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『菖蒲の節句は勝負する日天正十一年裁許状は信長の置き土産』菖蒲の節句は勝負する日印地打ちという言葉は現在死語になっている印地打因地、院地とも色々と各地で当て字をする。〈今夷曲集〉に「五月五日に雨ふりければ」と詞書…ameblo.jp
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」が面白く、昔読んだ「新史太閤記(上・下)」を読み返してみたくなりました。概略は、以下の通りです。「子供の頃の藤吉郎は、貧しく食べるのもやっとで雇ってくれるという高野聖についていくと、みな殺されていた。その後、農家の奴隷になり、人間以下の扱いとなり大きくなっても二度と戻りたくないと思った。その後、木曽川のデルタ地帯で半農半士の蜂須賀小六に仕える。そこで小六より今川家に仕えるを勧められた針売りをしながら機会を狙った。そして、今川家の松下嘉兵衛に仕える。その後、井
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第16回、「覚悟の比叡山」の感想です。(続きです。)延暦寺と組んだ朝倉の急襲を受け,信長は、比叡山延暦寺への報復を決断。直ちに出陣し、比叡山を取り囲んだ。しかし、比叡山に立て籠もった朝倉、浅井軍とは膠着状態となり、2か月がたった。長政:「せめて女子供だけでも逃がすわけにはまいりませぬか。」義景:「いや、このままでよい。その方が信長もむやみに手を出せまい。」義景は
いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。いやあ、辛い話でした。明智さん、ここから信長のために人間を捨てました。戦争が人の心から温かみを消して行ったんです。心優しい人が、人の虐殺を率先して行う人になったのです。歴史的に有名な、あの「延暦寺焼き討ち」です。命からがら逃げてきた信長は、浅井・朝倉連合軍とまた戦をしなければなりません。そのために浅井の家臣である宮部継潤を調略しなくてはなりません。調略のために、自分の息子がいない藤吉郎は、義姉さんの息子を人質にする。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第16回の紀行で、大津市坂本城が出てきましたね。(続きです。)大津市坂本に明智光秀が築いた城が坂本城です。坂本城跡。琵琶湖の水を引き入れたこの城は、築城から僅か十数年で廃城。これまで、幻の城と呼ばれていました。近年、内陸に300mほど入った辺りに三の丸と見られる石垣が新たに発見されました。中国から来たと見られる陶磁器なども出土しま
夏日だった昨日と比べ、曇天で気温も高くなくお出かけにちょうど良い陽気でした。京、鎌倉、伊勢を結ぶ交通の要所であった清洲は尾張国の中心地でした。1555年、織田信長が入城。桶狭間の戦いに勝利して天下統一への一歩を踏み出しました。その頃はまだ守護の館でした。信長が本能寺の変で没した後の後継者を決める清洲会議を経て、城主は次男の信雄に。信雄によって城は天守を備え、町も大改修されて過去最大の城郭都市になりました。まず橋を渡って城の反対側に川沿いに少し下ると信長と濃姫の
一般的に信長は寺社勢力対して弾圧したように言われてますが、彼の宗教観は現代人に近いと思っていい。例えば熱田神宮には信長塀が残ってます。これ、実は桶狭間の戦いの前に戦勝祈願をして勝ったのでその御礼として寄贈したもの。これは私用で名古屋に行ったときにこの目で確認。めちゃくちゃ神頼みじゃないか?現代人も戦国時代も苦しいときの神頼み。これが現実なんですな。やはり宗教心はあるんだが、だんだんと天下取りにいくまでにだんだんと自身をえて、みずから大魔王を名乗るまでになるけ
幸せの青い鳥さん4https://www.amazon.co.jp/dp/B0GYTDGQFM/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=3ULQZ4BP06YFF&dib=eyJ2IjoiMSJ9.SrNx62uh9-BjFb6G2lvoquuib4tbc2TDQV2dgyqwWdnGjHj071QN20LucGBJIEps.gRJNj0muPcAGG9i04-tG5obYTm8_7NTGHJru
幻術士として当時、巷で有名だった果心居士(かしん・こじ)が信長の城に招かれて幻術を披露することになったときの話、果心居士、「磔柱に私を縛りつけて火をつけてください、脱出してみせまする。」信長としては「まあ脱出はするだろう」と思っていたのかいなかったのかは分かりませんが、その場にいた全員が驚いたのは脱出の仕方、ねずみに変身して小さくなって縛られていた状態から脱出、信長が腰を抜かして仰天した、という記録が残っているそうです。【秀吉でも家康でもない】歴史好きなら納
かなり以前、テレビ愛知の『千原ジュニアの愛知あたりまえワールド』という番組で、愛知が生んだスーパーヒーローベスト30がやっていたことを書きました。愛知県生まれの信長も5位に入っていたので、書いてしまいます。鉄砲を使った新戦術や楽市楽座などの経済政策を打ち出した革命児。好きな戦国武将ランキング、全ての年代で1位。信長の肖像画といえば……キリッとしたこの顔、しかし、信長と親しかった近衛前久
「オンリーワンのことをやる」秀吉の成功法(日本史めぐり3)黒井ドラゴン「オンリーワンのことをやる」。これが秀吉の成功法の1つだった。これは、4月21日放送の『知恵泉』「土木力で未来を築け!」(NHKEテレ)を、今日NHKONEで見て学んだことだ。戦国時代の「出世」の方法といえば、槍で戦中に功績をあげることだった。そのため、武士たちは、自分の槍の技を他の武士よりも秀でさせるために必死になって磨いていた。だが、秀吉は武家の出身ではなく、力も他の織田家家臣たち
今日は晴れた。明日からゴールデンウィークに入る人もいるだろう。カレンダーどうりの人もいるだろう。ウチは、4日月曜日だけ休みです。琵琶湖湖畔を走って安土城跡まで目指した。バイクツーリングやチャリサイクリングなどの人達が結構いた。気持ちがいい道だ。信長の城安土城跡まで来た。大人700円で入山できる。天守閣はないが、すんげー石階段と石垣が山の中にある。ほぼ登山だ。
―比叡山焼き討ち―さて「叡山焼き討ち」。ドラマでどう描くか楽しみにしていましたが、ドラマっぽく仕上げてましたね。ところで、この信長の強行、平安時代の白河法皇でさえ「山法師」はわが意にならないと言わしめるほどでしたが、その寺を焼き討ちしたのですから、一部の人たちから、旧弊打破のヒーローのように思われていますが、実際はどうだったのでしょう?まず、死者数ですが『信長公記』には数千人。公家『言継卿記』には3~4000人。
さぁぁぁぁぁぁ念願の大河ドラマ館☝︎この写真が撮りたかった!いやもぉぉぉぉぉ〜最高っっっ入り口から豊臣兄弟!が迎えてくれます!!!ちなみに入場チケット🎫はお一人800円なのですが〜スタッフさんが名古屋城セットもあるよ〜!!とオススメしてくれたので迷わず名古屋城セットをお願いしました⇩こちらは名古屋城にも入場できて1000円えっメチャ得ですで!!!ミュージアム内はお決まりの🎵⇩音楽でわくわくが止まりませんっっ大きな登場人物の紹介もあり〜そしてそしてぇ〜私の大好き
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第16回、「覚悟の比叡山」の感想です。(15回のラスト。)<横山城姉川の戦いのあと>、信長は藤吉郎たちには横山城を死守せよ、と命じた。そして、戦支度が整い次第、浅井を攻める。それまでに宮部継潤を調略せよ。と命じた。さっそく、小一郎と藤吉郎は百姓に扮して、宮部村の寺(宮部継潤の居所)を訪れた。だが、その変装もすぐに見破られてしまった。宮部継潤は藤吉郎の子を自分の養子(人質)
「中国大返し」は奇跡のように言われますが、実際には、秀吉と少数の親衛隊のみが馬で駆けて戻ってきただけで、大半の兵は後ろに置き去りにされていたんです。じゃあ、山崎で決戦した兵隊はどっから沸いて出てきたのかというと、四国征伐に出発しようとしていた織田信孝、丹羽長秀の率いる部隊を、途中で吸収しただけなんです。なので、山崎合戦の名目上の大将は信孝です。しかしここが秀吉の宣伝戦の絶妙なところで、まるで毛利と戦っていた軍団がまるごと戻ってきたかのように見せかけることによって、「秀吉はスーパーマンか」と人
こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。4月26日放送の大河ドラマ『豊臣兄弟!』。浅井家臣の宮部継潤を味方にするために、秀吉に近い一族の子どもを預けなければならない。秀吉・秀長の姉ともの子・万丸(よろずまる)を渡すかどうかが、秀吉一家の大問題に。織田信長と浅井・朝倉との戦は、比叡山延暦寺が浅井・朝倉の味方をし、森可成も討ち死に。信長は、比叡山の焼き討ちに出ることに。大河ドラマを見てない人は、再放送か、NHKプラスで視聴してみてくだ
有料会員向けサービス朝刊・夕刊:日経電子版日本経済新聞の電子版。日経や日経BPの提供する経済、企業、国際、政治、マーケット、情報・通信、社会など各分野のニュース。ビジネス、マネー、IT、スポーツ、住宅、キャリアなどの専門情報も満載。www.nikkei.com信長の興隆期でもあり、戦に次ぐ戦って状態で苦難の時期でもあった。その中で浅井家の裏切りから姉川の戦いまでの流れは、非常に厳しいものであったと思う。その中で雌雄を決した姉川の戦いってのは、結構ギリギリな戦の一つであったのでは
おはです。魔王へ歩き始めました。大河ドラマ『豊臣兄弟!』第16回「覚悟の比叡山」昨夜は比叡山焼討事件と宮部継潤調略の2本立てでした。秀吉にとっては『どうする?秀吉』、光秀にとっても『どうする?光秀』な内容でした。浅井朝倉連合軍を匿った比叡山延暦寺への焼討、刃向かう僧兵だけでなく、村から逃げて避難してきた女子供まで撫で斬りにしろという信長。そしてその任を指名されちゃった明智光秀、自ら志願した木下藤吉郎秀吉。信長の懐に深く潜り込めと義昭から言われてたら、信長の命に従うしかなかっ
戦国時代最も悲惨だったと言われる信長の比叡山焼き討ちの話です。ドラマのあらすじ1571年(元亀2年)になります。織田信長(小栗旬さん)は、浅井長政(中島歩さん)を攻める構えをします。藤吉郎(池松壮亮さん)には宮部城主・宮部継潤(ドンペイさん)を調略せよと命じます。藤吉郎と小一郎(仲野太賀さん)が直談判すると、藤吉郎の子を養子にさしだすなら織田につくと条件を出します。しかし子いない藤吉郎は姉・とも(宮澤エマさん)の万丸しかいません。当然激怒されてしまいます。森可成が、宇佐山場で討ち
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第15回、「姉川大合戦」の感想です。(続きです。)姉川の戦いが始まった。地の利を活かして、浅井・朝倉軍の優勢が優勢のようである。小一郎:「正勝~!突っ込め~!」それに応えて、戦う正勝。木下勢も必死に戦う。<信長本陣>信長:「持ちこたえよ~!」川を越えた浅井、朝倉軍に織田、徳川方の陣は次々と崩されていきました。==================<木
"信長は比叡山に突然キレたわけではない…「焼き討ち」前年、8人の子を遺して宇佐山城を死守した忠臣の名前"https://l.smartnews.com/m-7BATve9O/3oRadp宇佐山城🏯麓のハンバーガー店AUNTY-MEEBurger(アンティーミーバーガー)"信長のバーガー"有ります〼
レビュー一覧1~5回6~10回キャスト一覧『豊臣兄弟!キャスト一覧NHK大河ドラマ2026年』脚本八津弘幸演出渡邊良雄、渡辺哲也、田中正大河ドラマ「豊臣兄弟」キャスト一覧ドラマ視聴のための参考です。更に詳細はコチラキャスト木下一門木下小一郎秀長…ameblo.jp感想松永久秀役の竹中直人は、30年前に同じ大河「秀吉」で豊臣秀吉をやった人。どう見ても「猿」にしか見えなかった(笑)そして劇中でたびたび出て来る「心・配・御・無・用」と広げた手をバンバンと動かすアクションは
歴史が好き。皆さん、こんにちは!「歴史と運気」を分析するのが日課のキムです。✨いつもブログをお読み頂きありがとう御座います!現在放送中の大河ドラマ『豊臣兄弟!』作中での「姉川の戦い」の描写、興味深かったですね!🌊「姉川の戦い」の真実?ドラマと史料の熱い攻防戦特に注目したいのが、「家康の別働隊(側面攻撃)は誰の指示だったのか?」という点です。🏹説1:信長の天才的戦略?(ドラマ『豊臣兄弟!』版)ドラマでは、信長が戦況を冷静に読み切り、「家康に、深追いしてきた朝
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第15回、「姉川大合戦」の感想です。(続きです。)元亀元年6月19日。織田軍は小谷城の目と鼻の先にある虎御前山に陣を構え、小谷城の城下を焼き払ってしまった。<小谷城>市は侍女の心配に耳を貸さず、信長が出陣の時によく舞っていた「敦盛」の曲を笛で奏でていた。<虎御前山織田軍>信長:「みなの者!打って出るぞ!狙うは横山城じゃ!」<小谷城浅井軍>浅井長政に知らせ
「浅井・朝倉に加担した人々を虐殺」比叡山延暦寺焼き討ちで信長の暴挙に加担した明智光秀"裏の顔"「浅井・朝倉に加担した人々を虐殺」比叡山延暦寺焼き討ちで信長の暴挙に加担した明智光秀"裏の顔"戦国の動乱期、織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ちは、なぜ実行されたのか。その陰には、激しく揺れる勢力図と複雑な人間関係がありました。toyokeizai.net死者2500人超の凄惨な《姉川の戦い》で信長を喜ばせた家康の武功死者2500人超の凄惨な《姉川の戦い》で信長を喜ばせた家康の武功戦国の荒波を生き
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第15回、「姉川大合戦」の感想です。(続きです。)<三河岡崎城>家康が読んでいる手紙について石川数正は「織田様は何と?」と尋ねた。家康:「6月19日までに参陣せよとのことだ。」(ついに出ました岡崎城!うれしくなって、今週撮った岡崎城の実物写真を載せちゃいます)支度にかかろうとする石川数正を、家康は「もしも!」と言い、呼び止めた。家康:「わしが間に合わなかった
3/4。名古屋市、清須市の歴史散策で、清須城の中に入って、さらに最上階へ登りました。4階天下一吉例ゾーン・・・清須の天主で浩然の気を養うひえ~~!一の谷馬藺付兜(いちのたにばりんつきかぶと)バッリバリ!ひえ~~!江の衣装ね。思い出しますね。江は浅井長政と市の三女でしたね。ひえ~~!清須会議のメンバーですね!ひえ~~!信長も見た景色でしょうか。
【2026年03月21日放送分】前回からの続きです。いよいよ完結編です。今、タモリさんがいるのは名古屋市。桶狭間の戦いの舞台を旅しています。桶狭間の戦いとは1560年に今川義元率いるおよそ2万5千の大軍が織田信長の領地尾張へ攻め込んだことで始まった戦いです。兵力で圧倒的に勝る今川に信長がわずか3千の兵で挑みたった一日で勝利を手にしたまさに奇跡の大逆転劇。旅のお題は「なぜ織田信長は“桶狭間の戦い”に勝てたのですか?」でしたね。大高城、鳴海城と二つの城を奪われた信長はその対抗
農民から天下人へ――豊臣秀吉の出世は「偶然」ではありません。その裏には、命を賭けた決断と、弟・秀長との連携、そして主君・織田信長との信頼関係がありました。今回は、墨俣一夜城・金ヶ崎・姉川・小谷城という4つの舞台から、「出世を決めた3つの戦い」を京都検定的に徹底解説します。こんにちは。今回は、2026年4月13日放送『あなたの知らない京都旅#145』**「豊臣兄弟大出世を決めた3つの戦い」**を、京都検定的な視点で詳しくまとめました。農民出身から天下人へ――日本史上最大の出