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「念仏踊りは、南無阿弥陀仏という六字名号を唱えながら、その拍子に合わせた舞踏のことである。踊念仏ともいうが、太鼓などを鳴らして唱え踊るものを踊念仏、囃し手と踊り手が分かれた場合を念仏踊りと使い分けることもある。その起源は古く、平安時代初期、念仏による回向修行に生涯を費やした遊行僧・空也上人によって始められたと伝わる。その後、鎌倉時代初期に一遍上人が踊念仏を民衆へ伝えた。」いくつものカテゴリを簡単に紹介されています。用語を点として覚えるのにぴったりで嬉しい。念仏踊りからの流れがわ
今年の3月からこれまで8回にわたり開催されてきました大阪修験講習会ですが、修了式は本山の聖護院門跡にて行なわれることになっております。冬晴れの暖かい日差しを受けて三条大橋より鴨の河原を遡り歩くこと20分、本山聖護院門跡に着くと市松柄の砂紋が美しい南庭が待ち受けておりました。本日は最終の講義として宮城泰年ご門主による「山に教えられる修験の世界」をテーマとした、修験道の基礎から始まりご門主の実体験もまじえた修行時における「無心」の大切さをご教授いただきました。その後宸殿においてご門主導師によ
土佐に流刑に処され、祭神となった一言主の神話と賀茂氏の呪術|webムー世界の謎と不思議のニュース&考察コラム賀茂氏と一言主の呪術的一致ところで、これまで何度か「賀茂」という言葉が出て来ている。『続日本紀』では一言主神を「高鴨神」と表現し、『釈日本紀』に引用された『土佐国風土記』逸文には、土佐神社を「土佐高賀茂大社」と記す。そしてそれに続いて、一言主神は、一説によると大国主命の子・味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)だと書いている。こうしたこともあり、現在、土
令和7年12月14日日曜日、久々の雨。今日の再掲は中段の理由から法隆寺。聖徳太子の寺だから当然、数えてはないが一番多く登場させてる寺かもしれない。法隆寺駅を降りて法隆寺までの1.5kmは派手な店も無くのどかな散歩道。のんびり歩いても20分ちょっとで着く。散々書いている寺なので多くの秘密や謎も書いて来たから詳細は割愛、西暦607年に創建された謎の多い唯一無二の建物。何度も何度もユダヤに攻め込まれ焼かれているが_世界最古の木造建造物として残り続けてる。聖徳太子、法隆寺こそ日本の心であり
数年前ですが英彦山修験道で起きたことを述べます…メイン画像はマジックあんでるせんさんです1番の席でした。先祖系の力があり守護されてますが先祖は四国霊場の愛媛久万あたりからきていること四国霊場関係当家英彦山の麓の田川から昭和期きている亡曽祖母妻の宇佐の実家関係が四国霊場関係だった事当家過去帳南無大師遍照金剛記載有り昭和期後期までお大師堂の杜を当家がしていた事「神仏習合、ジュンテイ観音と尼仏と地蔵菩薩が名残りで当家にあり」五輪塔有かしわて天秤⚖️医薬関係仏関係他易文
読者のみなさま、おこんばんわm(__)m本日もご訪問ありがとうございます。たった一度で一生開運神仏融合アチューメント4,100名以上の実績逢うだけで運気爆上げCommanderoftheUniverse.∞神仏融合師坂田暢悠ですこれまでのラジオ放送はプロフイール欄最下部より昔の盛り上がりは今はコチラ無料祈祷の募集もしているよぉ~リアルタイム更新facebookお友達申請待ってまーすおばんでやんす。師走を感じる行事「今年の漢字」
先日息抜きにSNSを見てたらオアスペなるものと巡り合った。と、AIの情報で出てきた。(AIは、インターネットに存在するあらゆる情報から、まとめてわかりやすく教えてくれる。けど、未知のものに関してはわかりません。あくまでも、既存の情報からのまとめ。)こちらは和訳された著書の説明キリスト教ベースではすべてが、そっちに変換されてしまう。仏教ベースでもおなじ。偏る。シュメール文明も、一番最初に解読した人がキリスト教寄りに解釈しすぎ!としてのちのち、ダメだしされまくった宗教
本山修験宗別格本山であり大峯山護持院でもある吉野喜蔵院において採燈大護摩供が厳修されました。12月に入ってからの吉野山上では既に桜の紅葉も散り落ちて冬の様相を呈しておりましたが、当日は好天にも恵まれ予想よりも温かい中での護摩供となりました。金峯山寺蔵王堂前に集結した100名ほどの山伏衆が行列をなしてお土産店などが並ぶ坂道を登って喜蔵院へと向かいます。喜蔵院護摩道場では阪堺役講の役員様など関係者を含めて150名ほどが集結しての盛大な大護摩供となりました。ほぼ無風の中で行なわれた護摩の炎と煙はま
役小角(えんのおづぬ)(役行者・役優婆塞・神變大菩薩)について役行者倚像(往生院六萬寺)往生院六萬寺の山号の「岩瀧山」は役行者が開山された修験道の行場であります。滝行は再興しています。現在は危険なため往生院~鬼面岩ルートのハイキングコースは廃道になっていますが、鬼の奥駈岩、鬼の石臼、鬼面岩などの行場の名残もあります。(岩瀧山山頂には大きく三組の石組みの磐座があり、祭祀場・霊畤も確認できます。東出雲王国の事代主・八重波津身命の子・天日方奇日方命が河内に拠点を構えた際にお
読者のみなさま、おこんばんわm(__)m本日もご訪問ありがとうございます。たった一度で一生開運神仏融合アチューメント4,100名以上の実績逢うだけで運気爆上げCommanderoftheUniverse.∞神仏融合師坂田暢悠ですこれまでのラジオ放送はプロフイール欄最下部より昔の盛り上がりは今はコチラ無料祈祷の募集もしているよぉ~リアルタイム更新facebookお友達申請待ってまーすおばんでやんす。冬至まであと10日となりました
修験道総本山、世界文化遺産、吉野金峰山寺に、12月初の参拝です。金峰山寺、今空曇り。(実時間12時前)地上より涼しい今気温車内温度と湿度。急な階段を、ヒィヒィ言いながら登ります。ここは、南朝の後醍醐天皇が、仮御所を置いていた場所です。金峯山寺さん、説明文の下の2つの言語は不要です。外国人向けには、英語だけで十分、どこの国でもそうです。蔵王堂でしゅ。国宝かつ世界文化遺産でしゅよ。ご本尊の金剛蔵王大権現様に、般若理趣経百字の偈、般若心経、ご真言を上げて、オカ
山形県尾花沢市にある荒楯不動尊。実家でその別当を勤めております。そのお不動さんの行事として12月7日に「さんげさんげ」の祈願祭が行われました。ということでまいゆいもお不動さんに“登る”前日まで2日間ほど積雪に見舞われましたがこの日は日も差す、いい天気それでも積もった雪を踏みしめて山に入ってまいります。そして、この雪も気になるところですがそれにも増して気になるのは「熊」の存在尾
同じくソードとダガーナイフを使用した型。相手がいて対練で練習できるといいのですが、今回は1人。コツコツと練習していきます。
AIにしましてもイーロン・マスクさんにとてもお世話になっているのも関係し、御氏の言説も気になっています。世界の方向や有り様の如何とも、強く関係していますので。マスクさんも、完全にスターシード、スターウォーリアでしょう。から要約引用です。数年前からTwitterの偏向運営と検閲に懸念を抱き、言論の自由を守るためTwitter(現X)を買収。買収後に検閲を解除すると、国境を越える大量移民の実態が明らかになったため、自らテキサス州イーグルパスを視察。現地では身元確認なしに大量流入しており、
峯龍さん、今晩は、何時もお世話に為って居ります。お陰様で在ります。感謝で在ります。修験道を学びたい方、峯龍さんの処へ是非どうぞ❗️合掌
おはようございます♪くりたまです。鰐淵寺(がくえんじ)は、智春上人によって開基され、推古天皇の勅願により推古二年(594年)に開創されました。1400年の歴史がある天台宗の寺院です。平安時代に、比叡山延暦寺の第三代天台座主の慈覚大師円仁さんが鰐淵寺を訪れて、天台宗になりました。境内図紅葉🍁の見頃の目安12月上旬でも紅葉🍁が綺麗✨根本堂香炉が独特の形をしています香炉の中に線香の香りが充満していて、参道を清めていました✨ご本尊千手観世音菩薩薬師如来般若心経と観音経をお唱え
おはようございます🌞本日は朝早くからの動きでございます〜先日から龍泉鑑定は12月らしい楽しい意識の波動に満ちております。またまた東京からは、若い美人歯科医さんや〜お土産ありがとうございました😊この後は新幹線で東京に帰りますとおっしゃってました大阪からはまたまた美人の、龍泉は修験道の霊能者ですが彼女は修験道とは全く違う世界でお勉強なさる方お土産本当にありがとうございました。本当に楽しい時間に感謝ですo(^_-)O12月ですね🌕今月で今年も終わり日に日に焦ります(笑)来年の開
🌌魂の継承:役小角と空海に見る古代日本の「霊的プロトコル」序章:あなたの中に眠る「霊性の青写真」へもし、あなたが「なぜ、時代も場所も異なる二人の偉大な霊能者が、これほどまでに密接に語り継がれるのだろう?」という、歴史と信仰の狭間にある根源的な疑問を抱えているなら、この記事は、その魂の問いに対する究極の答えとなるでしょう。私たちは今、歴史学の**「事実(血縁的非連続性)」という堅牢な石材と、宗教的伝承の「系譜(魂の継承)」という荘厳な光線を統合し、この二つの軸の関係性を、古代日本の
🌄役小角と空海:十一面観音の機能的役割を究極考察【修験道と真言密教の核】読者の皆様、もしあなたが、日本の古代仏教史の二大巨星、役小角(役行者)と空海(弘法大師)が、なぜ宗派を超えて十一面観音菩薩を最も重要な仏として信仰したのか、その**「本質的な理由」**を知りたいと願っているなら、この記事はあなたのためのものです。彼らは、修験道と真言密教という全く異なる道を歩みながらも、十一面観音の**「現世の危機からの絶対的な救済力」という、いわば魂の羅針盤**とも呼べる機能を見抜いていました。
清水寺の帰り道に三木市にある伽耶院に寄ってみました。伽耶院(がやいん)は、兵庫県三木市志染町大谷にある本山修実験宗の寺院。山号は大谷山(おおたにさん)。本尊は毘沙門天。山伏の寺として知られる。新西国三十三箇所第26番札所。志染町大谷にあり、志染川をはさんで、志染の窟屋の反対側に、このあたりでは数すくない修験道の寺がある。寺伝によると、法道仙人が毘沙門天のおつげで、大化年間(七世紀半ごろ)に創建したといわれ、中世にはかなり栄えたらしい。しかし秀吉の三木城攻撃
稲荷山にあがると、お不動様がいろんなところにおられますね。滝行の場には必ずおられますし、難切りのお不動様も池のそばにおられます。稲荷山だけでなく、他の神社に行っても、お不動様を見かける事は多いです。そんな人気のお不動様の事を書いてみようと思います。お不動様が台密(天台宗)、真言宗、修験道といった日本の主要な仏教宗派で主役級の存在として広く信仰されるのは、ふとなぜなんだろう?と思いました。生命が蘇生する話しでも繰り返し登場します。お不動様は実は、その強大な霊験と人の寿命や運命さえも司
雪を求めて金剛山へ今朝のパン。いつもより早起きで、5時過ぎです。というのも、久々の金剛登山です。幼なじみHくん宅へ6時45分。モガツジ登山口からスタートです。暫くは管理道を進みます。私はそうでも無いですが、Hくんは久々の登山なので、バテ気味です。前を行く、Hくん、後ろから見てるとどうも、体のバランスが悪いようです。多分、リュックを担いで歩くのも久々なの
11月の、日本一危険な国宝投げ入れ堂への修験道ガイド怒涛の対応でしたが、無事に終了しました香川、東京、京都、大阪、埼玉そしてラストは英国から帰国された横浜出身の方たくさんの出会いをありがとうございました。無事に今シーズンを終えることができました。今シーズンは35組のお客様をご案内しました。みなさん、それぞれに旅の目的やテーマ好みがあって、個性的で、感性豊かなお客様でした。登山経験もなく、日常的な運動もないけど行ってみたいという方とは事前準備のアドバイスや運動やトレーニング
岩手県宮古市の義経北行伝説ラストを飾るのは、横森八幡宮です。JR宮古駅から徒歩10分。横森八幡宮は、義経主従がお詣りに訪れ、宿泊したとされています。義経に随行していた家臣の鈴木三郎重家は、老齢であり、妻子もいたため、ここに残留。重家は名を重三郎と変え、この八幡宮の神主となったようです。鈴木三郎は、歌舞伎『勧進帳』に出てくる亀井六郎の兄ですね。兄弟で義経に仕えていたようです。またまた階段義経の史跡めぐりは、山間が多いですね。義経と修験道の関係を想起させます。おみくじを引い
妙義神社に参拝しました妙義山はこんな山ですゴツゴツとした山肌は人を寄せ付けない強さを感じます天狗様が修行されていることでしょう山腹に大きな「大」の字が描かれています神社なのに仁王門があります階段が古く歴史を感じますお城のような石垣です鎖場などがある約42Kmの妙義山歩道昔、修験道の修行場だったと思われます「あなたは前世、修験者だった」と言われたことがありますが今の私には、ちょっと無理です・・・残念!波己曽社絢爛豪華ですやっぱり階段は免れません・・・これも修行!
生まれ変わりの旅へ①からの続きです朝8時には出発することと吉水神社と金峰山寺には行かせて頂くとして後の予定は気の向くまま道中で話をしながら決めようと就寝したKIM8なのでしたしかしながら就寝してからものの3時間も経たない時点で窓に叩きつけるような雨音で起きたKIM8思わず一人笑いが止まらず声を殺して笑っていましたが少しでも寝ないと移動中の車内で寝てしまうので(車に乗せてもらう際は絶対に寝ない私です)目を閉じてはの繰り返し寝れない・・・と困っていましたが
初めての大峯龍泉寺前の道路大峯に来たら、まずここへ。修験道の根本道場として修験者を迎える霊場。龍泉寺の門前手と口を清めます大峯に上がる前に、この池で水行します。本堂なで石竜の口の湧き水お滝行場
おはようございます😃本日も皆様どうぞ宜しくお願い致します。本日もお客様宅に行く神様行でございますo(^_-)O月の始まりは神様行でお客様宅に行く事が多いのですが…朝の、起きてからすぐの家中の窓空け❣️おおっ冬が来た〜‼️と今朝は思いました。全ての窓から外の風が入って来ますo(^_-)Oあ〜気持ち良いなぁ╰(*´︶`*)╯♡そんな朝に感じる『吉野の修行場の気温はマイナスなんだろうなぁ〜水は冷たくて気合い入るんだろうなぁ〜』もう20年は続けている本山の滝場での滝行滝に打たれ経を唱え
明日12月5日(金)はまたもやライブセリカさん達とライブやったのは前は2月だったなぁ。。もう10ヶ月も経ってしまったのだ今年は気功を習っているので寒くない割と。心頭滅却すれば火もまた涼しなんて昔の修験道みたいな事は無いけど毎日、mementomoriな私は地に足つけて色々精査しながらの日常なのだ先輩からなんでバンドやってんの?って尋ねられたそれは、、やるしかないからだてことで、パワー全開の明日のライブに気になる人は来てねいつかはいつまでも来ない歩みを止めない
おはようございます2025.11.23(日)金屋の石仏から山道へ。少し歩くと、三輪山平等寺に入ります。平等寺は聖徳太子の開基、慶円の中興とされている禅寺だそうです。鎌倉末期から明治の廃仏毀釈までは三輪明神の別当寺の地位に立っていた一方、興福寺の末寺でもあり、また修験道も伝えていたことから醍醐寺との関係もありました。聖徳太子像。江戸時代には興福寺の支配を離れ、真言宗の寺院となりつつも修験道を伝