動させました。緑の芝生の写真は、ネットに多く有りますが・・・。雪で、真っ白なのは珍しいかも?(笑)家康?(笑)誰かが作った雪だるまが・・・。大き目の、最後の陣跡の石柱の奥に有るのが。床几場・・・合戦後はこの場にて引見
岩手県釜石市にある狐崎城。釜石第2地割にある八坂神社の後方、小山の生い茂った場所に狐崎城があった。舗装された小道を上った先が狐崎城。この辺りも城郭の一部だったのでしょう。坂の途中にあった狐崎稲荷社の鳥居。狐崎城、狐の文字があるので、稲荷神社がありました。坂の途中に狐崎城址の石碑と石柱があります。狐崎城址石碑に狐崎城の説明がありますが、ところどころ掠れていて読みづらい。室町時代の中頃、遠野の浅沼氏家市である狐崎玄番が狐崎城に居り、その後、附篤牛村に移るという記録
岐阜県不破郡垂井町何故か?二つの陣跡設定?確認のため2か所とも行った圭那です。と言うことで・・・まず、1つめの楽な場所から説明します。県道215号の案内看板を西へ300mくらいにある清水寺公園が1つ目の陣跡とされる場所です。のぼりと説明板だけで、他に何も有りません。一応、説明版が有るので、良く調べなかったらもしくはおおまかな史跡めぐりでしたらここを訪れて引き返すのもいいのかも?ただ、実際に陣として利用した場所はこの背後にある栗原山一
岐阜県不破郡関ケ原町微妙に地味な場所です。。。暖かくなって、ちょっと気分の良い圭那です。と言うことで・・・1600年9月15日午前、関ケ原の戦いは西軍有利の展開で進んでいたといわれています。しかし、小早川秀秋の裏切りによって状況は一変し、一挙に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北しました。天下分け目の合戦も、わずか半日足らずで終わったのでした。大きな石柱が建っています。決戦地の西側に見えるのが、笹尾山(中腹に見えるのは石田三成の陣址です。)