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抗がん剤投与から二週間が過ぎる頃、枕元を見ると髪の毛がいつもより多く散らばっていた。まだ、治療自体は一回だし、白髪の副作用もあるから、脱毛はそんなにしないんじゃないかと勝手に想像していた。おもむろに、頭部の髪の毛を引っ張ってみた。おー、ごそっと抜けるのではないか。これが噂の抗がん剤の副作用である。自分の場合、髪を短く準備していたのと、思ったより大量には抜けなかったので、ショックは最小限に抑えられたかもしれない。特に男だし、あまり気にはしていなかった面もある。
と、いうことで、骨髄移植から10年が経過致しました。ドナーさんに改めて感謝致しますm(__)m幸せになっていると良いなと、心から願っております。治療にあたって頂いた医療関係者の皆様にも、改めて感謝の意を表したいと思います。現状は、血圧の薬やら痛風の薬などを服用している関係で、3ヶ月毎の外来になっておりますが、特に問題体調は問題ありません。血球に関しましては、全く問題ない数値です。γGTPがやや高いとか、HbA1cがやや高い等、基準値を外してる項目もあるっちゃあるの
ステロイド(プレドニン)を移植する前から飲んでいたコートリルに変え一か月。特に変化なし。強いて言えば、食べる量が減ったか?股関節の痛みは増すばかりで、左の股関節も順調に削れている。前のように台所に立っての料理がきつくなった。早く人口股関節を入れたいが、免疫抑制剤を服用しているせいで出来ず。でも明日から一日2錠だったのが1錠になる。順調だ。10月で骨髄移植をしてから約4年が経つ。それまでに免疫抑制剤を完全に無くし、念願の人口股関節置換手術に備える予定だ。大学3年生
2023.7.25発熱合間からこんにちはフィルターでめちゃくちゃ健康そうに強引に顔いじってケア帽子で自撮りBBA。直前で黒歴史作りはじめたか?笑。我ながらうける。まだステロイド使ってないよ?冷静に見たら、ワタシガンジーによく似てるよ?自分いじりに入りました!ファイル見たら子どもたちが、ママやばーいどうしたんだよ?そう思ってクスッと笑ってもらえば良いのだ後で故人が楽しそうにしてたらよくない?葬式の打ち合わせにパパ(ゼレンスキー)に行ってもらったら見積り9万円で帰ってきた…マジ
そんな苦しい状況の中でも、治療以外の自分のやるべきことは決して怠らなかった。家族に負担を掛けたくなかったのと、自分できちんとやりたい性格なのである。会社保険の傷病手当は会社の協力もあり、毎月しっかりと申請ができていた。あとは、個人で入っている保険だ。時間を見つけて保険会社に問合せ、この状況でどのような条件といくら支給されるのかをしっかり確認した。保険によって様々なタイプはあるだろうが、私が加入していた保険は、病気に掛かった時点での一時金や、同じ病気・治療であれば期間
一年前【急性骨髄性白血病】と言われました。今回は文字多め、記事も長いです※自分記録用のため以前も記事にしましたが私個人の治療の流れを思い起こしていました。✳️白血病の分類★白血病は大きく急性白血病と慢性白血病に分類され、それぞれ骨髄性とリンパ性が存在★急性骨髄性白血病(ALM)と慢性骨髄性白血病(CLM)では病態や予後、治療戦略が異なる★日本においてALMなども含めた白血病全体の年間羅漢者は人口10万人に対し、男性は13.7人女性は9.1人である。➡︎私はこの9.1人の
一回目の抗がん剤投与から約二週間が経ち、口の痛み・酸味と全身痛はピークを過ぎたが、腹痛だけは継続して激痛をもたらし続けた。相変わらず、食べては吐き、食べては吐きを繰り返し、もはや何も食べられない状況に陥っていた。こうなると食事も栄養も取れなくなり、体には大きな負担がかかってしまう。先生とも話をし、まずはこの状態を一旦リセットするために、食事は全てスキップしましょう、となった。例えば胃腸炎の時の様に、胃には何も入れずに一度正常な状態に戻そうという原理と同じだ。断食の始
ビダーザ投与を始めて一年たちました退院して半年くらいは白血球も3000近くあり体調もわりと良かったのですが今年に入り2500超えはありません今回は白血球2230血小板21.5ヘモグロビン8.3担当医から「そろそろ骨髄移植を考えますか?」と言われたらしいえっ!?3年前、65歳で発病した時年齢的に骨髄移植はダメージの方が大きいと言われたのに68歳で移植?オットは速攻で断ったらしいけど先生も気休めで言われたのかなぁ子供たちは移植するな
いつか終わりが来るだろう。一週間も経てば回復しているだろう。そう願いながら、最初の一週間を何とか切り抜けた。しかし、副作用は収まりを見せるどころか、次の攻撃を仕掛けてきた。強烈な便秘である。先述した通り、人生の中で便秘と無縁だった私も、入院初期に便秘の恐ろしさを知った経験がある。今度は、その便秘の数倍の力で私の腹部を痛めつけてきた。抗がん剤はかなり強い薬である。それにより急激な便秘に見舞われたのである。私の場合、かなりの下剤を飲みながらも、5
どっちみち、抗がん剤やってもまたぶり返しちゃうんだけど、それでも、骨髄移植までの時間稼ぎに2クール。心配していた口内炎や腸炎、皮膚炎もなく、あまり効かないかもと言われていた有効そうな数少ない抗がん剤。それでもそれなりに効果あって。数値は低くなり、やれやれ、それでも良かった。ドクターは、全く効かないかもみたいなこと言うからー病院では、口内炎は、絶対起こさせない徹底ぶりで、朝、3食の食事前、就寝前、イソジンでぶくぶくうがいとガラガラうがい。食前のイソジンは、食欲なくす❗️と本人のうったえでそ
翌日、大きな体調の変化は無かったが、若干、体が火照ったり、下がピリピリする感じはあった。しかし、生活するに支障はなく、こんなもんかと思う2日目の朝だった。最初の週は連続三日間抗がん剤が投与されるため、この日も一種類の投与が行われた。3日目も同様、大きな副作用が起こることもなく、無事に投与は終えた。世の中、こういうものである。最悪の事態を想定しておけば、意外とそのような事態にはならない。むしろ、自分の気持ちが勝ったんだと、少し誇らしげになりながら、今後の治療に前
昨日チョコを連れて帰ってきた。先週、私が会いに行った後から体調を崩してね...元気がなくなって分離不安が酷くなったような気がして、また捨てられたと思ったのかも😭本当はもうちょっと預かってもらう予定やってんけど、チョコの様子を母から聞いてて連れて帰ろうと決めた。昨日トリミング予約してたので、その後連れて帰ってきましたよー✂️🐶想像通りチョコは家に入るなりワンワンって吠えて、家中に匂いを嗅ぎまくってすぐおしっこしてお水飲んでwしばらく落ち着けへん感じで急に動き出したり、やっぱりだいぶ
オリンピックが近づき、池江璃花子さんの近況を見聞きする機会が増えた。わたしは急性リンパ性白血病で、骨髄移植を受けている。聞くところでは、池江さんと同じようだ。とはいえ、白血病とひとことで言ってもいくつも異なるタイプがあるそうだし年齢も親子ほど違うから、治療法なども異なっていただろうし厳密には「同じ」とはいえないのでしょうけれど入院中、時々池江さんの話題が出た。池江さんは東京オリンピックに出場していた。「何をどうやったら、できるの!?」と、時々病室でも話題にな
骨髄移植してから早数日移植当日、終わったのは夜の10時半結構長かったその間、心電図をとったり血圧測ったりをするため色々体に管が付いてくるので、トイレとか結構大変でした次の日から徐々に副作用が出始めるんだけど、私の場合前処置で使ったアルケランの副作用が一番ひどくまずは吐き気、嘔吐そして口内炎ご飯も全然食べられなくなり、吐き気が常に移植後もメソトレキセートという抗がん剤を数回数日に分けてやるんですが、それも口内炎の副作用今現在ものすごい酷い口内炎にやられてます水すら飲めない喉にフタ
いよいよ、本格治療が始まる。ご存じの通り、ガンとの闘いはこの抗がん剤治療が起点であり、非常に大事な治療である。ここに来るまで、私は約二カ月を要した。常にドキドキしながら、その時を待っていた。抗がん剤治療のスケジュールはしっかり計画立てられており、約一カ月のスパンで毎週(計4セット)抗がん剤が投与される予定になっている。特に初回は3種類の抗がん剤を一気に投与するらしい。投与初日であるこの日は、同時に背中に注射を刺し、脳内に白血病細胞が浸潤しないように抗がん剤を入
おはようございます。中野です。昨日は、長男(小6)、長女(小4)と今年2回目の市民プールです。子供達は夏休みなので、もっと行ってます。25mプールとミニ滑り台のついた幼児プールしかありませんが、2時間で大人220円、子供70円は良心的です。プールで冷えた体を湯船で温まるのが好きです。毎朝、ブログ投稿していますが実は前日の昼休みとか湯船の中で作成して下書き保存しています。そのあとは家族4人で少し離れている公園の夏祭りにいきました。新型コロナウイルス、熱中症、手足口病患者
毎月行っていた病院の血液検査の結果白血球の数が減少しています。紹介状をかきますので大学病院で診察を受けて下さい。2022年5月診察の結果骨髄異形成症候群治療方法は、骨髄移植しかない。移植の為に2022年5月下旬入院抗がん剤の治療を受けるも、想定した結果がでない。おかしい。より深い検査結果は急性骨髄性白血病であった。2022年9月骨髄移植生着せず。自分の骨髄が残る。移植は、移植前に行う、強力な抗がん剤の投与と放射線治療。骨髄を無にするところから始ります。その
暑いですね身体に熱がこもり触ると身体が暑いです熱中症にならないように、冷感グッズを身体にあててすごしています移植をすると体感温度が変わるという人もいますね。私の場合は、体感温度はさほど変わらないと思いますが、汗のかき方が変わったと感じます。サラサラ〜と汗がでないドロ〜っとした汗がでるようなそんな汗のかき方です毛穴が詰まっているのでしょうか避暑地に来ました霧があって幻想的でした〜涼しく過ごせました一泊でしたので、またゆっくり訪れたいです私の骨髄の中に、ド
久しぶりにブログを更新します息子、day19で無事に生着しましたひかりちゃんありがとう〜実は生着する前にHHV6脳炎に罹患してICUにいました。day17の午前中から背中お腹の痒みを訴え、その日の午後には膝裏からお尻にかけて激痛になり、週末だった事もあって検査は月曜日になったのですが、先生がウィルス性の髄膜脳炎を疑っていますと、言う事で先行して治療をしてくれました。痛みが酷くてモルヒネやアセリオも効かず、何日も眠れなくて電撃痛がきた時にさすってあげたくても触れるだけで痛くて、ず
血球貪食症候群と診断されて、肝機能の数値が上がって黄疸にもなってステロイドの治療で熱は下がったけど、黄疸になってしまったから家に帰る目処が全く立たなくなってしまったいつもだったら、いつに治療薬入れてそれが終わったら回復を待って一時退院っていう流れだけれど黄疸が治らないと帰れないよね抗がん剤も量は多くなくても入れてるから、血球もまた下がっていつ回復するかも分からなくて頭の中回らないし、不安でしかない移植まで辿り着けるのかな何を目標に頑張ればいいんだろう《7/20限定10%クーポン》
ある病室仲間を紹介したい。命名に悩んだが、元気おじさんからの最終的にはロボット治験おじさんで落ち着いた。正直、この人のお陰で途中頑張れたと言っても過言ではないくらい、目標になるような凄い人だった。この人は、私の後に病室に入ってきたが、おそらく既に何回かの治療を終えている状態と見受けられ、私よりも治療の先輩だった。抗がん剤治療もしっかり行っていた。そんなおじさんだが、普段は寡黙で、返事もほんわか大きな声を出すわけでもなく、静かなマイペースなおじさんという感じだった。
昨日従姉妹に報告したらいつもいつもなんでそんな人事みたいにと…絶句されてえ〜〜何?何?の私何であんたが泣く最近ジモピーも何でアンタばかり病気がやってくるんだよ!と泣かれて泣くな大した事でないからと私…やっぱ周りの反応が…重い…有り難いし感謝いつもいつもしてるけどさなっちゃったもん仕方ないじゃんと私そんな激下げに考えたら前向けないでしょと私はいつも思うのねでもずっとずっと応援して貰ってパワー貰って今迄来たのは神様にみなさんの祈ってくれた気持ちが届いたんだよ!きっと
先日、ボランティアの説明会に行ってきました。面接みたいな感じ。息子が寛解してから、ずーっとやりたかった事。私たち家族が、ここまで、来られたのも、ボランティアの方々のお陰でもあります。私が、申し込みをさせていただいたのは、小児科病棟、緩和ケア病棟のお手伝いです。活動内容、病院名のSNS投稿は禁止だそうですが、どんなことをするかは、闘病経験者ならわかると思いますコロナの影響で、病院のボランティア活動は、縮小されているところが、ほとんど。頻度は多くありませんが、やりたかっ
5月末、再び病院へ入った。久々の帰宅で家族と会えたのは良かったが、完全なる不完全燃焼。子供にもそうだが、負担をたくさん掛けてしまった妻への申し訳なさはずっと引きずっていた。しかし皮肉にも、自宅で散々苦しんだ私は、ここから三日間、入院至上最大の絶好調期を迎えるのである。神よ、悪戯が過ぎますよ!咳は収まる、熱は出ない、食欲は出る、なんなら調子に乗って筋トレをしたり、ルンルンで散歩する始末。この時間を三日早く頂戴できますれば良かったものを。だから、悪戯である。
こんばんは今日は恒例の朝4時起きもう明るかった☀️体温1度あげる薬を必要としない自分の自然治癒力をあげてお客様の問題解決のお手伝いをします温活サロンsoraのミカちゃんです今日の講師は高坂行成氏生きる〜骨髄移植を乗り越えて〜骨髄バンクでドナーがみつかり移植され17年間が立ち今生きてます薬は日本酒ですと笑顔で話された😀私は以前透析の病院で勤務していたため腎移植と同じ骨髄移植もドナーが見つかるまで宝くじに当たるような確率に近い😅実際約30万人のドナー登録
2024.3/27今日はお母さんと病院へ。治療から解放されて、病気なんか忘れて毎日心の平穏を一番に過ごしてただけあって2週間ぶりの病院は全細胞が拒絶するくらい苦痛だった。そのストレスは病院に向かう足を重くしたし、待合室で待ってる時にはお母さんの話が全く耳に入らないほどの胃の痛みと猛烈な吐き気に変わった。隣に座るお母さんがわたしの顔を覗き込んで、顔が青いって心配し出したけど、1分でも1秒でも今すぐ家に帰りたかっただけ…。診察室に入って、先生は慢性骨髄性白血病と骨髄移植について書かれてる冊
ラーメン、カレー、カツ丼、牛丼、ナポリタン、生姜焼き、などなど。絶対に食べたかったご飯。妻も何とか食べられるように味や量を調整して出してくれた。しかし、この退院生活で一番おいしかったのは、おかゆと梅干しになってしまった。なんてこった。食に対する夢は遥か彼方へモクズとなって消えた。そこからは、仮釈放からの強制送還だけは避けようと、とにかく熱を上げないことだけを心掛ける日々だった。気持ちが勝ったとでもと言うのか、37.3℃をマックスとして、それ以上上がること
見ていただきありがとうございます。急性骨髄性白血病(M2型)2022年8月から闘病中。化学療法5クールで2023年2月末に本退院。入院日数156日。本退院1ヶ月後の4月から時短で復職。2023年12月16日WT1上昇再発疑い2024年4月再発確定4月23日〜再発入院ベネトクラクス+アザシチジン療法①5月28日一時退院6月14日〜外来でのベンアザ療法②2週間で終了7月3日(水)造血幹細胞移植入院←今ここ7月12日(金)前処置開始予定
週末、チョコと母に会いに行ってきた‼️毎回私が退院してきた時って、チョコは普段通りの喜び方なんよね。嬉ションしたり大喜びって感じではなくて。今回もそんな感じやった( ̄▽ ̄;)母の住宅はペット禁止なので、絶対吠えさないようにしててチョコもそれをわかってるようでとっても静かに喜んでおりました^^;私は退院のたんびに久しぶりにみるチョコがとても小さく見えるねん。今回は特に小さく見えた。やっぱりうちのこすげえかわいい😊♥️ほんまにかわいい、ずっとずっと会いたかったよぉーー!
家に着き、やはり懐かしい景色だなーと昔を思い出しながら、私はしばらく入院していたのだと改めて実感した。やはり帰る場所があるのは素晴らしいことだ。急に帰ると、何をして良いかわからなくなるものだ。妻は家事に、買い物、子供の対応に忙しいので、私はとりあえず体を安静にし、子供たちが帰るのを待った。夕方前に子供たちがそれぞれの場所から一斉に帰宅する。体調は悪いが、子供と再会することがとても楽しみだった。そして、いよいよ再会の時。心と体は勝手に反応するものだ。