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後悔したくないからやりたいことは今やる今日は、移植後外来でした。白血球数3,000ヘモグロビン11.5血小板8万5千白血球数は少し低いけれど問題なし。貧血は問題ない状態。血小板はもう少し上げたいね、ということでした。前回までの体調は、胃の不快感があったり、上半身に湿疹がででいたりしていました。今回も同じような感じでしたが、免疫抑制剤が減量になってから、吐き気が酷くなりました。食べた後は、いつでも吐けるようにエチケット袋を持ち歩いていました。寝るときも。耳が赤く
様々な事前準備が着実に進んでいき、刻一刻と骨髄移植の時も近づいてきた。再入院してから数日経ち、いよいよ個室の無菌室へ移動する日となった。ここに移動するということは、間もなく前処置が始まるというサインであり、同時に、骨髄移植の実行と共にそこから数カ月監禁になることも意味する。いよいよ、である。移植病棟は、大部屋エリアと個室エリアが完全に隔離されている。大部屋の患者は個室エリアには立ち入る事はできず、また、個室の患者も逆に大部屋エリアに行くことはできない。もっとも
最後の10年おはようございます最後の10年カナダの保健局の映像の「最後の10年」元気にウォーキングシューズ履いて歩き出す男性一方、寝たきりになって人工呼吸器付けて過ごす映像です誰でも望んで寝たきりになる人はいないですよね私の母は多発性骨髄腫と診断されて3年で亡くなりました娘なので骨髄移植出来るかと主治医に相談しましたら当時、母が68歳で年齢制限のためできませんでした若い頃から活動的で日本中旅行して制覇、「十分楽しみました悔いはないわ」そう言っていました
放射線シミュレーションが終わり、移植前の全て検査や処置が終わった。後は、移植に向けた身の回りの準備を進めていくだけとなった。これまでも、幾度となく移植に関する副作用や注意事項の説明を受けてきたが、改めて更に細かい部分も含めて、注意事項が案内される。主に持ち込み品についてや、飲食についてだ。今回は、参考情報として、いくつかご紹介したい。まず、着替えや服装について。入院当初からパジャマの着用を推奨されるが、前開きタイプが望ましい。履物は、クロックスやサンダルなど、かかと
たびたび申し上げているように、わたくし日本骨髄バンク認定の説明員として、献血併行型ドナー登録会の現場に出動する機会が多く、献血バスのかたわらで、「献血のついでに骨髄バンクのドナー登録もしませんか?」との勧誘に乗った人だけを選んで、献血の待ち時間のあいだに骨髄バンクの説明をし、登録申込書を書いてもらうという活動を、他のボランティアにまじって、しばしばやっています。この形態での説明員活動をやる場合、献血の流れを妨げないように、説明はできるかぎり短くということが、ボランティアのあいだで、くどいほ
ところで、今回の騒動・・・色々と私自身思い返すことがあるので、それを載せたいと思います。この記事は、騒動主とは関係ありません。私個人が思うこと。以下、本垢の方に載せてた古い記事。『キリスト教の概念と脳死移植』子供をキリスト教系幼稚園に通わせてるので、何と無く理解出来ないこともないのですが・・・キリスト教だと、子供は神様から授かったもの。自分の体も神様から戴いたもの…ameblo.jp『移植医療について思うこと』ちょっと前にNHKのプロフェッショナルで肝臓移植の外科医さんの
Xに「骨髄ドナーになってるんだけど、どうやら俺の骨髄と合致する奴がいたらしい。俺は仕事休んででもそいつの命を救うべきだと思うが、それで有給一年無くなるのはきびーよ。なんなんだこれ」と言うポストがあったの。骨髄移植をするためには数日間仕事を休まなければならずそれにより有給が消えちゃうらしくかなり迷っておられた。と言うか、そう言うのを補償する制度ってないのかな🥲助成金とかそう言うのはあるかもしれないけどこの方は有給について悩んでた。自分の身内に何かあったりした時や自
前処置の前、最後の準備は放射線の最終シミュレーションである。前回の外来で、顔面をぐちゃーっとされて、上半身のカバーを作成した。出来上がったカバーと共に、全身の照射位置を最終調整し、いざ本番を迎える。前回の顔面ぐちゃーが何気にきつかったので、この放射線も密かに怯えながら、治療室へと向かった。部屋に案内されると、ジブリの癒されるBGMは流れているものの、前回と異なり天井の妖艶なステンドガラスは無かった。着替えを済ませ、台に横になるように言われる。そこから、全身の位
マイ・ルーム1997年2月8日公開白血病で余命いくばくもない女性をめぐり、長年絶縁状態だった妹とその家族の再会と新しい絆を描くヒューマン・ドラマ。あらすじ母子家庭で手に職をつけるため、美容師をめざして美容学校に通うリーのもとに、長男ハンクが家に放火して家出したという知らせが入った。ハンクは生活に追われ子供を顧みる余裕のない母親と心を通い合わせることができず、鬱屈した日々を送っており、唯一愛情を感じることができるレーサーだったという父親の写真だけ残して家に火をつけたのだ。ハンクは精神病の
先生から再移植の可能性について話があった本人にも子供にも義父母にも言えない言えば動揺しかない闘えなくなるでも、私には心強い味方がいる友達がいる職場の同僚がいる姉妹がいるまずは友達に本人に事実を言えないが、言わないこと、秘密にしていることへの罪悪感があることをLINEとりあえず、一旦休んでから考えよう誠実も不誠実も優しさ私が1番夫のことを理解しているからどれを選択しても間違いではない夜考えるのはやめよーと返信友達いい人だな本当に私の気持ちを配慮してくれる
抗がん剤治療をする時は、通常のいわゆる点滴ではなく、カテーテルなる管を血管の中に挿入して、そこから抗がん剤を投与することになる。詳細は第28話をお読みいただければと思うが、簡単に言えばカテーテルの方が効き目が強いというメリットがある。過去2回、カテーテルを入れているが、実はわたくしこれが結構苦手だ。いや、もしかしたら、あらゆる検査や処置の中で、一番苦手かもしれない。何故なら、よくわからない管が自分の体内に、しかも血管の中に入るなんて信じられない。原始人の私にとっては
この時期、体調がすこぶる良いので、あれだけ食べられなかった病院食もほぼほぼ食べられている。不思議なものだ。見ただけで気持ち悪くなったものが、今ではこうして食べられる。やはり、元気なことって素晴らしいんだな。と、また、当たり前のことを考えながら、本日の夕食も完食した。夕食に出たフルーツのオレンジを勢いよくかぶりついたせいで、オレンジの繊維が歯にはさまった。こいつが結構厄介だ。取れない時はずっと取れない。どこにしがみついたら、そんなに取れないものかと思う程だ。ティ
移植の日別に私はやることがない朝からだらだら子供達を送り出し昼寝久しぶりに何の予定も入れずにゆっくり時々、パパから経過の報告写真も送られてきたドナーさん近くの病院だったのか昼前には骨髄液到着13:50から開始担当医がつきっきりでいてくれたそうだ心強いありがとうございますたぶん、パパは寝たふりしてたね夕方終わったとパパから連絡義母とも電話ひとまず終わったことにほっとしたほっとしていたのに病院から電話終わった報告?珍しく主治医から移植終わりました採取
入院day40あれよあれよと入院してから、40日が経ちました。もう自宅には帰れないのかもとどこかで思っていたところに退院の可能性が!?って一回気持ちが上がったところに発熱でおジャンになってやさぐれるわ〜帰りたいなあ。同じ部屋の人は次々に退院して行ったそして一時退院を終えて、また入院してきた人もいる。そんな中、まだ同じベッドに居残ってますよ、わたし帰れたらパパと娘に食事を作りたい。毎日家事していた時はそんなこと思わなかったけ
再燃してから行かれてなかった(トイレダッシュの為)美容室、まだ骨髄抑制から復活出来てなく、血球がアレですけど限界なんで行ってきました。カットコンクール全国一(グループ店かな?)の濱田あきら君がいるi.Ehime今回は軽い骨髄抑制があるためか、短いヘアの脱毛が多いです。プチはげ( ̄^ ̄゜)↓10年半前よりはいいので、皮膚科は我慢します。66歳の婆もこんなに可愛くして貰えました。キレイにして貰ったのに、風ピープーで汚くなりました。ステロイドでほっぺがリス(՞•·̭•՞)痩せ
最近2度にわたって、骨髄バンクの話を書きましたので、ドナー登録の現場で言わなくてもいいこと|MTFのAkemiのblogイタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き(ameblo.jp)「ハプロ移植」も選択肢に|MTFのAkemiのblogイタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き(ameblo.jp)それに追加する意味で、今日も骨髄バンクの話です。前々回、ドナー登録の現場で登録希望者に手っ取り早く説明をする場合、「2000人のかたが毎年新規患者登録しますが、そのうち移
5人家族(夫婦、長男13歳、次男10歳、長女5歳)長男妊娠中から始めたブログ。長男の闘病記でしたが、今は通院しながら日常生活を過ごせています。長男、2020年小3の9月7日血液検査で急性骨髄性白血病と診断され緊急入院。すぐに抗がん剤治療開始。一時退院後の骨髄検査で結果が良くなく、骨髄移植をすることに。誰かの参考になるかはわかりませんが、記録を残します。長男が2020年9月に緊急入院して46日後、一時退院(3泊)、再入院して30日、一時退院(5泊)、再再入院30日、一時退院(9泊)、再々
会いたかったよー大事な大事な友が病気をして入院中病室の窓のところで体育座りをして色々考えたと。その姿を想像しただけで泣けました。2度の病気!無菌室での生活。骨髄移植。胸が張り裂けそうにショックでした。心配されてる方々から私のところにも、お問い合わせが沢山きましたでもまだあの頃友は病名をブログに書いてなかったので、私の口からは言えない。聞かれるたびに、ごめんなさいとそしてまた落ち込む。何もなかったかのように毎日のブログを書くのが辛くなった時もありました。無菌
いよいよ、骨髄移植が近づいてきた。兄のドナー検査から始まり、自分のHLAが特殊だと知り、同僚達から次々にドナー登録をしたと連絡をもらい、一度は決まった移植が残念ながら中止になり。様々な過程を経て、ついにその時が現実になろうとしている。恐怖と共に、今回も自分の身を削り、何の見返りもない骨髄の提供を意思表示していただいたドナーさんに、ただただ感謝の念でいっぱいだった。ドナーさんの気持ちにも全力で応えるのが私の責任だ。改めて身が引き締まる思いになる。ここからは私調べの話に
昔から記憶力には自信がある。勉強も暗記物は得意だった。知らない人でも、街中で一度見た顔は忘れない特技もあった。この調子だと、自分はFBIの諜報員にでもなれるんじゃないかと本気で思ったこともある。今でもその記録力は衰えることなく、健在だと自分では思っていた。しかし、妻に言わせると、あなたは痴呆症レベルだと言う。ニワトリの様に3歩歩けば忘れてしまうみたいに。確かに、そう言われると最近物忘れが激しい気がする。昨日食べてことものなんて楽勝で忘れるし、今朝食べても
みなさんのおかげさまで!しんらいライフサービス株式会社寺﨑道弥です。※この記事は骨髄バンク制度を否定するものではありませんし、心あるドナーさんを止めるつもりはありませんが、一石を投じておきたいと思います。ワタクシ、ここに書いたことあったかどうか?傍から見ればかなりの献血マニアであります。今までの献血回数111回全血はもちろん、成分献血、血小板献血、血漿献血、と全コースです。本当の献血マニアは、日本全国の献血ルーム巡りして「全制覇!」とかやってます
手が震える〜今日は、退院してから3回目の外来でした。白血球3,100ヘモグロビン11.5血小板7万7千前回、10万あった血小板が、7万台に。採血の後、貼ってもらう絆創膏が血で染まったので、低いかもなーと少し思ったのですが、やはり低かった。副作用で血球が下がる薬を飲んでいるから、その影響だろうとのことです。車椅子卒業!?今日は、なんと!!車椅子なしで、病院を受診できました!!すごい達成感です。やったよ、できたよ。そんな気持ちでした。笑体調について胃のムカムカは、
終わる。終わってしまう。退院してから毎日のように、今日は退院〇日目と手帳に記録していた。今回は過去2回よりも書く回数が大幅に増えた。1番長い一時退院が終わりを迎えようとしていた。実家に帰り、自分の家に帰り。当初は実家と家を交互に行き来しようとしていたが、自分も家族も体調が良かったため、結果的にほぼ家に滞在した。子どもとの時間をたくさん過ごし、我慢していた外食にも行き、家族でドライブにも出かけられた。とても充実した時間だった。〇日目の数が多くな
やっぱりリハビリは焦っちゃダメここ最近の体調についてです。血球も安定して来て、貧血による怠さは、なくなってきたかなぁと思います。相変わらず、上半身にボツボツができてますし、胃もなーーんかスッキリしないんです。いつ治ってくれるのかなぁ。最近は、さっぱりしたものが食べたくて、無性にトマト🍅を食べたくなります。他には、ナシとかリンゴとか食べたいですね。アイスとかも食べやすいです。唐揚げ、トンカツ、ハンバーグなどは、退院後にひと通り食べたら、欲がなくなって来ました。脂っこいものは
妻と子どもを8回くらい起こして、やっとこさ全員が起きた。何分かかっただろうか・・・。つくったおにぎり達が悲鳴をあげている。どこの家もそうかもしれないが、我が家の住人は寝起きがとても悪い。目を開けてから体を起こすまでに行う所作の数が13個くらいある。伝統芸能レベルである。そんな所作を一人一人確認しながら、前の所作に戻らない様に慎重に声を掛けて、次の所作へといざなっていく。こうして、1時間近く時間を掛けて家族を起こすのが私の役目である。ようやく全員が起きたの
先週に引き続き、今週もNatureのトップ・ニュースは「中国からの衝撃」ですCAR-T療法というのを耳にしたことがあるかと思います。YoutubeでNHKの「サイエンスZERO」の特集を見ることができます一言でいうと「人類初の本格的な遺伝子治療」です。その画期的効果は上記の動画を見ていただくとして・・実は重大な問題が2点あります。(1)費用が3千万円かかる患者さん自身から採取したリンパ球に遺伝子を導入するために大変な手間がかかるのです。(2)発癌のリスクがゼロではない
いつも申しておりますように、わたしは日本骨髄バンク認定の説明員資格をもっております。各地の献血会場におもむいて、献血のついでに骨髄バンクのドナー登録もしませんかと呼びかけ、話を聴いてくれる人には手短に説明するというボランティア活動に、けっこうな頻度で出動しています。その際、献血の受付から問診・採血への流れに滞りを与えないよう、説明はできるだけ手短にというのが、献血会の主催者である日本赤十字社からの要望であり、また日本骨髄バンクもその要望にできるだけ沿うようにと説明員に求めておりますの
退院中、買い物に行ったり、外食に行ったり。病気になる前は当たり前だったことを、今では当たり前じゃなく満喫している。特に今回は体調が良いだけに、昔に戻ったかのような気分になることもある。体が自然と昔を思い出し、それに合わせて心もかつての感情を思い出しているかのようだった。それだけ体調も良いので、今回はできるだけアクティブに動き回りたかった。なにせ、次回の入院は数カ月缶詰にされるのだから。前回の一時退院では、初日に娘を叱ってから秒で不調に陥り、ほぼ出掛けることがで
第三クールの抗がん剤を終えてから2週間以上は経過しているが、髪が抜けてこない。初めての抗がん剤治療を行った第一クールでは、言われている通りの2週間後に髪が抜け始めた。その時は、同部屋の人達も同じ様なタイミングで抗がん剤治療をしていたので、髪が抜け始めるタイミングもだいたいみんな同じだった。1人じゃない安心感からか、謎の一体感を1人で味わっていたことを覚えている。さらに思い返してみると、そう言えば第二クールの抗がん剤の時もほぼ髪が抜けなかった。ただ、あの時は大量の利尿
また生えてくるかなぁでも今はウィッグを楽しむ!移植時の脱毛についてです。4月の寛解導入療法で、ツルピカ頭になりました。それから4ヶ月で、大体3センチは伸びたかなぁと思います。でも、移植前の前処置(抗がん剤➕放射線)で、またツルピカ頭に。寛解導入療法の時は、抗がん剤投与から2週間くらいで脱毛が始まりました。移植時の脱毛は、前処置が終わって1週間くらいから始まった気がします。髪が短いので、抜け毛の処理が面倒くさくて。なんと!!脱毛時に必須のアイテム「コロコロ粘着ローラー」を直