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長女がドナー適合したと聞いて長男から私にあるお願いがあった【ジジのぬいぐるみおねえちゃんの分も買ってあげて】ビビりの長男はうちの猫の分身であるジジのぬいぐるみを連れて入院治療を頑張っている長女は入院の経験もなく注射も怖いというそれでも役に立ちたいと言ってくれるありがたいことだ2人でお揃いのぬいぐるみを持ってお守りにするそう手のひらサイズの小さいジジだけど寂しがりの長男のホームシックを和らげてくれる優れもの相変わらず家族はバラバラだけどたまーに思わぬところで
身体のだるさや吐き気が続いていましたTVでは《お正月太り解消》の方法を教えてくれてますが私はこの1ヶ月で3キロ程痩せてしまってるのでその逆を試せばいいのかな病気になる前からだと約18キロ減です〜痩せて嬉しいようなやつれて寂しいような複雑な心境です姉が家事の手伝いに遠くから来てくれてました感謝ですなんやかんやと世話をしてもらってたくさん笑ってありがたいでございます昨日から体調が改善してきてるので少しずつ動いて体力つけないとだわ
CAR-T「カーティー」細胞療法血液のがん患者さんへ行う治療法のお話先日「松下記念病院」で開催された医療講習会今回は【血液のがんとお金】血液のがんの話は寛解を目指す治療法や、退院後の生活など医療側からみた話その後お金のお話で、ファイナルプランナーの方が話されたこの【CAR-T細胞療法】「CAR-T細胞療法」とはがんと戦う武器がCAR(ChimericAntigenReceptor,キメラ抗原受容体)という名前で、T細胞を強化するため、「CAR-T細胞療法」と呼ばれています。
前回の受診で、主治医からドナー候補となる弟と移植の説明に夫も来て欲しいとのお話があり、急遽、午後、弟が仕事を休んで来てくれました。骨髄検査の結果は、詳しく説明はありませんでしたが、前回に比べて骨髄の中でもだいぶ芽球が増えている状態生検の結果は、時間がかかるそうです。主治医は「やはり骨髄移植をした方がいいと思います」と一言先生から「移植するということでいいですか?」と言われ、思わず「う〜ん、はい・・」と答えてしまい、次回は移植科の先生から説明も受けることになりました移植前の検査も勧められ
大腿骨頸部骨折により緊急入院した父。90歳近い高齢者が大腿骨という体感を掌る部位を怪我すると、非常によろしくないという話はよく聞く。手術をしてリハビリをすればまた歩ける状態になると医者は言うけれど、この怪我をきっかけに寝た切りになったり、頭を使わなくなることで認知症になることもある。私が恐れていることは、前者よりも後者のほうが大きい。自分もそうだったように、いきなり狭くて暗い病室に閉じ込められ、普段の生活とはかけ離れた環境の中で抱えるストレスは半端ない。こんな状態になってしまっ
弟の嫁さんが10年程前に急性骨髄性白血病になりました。難治性という事で骨髄移植(息子の骨髄)をしました。手術2年後には、クルージングにも行けるほど元気になりました。結果的には急性骨髄性白血病は完治しましたが、骨髄移植の合併症で閉塞性細気管支炎となりそれが原因で2024年10月永眠しました。参考に成る事があればと思いUPします。白血病の種類白血病の発生と種類|急性骨髄性白血病(AML)|ベネクレクスタ.jp|-アッヴィ-検査急性骨髄性白血病の検査項目は、主に血液検査
早くベッドに入ったのに涙が止まらなくて頭の中を色々駆け巡って全然寝付けません父のこと兄のこと更年期の治療でプラセンタ注射なんて打たなければ良かった打つ前に説明を受けました今後、献血などできなくなりますと、同意書にもサインをした自分は輸血はできるけど自分の血を人には使えないなら別にいいかなって本当に浅はかな自分本位な考えプラセンタ注射でホットフラッシュは一時的に改善したけれど今回のように、家族に何かがあった時に、助けることができないなら絶対にプラセンタ注射は勧
もう何回か忘れるよね!笑今日は久々の移植後外来でした。前回は7月の終わり。1ヶ月半はあきましたね次回は11月で、2か月後ですって。どんどん長くなっていきますね。いいことです。血液もかなり安定していて、白血球も3千はあるし、ヘモグロビンも十分。血小板は7万まで上がってました。体の疲れやすさとかはだんだん良くなっていて、普通の生活なら全然大丈夫です仕事で、外出することも、少しずつ慣らしていて、電車に乗って都内に行ったりもしています。頑張ってます6月ごろから、肩が痛いと言ってい
こんな状況で不謹慎かもしれないけどどうにももこうにも落ち着かなくてブログに書きます今日の午後、父の入所している施設から電話があり父が息苦しさを訴えて酸素飽和度が73まで下がっているから救急で病院に運ばれたと私もすぐに病院に行き検査に向かう父に遭遇しましたが父は涙を流してすごく苦しそうで私が声をかけると少しだけ声を出し起きあがろうとしたりしていたもうその姿を見て涙が溢れ出た一昨日一緒にお寿司を食べ少し、ぼーっとしていたけど綺麗に完食して、元気そうだったそれが急にこ
爪がすっごく弱くなってます〜!薄くなって短くなってすぐに欠けてガタガタ指先にチカラが入らないので袋を開けるのも不便財布からカードを出す時も細かい物を拾う時も服のボタンを止める時も何をするにも爪って必要なんですね〜ボロボロで短くなってるので深爪した時の様な痛みも出てきましたなので基本は《指の腹》を使う様に意識しています先日の移植後外来でリーフレットもらいました慢性GVHDによる爪の障害なら長い期間に及ぶそうマッサージ、保湿、保護を丁寧に根気良くしましょ
20代後半で急性リンパ性白血病になってからの振り返りを書いてます。偏見もはいってますし口も悪く悪態つくこともありますが、何卒お許しください🙇♀️🙇♀️今現在は骨髄移植後5年以上経過し、社会復帰をしてます。闘病中に、白血病になった方がその後、元気にやっている方のブログを見つけられずに不安になった思いがあり、今現在までのブログを書いてます。安心してください私元気にやってますから!『骨髄移植②~若医師登場~』20代後半で急性リンパ性白血病になってからの振り返りを書いてます。偏見
今日ももう少し骨髄移植のお話を。そもそも骨髄移植とは何なのか。簡単に言えば、正常に働くなった骨髄(=血液を造る工場)を正常なものに入れ替えてしまおうという治療だ。厳密には、『造血幹細胞』という血液を造る細胞を、ドナーさん由来の健康な細胞に入れ替える。どこかのお医者さんが言っていたが、この治療はとんでもない荒治療だと。確かに、医学的なことはわからないが、骨髄の中を空っぽにしてそこに違う人の細胞を流し込もうと言うのだから、それはそれは凄い治療だと思う。骨髄の中を空っぽに
そろそろ退院後のことも考えまた、血小板が上がりきらないってこともありロミプレートかレボレードを始めることに。私は両方とも経験があります。一番最初は台湾でレボレードを飲み始めて日本帰国後も1年ほどはレボレード。レボレードを服用してよい量はMAX100mg/日なんですがその量で私は肝臓を傷めてしまいそれからロミプレート皮下注射へ変更しました。『レボレードの代わりに』先日の外来の時にドクターから提案されたものがあります。それはロミプレートという注射治療。
移植後の初外来でした〜日が経つのが本当に早い!!血液検査の結果腎臓の数値が悪くなっているそうです原因らしきお薬を減らすことになりましたお薬減るのは嬉しいな〜腎臓のエコー検査の為に明日も病院に来る事になりました体力がまだないので待ち時間が長くて疲れました〜晩ごはんはもちろん手抜きにします
孫たちとはたらく細胞を見てきました小学1年の孫rukuが日記に書いていました芦田愛菜の演じる主役の女の子がかかる病気が急性骨髄性白血病でした息子coo介の罹患していた病気なので見ていたらcoo介の辿った色々なことを思い出してちょっとドキドキしました特に芽球が白血病細胞に変容していく場面では「coo介さんの場合は作り出されるはずの白血球が見たことのない異様な形で増殖していて抗がん剤では抑えることができません」と説明を聞いた時の絶望的な気持ちを思い出しゾッとしました骨髄移植って映画に
「希望をカタチに」株式会社NK.アイリスCo(エヌケーアイリスカンパニー)の岸村です。看護師→宅建士になったのはなぜ?不動産の営業を始めてよく皆さんに前職で「看護師」をしていたと話すと「なぜ??」と聞かれます確かに全く違う職種ですし、皆さんがそう思うのは当然かもしれませんね。実際、私も取引先の方が自衛官から不動産業営業に転身したと聞いて、「なぜですか」と思わず聞いてしまった経験があります(笑)ただ、私の中で看護師から宅建士に転身した経緯にそんなに違和感はあり
喉元過ぎれば何とやらは、どの人にも言えることだろう。私も御多分に漏れず、良いことも悪いことも時間が経つとあの時と同じ感覚は薄らいでしまう。そうかと思えば、ふとした瞬間にフラッシュバックのように甦り、当時の事が鮮明に眼前に現れることもある。早く目が覚めたある朝、シャッターを半開にして外をボーっと眺めていた。特に何も考えているつもりは無かったが、薬の記憶が突然脳内に駆け巡ってきた。2か月前に終了した『プレバイミス』は飲むと本当に気持ち悪くなる薬だった。飲んですぐに何とも言えない気持
一年の中で、一番誕生日が多い月は何月かご存知だろうか。自分の誕生日や家族、友人の誕生日を確認してみると意外とすぐに答えは出るかもしれない。その答えは『9月』だ。なぜ、9月が多いのか。それは、年末年始に妊娠するケースが多いから。クリスマスやお正月など、イベントが多いこの時期にコウノトリがやってくることが多いというわけだ。ちなみにこれは日本だけでなく、欧米でも9月生まれが一番多いらしい。人間は人間であることに安心する。そんなこともあって、我が家にも9月生まれ
MalloryQuinn作、キャンディ・キャンディ海外2次小説「Father'sDay(父の日)」を読み終えました。Moderntimes.CandiceWhiteAndrewlivesalonewithherlittlegirl.Everythingisfineuntilherlittlegirlgetssick...現代。キャンディス・ホワイト・アンドリューは幼い娘と二人暮らし。娘が病気になるまでは、すべて順調だったのに…(google日本語
新しい年に入って、すぐに移植前の検査がありました。胃カメラとCTです。8時にCTをとって、9時半に診察の予約で待っていましたが、呼ばれないので、先に10時予約の胃カメラへ。胃カメラは、初めての経験でドキドキ本当は、怖いので点滴で鎮静してもらってから、やってもらいたかったのですが、鎮静がある胃カメラは予約がとれないとのことで、なしで検査をしてもらいました。先生がお上手なのと、看護師さんの励ましもあり、少し辛かったですけど、あっという間に終わりましたしかし、それからが長かった〜胃カメラ
一難去ってまた一難。病気になってから今までを表現するにはピッタリな言葉だ。一つの山を超えればまた次の山がやってきて、ここが富士山だと思っていたら、結果的にその先にはもっと高いたくさんの山々があり、富士山の倍以上のエベレストがあることを知る。でも、その山を一つずつ上っていくことで次の山に出会えるから、前に進んでいる証拠だ。と、ポジティブに考えれば、よくここまで頑張ったなと褒めてあげたくもなる。それは退院してからも同じで、次々と色んな症状がやってきては私にちょっかいを出して去
こんにちはやっと涼しくなって良かったです。ここ一年くらいは月1で腎臓内科と血液内科にかかっています。血液内科では、移植後2年が経過したので、再発は大丈夫でしょうということで感染予防の薬が減りつつあります。バクトラミンは2年間飲み続けて終わりました。アシクロビルはまだ飲んでいます。今月の診察の時に帯状疱疹のワクチンを打ちます。血液の病気になった人は、帯状疱疹になりやすいそうです。血球の状態もよく、自分でも元気があるので順調だと感じています。日光には3から4年くらい当たらないようにと
なかなか行けなかった息子の行事にも顔を出せるようになってきた。長女、次女の時も参加していたイベントだから、息子の時にも行ってやらねばならない。優秀な秘書の様に、何度もリマインドされたから行かざるを得ない。早めに会場に着いて、息子と戯れていると、次々と子ども達がやってくる。私の帽子をおもちゃにしながら、保育園の先生のごとく遊んでくれとキラキラと輝く笑顔で近づいてくる。自分の子どもはもちろんだが、他人の子どもも同じくらい可愛い。輝く未来に向かって生きる子どもが大好きなの
※色のついたところは、リンクが貼ってあります。クリックして詳細をご覧ください。ラジオサンキューFM84.5福祉番組「ともみとともに」ゲストは名古屋スクールオブミュージック&ダンス専門学校の生徒さん3名と先生。ヴォーカル専攻2年クラウンP役土屋響己(ひびき)さん(窓側写真手前)俳優・タレント専攻2年サツキ役兼掘星空(かねほりせいら)さん(真ん中)マネージャー専攻2年運営統括リーダー岡本綾華(あやか)さん(奥)この学校の卒業生でもある商業音
こんにちは、原田高志です。脳卒中リハビリテーション看護認定看護師として20年、看護学生や新人看護師の指導に携わってきました。本日は【ここで紹介する事例は学習テーマ用の架空事例です】と明記したうえで、「大理石骨病―看護学生・実習・ケア・観察・注意点」について、看護学生1年生向けにやさしく解説します。はじめに:大理石骨病とは?大理石骨病(だいりせきこつびょう/オステオペトローシス)は、骨が大理石のように硬く・厚くなるけれども、逆に「もろく」なる遺伝性の疾患です。生まれつき破骨細胞
新進気鋭の小説家が書きそうなタイトルだ。イカとコーヒーなんて、対極にありそうなものだが、実はこれがよく合うのだ。何かと言えば、スルメイカのお菓子を食べながら冷たいブラックコーヒーを飲むのが、この入院生活の極みになっている。かつての私は、再三に渡って書き続けてきた、歌舞伎揚げがメインディッシュだった。飲み物はコーラ。歌舞伎揚げとコーラが、あのきつかった治療を和らげてくれた命の恩人だった。あれから月日が経ち、今はスルメイカとブラックコーヒーが私の体を癒してくれている。
自宅でいつもの椅子に座りながら、外を眺める。寒空の下で木々達が風に揺られながら、冬の合唱を続けている。お決まりの場所に居座ったカラスがいつもの様にこちらを眺めている。ここから見える景色はいつもと変わらない。でも、着実に時間は流れ、私もまた1日1日が過ぎ去って行くのを実感する。そしておもむろにパソコンを開け、本日の業を始める。あー、自分は社会に戻ったのだ。この1台のパソコンが社会への入口となって、勇気を出してそこに飛び込んだ。復帰初日の出社日に、苦楽を共にした若者が熱いハグ