ブログ記事254件
伊達正男1911年2月25日~1992年8月30日大阪府出身右投右打、投手、捕手、一塁手。強打の捕手、そして大投手へ旧制市岡中学(現・大阪府立市岡高等学校)で野球を始めた伊達は、捕手として全国大会に4度出場。その強肩と打撃センスは高校時代から抜きん出ていた。早稲田大学商学部に進学後、1年生にして東京六大学野球春季リーグ戦で首位打者を獲得。打率.469という驚異的な数字は、伊達以前に1年生で成し遂げた者はおらず、実に64年後まで破られることのない金字塔だ
長崎慶一(長崎啓二)1950年5月13日生まれ大阪市阿倍野区出身左投左打、外野手1982年セ・リーグ首位打者長崎氏は1966年、大阪の強豪・北陽高校1年生にして「6番・中堅手」として夏の甲子園に出場した。1968年にはドラフト8位で阪神タイガースから指名を受けるが、堅実な職業に就くことを望んだ母親の反対により入団を拒否。法政大学へと進学。東京六大学リーグでは、1年秋から4季連続優勝を経験。4年次には史上初となる2季連続首位打者を獲得するなど、アマチュア球
横沢三郎(1904年12月16日-1995年11月28日)右投右打、内野手戦前・戦後の日本のプロ野球において、選手、監督、球団経営者、そして審判として多岐にわたり活躍し、その創生期と発展に重要な役割を果たしたのが横沢三郎です。横沢は1904年、台湾で生まれ、東京で育った。旧制荏原中学校、旧制明治大学を経て、社会人野球の強豪であった東京倶楽部の内野手としてプレーし、都市対抗野球で4度の優勝に貢献した。実弟には、後にプロ野球でプレーする横沢四郎・七郎がいる。
衆樹資宏(もろきすけひろ)1934年4月19日~1999年6月25日神奈川県藤沢市出身外野手、右投右打衆樹資宏は、プロ野球史にその名を刻むとともに、波乱に満ちた野球人生を送った人物として記憶されている。湘南高校時代、彼はエースとしてマウンドに君臨した。1951年春の選抜高校野球に出場するも、惜しくも初戦で敗退。しかし、翌1952年春季関東大会ではチームを優勝に導き、夏の甲子園県予選でもエース兼4番打者として決勝に進出するなど、投打にわたる才能を見せた。高校卒
石戸四六1941年6月4日~198年8月2日秋田県大館市出身。右投右打、投手。石戸四六(いしどしろく)は、1938年6月4日に秋田県大館市で生まれた。長男でありながら「6月4日」に因んで名付けられた。秋田商業高校では投手として活躍し、3年時の1958年夏に甲子園へ出場。初戦で板東英二を擁する徳島商業と対戦し、0-3で敗れた。卒業後は社会人野球の日立製作所へ進み、1962年の都市対抗野球大会には日本鉱業日立の補強選手として登板。好投手として注目を集めた。同年9