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河村英文1933年8月30日~2005年2月16日大分県出身右投右打、投手西鉄ライオンズの黄金時代を語る際、稲尾和久の名が筆頭に挙がるのは必然ですが、その稲尾が登場する直前、チームを初のリーグ優勝へと導いたのが河村英文です。「シュートの河村」として恐れられ、後に名コーチとしても足跡を残した野球人を振りかえる。◎期待されなかった入団から「25勝」の快挙へ河村英文は別府緑丘高校で名将・小嶋仁八郎の指導を受け、社会人の東洋高圧大牟田を経て1953年に西鉄ライオ
水谷則一1911年9月1日~1984年8月29日愛知県名古屋市出身左投左打、外野手。1911年、愛知県に生まれた水谷は、地元愛知商業高校でエースとして活躍し、夏の甲子園ではチームをベスト4に導いた。その後、慶應義塾大学に進学。当時は水原茂氏らがおり、東京六大学野球のスター選手としてその名を轟かせた。アマチュア野球界で実績を積んだ水谷は、1936年、日本のプロ野球創設とともに「大東京軍」の結成に参加。1936年4月29日、日本プロ野球の公式戦第1号試合、大東京軍
1952年(昭和27年)7月16日は平和台事件が起きた日です。平和台事件は戦後プロ野球史の中でも結果的に大きな影響を広げた事件となりました。そして、最も平和台事件で影響を受けたと思われるのがその野球人の名前は湯浅禎夫21世紀の今では忘れられた名選手・野球人と言えるでしょう。湯浅は1902(明治35)年10月2日鳥取県米子市で生まれ米子中学から豪速球投手として名は上がっていた。卒業後は大連実業団で野球をしていたが、明治大学OB大沢逸朗に誘われ明治大学に入学、当時の
袴田英利1955年8月13日~2025年2月8日静岡県静岡市出身右投右打、捕手。1.静岡から法政へ。黄金時代を支えた捕手。袴田英利は静岡県に生まれ、中学時代には県大会優勝を果たすなど、早くからその才能を発揮。進学先には県内屈指の進学校・静岡高校が内定していたが、父親の縁により静岡県自動車工業高校(現・駿河総合高)へと進路を変更する。1973年、夏の静岡大会。決勝まで勝ち進んだが、立ちはだかったのは本来進学するはずだった静岡高校でした。後に大学で同期となる植松
蔭山和夫1927年1月16日~1965年11月17日大阪府大阪市出身右投右打、内野手。蔭山和夫は旧制市岡中学を経て早稲田大学へ進学し、東京六大学野球リーグで内野手として活躍した。在学中は全試合に出場し、3度の優勝に貢献。特に74得点は、2008年に更新されるまでリーグ記録だった。◎華々しいプロ入りと「百万ドルの内野陣」1950年に南海ホークスに入団。ルーキーイヤーから主に二塁手として起用され、規定打席に到達し打率.287を記録。同年の15三塁打は、現在も新
髙橋里志1948年5月17日~2021年1月31日福井県敦賀市出身右投右打、投手。■南海での挫折と「空白の1年」福井県立敦賀工業高校から社会人・電電北陸を経て、1967年のドラフト4位で南海ホークスへ入団。将来のエース候補と期待されたが、なかなか一軍に定着できず、野村監督との確執も表面化。二軍戦での振る舞いを巡り、野村監督から鉄拳制裁を受けたというエピソードは、後年の野村克也の著書でも「数少ない暴力の記憶」としてある。1972年に自由契約になり、翌1973年は故郷・
藤井弘1935年9月29日~2018年11月9日広島県福山市出身右投右打、内野手、外野手。広島県福山市出身で盈進商業高校時代に1953年春季広島大会決勝に進出するなど、早くからその才能を開花させた。卒業後は社会人野球の強豪、倉敷レイヨンに入社。ライバルチームの八幡製鉄への移籍話がこじれる中、1955年、藤井の強打を求める広島カープに入団。「プロ野球ならやむなし」として、カープへの道が開かれました。四番打者候補として入団した藤井でしたが、プロのカーブが全く打てず
日本のプロ野球打撃記録の中でシーズン記録として、一番長い間破られていない記録にシーズン打点、塁打数、得点の3つがあります。この記録は1950(昭和25)年に作られ、未だ破られていない。その3つの記録保持者は小鶴誠外野手です。小鶴誠外野手右投右打(1922年12月17日-2003年6月2日)福岡県出身選手歴:名古屋軍-中部日本-中部日本ドラゴンズ(1942-1943,1946-1947)急映フライヤーズ(1948)大映スターズ(1949)松竹ロビン
王貞治1940年5月20日生まれ東京都東京市本所区(現墨田区本所)左投左打、一塁手王貞治は日本最高の打者であり、記録も記憶も持つ偉大な打者です。打撃タイトルは以下のように本塁打王:15回1962年から1974年まで13年連続で獲得。1976年と1977年も獲得しており、通算15回というプロ野球記録を持つ。打点王:13回1962年、1964年から1967年、1971年から1978年まで獲得。こちらも通算13回というプロ野球記録。首位打者:5回1968年から1