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散歩中に見つけた庚申塔です源義経がお参りしたとの伝承がある神社のすぐそばに細々彫ってあり可愛らしい庚申塔と猿田彦大神庚申とある文字塔。『パンツのデザインが虎のパンツみたい、かわいいね』と娘。元禄四辛未九月九日とあります。1691年重陽の節句、おめでたい日に建てたのかしら猿田ヒコ大神庚申とありますヒコが立に久、変わった文字です天和二年とありました1682年こちらの方が青面金剛様の塔より9年前に建てられています別の神社のそばの庚申塔です先のもの
3/24駒ヶ根市シルクミュージアムで入手した書籍を参考に隊長が調べた蚕神を巡りました。駒ヶ根伊那辰野が舞台です。大量の写真を撮ったのでサラリと並べます。詳細はこちら『蚕神を追って、駒ヶ根・伊那・辰野』南信の三日目は再び、『信州シルクロード』というテーマで旅していきたいと思います。二月に来信した際に、駒ヶ根シルクミュージアムなどでいろんな情報をゲットした。そ…ameblo.jp『蚕旅は辰野町の奥地まで』駒ヶ根から伊那市・辰野町と蚕神を追い求めて走り巡ってきました。そして
朝霞市から新座市へ入ります。ちょうど市境になる道(右手)を歩いてきましたが、三叉路の真ん中に庚申塔が見えてきました。場所的にも道の曲がり具合からも、建てられた当時からこの場所にある物と推測されます。いわゆる道祖神的な役割と、道標的な役割を兼務している感じでしょうね。庚申塔に近付いてみました。野晒しなだけに、相当傷んでますね。自動車の排気ガスも大量に浴びているので、煤けたような色合いになっています。こうして風化して、いつかなんだか分からなくなってしまうんだろうなぁ。それは
真如堂塔頭である吒枳尼天[だきにてん]。正式には法伝寺(法傳寺)。古来より吒枳尼天を祀る神仏習合の寺院です。吒枳尼天は白い霊狐に乗る天女でもあり、稲荷神と同一視されています。永らく真如堂の鎮守社、稲荷大明神(稲荷堂)でしたが、明治の神仏分離には一寺院として存続の道を選びました・・・・・三重塔の隣りより総門外へと移され現在に至ります。■法伝寺参道何の疑いもなく神社として参拝できます。が、神社ではなく塔頭寺院なんですね。■一之鳥居
昨日は講座でした。お越しくださった皆さま、ありがとうございます。「先生、宣伝もして新しい人たち増やしていかないと」とアドバイスをいただいたので😆Facebookでイベントページをまた作ろうかなぁと思っています。今のところ、イベントページを作っていないせいかFacebookよりブログからのお申込みが多いかな。ボチボチあげていきまーす❣️5月15日(水)基礎5月26日(日)基礎5月30日(木)倶利伽羅龍王さま6月9日(日)布地に書いてみようの会(Tシャツ、かばん、手拭
3/17桐生の鳴神山へ行きました。予想通りまだお花には早かったけれど最後のピーク吾妻山には桜が咲いていました。石仏にも会えました。詳細はこちら『桐生の鳴神山・吾妻山縦走コース』群馬合宿の三日目は桐生の山です。ずっと気がかりだったコースの一つ。ある意味では早く片付けてしまいたい計画です。鳴神山駒形コースを登る本日のGPS軌跡、南北に…ameblo.jp今日は縦走するので吹上までバスで入ります。登山口手前に青面金剛。怖い顔をしていますがかわいい。以前東側の登山口から登ったとき
皆さま、お早うございます。神社仏閣マニアな旅するコピーライターのふじやんです。速報でお伝えしてましたように2024年3月30日(土)〜4月1日(月)の2泊3日の日程で、福岡に行ってきました。久留米の天神さま櫛原天満宮へのお礼参りを済ませたので博多へ戻ります。JR久留米駅前に雰囲気の良い神社を見つけて、せっかくなのでご参拝。山王宮日吉神社(恵比寿神社)毎年1月9日〜11日に開催される、商売繁昌の十日恵比須祭が有名だそうです。商売繁昌笹もってこい♪
✨秋葉山✨瑞雲院✨🗺春野町🗺⇧✨青面金剛(舟形光背立像)✨⇧✨年代✨明和四年(一七六七)✨寸法✨全高3500全幅45mm一面六臂三猿山門が寛延三年(一七五○)の建立であり六地蔵も同じ年に造立されている卍卍後年、如意輪観音及び三十三観音と共にこの青面金剛もここに安置されたと思われる卍卍⇧六地蔵✨如意輪観音三十三観音✨⇩⇧✨三十三観音✨⇩⇩✨六地蔵(丸彫立像)✨⇩✨年代✨寛延三年(一七五〇)✨寸法✨全高10000全幅100瑞雲院第十四世節山亮儀和尚の
✨青面金剛✨(舟形光背立像)🗺石切🗺天明四年(一七八四)✨全高400㎝✨全幅260㎝✨一面六臂三猿昔は組毎に庚申が行われ何年かに一度の七庚申の年に当たった時は皆んなが使っていた箸を塚におさめ村人達の無事と豊作を祈ったといわれる!!この祠を調べましたが???わかりませんでした💦💦⇩✨道標✨⇩⇩✨ヨゴレネコノメ✨⇩かわいそうな名前だとよく言われるが,その名前のおかげで一度聞いたら忘れないという人が多い。山地の湿ったところに生える多年草💐イワボタンの変
前回書いたふって降って湧いた休みが何故かフッ、て消えたなので・・・ワタクシは仕事をしながらブログを更新しとりますさて、3月26日(火)は梵字講座の日でした予報通り朝起きたら雨☔今日は少しだけ早めに準備して駅に向う💨で、駅のホームで蔵王権現様を発見💕桜の開花も始まったかな~雨が止んだら一気に咲くかな🌸✨吉野に行く予定も立てないとだ😚💕で、ポスターだから隅々まで見れるね~😚あっ💡龍がいたっで、東生駒駅に着いたら大雨でしかもゴロゴロ~って雷さんまで
✨庚申✨⇧✨シンプル石仏庚申✨⇧⇧✨デカい自然石仏のシンプル庚申✨⇩⇧✨デカい自然石仏のシンプル庚申✨⇩⇩✨青面金剛童子の石仏✨⇧⇧✨変わり種の庚申✨⇩⇧✨日輪、月輪を持ってる✨⇩日輪、月輪、端雲、火髪、ドクロ、輪宝、鉾、弓、弓矢、劍(剣)手首には蛇を巻き付け🐍デカいショケラデカい邪鬼台座にはデカい猿🙈🙉🙊デカい鶏🐔⇩✨猿田彦大神の石仏掛け軸✨⇩⇩✨青面金剛童子の掛け軸✨⇩✨青面金剛童子(石仏、掛け軸)✨手の数が四または六臂(二臂や八臂のものもあるとい
✨庚申講✨庚申の年は60年に一度庚申の日は60日ごとに巡ってくる仏教では青面金剛を、神教では猿太彦を祀る!!中国の道教に由来し天智天皇の時、始めて儀式が行われたという!!人の体内の頭部・腹部・脚部には三戸(さんし)という虫がいて人を早死させようと、庚申の夜に帝釈天に告げて死に至らしめるという!!人々は庚申の夜には寝ずに青面金剛を祀り経を唱え三尸という虫を鎮めようとした!!平安時代から宮廷貴族戦国時代には武家の間で広く信仰され、一般民衆に普及したのは室町時代か
宿山(目黒区上目黒5丁目)は3基ある。向かって右端は観音様。観音様(たぶん)で元禄3年(1690)と読める。この青面金剛は元禄5年(1692)造立。こちらは、大変珍しいお地蔵さまを彫ったもので、延宝3年(1675)造立。こちらの青面金剛は宝永5年(1708)造立。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村プロレスランキング
あなたとの出会いに感謝いたしますららら♪“魂の悦び“コーディネーターアインです前の記事3月11日投稿した二宮の明星神社のご祭神天香香背男命(あめのかがせおのみこと)について詳しく書かれている記事がありますリブログさせて頂きました前回の記事と合わせてお読みください♪今日のアインの魂からのメッセージをお伝えします今あなたがあなただと思っているあなたはあなたではない人間には無限の可能性があるのだその可能性を知る・体験できるのは今地球で生きているあなたなのです
寿福寺は野沢通り沿いにある寺院。江戸初期の元和元年(1615年)に開かれた天台宗の古い寺。本尊は阿弥陀如来。山門には相生地蔵(あいおいじぞう)、庚申塔など多くの石造物がある。念仏堂の扁額は行人坂の明王院念仏堂のものと伝わる。門前には、相生地蔵とよばれ信仰されている2体の延命地蔵尊や庚申塔などが立つ。庚申塔の青面金剛像は、保存状態も良く区内の代表的な作品と言われている。寛文六年(1666)建立。にほん
久しぶりに神社仏閣の記事になります😅今日は初庚申今年初めての庚申でございます日枝神社や猿田彦神社には行けませぬが、地元近くにある庚申塔を訪ね歩きました庚申と帝釈天については清瀧寺様のブログに詳細があります↓やっと太陽☀が顔を出したので、庚申塔巡りをして来ました大きな神社仏閣ではなく、辻や町の境目にある庚申塔にお詣りします昭和38年の銘私と同い年だわぁ〜北向き庚申塔元禄16年(1703年)建立御縁日だからかお堂が開堂されていました宝蔵寺入口の庚申塔正徳元年(1711年)建
こんにちは立木龍です。明日2月26日を数秘術でみると一つの周期の終りの日頑張ってきたことが収穫をむかえるときです新しいことへの準備を始めるのにも敵した日ですよまた、明日は何かしらの下準備に最適な日ともあります。仕事で提案したいこと恋愛で一歩進みたいこと勉強で成果をあげたいことスポーツで上を目指したいことご自身が何を望みどうしていきたいかを考えてみてくださいそして、庚申の日青面金剛さんのご縁日です。悪いものを退けてもらい健康でいられるようしてもらうのも良
1/26-28真壁益子辺りへ出かけてきました。見どころ満載で、記事書ききらないくらい。とりあえず、出会った素敵なお顔たちを。有名な西明寺の笑い閻魔笑っても怖い~。詳細はこちらなど『真壁重伝建を歩く旅』週末は茨城県桜川市真壁町、筑波山麓の重伝建の町並みです。私が真壁町を初めて知ったのは20年以上前のことだった。関東鉄道筑波線(土浦~岩瀬)が廃線になって、リン…ameblo.jp真岡の星宮神社。人間顔の狛犬と木鼻の獅子。青面金剛はあちこち沢山見られま
住吉神社(川崎市)の境内には近辺から集められた庚申塔群がある。(元禄十七年(1704)奉納)(享保年間(1716~35)の造立)(享保十一年(1726)奉納)(明治二十七年(1894)奉納)(享保十七年(1732)奉納)庚申塔の近くには力石がある。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村プロレスランキング
【2月3日】京都市下京区にある浄土宗聖徳寺さんへ。に2月3日節分に庚申堂の青面金剛が御開帳されますので、御開帳の法要から参加させて頂きました。青面金剛御開帳限定切り絵御朱印。季節の御朱印(椿)
お参りしようしっかりお参りしてるみたい!心を込めてこの方はお目めが三つご利益ありそう。庚申様か?青面金剛童子さんか?於:静岡県浜松市北区三ヶ日町下尾奈龍谷寺(曹洞宗點東山龍谷寺)時干令和六年二月十二日おまけ
10月3日(火)~6日(金)に四日市近郊の日永の追分から伊勢神宮まで続く伊勢参宮道を歩いた旅の模様、三日目の旅のその2をお送りします。この日の歩行ルートは↓。例によって細かい立ち寄りポイントはだいぶ省略していますが、記事を書き進めるにつれて少しずつ増えてきました。この日の行程は松阪の中心街から、伊勢神宮の外宮(げくう)のおひざ元、伊勢市まで歩き、寄り道含めてざっと23~24㎞ほどの行程でした。その1では、急激な幅員減少とクルマ通行料激増を嫌気して、小さな川の横で見つけた鳥居を辿っ
奈良町の一角にある資料館はかつて元興寺の金堂があった場所。1451年に焼失後跡地に人が住むようになり奈良町として栄えるようになったとのこと。言うなれば奈良町発祥の地の様な場所ですね。入り口に祀られているのはとげ抜き地蔵ならぬとげ抜き観音さん。観音様を守るように下がっているのは奈良町のシンボルでもある《身代り申》。庚申の日の夜に人間の体内にいる三尺虫が神様に人間の悪事を言いつけに行き早死にさせようとするのを青面金剛を祀って夜通し眠ら
1/13-14は高山村などで石仏めぐり。あちこちでどんど焼きの櫓を見ました。詳細はこちら『上州吾妻石仏群(1)東吾妻町』週末は丸二日間かけて、東吾妻町・中之条町と高山村の石仏をめぐることにした。もう6年前に作った計画だが、以来山のほうへシフトしてしまってそのままだった。しかしだ…ameblo.jp東吾妻町榛名神社天保6年青面金剛聞かざる見ざる見ざる??細くて背の高い青面金剛金剛界大日如来優しいお顔この大日如来様も優しいお顔スラリと立っているのは弁財天頭
左:泰叟寺の如意輪観音右:若伊香保神社前の慈母観音可愛い慈母観音様にお会いしたくてお参りさせていただきました泰叟寺と若伊香保神社は隣接していますお正月花のようにあちこちに綺麗なお花が生けてあり石仏も華やいで見えました小さな六地蔵様冬枯れの大きな百日紅の樹も美しい泰叟寺への石段お参りしたのが22日如意輪観音の御縁日でしたふんわりやさしい文字女人講中。弘化四年1847年造立。参道、門の手前右側のお地蔵様はにかんだような優しい表情。その向かい、左側の
みなさんこんばんは~(*^^*)大阪四天王寺には少し離れて庚申堂があります日本最初の庚申堂この庚申信仰って面白いです、人間の腹の中には三尸と呼ぶ三匹の虫がいて少しの過ちも見逃すことはありません。その三尸は、庚申の夜、人が眠っているすきに人の体内から脱け出て天上に上り、その罪悪を天帝様に告げる役目をもっています。天帝様のところには、それぞれの人の罪科を記録した台帳があって、あまり記録が増えると人間は命を奪われます。そのため三尸が体内から抜け出ないように、庚
最終日です。順番通りに78番の郷照寺。御本尊阿弥陀如来郷照寺は八十八箇所で唯一の時宗のお寺です。縁起は、霊亀2年(725)に行基菩薩が開創して、仏光山道場寺と名付けたそうです。「厄除うだつ大師」として信仰されているそうです。弘法大師が再興し、理源大師や道範が住んだそうです。現在は時宗で一遍上人の止住を伝えている。こちらも長宗我部氏に焼かれています。江戸時代に再興しています。本堂青面金剛が祀られている観音さまが凄い数おられます。御朱印
京都市下京区にある浄土宗聖徳寺さんの御朱印情報です。御朱印画像の記載は聖徳寺さんの許可を得てます。2月3日のみ庚申堂の青面金剛が御開帳されて限定の切り絵御朱印が授与されます。時間は9時~15時まで。駐車場は有りませんのでコインパーキングで。
114.千種庚申塚及び青柳台西共同墓地の見どころ・千種庚申塚青面金剛尊庚申塔:文化12年(1815)三猿庚申塔:延宝8年(1680)「庚申」の年笠付き角柱塔の形態をとる庚申塔は古いものが多い。庚申塔:寛文8年(1668)三猿庚申塔:年代等不明笠付き角柱塔三猿部分を拡大
真岡市の長沼八幡宮の境内を奥に進んで行くと境内末社として右手に受験生祈願の千勝大明神、左手に熊野神社、琴平神社がありました。末社の裏手の林の中には6世紀の宮内古墳群のカクレザト塚古墳がありました。敷地はそこそこ広かったですが、こんもりとした盛り土の上に小さな祠が2つ並んでいるだけでした。にほんブログ村世界遺産部門のランキングに参加しています。このブログが気に入ったら1日1回、こちらに応援クリックして頂けると嬉しいです。↓↓↓[https://travel.blog