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定年退職を期に何か自分の趣味を持とうと考える人は多いです。そんな中、私的には城巡りや歴史史跡巡りがオススメです。別に定年後ではなく30代、40代、50代の現役バリバリ世代にもオススメの理由はたくさんあります。また愛知県や名古屋市に住んでいる方は特に、個人的に大きなポイントと思うのは以下の4つの理由です。(1)戦国武将ネタが豊富(2)名城が多い(3)経済的(4)知識・経験が積み重なるこれ以外にも基本的に歩くし、足腰が丈夫になるというのもありますが、面白い趣味ですよね。
GWに行った有田陶器市でつぐみの水飲み皿を買いましたお水を飲むのがやっと上手くできるようになったので今までのお皿は卒業です‥少し欠けていたし色も可愛くなかったし‥女の子らしい色で即決でした有田焼だよーつぐみは今日お父さんの史跡巡りのお付き合いで半日ハイキング楽しかったようですルーツは猟犬なので小柄でも良く歩きます途中ルート履歴が不具合で動かなくなり2時間停止‥不具合なのか、トラブルかLINE通話も出来ず随分と心配しましたが無事下山連絡が2時間時差できましたやはり主人の格
2025.1.7.播磨、恒屋城跡へ恒屋城の築城について『播磨鑑』は「恒屋肥後守(伊賀守)光氏が長禄2戊寅年(1458)之を築く」とある。光氏は、北垣聡一郎氏の引用した『恒屋の里』『播磨古城記』によると城主恒屋刑部少輔光稿の長子となっており、光稿がすでに城主と書かれているところからその築城年代はさらにさかのぼることが考えられる。『日本城郭大系』には『赤松秘士録』を引用して光(満)氏が嘉吉の変に赤松満祐に呼応して書写坂本城に参集したことをあげている。嘉吉の変は1441年であるから、それ以前に
2025年4月桜の名所を巡る釜山&大邱旅3日目旅の出会いは思い出を深めてくれる大邱郷校東大邱(トンテグ)駅から地下鉄に乗って半月堂(반월당)駅2番出口から歩くこと約10分途中日本家屋らしき建物を見つけました大邱郷校(대구향교テグヒャンギョ)に到着郷校は朝鮮時代の人材を育成する教育機関さらに儒学者たちを祀る場所でもありました入って右側に学生達が勉強する明倫堂その両脇に宿舎があります他の郷校と違い正面に壁
ゴールデンウィーク連休となりましたので、ここは是非とも少し遠出して見たい史跡を見ておこうということで……早速昨日行って参りました「下野国」です。↑下野国分寺実は、一応関八州の国府&国分寺の内、七ヶ国に関しては巡って至りますが、下野国だけは研究家故あさくらゆう先生の調査の途上に立ち寄った下野国府跡のみだったことを思い出したわけです。つまり、国府は行ったが国分寺には行っていないと。これではどうにも片手落ちと思っていたので、今回改めて下野国分寺と同地区にある下野薬師寺の史跡を巡ってきま
2025.1.7.そして、山下城跡へ以前から、気になっていた城跡です大堀切が有名城の麓には、少し手が加えられていると思うが、空堀の様な跡も大堀切とされる場所ですが、どう見ても谷間ですよね~この谷間の左側面から登城します(左手に本丸が在ります)案内板に多様広場と書かれてる曲輪を本丸側から見たとこ井戸かと思ったら、ただの水溜当時のものかは不明!上から見た大堀切大堀切と言うか!大竪堀かな~ちょっと無理あるか!先ほど
今日は息子と夫がスポーツ観戦に行ったので、私は趣味の史跡巡りへ。幼少の頃から日本史が大好きで、以前は色々と史跡や城郭、お墓などを巡っていました。でも結婚したり子供が生まれたらなかなか時間がとれなかったので、嬉しさ倍増ですこんな海を眺め少しぼっーとしてました。朝の早い時間だったので誰もおらず独り占め状態でした少しずつ、趣味の時間を増やしていきたいなぁ。
2025.1.7.続いては、春日山城跡へこちらも!播磨の春日山城です春日山城は嘉吉年間(1441~1443)、後藤三郎左衛門尉基明が居城としました。現在の福崎町全域、姫路市山田町、姫路市船津町並に加西市の一部を統治をしました。応仁の乱には、赤松政則の部下として出陣、山名の軍勢を破って軍功を立て、基明の子孫が代々城主をしていたが、天正の頃の城主は後藤伊勢守基信でした。ところが秀吉が信長の命により中国征伐に向かうため、京都から西方に向かい、次々に城を陥落し、破竹の勢いで
2025.1.7.今年の年明けに、播磨の山城を数か所巡りました先ずは、小谷城近江の小谷城じゃないよ読み方も(こだに)ね東側麓の🅿駐車スペースからアタック!(標高218m)数十分登ると曲輪が見えてきますさっそく!虎口の左右には土塁と横堀が塹壕のように見えますね曲輪は、主郭から順に階段状に配されています。先ずは主郭へ1441年「嘉吉の乱」で滅亡した赤松直操の居城跡。現在は本丸、西小丸、空堀等が残るのみですが、本丸跡からは加西市の市街地が一望でき、大パ
どんな旅をしてみたい?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう幕末史跡巡り旅。元地元だった、京都~幕末史跡巡り完了。北海道❗️函館、土方巡り完了👌あとは、土佐❗️坂本龍馬❗️武市~以蔵史跡巡り~したい❗️
どんな旅をしてみたい?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう史跡巡り家康「犬山城だよ」シャア「奥に名古屋城が見える」
香川県にある続日本100名城です四国の城攻め第7弾です。前回の徳島県・勝瑞城館跡から移動し、香川県東部へ。続日本100名城の1つである、引田城跡を訪れました。場所はこの辺り香川県東部の海沿いです。引田城は引田港の北側を囲むように岬状に突き出した城山の山頂に築かれた城跡です。引田城の歴史(パンフレットより抜粋)1504〜21年/四宮右近が国人の寒川氏に属し引田城を居城とする。1570年/阿波三好氏の家臣矢野駿河守が引田城主となる。1582年/長宗我部氏の讃岐国侵攻が本格化。158
<やなせたかし氏の住居跡とやなせライオン製作地跡>道路を2分ほど北上して行った宇田児童遊園地南の歩道が分岐する三叉路に、「道信山」の道標が設置されている。それは、やなせたかし氏の詩「道信山の夕焼け」の舞台となった小丘のこと。道標に従い右折し、その先の四差路を南下した先に道信山はある。地元では「どんしんやま」と呼ばれる小丘は、やなせたかし氏の自宅だった柳瀬医院のすぐ西にあったことから、やなせ氏は伯父の柳瀬氏の養子になった千尋と一緒によく、チャンバラごっこ等をして遊んでいた。が、本来、道信山
2025年3月心ゆくまで散歩したソウル旅4日目最終日高宗が祈りを捧げた円丘壇(ウォングダン)帰国便は午後なので最終日の朝も散歩することに2025年3月14日中国大使館前の両替所レートは御覧の通り円が戻りつつあり日本人旅行者にとっては嬉しい限り特に目的があった訳ではないのですが市庁方向に歩いていたら円丘壇(원구단ウォングダン)が目に留まりました圜丘壇(환구단ファングダン)とも呼ばれていて現在はファングダンが一般的な呼び方のようです早
細川・三好の居城勝瑞城館跡四国の城攻め第6弾は、徳島県にある続日本100名城の1つ、勝瑞城跡・勝瑞館跡です。勝瑞城館跡周辺(パンフレットより)勝瑞は阿波の守護である細川氏が守護所を構えた場所。細川宗家の家督争いによる内紛が起こり細川一族が衰退に向かうと、16世紀半ばには、家臣で阿波三好家の当主であった三好実休が謀反を起こし実権を握ります。その阿波三好家も引き続き勝瑞に拠点を置きます。因みに三好実休の兄は、畿内で有力な大名であった三好長慶です。勝瑞城は、長宗我部氏の侵攻に備え勝瑞館の北東
はじめまして!歴史と旅とスイーツが大好きなコハクと申します。歴史に興味を持ったのは小学生の頃。ふとテレビで話題に上がった源義経公がどんな人物なのか気になり、パソコンで調べたのがきっかけでした。そこから戦国時代や幕末、様々な時代に興味を持ち、気付いたら歴史好きになっていました。小さい頃から旅行も好きだったので、歴史好きになってからは多くの史跡を巡り続け、現在に至ります。たくさん巡っていく中で、この史跡巡りの旅等を何か「かたち」として残していけないだろうかと考えた結果、こうしてブロ
2025.1.3.SNSなどを見て、前々から気になっていた『駒山城跡』へ駒山城は、千種川の西岸に位置する生駒山山上に造られた山城です。『播磨鑑』によれば、白旗城合戦に備えて、建武年間に赤松則祐が築城したとされていますが、『赤松家播備作城記』では、安室五郎義長が天文年間(1532~1554)に築城し、その後、長船越中守が城主となったが、天正5(1577)年に落城したとされています。城跡には、本丸・二の丸・三の丸とされる縄張が残り、北西側の尾根筋からの進入を防ぐために堀切を備えていま
先日仕事で南国市に来た時仕事を終え帰る途中休憩も兼ねてちょっと立ち寄ったのが南国市比江(ひえ)にある国司館跡(紀貫之邸跡)です🙂土佐日記の作者、古今和歌集の撰者として知られる紀貫之が国司として赴任したことにちなんだ場所で「古今集の庭」も併設されています。そしてもう一つ立ち寄りました。国司館跡(紀貫之邸跡)と同じく南国市比江にあり国司館跡から歩いて5分ほどの位置にあるのが比江廃寺塔跡です。比江廃寺塔跡は高知県内最古の寺院跡で塔の土台の心礎を残すのみですが白鳳時代の
一宮城跡に来たけれど…四国の城攻め第5弾は、徳島県の一宮城跡です。続日本100名城の1つで、山城です。…ですが、最初に断っておきます。山、登ってませんこの日は城跡を4つ巡る強行日程だったので時間が無く、本丸までの登城は断念。今回はとりあえず、続日本100名城のスタンプを押しに行ったって感じです。徳島県のホームページから本丸の雰囲気だけ本丸虎口の石垣、見たかったなぁ〜一宮城の石垣は本丸のみに築かれているそうで、築造は蜂須賀氏によるものらしいです。いつか必ずリベンジしたい
こんにちは各地でさくらが満開になり始める場所が増えてきましたねただちゃんです4月3日(木)ですが、整体が終わりお出かけしてきました今日の方面は、岐阜県の加茂郡の富加町という場所がメインです富加町へは、道の駅だったり東方面へ抜けるときによく使います今回は、富加町周辺の文化遺産カードの収集に向けて走りました車で1時間ほどして、最初の写真「井高1号古墳」の写真を撮ります続いて、加治田城跡を目指しますが
昨日で春期講習が終わりました!毎日雨でとても寒くお出かけ日和な日がほとんどなかったので塾があって良かったかも兄の校舎と違い午後からスタートの娘校これはこれで良いのかな。体力的に私が楽でした今日は朝からとっても良い天気!お花見日和になるかな??我が家はこのタイミングで小旅行に行きます!今回の旅行は歴オタメンズプロデュースによる史跡巡りですあとはここまでみんな忙しかったのでのんびり温泉に入る予定春期講習自体は宿題も少なくてこんな楽だったっけ?って思
いつもマメにしていることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようTetsu龍でございます。マメにしてるのは史跡巡りやね、やっぱり。姫路城の桜、昨日で五分咲き位か……見ごろは来週かな。やっと春が来ました。(W)
-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be要約、今年のネタを編集することができました。やっと正月です。素材がしょうもないものだったので音声ソフトを使ってみました。日本語が可笑しいことがわかりました。修正する気力がなかったのでそのままにしてしまいました。恐らく、2・3本試行錯誤しそうな予感しています。宜しくお願いいたします。
気がつけば、1年ぶりの投稿昨年の4月から仕事がかなり忙しくなりそれどころでは無くなってしまっていました。今年度の放送大学の振り返り。資格の勉強もあって以前ほど授業が受けられなかったです💦・著作権法テキストが厚くてマジかと思ったでも割りと文章が分かりやすくて理解し易かった方でした。法律なので難しくて勉強が大変でしたが思いのほか成績が良かったので達成感がありました✨法律に関係する仕事を担当する様になりましたが意外と向いているかもしれないと気付きがありました。・英語
中日新聞で有名な中日文化センター栄で城巡り講座を開催します。それが現地講座・歩いて巡る愛知の古城史跡です。月1回、現地集合解散で城址や戦国時代の史跡を歩きます。今回はちょっと足を伸ばして隣の岐阜県の名城も訪れます。日にちとコース●4/5(土)「古渡城と中区の城」(名古屋市中区)【集合】地下鉄名城線「東別院」駅●5/10(土)「前田利家の故郷・荒子城址と中川区の城」(名古屋市中川区)●6/7(土)「大垣城と中山道大垣宿」(岐阜県大垣市)私の感想ですが、
午前中に、小牧山城~犬山城へ寄り道しそして、メインの美濃金山城に訪れ大満足の一日でしたこの日は、これで終わりの予定でしたが!レンタカーを返すまで1時間半ほど余裕があったので帰り道で、少し気になっていた明智城跡へ寄りました明智城とは、岐阜県可児市瀬田長山にあり、張り出した尾根や谷などの自然地形を生かした典型的な中世の山城です。1342年土岐頼兼(下野守)が「明智」と改名してこの城を築き、その後約200年の間明智氏代々の居城として栄えた。別名長山城または明智長山城と呼ばれている。斎藤義龍の攻
3/21今日から一気に気温が上がります…🌡️🙄ただ午前中は明日の史跡巡りの準備をしてて、出掛けたのはお昼過ぎ…(^o^;)近隣の山の中を走る事にしました、モンキーだけに…🌳🐒😅広島市森林公園第2駐車場🅿️…⛰️🐒まだ桜どころかな〜ンにも咲いてません…まぁ、やっと動かせたので嬉しいですけどね…モンキーの車載温度計は20℃近くあって走るには最高…でも、暖かくなると…🫡景色は霞んでしまうんですけどね…現在地と画像左の砦の山、どっちが高いって問題がありますが…🤔答えは何処に書いてあ
過去2回とも雨天中止となった因縁のツアー。3度目の正直なるか。今度こそ晴れて欲しいです!
2024.12.3.小牧山城~犬山城と立ち寄りこの遠征の、目的だった『美濃金山城』へずっと、行ってみたかった山城跡ですが、場所的に何かの流れでは行きにくく、ピンポイントで狙って行かないと、行けない所で今回、ようやく行く事が出来ましたアクセスも、近くまで車で行けるので助かります登城口少し上ると、石垣の跡が美濃金山城は廃城とともに破城され、石垣は崩されてしまっていますテンションアゲアゲで進みます大手の桝形虎口跡美濃金山城跡の見どころ
想像の世界の史跡巡り何もなくても、かってそこに存在したと書かれた由緒書きがあると、想像力を働かせて、その当時に思いをはせるというのが、史跡めぐりの良さかもしれません。そんな何もない「由緒書き」があるだけの史跡です。一つ目は、「五の坪跡」です。奈良時代に行われた土地の区画整理、条里制によって表示された土地の名残であるそうです。そんな昔から土地の区画がきっちりとされていたことに驚きました。二つ目は、「太夫の墓」です。語り継がれた物語というか、悲しい事件のような