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2025年は、ガバッ!と集めてズバッ!と切る年!にする、業務提携契約ガイドランナー遠藤です。あなたは海外旅行に行く人ですか?海外旅行に行くときは大抵計画を立てますよね?A美術館に行ってB遺跡に行ってCマッサージセンターでマッサージしてDレストランで食事してみたいな感じで旅行会社に計画作りを任せるにしても自分の希望は伝えると思います。間違っても自分が史跡巡りをしたいのに世界の名門ゴルフ場ツアーなんてしないですよね?(笑)事前に計画を立てるからこそ限られた時間の中
どうも、嫁です。子供の頃、水戸に住んでまして。子供会で「水戸郷土かるた」ってのをやってたんですよ。結構やりこんでて・・・「水戸郷土かるた」を販売しています-教育委員会-水戸市ホームページ水戸市ホームページwww.city.mito.lg.jp「ほ」の札がですね・・・「ほればかがやくあぼっけのきんざん」で行ってみました!「掘れば輝く木葉下の金山」木葉下(あぼっけ)って読めないよね・・・なかなかの産出量だったようでビックリ!森林公
2025.4.8.立花山城と言えば1586年。立花宗茂が、島津の大軍勢を退けた籠城戦が有名ですね九州でも屈指の山城「立花山城」そして、立花道雪、宗茂や誾千代の城ずっと来てみたくて、念願叶って訪れる事が出来ました博多駅からはレンタカーで出陣立花山城は、大小の7つの峰が連なった巨大な城塞。主郭は、一番高い井楼山367mに築かれ、並びに松尾岳や白岳が在り、いずれの山頂にも出城がありました。また「大つぶら」「小つぶら」「大一足」「小一足」と繋がり曲輪が在ります。(井楼山を立花山とも言
昨日は市内(旧隣町)にあるお寺に行ってきました。門徒代表者会総会と研修会に参加(参加者約30名)。先日渋々引き受けた代表としての初のお役目。それでも、前向きにとらえて参加すると新鮮で、いい経験になりました。前年度の行事および決算報告後の質疑応答では、一番に挙手して質問。まさかの行動に自分でも驚き。誰も言わないならと、素朴な疑問を述べたのです。まあ納得のいく回答を得た後は、全てすんなりと拍手で承認。終わってから、会計の方に「いい質問をしてくれてよかった」と言われ、ホッとする。休憩
5/17沖縄旅の三日目「久高島」の続き。最北端の岬のハビャーンを後にしたあとは南下してイシキ浜へどちらの方角を見渡してもあたり一面、神の気配を感じて、、、雲も龍のように見えてきます🐉ずっとここにいて宇宙に繋がりながら海と空を眺めていたかったです。そのあと、更に南下してだんだん人が住むエリアに近づいてきました。最初に訪れたのは「ウッチ小」琉球開闢の神アマミキヨが久高
先日、やっと寄る機会が出来、龍野城の御城印を買いに行ってきました写真は、昔に訪れた時のです鶏籠山山頂の山城と山麓の平山城との二期に分かれ、山城は約500年前赤松村秀によって築かれ、天正5年豊臣秀吉に明け渡されました。江戸時代に平山に移された城は寛文12年に信州飯田から移って来た脇坂安政が再建した。本丸御殿、白亜の城壁、多聞櫓、埋門などが復元されている。こちらは、その前に買った龍野古城の御
道の駅の隣にある古墳群です塩谷古墳群です。GWに訪れました。京丹波町にある道の駅「京丹波味夢の里」の隣にありました。「京丹波味夢の里」は高速道路のSAも兼ねており大きな道の駅です。道の駅スタンプも押しました当日、道の駅の駐車場🅿️は満車🈵だったのですが、古墳用の駐車場🅿️があり、そちらにはなんとか駐車できました。・・古墳群を目の前に気持ちが昂ってきた〜さぁ、じっくり見るぞ〜そう思っていると、隣にいた嫁さんが一言、「私、車で待ってるわ」あっ、はいはい、じゃあ散策行ってき
2025.2.4.高山城に来たら、やはりセットで訪れないと行けないのが新高山城ですなので、こちらも二十数年ぶり分かりやすいように整備が進んでますね~沼田小早川氏の居城から、隆景が新たに居城として造ったのが新高山城元々は、高山城の砦城だったものを、隆景が拡張し大改修しました天文21年(1552)に築かれたのだけど、隆景が高山城に入ったのが、前年のはずたった1年で完成させたのか?その後、1596年(慶長元年)に三原城へ移るまでの45年間、小早川氏の本拠として使われました
本日も史跡巡りかなぁ~~~おぉ~~~小高い山の上に見える城壁良いいですなぁ~~~沖縄世界遺産『⑤勝連城跡』西洋の城跡みたくも見える城壁が良いです南国らしい木もありますですよぉ~~~良いっす城からの眺めはこんな感じですね。。。はぁ~~~私的には楽しいですじゃぁ~~~城跡巡りはまだまだ続きますよぉ~~~米軍の嘉手納基地の横にある道の駅で小休止して・・・ここには展望台があるので、基地に離発着する飛行機をしばし眺めて楽しみ
大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ゆかりの地めぐり①GWの終盤、家の用事があり東京に。観光も行い、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ゆかりの地を巡ってきました。蔦重ゆかりの地は東京の浅草近辺に集中しており、ゆかりの地を巡る、循環バスも用意されています。徒歩でもめぐる事が可能で以下のコースマップに沿って巡ってきました。TVドラマを思い描きながらコースを回っていきたいと思います。まず最初に向かったのは「べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館」。【べらぼう江
定年退職を期に何か自分の趣味を持とうと考える人は多いです。そんな中、私的には城巡りや歴史史跡巡りがオススメです。別に定年後ではなく30代、40代、50代の現役バリバリ世代にもオススメの理由はたくさんあります。また愛知県や名古屋市に住んでいる方は特に、個人的に大きなポイントと思うのは以下の4つの理由です。(1)戦国武将ネタが豊富(2)名城が多い(3)経済的(4)知識・経験が積み重なるこれ以外にも基本的に歩くし、足腰が丈夫になるというのもありますが、面白い趣味ですよね。
GWに行った有田陶器市でつぐみの水飲み皿を買いましたお水を飲むのがやっと上手くできるようになったので今までのお皿は卒業です‥少し欠けていたし色も可愛くなかったし‥女の子らしい色で即決でした有田焼だよーつぐみは今日お父さんの史跡巡りのお付き合いで半日ハイキング楽しかったようですルーツは猟犬なので小柄でも良く歩きます途中ルート履歴が不具合で動かなくなり2時間停止‥不具合なのか、トラブルかLINE通話も出来ず随分と心配しましたが無事下山連絡が2時間時差できましたやはり主人の格
2025.1.7.播磨、恒屋城跡へ恒屋城の築城について『播磨鑑』は「恒屋肥後守(伊賀守)光氏が長禄2戊寅年(1458)之を築く」とある。光氏は、北垣聡一郎氏の引用した『恒屋の里』『播磨古城記』によると城主恒屋刑部少輔光稿の長子となっており、光稿がすでに城主と書かれているところからその築城年代はさらにさかのぼることが考えられる。『日本城郭大系』には『赤松秘士録』を引用して光(満)氏が嘉吉の変に赤松満祐に呼応して書写坂本城に参集したことをあげている。嘉吉の変は1441年であるから、それ以前に
2025年4月桜の名所を巡る釜山&大邱旅3日目旅の出会いは思い出を深めてくれる大邱郷校東大邱(トンテグ)駅から地下鉄に乗って半月堂(반월당)駅2番出口から歩くこと約10分途中日本家屋らしき建物を見つけました大邱郷校(대구향교テグヒャンギョ)に到着郷校は朝鮮時代の人材を育成する教育機関さらに儒学者たちを祀る場所でもありました入って右側に学生達が勉強する明倫堂その両脇に宿舎があります他の郷校と違い正面に壁
ゴールデンウィーク連休となりましたので、ここは是非とも少し遠出して見たい史跡を見ておこうということで……早速昨日行って参りました「下野国」です。↑下野国分寺実は、一応関八州の国府&国分寺の内、七ヶ国に関しては巡って至りますが、下野国だけは研究家故あさくらゆう先生の調査の途上に立ち寄った下野国府跡のみだったことを思い出したわけです。つまり、国府は行ったが国分寺には行っていないと。これではどうにも片手落ちと思っていたので、今回改めて下野国分寺と同地区にある下野薬師寺の史跡を巡ってきま
2025.1.7.そして、山下城跡へ以前から、気になっていた城跡です大堀切が有名城の麓には、少し手が加えられていると思うが、空堀の様な跡も大堀切とされる場所ですが、どう見ても谷間ですよね~この谷間の左側面から登城します(左手に本丸が在ります)案内板に多様広場と書かれてる曲輪を本丸側から見たとこ井戸かと思ったら、ただの水溜当時のものかは不明!上から見た大堀切大堀切と言うか!大竪堀かな~ちょっと無理あるか!先ほど
今日は息子と夫がスポーツ観戦に行ったので、私は趣味の史跡巡りへ。幼少の頃から日本史が大好きで、以前は色々と史跡や城郭、お墓などを巡っていました。でも結婚したり子供が生まれたらなかなか時間がとれなかったので、嬉しさ倍増ですこんな海を眺め少しぼっーとしてました。朝の早い時間だったので誰もおらず独り占め状態でした少しずつ、趣味の時間を増やしていきたいなぁ。
2025.1.7.続いては、春日山城跡へこちらも!播磨の春日山城です春日山城は嘉吉年間(1441~1443)、後藤三郎左衛門尉基明が居城としました。現在の福崎町全域、姫路市山田町、姫路市船津町並に加西市の一部を統治をしました。応仁の乱には、赤松政則の部下として出陣、山名の軍勢を破って軍功を立て、基明の子孫が代々城主をしていたが、天正の頃の城主は後藤伊勢守基信でした。ところが秀吉が信長の命により中国征伐に向かうため、京都から西方に向かい、次々に城を陥落し、破竹の勢いで
2025.1.7.今年の年明けに、播磨の山城を数か所巡りました先ずは、小谷城近江の小谷城じゃないよ読み方も(こだに)ね東側麓の🅿駐車スペースからアタック!(標高218m)数十分登ると曲輪が見えてきますさっそく!虎口の左右には土塁と横堀が塹壕のように見えますね曲輪は、主郭から順に階段状に配されています。先ずは主郭へ1441年「嘉吉の乱」で滅亡した赤松直操の居城跡。現在は本丸、西小丸、空堀等が残るのみですが、本丸跡からは加西市の市街地が一望でき、大パ
どんな旅をしてみたい?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう幕末史跡巡り旅。元地元だった、京都~幕末史跡巡り完了。北海道❗️函館、土方巡り完了👌あとは、土佐❗️坂本龍馬❗️武市~以蔵史跡巡り~したい❗️
どんな旅をしてみたい?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう史跡巡り家康「犬山城だよ」シャア「奥に名古屋城が見える」
香川県にある続日本100名城です四国の城攻め第7弾です。前回の徳島県・勝瑞城館跡から移動し、香川県東部へ。続日本100名城の1つである、引田城跡を訪れました。場所はこの辺り香川県東部の海沿いです。引田城は引田港の北側を囲むように岬状に突き出した城山の山頂に築かれた城跡です。引田城の歴史(パンフレットより抜粋)1504〜21年/四宮右近が国人の寒川氏に属し引田城を居城とする。1570年/阿波三好氏の家臣矢野駿河守が引田城主となる。1582年/長宗我部氏の讃岐国侵攻が本格化。158
<やなせたかし氏の住居跡とやなせライオン製作地跡>道路を2分ほど北上して行った宇田児童遊園地南の歩道が分岐する三叉路に、「道信山」の道標が設置されている。それは、やなせたかし氏の詩「道信山の夕焼け」の舞台となった小丘のこと。道標に従い右折し、その先の四差路を南下した先に道信山はある。地元では「どんしんやま」と呼ばれる小丘は、やなせたかし氏の自宅だった柳瀬医院のすぐ西にあったことから、やなせ氏は伯父の柳瀬氏の養子になった千尋と一緒によく、チャンバラごっこ等をして遊んでいた。が、本来、道信山
2025年3月心ゆくまで散歩したソウル旅4日目最終日高宗が祈りを捧げた円丘壇(ウォングダン)帰国便は午後なので最終日の朝も散歩することに2025年3月14日中国大使館前の両替所レートは御覧の通り円が戻りつつあり日本人旅行者にとっては嬉しい限り特に目的があった訳ではないのですが市庁方向に歩いていたら円丘壇(원구단ウォングダン)が目に留まりました圜丘壇(환구단ファングダン)とも呼ばれていて現在はファングダンが一般的な呼び方のようです早
細川・三好の居城勝瑞城館跡四国の城攻め第6弾は、徳島県にある続日本100名城の1つ、勝瑞城跡・勝瑞館跡です。勝瑞城館跡周辺(パンフレットより)勝瑞は阿波の守護である細川氏が守護所を構えた場所。細川宗家の家督争いによる内紛が起こり細川一族が衰退に向かうと、16世紀半ばには、家臣で阿波三好家の当主であった三好実休が謀反を起こし実権を握ります。その阿波三好家も引き続き勝瑞に拠点を置きます。因みに三好実休の兄は、畿内で有力な大名であった三好長慶です。勝瑞城は、長宗我部氏の侵攻に備え勝瑞館の北東
はじめまして!歴史と旅とスイーツが大好きなコハクと申します。歴史に興味を持ったのは小学生の頃。ふとテレビで話題に上がった源義経公がどんな人物なのか気になり、パソコンで調べたのがきっかけでした。そこから戦国時代や幕末、様々な時代に興味を持ち、気付いたら歴史好きになっていました。小さい頃から旅行も好きだったので、歴史好きになってからは多くの史跡を巡り続け、現在に至ります。たくさん巡っていく中で、この史跡巡りの旅等を何か「かたち」として残していけないだろうかと考えた結果、こうしてブロ
2025.1.3.SNSなどを見て、前々から気になっていた『駒山城跡』へ駒山城は、千種川の西岸に位置する生駒山山上に造られた山城です。『播磨鑑』によれば、白旗城合戦に備えて、建武年間に赤松則祐が築城したとされていますが、『赤松家播備作城記』では、安室五郎義長が天文年間(1532~1554)に築城し、その後、長船越中守が城主となったが、天正5(1577)年に落城したとされています。城跡には、本丸・二の丸・三の丸とされる縄張が残り、北西側の尾根筋からの進入を防ぐために堀切を備えていま
先日仕事で南国市に来た時仕事を終え帰る途中休憩も兼ねてちょっと立ち寄ったのが南国市比江(ひえ)にある国司館跡(紀貫之邸跡)です🙂土佐日記の作者、古今和歌集の撰者として知られる紀貫之が国司として赴任したことにちなんだ場所で「古今集の庭」も併設されています。そしてもう一つ立ち寄りました。国司館跡(紀貫之邸跡)と同じく南国市比江にあり国司館跡から歩いて5分ほどの位置にあるのが比江廃寺塔跡です。比江廃寺塔跡は高知県内最古の寺院跡で塔の土台の心礎を残すのみですが白鳳時代の
一宮城跡に来たけれど…四国の城攻め第5弾は、徳島県の一宮城跡です。続日本100名城の1つで、山城です。…ですが、最初に断っておきます。山、登ってませんこの日は城跡を4つ巡る強行日程だったので時間が無く、本丸までの登城は断念。今回はとりあえず、続日本100名城のスタンプを押しに行ったって感じです。徳島県のホームページから本丸の雰囲気だけ本丸虎口の石垣、見たかったなぁ〜一宮城の石垣は本丸のみに築かれているそうで、築造は蜂須賀氏によるものらしいです。いつか必ずリベンジしたい
こんにちは各地でさくらが満開になり始める場所が増えてきましたねただちゃんです4月3日(木)ですが、整体が終わりお出かけしてきました今日の方面は、岐阜県の加茂郡の富加町という場所がメインです富加町へは、道の駅だったり東方面へ抜けるときによく使います今回は、富加町周辺の文化遺産カードの収集に向けて走りました車で1時間ほどして、最初の写真「井高1号古墳」の写真を撮ります続いて、加治田城跡を目指しますが