ブログ記事593件
訪問日2015/08/09三沢駅近くに存在した、東北本線と貨物列車を受け渡すための連絡線十和田観光電鉄は1986年に貨物営業を終えているので、連絡線もその際お役御免になったと思われる※Wikipediaには「貨物輸送廃止後は、まれに甲種輸送で車両を輸送する場合に使用された」との記述がある※言うまでもないやろけど十和田観光電鉄本線も2012年3月に廃止されているここに連絡線があった奥が三沢駅左奥は十和田観光電鉄の三沢駅跡貨物ホームか踏切跡ここに三線の線路が
探索日2017/08/15切り替えは1981年11月1日の高架/複線化時※東塩釜、本塩釜駅が新線上に移転この先が陸前浜田駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる新線脇に続く路盤跡この奥でトンネルに入る新線にトンネルはない杉の入トンネル石巻駅方口中央倉庫の裏に杉の入トンネル仙台駅方口がある杉の入トンネル仙台駅方口扉があるけど施錠されている道路になった旧線跡左は現行東塩釜駅右奥へ続く道が旧線跡ここが廃線跡右の切り取りは鉄
探索日2016/05/02水戸駅と那珂川駅を結んでいた貨物線廃止は1984年2月1日那珂川駅からは日本専売公社水戸工場専用線が分岐左の線路の位置が貨物支線跡軌道は当時のもんやない右は水郡線水郡線左が那珂川線跡むこうが水戸駅那珂川駅方面を見る水郡線の位置に支線があった支線跡は水郡線付け替えに利用されている左が旧水郡線跡右奥へ続く道路が支線の跡上写真の道路上に来た支線は切通しからここへのびてくる道路が廃線跡水戸駅方面を見
探索日2000/12/24宇品駅跡付近に残る貨物ホームこれもそうやろレールと車止め、手動のポイント切り替え機が保存されている元々、ここにあったものかは微妙宇品駅跡芝生の部分に線路があったホームの一部だけが残る赤レンガ倉庫の断片が保存されているこの前にも貨物線がのびていた更地になって続く廃線跡左右にはマツダ宇品工場がある鉄道用地がはっきり残る道路にはさまれて続く線路跡手前には橋りょう跡築堤上が廃線跡これは線路を表しているんやろ警報機や信号機、
探索日2017/12/29大師線の末端であった小島新田~桜本塩浜~桜本は川崎市に譲渡され川崎市電の一部となったけど、ここでは京急大師線としての歴史のみ追う小島新田~塩浜は1964年3月25日休止、1970年11月20日廃止※小島新田駅は1964年の休止時、現在地に移転現在の小島新田駅末端かつては奥へ線路が続いていた右上が小島新田駅柵で囲まれたスペースが旧大師線用地右下タクシー停まってるとこが大師線跡線路は写真左上へのびていく貨物列車走ってるとこは神
探索日2017/12/29矢向駅と川崎河岸駅を結んでいた貨物線廃止は1972年5月25日東京製綱川崎工場/川崎市中央市場専用線が分岐していたけど、特に跡は残っていない緑道公園が川崎河岸駅跡一線に収束していく川崎河岸線跡はさいわい緑道になっている国道1号線を横断右の遊歩道が川崎河岸線跡このへんで中央市場専用線が左へ分岐していたさいわい緑道はここで終わりこの先は住宅が建っている中央民家の位置が貨物支線跡この道
訪問日2015/01/18切り替えは1983年6月5日の複線化時現在線は、大半を1,253mの下天見トンネルで通過する前回探索記事→南海電気鉄道高野線旧線(紀見峠~三日市町)奥は天見駅駅が南側新旧線分岐点旧線はここへのびてくる右は現在線下天見トンネル橋本方口旧線は民家の右へ続く廃線跡は歩行者・自転車専用道路になる旧線跡の道路は「河内長野市テクルート」の一部になっているらしいレールを組んだ落石除けは鉄道時代のものと思われる
探索日2014/08/10切り替えは2001年4月1日この先が時又駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる旧線は新線の右を進む現在線軌道の新しさが移設の証長野県道233号線をまたぐ現在線の左に旧線の架道橋があった痕跡はない反対側も跡なし旧線は新線とほぼ同じ位置を走ってた切り替え時期付近の航空写真がないから、正確な位置が特定できん旧線は右へ離れていく位置はだいたいこのへんのはず旧線は右奥へ続く久米川を渡る鉄道橋の痕跡はまっ
おはようございます。今回は、岐阜県中津川市、恵那峡口駅跡のブログです。昨日、3日に行きました。綺麗な木曽川が魅力的です。1978年までここに電車が走っていたそうです。ちなみに大正時代に開業したそうです。中津川駅から徒歩約30分で到着できます。近くに苗木城跡もあるので車がおススメです。苗木城跡もおススメの観光スポットの1つです。本日も読んでいただきありがとうござい
2月24日子供の頃自分で撮った写真が行方不明なのでネットから拾いました。昨日の続き☆ホテル街に行く前におとぎ電車時代の「ユネスコ村駅跡」が残っているというのです。場所は旧ユネスコ村を登りきったところとグーグルさんが示してますが、なんと、その敷地が全面立ち入り禁止に。回り道か、う〜ん。狭山湖側のラブホは土曜日らしく満員でした(笑)しょうがないのでグーグルさんを頼りに歩きましたが、2度も逆方向に歩いていたことに。ああ〜、私としたことが!スマホmapにばかり頼ってると、元々持
撮影日2015/03/29関連記事↓井笠鉄道本線(笠岡~北川)井笠鉄道本線(井原~北川)井笠鉄道矢掛線【前編】井笠鉄道矢掛線【後編】井原鉄道の高架橋の立ってるとこが神辺線跡神辺線東寄り区間はほぼ直線やったので、井原鉄道は完全に軌道敷きをトレースしている高架橋の真下に橋梁の跡また橋梁跡神辺線共通仕様のコンクリート橋井原鉄道は井笠鉄道跡にほぼ一致762mm軌間の軽便鉄道は近代的な高架路線に生まれ変わる橋梁跡
訪問日2015/12/29京葉線千葉貨物ターミナル駅を起点としていた貨物線1975年5月10日開業1994年1月20日廃止千葉貨物ターミナル駅も2000年4月1日に廃止されている千葉貨物ターミナル駅跡現在は商業地になっており、ミスターマックス千葉美浜店などが立地しているここに操車場があり、10本ほどの線路が並んでいたE233系電車5000番台の走っているとこは京葉線食品北線はこのへんから右へのびていく駐車場が食品北線跡敷地がカーブしている
探索日2017/05/06、10/081893年(明治26年)に開業したアプト式時代の線粘着式の新線開業と引き換えに1963年9月30日廃止軽井沢から横川にむかって歩くそうすれば下り坂で楽やからな軽井沢~熊ノ平の旧線は、大半の区間で新線下り線に流用新線下り線16号トンネル軽井沢方口脇に残る旧トンネル坑門はしっこは新トンネルに食われている新線下り線11号トンネル軽井沢方口にオリジナルトンネルのレンガ坑門新線には落石覆い接続している封鎖された碓氷第18ト
今回は特にネタが無いので、1994年4月1日に廃止・会社解散となった野上電気鉄道を撮影した時の模様を取り上げたいと思います。野上電気鉄道は、かつて和歌山県海南市の日方駅から和歌山県海草郡野上町(現在の紀美野町)の登山口駅まで結ぶ鉄道路線で、1916年2月4日に開業しました。1993年8月に友人らと行った青春18きっぷ旅の途中で、野上電気鉄道の記録をしようと、和歌山駅から4つ目の駅「海南駅」へ向かいました。和歌山駅を出発する前は南海貴志川線1201形に乗ってました和歌山駅からJR紀勢本線で
太田川交流館かけはしの駐車場の中央にはJR可部線の加計駅跡がありました。JR可部線は可部(広島市安佐北区)から三段峡(安芸太田町)間の21駅で、総延長46.2キロ、加計駅は1954年年3月30日の可部線開通時に開業して2003年11月末で廃止になったそうです。
探索日2014/10/11廃止は2010年3月25日上沼垂駅は現在の上沼垂信号場沼垂駅跡を北側から見る柵のむこう側に線路が並んでいた沼垂駅から西へのびていた枝線の跡沼垂東緑地となっている元は1904年(明治37年)に開業した初代新潟駅にむかっていた線の一部この先が沼垂駅奥は新潟市立万代高等学校同校は駅跡に立地する沼垂駅跡廃止は2010年と、つい最近晩年は規模を縮小させて生き延びていた照明塔かレールも健在
訪問日2015/11/22スイッチバック式だった旧駅1968年8月30日の中央本線複線化時に本線上に移転した勝沼駅は現在の勝沼ぶどう郷駅大久保沢河川隧道(左)とスイッチバック線橋梁の橋台橋台の先が東京方引き上げ線終端『大久保沢河川隧道』撮影日2015/11/22西口場所は山梨県甲州市勝沼町菱山この上を中央本線の旧線が走っていた色の異なるレンガを交互に積み、変化を持たせているトンネ…ameblo.jp河川隧道の上を本線が走っていた勝沼駅の
探索日2017/05/061962年7月15日の信越本線高崎~横川電化時にスイッチバック廃止引き上げ線上にあった松井田駅は約2km高崎寄りに移転西松井田駅の開業は1965年西松井田駅ここが東西スイッチバック線の分岐点になる道路右沿いが西側引き上げ線跡民家のならびが引き上げ線跡道路のむこう沿いが廃線跡国鉄の境界標大理石か?境界標右が旧線路用地上本町公民館の位置が西側引き上げ線末端更地が旧鉄道用地末端から旧松井田駅方面を見る
探索日2017/08/15地下化にともなう線路移設切り替えは2000年3月11日ちなみに、仙石線の前身宮城電気鉄道の仙台駅は地下にあったつまり、再び地下にもぐったということ東北本線貨物支線(宮城野貨物線)との交差地点旧線はここを走っていた現在線はこの真下現在線はここで半地下から地下に入る撮影地点が旧線跡線路橋の位置から見て、新旧線は平面的には同位置にある道路を横断し奥へ続くドーム屋根建物の場所が旧陸前原ノ町駅跡現行駅はあの真下旧陸前原
旧日ノ丸自動車法勝寺電鉄線を走破完了後に、米子市駅跡の真上に住んでおられる方と鉄道談義を交わしてい時・・・この路線には母里支線というところがあり、隧道も残っているとの話を聞いた。せやけど、今から戻るのもなんやしなあ。でも、気になったらしょうがない。戻ることにしよう。法勝寺電鉄線は、米子市駅から法勝寺を結んでいた路線だが、阿賀駅から母里方面に向けて支線が出ていたようだ。ただ、本線の廃止より少し前の昭和34年に廃止になっている。支線の起点となる、阿賀駅を探すがよくわからない。おそらく、