ブログ記事518件
ローソン柏藤心店前の交差点にある看板に、「塩どっけ道」について書かれています。農作物や薪を行徳まで運んで塩や海産物と交換したと道だと。そんな道が、グーグルマップに出て来るので、歩いてみました。高柳駅で降りて、大津川方向へ、行きすぎました。ちょっと戻って、この道を行きます。北へ。右は大津川。青面金剛。ここにも青面金剛。沼南幼稚園の所で大津川を渡ります。大津川。善龍寺。弘法大師供養塔。青面金剛。馬頭観音。地図にあるのは
●庚申(こうしん)(※画像は文化遺産オンラインより)(石川県中能登町指定有形文化財「青面金剛像」)庚申とは元来、暦の一つ「かのえさる」の意で、江戸時代に一般民衆の間で全盛を極めていた「庚申(こうしん)信仰」の尊。庚申は、申の日にちなむことから、猿田彦(サルタヒコ)や道祖神などと習合され、後年は寺に於いて青面金剛(しょうめんこんごう)と習合されるようになった。元を辿れば中国の民間道教に於ける三尸説(さんしせつ)を根拠とする。三尸とは、人間の体内に棲む童子や馬に似た虫
奈良吉野山の善福寺の先生と出会って7年ちょっとが経ちました。私のものごとの考え方を変え、生き様を変え、人生を変え、今世でのお役目を与えてくれた人です。「親より親」の密教の世界で私は恵まれていると心底思います。去る10月10日に、親より親である善福寺住職岡橋実浄先生が遷化し寂しさと忙しさで混沌とした日々を実は送っています。最後の最後の最後に振り絞った言葉は「感無量」なんとも先生らしいかっこよすぎる私は一生忘れないでしょう亡くなってあらためて知る
河畔砂丘に建つ藤塚香取神社の境内を探索しています。これは先代の鳥居ですね。経年劣化でしょうか。柱と笠木だけ遺されています。柱は横に倒した方が良さそうだけど、意図的に立てているのでしょうか。たまにそうしている神社があったりするんですよね。ここは特に案内板等が無いので、詳細は不明です。こちらは役目を終えた手水鉢。講や氏子が奉納することが多い手水鉢は、それほど劣化するものではないけど、なにかの節目とかで交換になったのかもしれません。さっきの鳥居と並べて置かれているので、神社の歴史コ
60日に一度巡ってくる「庚申(かのえさる)」の日、この辺りでは「お庚申(こうしん)様」と呼ばれる信仰があり、「おこしんさま」と発音しています。今日3月18日は我が家の当番でした。毎回、集落の公民館で「お庚申様」が行われるのですがコロナの影響で今回は集まらず当番の人が自宅でお祀りすることになりました。お庚申様は、正式には庚申講と呼ばれる行事のようです。仏教では「青面金剛(しょうめんこんごう)」か「帝釈天(たいしゃくてん)」、神道では「猿田彦大神」を祀ります。私たちの地域で
石仏に興味のない方にはつまらないと思うのでスルーしてくださいね。こんな石仏、見かけたことないですか?赤庚申(本町)赤庚申(中町)郷土史によると、寄居町に3ヵ所あります。(あと1基、末野にもありますが、今回は見てないので省きます。)庚申とは、中国の儒教の「三尸(サンシ)説」からうまれたもので、人間の体内に三尸という人間の早死にを望む虫がいて、庚申の日、人間が寝ている間に天に昇って日常の罪過を上告する。そのため、その日には身を慎み寝ないで過ごす。そういった信仰をもとに、庚申の
奈良町の一角にある資料館はかつて元興寺の金堂があった場所。1451年に焼失後跡地に人が住むようになり奈良町として栄えるようになったとのこと。言うなれば奈良町発祥の地の様な場所ですね。入り口に祀られているのはとげ抜き地蔵ならぬとげ抜き観音さん。観音様を守るように下がっているのは奈良町のシンボルでもある《身代り申》。庚申の日の夜に人間の体内にいる三尺虫が神様に人間の悪事を言いつけに行き早死にさせようとするのを青面金剛を祀って夜通し眠ら