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野球雲ストアでは発売中の別冊野球雲⑤「新人王列伝~日本プロ野球1950-1959/新人王で辿る日本プロ野球史」2025年11月に発刊となりましたが、野球雲ブログではお知らせするのを忘れておりました。気軽に野球史を楽しむような、野球雲創刊の頃の気持ちで別冊野球雲を製作をし、おかげさまで①②③は完売④「千葉の野球史」も残りわずかとなってきています。昨今の「本が売れない」「書店が減っている」などの問題がここ数年話題になっています。野球雲も他人事ではありません。
山内一弘(山内和弘)1932年5月1日~2009年2月2日愛知県一宮市出身右投右打、外野手■無名から這い上がった若き日々1932年、愛知県一宮市に生まれた。小学校2年生の頃に野球と出会い、起工業学校(現:一宮起工科高校)では当初投手として活躍。当時から130m級の特大本塁打を放つなど、その非凡な打撃センスは片鱗を見せていた。しかし、プロへの道は決して平坦ではなかった。憧れの中日ドラゴンズの入団テストを1949年と1950年の二度にわたり受験するが、投手として
御園生崇男(みそのおたかお)1916年1月16日~1965年7月10日山口県防府市出身右投右打、投手、外野手、一塁手山口中学で甲子園を経験し、関西大学野球部で名を馳せるもわずか1年で中退。1936年、設立されたばかりの大阪タイガースに入団した。入団当初からエースとして活躍した御園生は、1937年秋季に11勝無敗で勝率1.000を記録し、タイガースの初優勝に貢献。翌1938年春季には連勝記録を18まで伸ばし、最終的に21勝1敗という圧倒的な成績で2年連続の最高勝率を獲
中山正嘉1917年7月3日~1994年7月4日愛媛県出身、投手右投右打7月4日は戦前、甲子園の優勝投手として名を馳せながら、酷使と戦争によってそのキャリアを翻弄された投手、中山正嘉氏の命日です。甲子園優勝投手からプロへ松山商業のエースとして、1935年の春の甲子園でベスト8に進出。同年夏には、決勝で育英商を完投で破り、見事優勝投手となった。チームには後に名選手となる千葉茂や筒井修がいた。1937年、名古屋金鯱軍に入団。プロ初登板となった同年4月5日の大東京軍戦では
伊藤健太郎千葉県出身1916年12月28日~1944年7月26日右投右打、外野手千葉県初のプロ野球選手でもある伊藤は千葉中学校時代には強打でチームを牽引し、甲子園初出場に貢献。その後、東京鉄道局を経て、1935年に巨人軍へ入団した。入団のきっかけは、恩師である藤本定義監督が巨人に招かれた際、エースの前川八郎とともに同行を熱望されたことだった。プロの世界でもその強打は健在。多くの試合で5番打者を任され、背番号も打順と同じ「5」を与えられた。1936年、巨
衆樹資宏(もろきすけひろ)1934年4月19日~1999年6月25日神奈川県藤沢市出身外野手、右投右打衆樹資宏は、プロ野球史にその名を刻むとともに、波乱に満ちた野球人生を送った人物として記憶されている。湘南高校時代、彼はエースとしてマウンドに君臨した。1951年春の選抜高校野球に出場するも、惜しくも初戦で敗退。しかし、翌1952年春季関東大会ではチームを優勝に導き、夏の甲子園県予選でもエース兼4番打者として決勝に進出するなど、投打にわたる才能を見せた。高校卒