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早くも1月下旬ですが、ここからが「今年の」全駅間歩きです。年明け最初の路線は東金線です。東金線は、外房線の大網駅から東金駅を経由して、総武本線の成東駅に向かう路線です。営業キロは13.8kmで、駅は両端駅を含めても5つしかありません。久留里線・鹿島線とともに地方交通線に指定されています。営業キロがこの数字であれば、少し寄り道しながら歩いても20km弱でゴールできますし、全区間に渡って九十九里の海岸平野を歩くので、アップダウンもほとんどありません。まさに「歩き初め」にはぴ
探索日2017/05/041967年9月28日、新清水トンネル開通/湯檜曽~土樽間複線化時に移転旧駅は北湯檜曽信号場となる1984年11月8日、同信号場廃止奥へ登っていく道が旧駅への入り口入り口脇に上越南線殉死者供養塔旧駅前広場かつては駅前に医院と小料理屋があったらしいここがそうか?ホームへ出るにはさらに階段を上る閉鎖されている施錠はされてなかったかもしれん中をのぞいてみる駅前広場を見下ろすここからホームに行け
訪問日2015/08/09三沢駅近くに存在した、東北本線と貨物列車を受け渡すための連絡線十和田観光電鉄は1986年に貨物営業を終えているので、連絡線もその際お役御免になったと思われる※Wikipediaには「貨物輸送廃止後は、まれに甲種輸送で車両を輸送する場合に使用された」との記述がある※言うまでもないやろけど十和田観光電鉄本線も2012年3月に廃止されているここに連絡線があった奥が三沢駅左奥は十和田観光電鉄の三沢駅跡貨物ホームか踏切跡ここに三線の線路が
探索日2017/12/29矢向駅と川崎河岸駅を結んでいた貨物線廃止は1972年5月25日東京製綱川崎工場/川崎市中央市場専用線が分岐していたけど、特に跡は残っていない緑道公園が川崎河岸駅跡一線に収束していく川崎河岸線跡はさいわい緑道になっている国道1号線を横断右の遊歩道が川崎河岸線跡このへんで中央市場専用線が左へ分岐していたさいわい緑道はここで終わりこの先は住宅が建っている中央民家の位置が貨物支線跡この道
探索日2017/08/11切り替えは1967年12月14日の複線化時目時駅は新線上に移転金田一駅は現在の金田一温泉駅カーブしてるとこが金田一駅方新旧線分岐点旧線は写真右下へ続く左の上り線は線増された線、右の下り線がオリジナル線左の砂利道が旧線跡右は現在線金田一トンネル南口廃線跡の道旧線はここを走っていた国道4号線沿いが旧線跡段差上が廃線跡廃線跡上に来てみた鉄道時代の擁壁ここが旧線跡か?駐車スペースが廃線跡
探索日2017/12/30武蔵五日市駅(三内信号扱所)と武蔵岩井駅を結んでいた路線廃止は1971年2月1日その後も大久野駅に接続していた日本セメント西多摩工場専用線の貨物列車の運行は継続1982年11月15日貨物運行も廃止、支線は完全に消滅右は五日市線支線はこの先で本線から分岐、こちらへのびてくる奥へ続く岩井支線支線はここを走っていた擁壁の上ではないと思う鉄道用地のスペースが残っている東京都道31号線沿いを走っていた岩井支線国鉄の
↑↑↑どれかクリックしていただけると元気が出ますw!(^^)!1月30日(土)の記録です。県道から外れ海老川沿いの廃線跡を利用した道路に入り、トンネルがあったところまで進んだことをお伝えしました。そのトンネル、北側出口付近で中から外を見ますと、妙に歪んで見えるんですなwしかし出てから振り返るとそうでもない、不思議なトンネルでした@@では2つ目のトンネルです。この先の地域コミュニティセンターのようなところ
探索日2017/08/15地下化にともなう線路移設切り替えは2000年3月11日ちなみに、仙石線の前身宮城電気鉄道の仙台駅は地下にあったつまり、再び地下にもぐったということ東北本線貨物支線(宮城野貨物線)との交差地点旧線はここを走っていた現在線はこの真下現在線はここで半地下から地下に入る撮影地点が旧線跡線路橋の位置から見て、新旧線は平面的には同位置にある道路を横断し奥へ続くドーム屋根建物の場所が旧陸前原ノ町駅跡現行駅はあの真下旧陸前原
↑↑↑どれかクリックしていただけると元気が出ますw!(^^)!2月11日(祝)の記録です。この日は30年来のお付き合いである昔の音楽仲間と、京都で3カ所ほど物件を回ってきました。その2発目に伺ったのが比叡山山中に眠る空中ケーブル施設のうち、最も規模の大きい高祖谷駅跡でした。場所は現在の比叡山ケーブルとロープウェイ駅が隣接しているあたりから少し廃道を進んだところにあります。比叡山ドライブウェイから入りますと、山頂駐