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十番稲荷神社は麻布十番に鎮座する小さな神社。鳥居の右にはがま池伝説・かえるの石像がある。また、庚申塔もある。青面金剛で、元禄2年(1689)奉納。鳥居の左側には宝船。港七福神の内、「宝船」のおやしろとして知られており、「宝船」を入れて合計8ヶ所巡拝するのが特色。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村プロレスランキング
こんばんは!@Ricoです。昨日の記事で、四天王寺シリーズ✨ラスト‼️ということやったけど、、、実は別日に庚申堂✨へうかがってます奥之院とありますね😲‼️こちらの庚申堂は四天王寺さんの飛び地境内となっていて、四天王寺さんのHPをみると以下のような説明があります。日本最初の庚申尊出現の地。本尊は青面金剛童子(秘仏)。大宝元年(701)正月七日庚申の日、豪範僧都が疫病に苦しむ多くの人々を救わんと一心に天に祈ったところ、帝釈天のお使いとして童子が出現し、除災無病の霊験を示され
天満宮から銚子口香取神社に向かっています。県道の交差点にブロック塀で囲まれた石碑がありました。野晒しなので風化が激しく分かりにくいのですが、庚申塔のようです。春日部市内には200を超える庚申塔が確認されていますが、こうして風化していくものも多く、現存している庚申塔は少なくなっているかもしれません。現代でも庚申講は残っているんですけどね。ただ、寝ている間に体内に棲む三尸(さんし)が天帝に悪事を告げに行くなんて、「そんなの迷信だ」と一蹴されてしまいそう。その為に夜通し起きているという
奈良吉野山の善福寺の先生と出会って7年ちょっとが経ちました。私のものごとの考え方を変え、生き様を変え、人生を変え、今世でのお役目を与えてくれた人です。「親より親」の密教の世界で私は恵まれていると心底思います。去る10月10日に、親より親である善福寺住職岡橋実浄先生が遷化し寂しさと忙しさで混沌とした日々を実は送っています。最後の最後の最後に振り絞った言葉は「感無量」なんとも先生らしいかっこよすぎる私は一生忘れないでしょう亡くなってあらためて知る
●庚申(こうしん)(※画像は文化遺産オンラインより)(石川県中能登町指定有形文化財「青面金剛像」)庚申とは元来、暦の一つ「かのえさる」の意で、江戸時代に一般民衆の間で全盛を極めていた「庚申(こうしん)信仰」の尊。庚申は、申の日にちなむことから、猿田彦(サルタヒコ)や道祖神などと習合され、後年は寺に於いて青面金剛(しょうめんこんごう)と習合されるようになった。元を辿れば中国の民間道教に於ける三尸説(さんしせつ)を根拠とする。三尸とは、人間の体内に棲む童子や馬に似た虫
60日に一度巡ってくる「庚申(かのえさる)」の日、この辺りでは「お庚申(こうしん)様」と呼ばれる信仰があり、「おこしんさま」と発音しています。今日3月18日は我が家の当番でした。毎回、集落の公民館で「お庚申様」が行われるのですがコロナの影響で今回は集まらず当番の人が自宅でお祀りすることになりました。お庚申様は、正式には庚申講と呼ばれる行事のようです。仏教では「青面金剛(しょうめんこんごう)」か「帝釈天(たいしゃくてん)」、神道では「猿田彦大神」を祀ります。私たちの地域で
更新がたいへんお久しぶりとなってしまいました。半年間ご無沙汰しておりました。この間、ブログはアップしませんでしたが、私は相変わらず元気に神社仏閣巡りしておりました。(文章が上手く打てない日々でした。申し訳ありません…)先日、ずっと前からお参りしたいと思っていた名古屋市中区の『袋町お聖天(ふくろまちおしょうでん)』に行ってきました。丸の内駅から割とすぐです。私の大好きな漫画、『霊験修法曼荼羅(れいげんすほうまんだら)』にも出てくる聖天様。正式には大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)。ちょっ
奈良町の一角にある資料館はかつて元興寺の金堂があった場所。1451年に焼失後跡地に人が住むようになり奈良町として栄えるようになったとのこと。言うなれば奈良町発祥の地の様な場所ですね。入り口に祀られているのはとげ抜き地蔵ならぬとげ抜き観音さん。観音様を守るように下がっているのは奈良町のシンボルでもある《身代り申》。庚申の日の夜に人間の体内にいる三尺虫が神様に人間の悪事を言いつけに行き早死にさせようとするのを青面金剛を祀って夜通し眠ら