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今週月曜日に葬儀と告別式を無事に執り行うことが出来ましたが、通夜を含めた2日間は、4人の息子たちにとっても多くの学びがあったことでしょう。例えば、通夜や葬儀の際、住職が話をしてくださるのを聞いていた高校3年生の次男が、「住職は話が上手いな〜」と感心していました。ここで住職の話を1つ紹介させていただきます。それは「先祖を10代遡ると何人なのか?」・・・という話ですが、計算式は「2の10乗」になりますので、答えは1,024人になります。ちなみに、20代まで遡ると1,048
境内こんな空銀杏の木山門-石畳石畳-向拝合葬墓内墓地北境内地太平洋側法務午前10時年回忌雑務境内照明交換ハロゲン→LED取り付け位置も変更日暮れ後再チェックします真っ暗になったらまた…取り付け位置を更に奥に変えました、、軒先の突端課題:足元段差の視認性うーむバリアフリー投光器有り無しセンサーライトのみ通夜時には🔛にします境内マジックアワー
凡そ2年前、B細胞リンパ腫(血液の癌)ステージ4の診断を受けた次男ですが抗癌剤治療で一旦は寛解となり喜んだのもつかの間わずか半年で再発難治性の高悪性びまん性大細胞型B細胞リンパ腫と診断され昨年、CTR-T療法を受けるもその効果がなく今年の2月19日には臍帯血移植を受けたの(二男)ですが『一般病棟へ』2年前B細胞リンパ種(血液の癌)と診断された次男ですが、半年に及ぶ抗癌剤投与の治療後、一旦は転移ナシの診断だったのですがわずか半年で再発昨年の7月には難治…amebl
写真は和菓子が好きな私のために、学校帰り、子供が買ってきてくれたものの一つです。綺麗だったので写真を残していました。子供の成績が芳しくなく、たまにこちらを困らせる嘘をつくことがあったため、私はよく自分の子育てを悔やんだ。夫は賢いが私は夫の様な感じではない。私からの能力の遺伝もあると思って自分を卑下した。両親が離婚し、いわゆる普通を知らない。どちらかというと毒親だった母親に育てられ、偏った考え方が子供に影響したのではないか。こだわり過ぎたのではないか。子供を追い詰めているのではないか。
弊社創設者小石川久美子儀令和8年5月23日、89歳にて永眠いたしました。ここに生前賜りましたご厚情に深く感謝申し上げるとともに、謹んでご報告申し上げます。創業以来、地域の皆さまに支えられながら歩んでまいりましたこと、故人になり代わりまして心よりお礼申し上げます。なお、通夜・告別式につきましては下記の通り執り行います。【通夜】5月27日(水)18:00〜【告別式】5月28日(木)12:30〜【場所】京急メモリアル会館5月27日(水)短縮営業16:00閉店(最終受付時間
私がランニングクラブ運営時にお世話になった小倉哲康さん(浜松商業→京セラ→スズキ)のご子息である知也さん(浜松商業→東洋大卒)が不慮の事故で亡くなりました。小倉哲康さんは昨年まで母校の浜松商業高校の陸上部長距離の指導をしていました。男子では全国高校駅伝へ、女子でも昨年、全国高校駅伝初出場へと導ています。卒業者では伊藤達彦選手(ホンダ)がいます。浜松商業高校など関係がある方は告別式は下記の日程となっています。情報共有をお願いいたします。通夜:9/6(土)18時から告別式:9/7(日
こんばんは。東京博善さんの夕刻葬ある程度軌道に乗ってきたのかしら。(東京博善さんのHPより)葬家様のご都合はわかりませんが葬儀社側にとってはなかなか辛い施行でもあると聞きました。というのも今までの1日葬の場合は祭壇飾りは前日に行っていて(斎場に入れるのが午後3時か3時半)設営だけして翌日式になります。が、夕刻葬の場合は3時に入り設営しながら式の準備も整えることに。そして火葬へと。何か忘れ物不具合があっても対応が難しいと。そして夜9時解散と表ではなってお
【訃報のお知らせ】いつも髙﨑裕士を応援いただき誠にありがとうございます。髙﨑に代わりまして株式会社和っしょいオフィス髙﨑マネージャー山下恵子よりご報告申し上げますこのたび津軽三味線演奏家旬酔かなで代表髙﨑裕士の父敏夫様が5月27日にご逝去いたしましたここに生前賜りましたご厚情に深く感謝申し上げますとともに謹んでご報告申し上げますなお、通夜ならびに葬儀・告別式は下記の通り執り行われます【通夜】日時:5月28日(木曜日)18時〜場所:玉泉院月
脳の転移で放射線治療で入院して何の問題もなく無事に退院したと思ったら退院した次の日から黄疸それからすぐに腹水も溜まり始めた放射線治療の退院から1週間後にまた入院胆管も胆道も詰まりもなくビリルビンだけが異常値に主治医は原因が分からないと頭を抱えていた何とか点滴でビリルビン値が下がる事を願っていたが入院から13日後ついに全ての治療終了を宣告されたこの時主治医からは余命宣告はされてはいないけど日に日に悪くなっている血液検査の結果を見れば旦那がもう長くはない事は
妻が亡くなってからあっという間に1週間が経ちました。3月の記事更新以降のことを記録として記載したいと思います。正直やらなければいけないことが盛りだくさんで、ブログを書いている場合ではないのだと思いますが、少しでも記憶の新しいうちに。長文になると思いますが、ご容赦ください。3月の入院後、すぐに行政のサービスを受けるべく、地方の相談施設に連絡しました。すぐに状況のヒアリングに来てくれましたが、その時点での妻の状況としては、・たどたどしいがしゃべれる・自分でご飯は食べられる(ただし
母は少し離れた場所に住んでおり、子供の葬儀に来てくれた時、まだ信じられないような、きょとーんとした顔をしていた。来てすぐに、ショック冷めやらぬ下の子に説教をした。下の子は走って出ていき、しばらく戻らなかった。包んできた香典も私が"いいよいいよ"と言うと"ふーん、そう?"と引っ込めた。下の子がそれをみていて"普通なら引っ込めずに無理にでも渡すよね?"と言った。私も私だったら"これはあなたたちにじゃなくて上の子になんだから"と言って渡すと思う。通夜、葬儀中もなんか変。退屈凌ぎに自分の仕事
昨日の午後、叔母が亡くなったと母から連絡がありました。葬儀に行くかどうかを聞かれ、もちろん行くと答えました。電話をしながら、私は母を車に乗せて一緒に行くことを考えていました。ところが母は、「(弟)の車に、私も一緒に乗って3人で行く」と言いました。一瞬、言葉に詰まりましたが、「わかったよ」と返事をしました。母の故郷は、車で3時間ほどかかる場所です。亡くなった叔母は母の義姉ですが、子どもの頃、とてもお世話になった方でした。母の実家に行くと、決まって数軒隣の従姉妹の家に遊びに行き、叔母