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2024.6/20ずっと色んな思いや考えが頭の中をぐるぐるして、昨日の夜も結局まともに寝れなかった。セカンドオピニオンの先生は、教授だった。結局どの抗がん剤も不耐容だったということを主治医から事前に聞いてたみたいだったけど、やっぱりわたしのような症例は見たことも聞いたこともないみたいだった。それに、先生の口ぶりからして、全部不耐容なんてありえないと思ってるんだろうなってすぐに分かった。そういうの初めてじゃないからもう分かるよ。何年の何月〜何月がどの抗がん剤で、併用してた薬や副作用の程
2024.6/14今日は診察。先生と相談して骨髄移植のセカンドオピニオンに行く流れになった。移植をするとかしないとか、そういうことを考える以前に、どういう治療でどんなリスクがあるのか話を聞きにだけ。先生が前に働いてた病院はずっと移植医療を牽引してきたとこらしく、移植も上手だからそこへ行ってみることになった。予約は先生が取ってくれるみたい。分かりやすいように全部やっておくって言ってくれた。ありがたいな…。先週測ったIS値(白血病の数値)は2.3。治療をやめて3ヶ月、ついに細胞遺伝
気づけば、骨髄移植から40日が経過した。あの怒涛の日々をつい先日のように感じるが、もう1カ月以上も経ったのだ。もちろん、あの頃に比べれば体の痛みはほぼ無くなり、だいぶまともな体調になってきた。しかし、まだ万全とはまではいかない状況が続いていた。朝起きると、目の奥が痛く、頭の中枢神経を刺激されるような気持ち悪さに襲われる。何とも説明が難しいので、先生や看護師さんになかなか思うように伝えられない。午前中はその気持ち悪さがずっと続き、リハビリしようと思うだのが、体が
レベルアップしていく患者のことを書いたが、先生や看護師さんもまた、長く入院していると色々なタイプに遭遇する。基本的に先生は入院してから変わらず、同じチームに担当してもらっているので、担当としてはほぼ変わらない。しかし、大部屋にいると他のチームの先生の声を聞く機会も多い。また、看護師さんは病棟によって分業しているので、病棟が変わればそれだけ多くの看護師さんを見ることになる。タイトルがあまりよろしくないので一言断っておくと、私の場合は、本当に素晴らしい先生と看護師さんに巡り合
野菜を欲してる最近は、骨髄移植を受けた病院と、治験の病院で、週2回外来に行ってます。なので、週2回採血するんですね。先週の頭、血小板が3万に減ってきていたのが、先週の終わりには3万を切ることにひさびさの輸血をしました。献血してくださる方いつもありがとうございますそして、白血球数も1,700だったので、白血球を増やす注射をチクリ。明日は、移植後外来なので、どうなってるか!!たくさん寝たし、たくさん食べました。良くなってるといいな骨髄抑制が進みすぎたので、治験薬はいったん休薬に
2024.5/7親友や家族、ブログを通して出会ったたくさんの人の優しさに支えられて、最後にもう一度治療に向き合ってみようと思ったけど、気持ちがその時々で揺れて覚悟が定まらない。急に、言葉では表せないほどの漠然とした大きな不安に襲われて、実際に「じゃあ来月」とか「何ヶ月後に移植しましょう」って仮に言われたことを想像したら、やっぱり自分には無理だと思ってしまう…。それに、冷静に考えれば、移植したって元気になる保証なんかない。移植を勧める周りの人たちは、『つらい治療を乗り越えたらその先には
いつも温かい応援、いいねやコメント、メッセージありがとうございます。治療をやめて半年、自分も周りもびっくりですが、生きています。今も治療再開の目処などはなく、気持ちの面では浮き沈みを繰り返して、今は前向きでいれています。みなさんのおかげです。いつも貴重なお時間を割いて心温まるお言葉を届けてくださり、本当にありがとうございます。実は、しばらくの間、お返事が出来そうにありません…。今までより少し疲れやすくなってしまったのと、もうどうすることも出来なくなってしまったわたしの今の状況を、少し
入院中は、毎朝、体重、体温、血圧を測っていました。我が家に体重計がなく、本日購入。様々な機能付きよりも一番シンプルに体重だけ測定のものを選びました。体重は、投与する薬液が体内に残留しないかの判断もあり在る数値を越えると利尿剤を打たれ、排出を促されます。投与する薬剤の量も、年齢や体重を鑑みて決められるものもありますので、最低限知っておくべきかと思っている次第。年齢といえば、私は移植するには限界の年齢でした。退院時移植コーデイネーターさんから「妻木さんがこの年
今日は、妹から命をもらった日23年前に骨髄移植をした日妹からラインで生きててくれてありがとうとメッセージがいろんなことを思い出す日妹が頑張ってくれた日思い出すと泣けてきます。ありがとうしかない日感謝でいっぱいです。ふだん忙しさで忘れがちになるけど、愚痴ってるけどー笑生かされていることに感謝して暮らしていかないとですね。ありがとう
家に着き、やはり懐かしい景色だなーと昔を思い出しながら、私はしばらく入院していたのだと改めて実感した。やはり帰る場所があるのは素晴らしいことだ。急に帰ると、何をして良いかわからなくなるものだ。妻は家事に、買い物、子供の対応に忙しいので、私はとりあえず体を安静にし、子供たちが帰るのを待った。夕方前に子供たちがそれぞれの場所から一斉に帰宅する。体調は悪いが、子供と再会することがとても楽しみだった。そして、いよいよ再会の時。心と体は勝手に反応するものだ。
前回の日記に温かい応援をたくさん、ありがとうございます。みなさんの優しいお心に触れて、気持ちがほぐれました。本当にとても嬉しかったです🥲心からありがとうございます。(2024.8/30)2024.4/5診察室に入るなり骨髄移植のセカンドオピニオンの話になった。家族でちゃんと話し合ってきたか先生に聞かれたけど、話し合うことなんて何もなくて、「やんわり…」って曖昧な答えをした。「やんわり?!それじゃダメじゃないーっ!!」おじさんなのに先生の言い方が完全に世の母親のそれで思わず笑っち
一時退院中の土日は一回しかない。おいしいものを食べて子供を叱るのも良いが、入院中にはできないことをもっとやりたい。そうだ、家族でどこかへプチ旅行に行きたい。元々、ドライブや旅行は大好きだった私は、どこか遠出をしたかった。ただ、前よりはだいぶ改善されたものの、薬の副作用がいまだ残っているのと、全く体力が戻らない中、出掛けることへの不安は大きかった。私もそうだが、妻はもっと心配。旅の途中でぶっ倒れようものならたまったもんじゃない。しかし、私は最後の土日を楽し
ベネトクラクスも四錠になってから変化なし。便秘になりやすいみたいだけどGVHDでお腹下し気味だったから相殺されて副作用という副作用が出ていない印象。むしろ錠剤がでかくて飲み辛いっていうのが一番気になるところっていう。やっぱり抗がん剤に対して無駄に強いところがあるな~っていう。他の方のブログとか見てると吐き気で食べられなくなったり飲めなくなったり、ベッドから動けなくなったりしてたりするから、これに関しては僕の方がおかしい説高い。これはこれで効いてるのかわからないっていう不安はあるんですけどね。
闘いに...勝った!?こちらの記事の続きです。『74_吐き気との闘い②』胃腸を休ませ、減薬まで時間稼ぎ大作戦のまえにこちらの続きです↓『72_Day-73吐き気との闘い①』吐き気との長い闘いブログを書くのに時間が空いてしまい…ameblo.jp胃腸を休ませ、リラックスで元気モリモリ減薬まで時間稼ぎ大作戦吐き気とおさらばするために、やること●治験薬、他の薬を飲んでも耐えられる内臓に戻すこと。●治験薬や他の薬への恐怖心、不安を取り除いてあげること。●リラックスをすること。という
2024.3/27今日はお母さんと病院へ。治療から解放されて、病気なんか忘れて毎日心の平穏を一番に過ごしてただけあって2週間ぶりの病院は全細胞が拒絶するくらい苦痛だった。そのストレスは病院に向かう足を重くしたし、待合室で待ってる時にはお母さんの話が全く耳に入らないほどの胃の痛みと猛烈な吐き気に変わった。隣に座るお母さんがわたしの顔を覗き込んで、顔が青いって心配し出したけど、1分でも1秒でも今すぐ家に帰りたかっただけ…。診察室に入って、先生は慢性骨髄性白血病と骨髄移植について書かれてる冊
2023.3/9タシグナ(再)150mg7日目今日は弟が久しぶりに実家に帰ってきた。なんか…またデカくなってた…笑そのお腹は飲み過ぎなのよ、まじで…。わたしもお酒好きだけどそんなに飲めないから、飲める人が羨ましいと思ってたけど、弟の変わり様見たらやっぱそんなことないかも…笑弟は一番最初にわたしの最近の体調を聞いてくれたけど、いい報告なんて何もなかった…。骨髄移植も視野に入ってきて、兄弟なら4分の1の確率でフルマッチするHLA(白血球の型)の話をした流れで、万が一の時はドナーになっ
命の重みと希望を伝える大谷貴子さんの講演会、八潮市で開催決定!福祉に興味がある方、どなたでも参加可能八潮市内で活動する「福祉から始まるやさしいまちづくり交流会『ネモフィラ』」が、11月の定例会に特別講師として大谷貴子さんをお招きし、「生きているって、しあわせ!!」をテーマに講演会を開催します。大谷さんは、全国骨髄バンク推進連絡協議会の前会長を務めた方で、かつて慢性骨髄性白血病の宣告を受け、わずか数か月の余命とされた過去を持ちます。しかし、母親の骨髄が適合し、奇跡的に骨髄移植に成功。1
2023.5/24タシグナ休薬14日目今日はお母さんと診察に来た。前回、親と一緒に来るように言われたから。今は体内の白血病細胞は少ないけど、無治療で3ヶ月くらいすると白血病細胞がどんどん増えて、放っておくと急性転化して、そうなるととても厄介だ、って先生はお母さんに説明した。それから、今後の治療の選択肢について…まずはインターフェロンという抗がん剤の注射についてだったけど、これは吐き気や倦怠感、発熱、鬱になったりと副作用が結構強く出やすく、その上これ自体では白血病を治すことが出来ないか
半年以上も病院にいると、部屋を移動することが多くなり、異なる病室での生活をたくさん経験する。基本的には大部屋にいることが多かったので、色々な病室にいると、色々な患者さんを見ることができる。総じて言えることは、この病気で集まった人達はとても穏やかな印象が強い。病気になったからそうなったのか、穏やかな性格だから病気になったのか。真相はわからないが、そんな印象だ。もちろん、中には変わった人もいるが。そんな患者さん達を見ていて気付いたことがある。入院したての頃の
骨髄移植をして7年経過しました。骨髄移植したらセカンドバースデー🎂なんですが自分の場合は肺移植もしてるので誕生日が増えすぎてよくわかりませんそれだけ沢山の人に助けられて今生きてられてるって事で感謝しかないですでも生存率が低いATLで7年も再発無しで生きて肺移植までして会社にも復帰しましたが白血病になる前の状態に戻る事もないし肺移植したけど走れるようになったわけじゃなくてバイクにバリバリ乗ってキャンプツーリングに行けるようになったわけでもなくなんとなく毎日過ぎ去って朝になって目が覚め
2024.6/19このまま時間が止まってくれないかな…。抗がん剤をやめてから身体も心もすごく元気になった。今は、行きたい時に行きたい所に行けて、食べたいものも美味しく食べれて、夜もよく眠れる…。身体中痛いことも、吐きそうなことも、苦しくて夜になるともう解放されたいと涙が止まらなくなることも、ない。わたしらしく毎日それなりに穏やかに笑って過ごせてる。こんな今がずっと続いてほしい…。それなのに、確実に病気は悪くなってて、ふとした時に信じられなくなる。わたし本当に白血病なのかな…。自
抗がん剤投与から二週間が過ぎる頃、枕元を見ると髪の毛がいつもより多く散らばっていた。まだ、治療自体は一回だし、白髪の副作用もあるから、脱毛はそんなにしないんじゃないかと勝手に想像していた。おもむろに、頭部の髪の毛を引っ張ってみた。おー、ごそっと抜けるのではないか。これが噂の抗がん剤の副作用である。自分の場合、髪を短く準備していたのと、思ったより大量には抜けなかったので、ショックは最小限に抑えられたかもしれない。特に男だし、あまり気にはしていなかった面もある。
2024.6/22骨髄移植、断られるとは思ってなかった。「出来ることはない」って言われるとは正直思ってなかった。残された治療が移植だけで、それが出来ないなら、ほんとにもう出来ることないのか…。その結果が想定外でびっくりしたのと、あんなに治療する気にはなれなかったのになぜかショックを受けてることに驚いてる…。でも、これではっきりした。どうせ治らない。今までは、移植したって元気になるか分からないって思ってたけど、そもそもそんな土俵にすら上がってなかった。そもそも希望なんてなかったのに
私は自分の事をいたって普通の人間と思っている。まあ、少し変わってるくらいに思っているが、妻に言わせれば相当変わっているらしい。私に言わせればあなたも変わっているけど。それはさておき、もし私が変わっているとしたら、私の両親こそ相当変わっていると思う。変わっていると言ったら失礼なので、かなりユニークと表現しておこう。年齢は違えど、同じ誕生日という不思議な運命を持った二人。とにかく性格は正反対で、よく何十年も一緒にいるなと尊敬する。これぞまさに運命なのかもしれない。
免疫抑制剤を始められる方。退院して食事に戸惑ってる方。自分の予想外で食に困っている方へ。ひとつ、私の経験を(*^^*)私は白血病を発症して3ヶ月間無菌室。もちろん病院食以外NG。それも厳しい制限付き。それはエンドキサンなどの強い抗がん剤を使って免疫力がほぼ無い状態に近いからですね。今闘っている方や、経験してる方は想像付くと思うので…今のあなたのような状態です。そして骨髄移植の前。まあ上手くいけば生きれるし、上手くいかへんかったら病院に入り浸るという…そんな時1週間の退院を
見ていただきありがとうございます。急性骨髄性白血病(M2型)2022年8月から闘病中。化学療法5クールで2023年2月末に本退院。入院日数156日。本退院1ヶ月後の4月から時短で復職。2023年12月16日WT1上昇再発疑い2024年4月再発確定4月23日〜再発入院ベネトクラクス+アザシチジン療法①5月28日一時退院6月14日〜外来でのベンアザ療法②2週間で終了7月3日(水)造血幹細胞移植入院←今ここ7月12日(金)前処置開始予定
2023.6/15タシグナ50mg14日目今日は診察の日朝からひどい吐き気で、待合で待ってると先生が大丈夫?って声をかけてくれて、そのまま処置室で点滴してもらった。まともに食事も摂れてなかったから、栄養の点滴も一緒に。血液検査の結果を見てタシグナ継続を悩み出した先生に、なんとか食い下がって、粘って、それならもう少しこのまま頑張ってみようということになった。「来週もこの調子ならまた点滴をしましょう。吐き気止めのゼリー(グラニセトロン)は飲んでる?」気持ち悪くなったら飲んでるって答え
20代後半で急性リンパ性白血病になってからの振り返りを書いてます。偏見もはいってますし口も悪く悪態つくこともありますが、何卒お許しください🙇♀️🙇♀️今現在は骨髄移植後5年以上経過し、社会復帰をしてます。闘病中に、白血病になった方がその後、元気にやっている方のブログを見つけられずに不安になった思いがあり、今現在までのブログを書いてます。安心してください、私、元気にやってますから!『今のお前に子どもが持てるのか〜放射線→骨髄移植アレコレ〜』20代後半で急性リンパ性
今日は、私の母の話をしようと思います。題名の通り、成人T細胞白血病リンパ腫で約1年と半年の闘病生活でした56歳という若さで亡くなりました。今から約8年前。。その時はいきなりだった。母(時子なのでとっきー)がいきなりバターーんと凄い勢いでリビングに入ってきた。※2世帯で上下階の同居ここ触って!!と、母は慌てた様子で首の耳の下らへんをやたら触れと言ってきた。あ。凄く大きなしこり。やばいかも。。母はすぐ東京にあるT病院へ。実は私の妹が大学生の頃、病院実習の血液検査でわかった事が
退院が近づいてくると、急に現実との距離が縮まる。ある意味では、この病院の世界は非現実の世界である。そこからいきなりぽーんって現実の世界に戻されるわけで、そのギャップを埋めるのが心身共に大変である。大きなことから小さなことまで、不安事をあげればキリが無いが、今の不安事は大きく3つある。1つ目は、移植の後遺症であるGVHD。今のところ大きな症状は出ていないが、急性・慢性あるので、数カ月~数年後に出ることもある。こればっかりはいつ何がでるかわからないので、できることをやるし