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❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨四章酒井雄哉の足音11『もう常行三昧はしないようにしてほしい』と遺言して、一人の僧が常行三昧行中に倒れて死んでいった。明治時代の話である。それ以来、常行三昧の行は行われなかった。阿闍梨は、比叡山の住職になるために必ずしなければならない三年籠山中にあえて『常行三昧』を断行した。一九七二年(昭和四十七年)であった。常行三昧とは、堂内に籠って九十日間『南無阿弥陀仏』と唱えながら、日夜、本尊の阿弥陀仏のまわりをめぐる行。坐ることも体を横たえるこ
❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨三章酒井雄哉生々流転の行者27「無我夢中で仏さんと一体になれば、念仏が自然に出てくるんだ。自分の頭の中でもって、念仏を唱えなきゃというんじゃなくて、ふっと湧き出てくるんや。で、その『南無』と言うときは、もう左の足が勝手にあるきだす。それを身につけると、時間の感覚がなくなって、苦しくもない。ぐるぐる、ぐるぐる回るけど、桃源郷に入ったような感じで、楽しかったというのはそこにあるんだよ」雄哉と慈照は八月三十日、つつがなく九十日間の常行三昧をやり
酒井雄哉大阿闍梨の世界四十三千日回峰行とは、どんな行なのか④六年目の百日(八百日)は、比叡山を巡拝するほかに、京都修学院にある赤山禅院にお参りする。住復約二十数キロの行程が加わるから、これを「赤山苦行」という。九百日は、「京都大廻り」といい、比叡山を巡拝した後、京都に下り、京都市内の神社仏閣を巡拝して宿泊。翌日は京都を同様に一巡して山に帰り、比叡山を巡拝して自坊にもどる。これを百日間繰り返すことになる。この間の行程は一日九十五キロ(飯室回峰の場合)にも及び、特に京都市内では信者にお加持も
❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨二章箱崎文應一行三昧の鬼行者⑧一八七七年((明治十年)堀覚道という乞食僧が横川を訪れ、「念仏を唱える場所をお貸し下さい」と懇願した。何か事情ありげな僧に、道元禅師が得度した寂定坊の小屋を与えると、僧は自力で荒廃していた坊を修復して、そこで念仏三昧の修行に励んだ。この僧は、西南戦争に従軍した政府軍の兵士だったが、戦争の悲惨さに無常を感じ、妻子との恩愛を断ち切って、比叡山にたどり着いたのである。僧が修復した寂定坊には、人が集まるようになった。
❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨一章正井観順津軽の覚蔵⑤観順が比叡山に登り、山岡観澄師の下で修行に明け暮れ千日回峰行への道を志した時期、戦後比叡山に大きな足跡を残し今日の比叡山延暦寺の礎の一人の僧がこの世に産声をあげた。一八九五年(明治二十八年)十二月一日、その地は、聖徳太子ゆかりの町・兵庫県太子町。横川元三大師堂の輪番を長く務め、朝から夕刻まで一日中お経を唱え続ける『比叡山三地獄』の一つ、『看経』を七年間続け『漢語法華三部経を全て暗記し、ソラで読誦する』といわれた、
こんにちは。魂・身体・精神を整えるもみねっこのあきこです日々「人が本来の力を取り戻すお手伝い」を続けています。施術時に私がどのように感じているか基本コースについて私が行っている施術の本質を言語化してみました。初めて体験される方は安心してご来店して頂けるように開店時からメンテナンスとしてご利用されている方には施術の本質を理解してもらうことでこれ以上の効果を感じてもらえると思います■私の施術は、押圧×エネルギー共感(共感覚)です私は、身体に触れると同時に「その方の内側か
【満席になりました。ありがとうございます。】千日回峰行者は法力が身についており、かつては天皇の治療に呼ばれていた。柳澤眞悟阿闍梨も、西洋医学的には治療不可能な難病患者の治療の実績があり、天外著『祈りの法則』で紹介している。天外は、インディアンの長老より「聖なるパイプ」を授与されており、インディアン社会では祈り人の一人になる。特に祈りの力は強くないのだが、インディアン特有の「感謝の祈り」を行うことにより、実績を上げている。今回の催しは、このインディアンの感謝の祈りを、柳澤
:❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨一章正井観順津軽の覚蔵⑨行の最中に『比叡山の土に』還った観順。大往生を遂げた場所には、杉の木の根が土の上を這うように盛り上がっている。「ひとが横たわるように盛り上がってきたのだから決してふんではならぬ」と小僧のころ師匠から教えられた。今でも修行者は道の真ん中に盛り上がっている杉の根を決して踏まない、合掌して通るのだと。毎日三千仏礼拝行も行った。畳には五つも六つもの穴が開いた。頭と両肘、両膝を地につけ、続いてその場に立って合掌する。これ