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「南北朝の戦い」というのは、実は「源平合戦」と同じくらい、誤解を招く表現です。南北朝時代を「南朝と北朝が戦った時代」と考え「北朝の勝利で終結した」という捉え方は、あまり実情を反映していないからです。つまり、北朝の天皇は、戦ってもいないし勝ってもいません、実際のところを見れば。足利尊氏や後醍醐天皇のせいで天皇家が二つに分かれちゃった訳では、ありません。天皇家は、尊氏よりずっと以前、鎌倉時代のうちから、「持明院統」と「大覚寺統」の二つに割れて、交互に天皇を出しながら反目していたんです
「野分」加藤高穂野分波元船一夜に呑みしとぞ人ごゑに安堵の気配野分あと丘上に元寇の記念碑が建つ麁原山(現・祖原山)は、悪ガキ時代、チャンバラをしたり、防空壕跡の真っ暗な洞穴に恐る恐る潜りこんだり、段ボールを橇に見立てて斜面を滑り降りたりと、恰好の遊び場だった。思えば1274年の文永の役、1281年の弘安の役と二度に亘る蒙古襲来という国難に直面して、元帝忽必烈の野望に立ち向かったのが、時の執権北条時宗である。弱冠十八歳で鎌倉幕府
(鎌倉)幕府になりきれなかった室町幕府室町時代、室町幕府は京都にありました。本当は、鎌倉幕府の再興を目指していました。しかし、鎌倉に幕府をおけない理由がありました。その理由は、すでに60年にわたる南北朝の動乱にありました。また、鎌倉時代の文化は、東大寺南大門の金剛力士像に代表される武士らしい力強い文化です。しかし、室町時代の文化は、武士と公家文化の融合といわれます。そして、日本文化の多くは、この室町時代に起源があります。室町時代の文化が地方に広まったのは、室町幕府の脆弱性にあった
久米川古戦場⚔️『別名』なし『所在地』東京都東村山市諏訪町2-20『駐車場』なし『歴史』久米川古戦場跡は、元弘3(1333)の5月12日に桜田貞国率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間で行われた合戦の地です。この戦いで新田義貞に敗れた桜田貞国は分倍河原まで退却しました。石碑と解説板解説板石碑の裏にある八国山はジブリ映画『となりのトトロ』に登場する七国山のモデルになった山でもあります☝️山頂にある新田義貞陣場と将軍塚の石碑も見に行きたかったけど、この日は
「どこぞに余を守ってくれる、立派な武士はおらんかのう」後白河法皇(ごしらかわほうおう)役加藤大輔(かとうだいすけ)【高居茉央→加藤大輔】私、加藤さん大好きなんです。笑お稽古始まったすぐの頃から台本も持たずに、その場で考えて動ける器用さとセリフ覚えの良さは本当に尊敬してます。役柄的に静は後白河法皇の事大っ嫌いなんですけど、私は好きで目で追ってます👀セリフのないシーンでちょこちょこかけてくれる言葉が面白すぎて、たまにツボってます。笑大先輩なのに気取らず声をかけてくださったり、
こんにちは!Scoti-manです。2025年10月29日午前2時頃にリリースされたCK3の最新DLC「AllUnderHeaven」。前回は、867年シナリオで平安貴族の一角・伴氏を復活させるチャレンジをしました。CK3律令制日本伴家の復活チャレンジ①|WNHシミュレーションゲームの部屋今回は、1178年シナリオ、鎌倉幕府で有名な源頼朝で、実際に幕府を開いてみたいと思います。挑戦する実績はこちら↓難易度カテゴリーは「普通」。バージョンは1.18.1.1(C
「元寇のとき『神風』が吹かなければ、日本はモンゴル帝国に征服されていたのか?」それは、ありません。神風、関係ないです。鎌倉幕府が指揮する日本軍は、北九州一帯に土塁を築き、十分な防衛体制を整えていました。対する蒙古軍の実態は、指揮官のみがモンゴル人、率いる兵士は征服された高麗、南宋の民で、戦意も低いものでした。蒙古軍は、上陸したものの日本側の抵抗で土塁を越えられず、夜になると船に引き上げざるを得ませんでした。そのうえ、鎌倉武士による小舟での襲撃、遠征が長引いたため病気の蔓延、と戦闘
日本で1番多いと言われている八幡信仰の総本社宇佐神宮ですが古代は宇佐氏の磐座信仰の地と言われています。(宇佐氏は中臣氏(藤原氏)の始祖です)その後、比売大神信仰となります。比売大神は卑弥呼ではないかと言われています。571年に八幡信仰に変わります。神仏習合発祥の神社と言われており。東大寺大仏の建立の功績で全国に広まるキッカケとなります。そして応仁天皇に変わったのは8世紀頃と言われています。鎌倉幕府の氏神となり庶民にも広まっていきました。調べてみると、現在の神道の前に古
臨済宗建長寺派大本山。鎌倉五山第一位。1253年(建長5年)鎌倉幕府第五代執権の北条時頼が開基(建立)、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が開山(初代住職)。日本初の禅寺。時頼は「御成敗式目」を制定した第三代執権泰時の孫。元寇(げんこう)を退け、円覚寺を開基した北条時宗の父で明君のほまれが高い。権力争いでは鎌倉幕府成立に貢献した三浦一族を滅ぼして北条氏の権力を堅めるなど非情な面も。天下門。「天下禅林」の扁額が掛かってます。「人材を広く天下に求め育成する禅寺」の意味。今でも僧堂では
三浦半島の漁港と言えば、三崎港を筆頭に松輪・佐島・長井など、東京の飲食店でよく聞く名前がたくさんあるが、もう一つ小坪の漁港も非常に由緒ある場所だ。鎌倉の地から近いこともあって鎌倉時代から続く歴史があり、源頼朝もたびたび訪れていたという。こちらが今回の目的地。訪問日は2026年3月29日の日曜日。東京からJR横須賀線で向かい、11時6分に逗子駅で下車。オープン1回転目に間に合うかなあと心配しながら、小走りにタクシーに乗り込む。訪れたのは、こちらの「ゆうき食堂」(写真