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千日回峰行の祖相応和尚像(無動寺明王堂)❖【継報】天台宗「天台宗僧侶の性加害」告発被害女性を動かした「伊藤詩織さんの会見」「安倍晋三元首相銃撃事件」との接点天台宗の寺の住職が足掛け14年にわたって女性を心理的監禁状態に置き、陵辱し続けていた──香川県の小さな過疎の町での驚愕の事態を告発した女性は、2度にわたり、寺からの離脱を試みていた。一度目は寺に引き戻される展開をたどったものの、二度目は脱出。いずれもきっかけは、日本を震撼させた大ニュースにあった。「伊藤詩織さんの性被害告発」と「
先月は図書購入が些か過ぎたので今月は自粛しております禅病というのがあります瞑想修行には必ず阿闍梨とか指導者によって教え導いてもらわなければ大般若経に説かれるように多くの「魔事」があるのですそれが禅宗でいうような身体の不調にはじまり自律神経失調症のような症状といわれたりあるいは「障碍・しょうげ」と呼ばれるさまざまな出来事魔事が引き起こされるわけですわたしが加行を修した時に大阿闍梨様が後ろでそっと念誦して拝んでくださっていましたが阿闍梨様の加護が
☆【外伝】高倉健と二人の阿闍梨京都に、西村泰治(敬称略)という実業家がいる。酒井雄哉大阿闍梨が二千日回峰行をする時に『京都大廻り』の際に、先導を勤めた人である。その破天荒な人生は、前の記述で紹介したが、酒井阿闍梨に心酔した一人である。通称「ヤッさん」、昭和のスーパースター、「高倉健」の付き人を四十年以上つとめてきた男でもあり、芸能界の裏側を知り尽くした男でもある。令和二年、高倉健七回忌にあたり、ベストセラー・フリーライターである山平重樹が著した、『高倉健からアホーと呼ばれた男西村泰
ご覧頂きありがとうございます実は本日、とても貴重な体験を致しました....タイトルにも書いちゃってますが...(笑)光永圓道大阿闍梨様の護摩祈祷を見学し、お加持も受ける事が出来ました!!!!【光永圓道】2003年より千日回峰行と十二年籠山行に入る。2007年10月13日午後1時すぎ、無動寺谷明王堂において行の最難関である「堂入り」に入り、10月21日午前3時頃に満行。堂入りを達成した行者としては、2001年の藤波源信師以来6年ぶり
◇常行三昧、二河白道を歩く、、(酒井雄哉大阿闍梨)昭和四十八年六月一日、酒井阿闍梨は九十日間の「常行三昧」に入った。場所は西塔にある「にない堂」で、ここは釈迦堂を背景にして朱塗りの宝形造りの堂が、双子の堂のような形で並んでいる。右側が法華堂、左側が常行堂で、文禄四年(一五九五年)建立と伝えられる。にない堂は杉木立の静寂の中にある。周囲の苔の緑が美しい。恵心僧都源信の流れをくむ浄土真宗の宗祖・親鸞も、かってはこの常行堂の堂僧であった、と伝えられている。酒井阿闍梨が常行三昧を発願したとき、高
◇風が吹き過ぎるごとく、(酒井雄哉大阿闍梨)千日回峰に挑んでいる酒井阿闍梨は、自分のリズムを会得し、元気に「但行礼拝」の行を続け昭和五十二年四月九日から四百日満行を目指して歩いた。初百日満行から始まり四年目のこの年から春百日、秋百日と一年に二百日歩く。これは翌年も同じで、五年目で七百日を満行することになる。このあたりから行を楽しむゆとりさえでてきた。かって箱崎文應師は、酒井阿闍梨が出峰するとき、「行のなかに楽しみを見つけよ、それでなければ崩れる」と訓戒したが、その意味が初めてわかった。「
最期の父との再会、、(酒井雄哉大阿闍梨)昭和四十九年三月三十一日、三年籠山を終えた酒井阿闍梨は、初めて比叡山の住職になることを認められ、無動寺谷宝珠院の住職として配された。宝珠院は、無動寺回峰の聖地、明王堂や護摩堂のすぐ近くにある。無動寺坂を少し下れば、行門法流を伝えてきた玉照院がある。酒井阿闍梨は、自分には学僧になるような頭はない。歩く行が一番向いている、という見きわめから、千日回峰に命をゆだねてみたい、と激しく希望するようになっていた。「千日回峰をやってみたいのです。わしは行に生きよう
◇飯室谷にいく、、①(酒井雄哉大阿闍梨護摩行)酒井阿闍梨の千日回峰行は認められた。が、一つ条件がつけられた。これはすでに、酒井阿闍梨が叡山学院研究科を卒業したあと、本山交衆への加入を認めるかどうか、年齢が問題になって一山会議が開かれ、比叡山の規則が変更されたときからついていた「ただし書き」だった。特例を認める代わりに「ただし書き」をつけた。その内容は、「将来は飯室谷(いむろだに)の箱崎文應師のもとで、起居する」というものである。先達会議は、酒井阿闍梨の千日回峰を認めると同時に、この「ただ
◇酒井阿闍梨「出堂」をみる、(酒井雄哉大阿闍梨)昭和35年、のちに「赤山の御前さま」と呼ばれる叡南祖賢師の筆頭弟子、「叡南覚照師」が満行、戦後五人目の「小林栄茂師」が六年目、六人目の「宮本一乗師」が「堂入り」の儀式に入るなど、無動寺谷では千日回峰の行が相次いだ。(昭和53年10月26日の堂入り前(右)と11月3日出堂(左)の酒井雄哉大阿闍梨)行道に生きる東京の大成建設で働き出した末弟の昌幸が東京から遊びに来た。「いいところに連れていってやろう」、酒井阿闍梨は比叡山の無動寺谷に誘った。こ
酒井雄哉大阿闍梨❖一度で成功する人はいない一度で成功する人はいない人生なんてものは、経験の積み重ねだからね。積み重ねていく間には、失敗なんかなんぼでもある。失敗は失敗と認めて、それを踏み台にして、前に進んでいけばいいんだよ。何をするのだって、いっぺんで成功する人なんてなかなかいない。逆にスムーズに成功したら、あとになってからが怖いよ。失敗したときは、必要な経験を積んでいるんだ、教えてもらっているんだと思うことだね。戦後間もないころ、手づくりのラジオが流行ったけれど、あれ、聴きたい局
中国武術−四段剛柔流空手−五段テコンドー–梯子段乃友人がおる毎度お騒がせ中乃ソレガシゎ意を決し阿闍梨乃修行ぉ−2回熟し『あじゃりじゃり』に成れればと🙇♂️✨ようこそ✨#✨千乃CENTAURS✨乃世界ェ-#✨楽園乃〜創造✨#✨再び結ぶ明なる神々様との御縁✨#✨日本和〜神々乃国✨#✨楽園乃〜創造✨#至上乃楽園#『易占鑑定士✨輝夜🎋』#『助言随筆家✨輝夜🎋乃姉妹✨#✨タイムトラベラー✨千乃CENTAURS✨#✨タイムトラベラー✨千乃Centaurs✨#植
酒井雄哉大阿闍梨❖ダメ人間も変わる「一日一生」の極意北嶺大行満大阿闍梨酒井雄哉大僧正―何よりも実践を重んじる。それが酒井雄師の生きざまだ。「大行満大阿闍梨(だいぎょうまんだいあじゃり)」など最高位の尊称を持つ高僧だが、その経歴はいささか異色。特攻隊からの復員後、さまざまな職業を経たのちに僧侶としては異例の40歳で得度し、数々の修行を重ねた末に、比叡山に伝わる最大の難行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度も満行した。これは歴史の残る天正13(1585)年以降、3人目という偉業
◇人生の出会いはある日突然やってくる、、そうして三十代半ばになってから、大阪で仕事をしながら、折に触れて比叡山を訪ねるようになった。そのころは、なんだか気持ちがいいところだから通っていただけで、まさか坊さんになるなんて考えてもいなかった。あれは昭和三十八年ごろだったと思う。東京から末の弟が遊びに来たので、比叡山を案内してやった。いつものように歩いて明王堂あたりに差しかかると、妙にたくさんの信者さんが集まっていた。集まっていた信者さんの一人に「どうしたんですか」と尋ねると、ある偉い行者が、千
あなたもシャーマンに成りませんか~シャーマン国際協会■ホーム|shamank84527.wixsite.com阿闍梨成心さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/meシャーマン国際日本協会は、古くから伝わる霊的な知恵や癒しの方法を尊重し、共有する場として存在しています。私たちシャーマンは、神々とつながる原始信仰からなる宗教が出来る以前の祈り信仰を行い、そして、過去と現在の結
みなさん、ブログにお越しいただきありがとうございます。今日も暑かったですね〜🌞近くの川にアオサギがいて蛇🐍をくわえていたので写真を撮ろうとしたらゾゾゾッとお蕎麦を粋にすする江戸っ子のように一瞬で呑みこんでしまいました。ゴックンス〜イス〜イとヌートリアが仲良く泳いだり草を食べたりしていました。オレンジ色の歯がチャームポイントです。彼らはプール付きの家に住み「冷やし水草」などを一日中ムシャムシャ食べています。の〜んびり今日は突然友人からお誘いがありランチに行ってきました
◇堂入り①(酒井雄哉大阿闍梨)いよいよ、千日回峰の行のなかでも一番の荒行といわれる「堂入り」である。無動寺回峰では天正年間以来、四十五人がこの「堂入り」を満行してるが、飯室回峰は永く絶えていたばかりでなく、「堂入り」するお堂がなかった。飯室回峰の酒井阿闍梨の堂入りをどうするか、先達会議が開かれた。いくつかの古い書類も持ち出されたが、無動寺のなかに「七百日以降は本流に従うべし」という一項目が記されていた。先達会議の結果「堂入り」八百日目の「赤山苦行」「京都大回り」も無動寺谷で行なうことに決定
伝法灌頂に入壇を許されるまでは、グイグイグイギュイーンとモーレツな、見えない後押しに流され流されるがままに定位置に導かれた。スポン!思い返せばそのような感じでした。師資相承それは真言密教における絶対的なルールです。お大師さんから、この約1200年有縁の師僧から代々お次第と口伝により脈々と法が伝えられてきました。この世界での師僧は、実に巡り合わせ。お大師さんに繋いで貰わないと最適な師に出会えないと思います。以前、天台宗のお坊さんとの話で『僕は大学
◇百日回峰が終る、(酒井雄哉大阿闍梨)初日を終え、翌日から一人きりの回峰となった。漆黒の闇の世界を、小田原提灯の火一つで歩くのは、得体の知れない恐怖に襲われる。自分の足音が妙に大きく聞こえる。峰道を登るとき、ガサッと音がした。野兎が駆けて行った。酒井阿闍梨は「手文」を見ては、礼拝し、真言を唱え、印を結ぶ。とにかく前へ進まなければならない。同じ時期、酒井阿闍梨を入れて五人の新行さんが百日回峰を行っていたが、回峰行は一人でやるものだから、毎朝それぞれが時間をずらして出峰して行く。しかし、三十
全日本般若心経指導審査認定協会般若心経検定■ホーム|singyou71238543.wixsite.com阿闍梨成心さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me
いやさか彌榮かむなび宮司です今日は仏教ネタですので、かむなび阿闍梨ですご存知ない方もおられるやも知れませんがかむなび宮司は宮司が本職ですが僧侶資格もございまして古義の真言密教阿闍梨でもあります先日お笑い芸人の千原せいじさんが天台宗で得度をされ沙門になられたようですね僧名は靖賢さんとお師僧様から授かられましたがもう貫禄たっぷり、すでに立派な僧侶みたい笑ただこれから四度加行と云う修行に入り一度も逃げ出すことなく終えないといけない道のりが…この修行をクリアしないと正式な僧侶にな
入院中・退院後ともにSpotifyで、故渡辺徹の楽曲「約束」を折に触れて聞いている。渡辺徹がハンバーガーを2つ食べようとし、妻:榊原郁恵が体調を気遣い1つにしなさいと諫め、ケンカになってしまったというエピソードを思い出しながらだ。ほぼ同じようなシーンが今、我が家で繰り広げられている。簡単に言うと、美味しいものの9割はもう食べられない。食べてもひと口だ。もうこれは修行僧と言ってよい。先日、TV番組激レアさんで大阿闍梨さまの回があった。大阿闍梨さまの厳しい修行に比べればそこまででもない
今回は、供養について伝授と講話阿闍梨道庭成心瞑想修行伝授・初修法伝授コース1回合計3時間瞑想修行のご利益としては、心身の安定やストレス解消、集中力や洞察力の向上、精神的な成長などがあります。密教では、瞑想を通じて仏性を開くことを目的とし、悟りを得るための方法として重視されます。修験道では、山岳信仰と密接に結びついた修行であり、神仏との交信や霊的な力を養うことを目的とします。また、修験道では身体的…denju.cart.fc2.com開運伝道総師◆
阿闍梨【外伝】一隅を照らす❖ご縁とは引用天台宗公式サイト法話集「ご縁」とは護摩木や祈祷札の願意を拝見いたしますと「良縁成就」と書かれてあるのをよく見かけます。また「悪縁断絶」などというものもあります。「縁結び・縁切り」。良いことは自分に来るように、悪いことは自分には来ないようにというのは、誰もが共通した願いでしょう。この「縁」という言葉は「縁起の法」「十二因縁」などといい、お釈迦様が悟りを開かれて最初に弟子たちにお説きになった根本教理の一つ、悟りの内容そのものであります。「
瞑想開運伝道総師◆伝法阿闍梨道庭成心MichiniwaJoshin高野山で真言密教を学び、大日如来様から空海を経て、第51代修験密教血脈伝授者に至る。全国各地の霊場や霊峰において修行を行いながら、弥勒の世の世界安寧のため、伝法阿闍梨として、般若心経を全国、世界各地に普及する活動を行い、また加持祈祷や密教等、修験総本庁にて人々を導く導師も多数育成している。瞑想修行のご利益としては、心身の安定やストレス解消、集中力や洞察力の向上、精神的な成長などがありま
源氏物語イラスト訳のあいです――――――――今回の源氏物語――――――――引き入れて、下りたまふ。惟光が兄の阿闍梨、婿の三河守、娘など、渡り集ひたるほどに、かくおはしましたる喜びを、またなきことにかしこまる。訳と内容が不明確の人は、まずイラスト訳からどうぞ☆夕顔16のイラスト訳はこちらでは今日も、一気に行ってみましょぉ~♪ヽ(○・▽・○)ノ゙これまでのあらすじ天皇(桐壺帝)の御子として生まれ、才能・容姿ともにすぐれていたにもかかわらず、亡母(桐壺
◇幻の常行三昧(酒井雄哉大阿闍梨)酒井阿闍梨は百日回峰を無事に終ると、次の行に入ることを義務づけられていた。三年籠山中に果たさなければならない修行として、祖廟浄土院での侍真奉仕、百日回峰、そして「四種三昧」のうちから「常坐三昧」か「常行三昧」のどちから一つ、この三つが定められている。四種三昧とは、比叡山で最も歴史的が古く、基本的な修行で、「常坐三昧」「常行三昧」「半行半坐三昧」「非行非坐三昧」の四種をさす。これは天台宗の高祖、中国の天台大師が法華経の修行法を説いた「摩訶止観」に示されている
❖お経で人が救えますか?『救えへん!お経の言葉が救うんではない。信心が救うんや。お経や仏さんは、「映し鏡」になる。自分を救うのは、自分自身の信心や』❖そやけど、皆、盆や正月には神仏に手を合わせますやんか?『都合のええときだけ神頼み、仏頼みしてるやろ?それではアカン。常に信心がなかったら救われるべきときも救われへん。お経の言葉が救うんんではない。信心が救うんや。救うというのは苦しみや悩みをなくすことじゃない。そんな欲深いことじゃない。苦を苦のまま、悩みを悩みのまま救うんや。そのことを信じる
☆【外伝】三千日の回峰行を目指した行者正井観順大阿闍梨②あどけないトシ、テイ、リウの三人の童女は、父親との永遠の別れのことを露知らず無心の寝顔をみせていた。一八九四(明治二十七)年四月、猿賀の神宮寺と仙台の仙岳寺の紹介状をたずさえて、覚蔵は黒石を出た。首には、父母と一昨年亡くなった姉のお骨を下げていた。菩提寺の大本山東本願寺に納めるためだった。この行事を終えて、いよいよ比叡山に入った。比叡山では、のちに大僧正として天台宗全体を指導した山岡観澄師の弟子となり、観順と改名、無動寺谷明王堂で修行
茶室の茅葺きかなり進捗してまいりました。仕事でありながら、娑婆の喧噪から離れられありがたや。それにしても、娑婆はどうよ?天台宗尼僧の叡敦(えいちょう)さんが、2009年から去年1月まで、四国にある天台宗の寺の60代の住職から「逆らうと地獄に落ちる」などとどう喝され、繰り返し性暴力などを受けたと訴え会見を行った。(NHKニュース)叡敦さんにその住職を紹介した北嶺大行満大阿闍梨(比叡山で千日回峰を満行)に彼女は助けを求めたが何もしてもらえなかったという。ゆえに、叡敦さんは加害者の住職
【外伝】正井観順大阿闍梨①比叡山の荒行『千日回峰行』、二千日を満行した行者は三人。その中に三千日に挑んだ行者がいた。正井観順大阿闍梨その人である。前回の投稿で、小林隆彰師の書籍から正井阿闍梨の足跡を紹介させて頂いたが、阿闍梨についての文献は少ない。その中で、正井阿闍梨の故郷、青森県黒石市が地元の中学生に向けて「伝記」をつくっているのでご紹介させていただきます。(正井観順大阿闍梨)「大廻りのあじゃりさんがいらはったよお母さん、早うおいで」「はいはい、カンジザイボーサーツ、ハンニャハー