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今日は、宍倉清蔵先生のお通夜に参列してきました。宍倉先生は、私が千葉市議に当選した、13年前、33歳の頃から、ずっとご指導を頂いてきた、まさに私の模範たる先生でした。同じく教育改革に情熱を注がれていて、一緒に活動をしてきた、真に日本を愛し、滅私奉公されてきた先生でした。晩年はほとんどお会いすることもできず、残念でした。もっとご指導いただきたかった…宍倉先生の遺志を継ぎ、我が人生を賭けて、必ずや愛国心育む教育へと、改革します。また、お通夜にともに参列した、同じく宍倉グループだった、県内の
下町ッていうとドラマなどではやたらと人情味の厚い人ばかりが出てくるものですが、実際のところは結構な偏屈、頑固な人が多くいます。わたしの実家は草履屋で、同じ町内に「伊勢庄」といううなぎ屋がありました。年配の兄と妹で営んでいましたが二人ともに頑固、偏屈で有名。鰻はとにかく絶品でした。なんでも別の老舗鰻屋の大旦那が、本当にうまい鰻が食いたかったらあそこの鰻を食ってくれと言うほど。店は玉砂利を敷いたような小粋な店でした。しかし、とうとう一回しか客を入れませんでした。いわく「一度
大切な人のために「生きる」ダイニングテーブルの上にタバコが置かれてあった。前日、わが家を訪れた友人のものだった。タバコが置かれたテーブルで、娘が朝ごはんを食べ始めた。その光景を見つめながら、僕は、15年前のある朝の食卓を思い出した。わが家のテーブルに友人が置き忘れたタバコ千恵が乳がんになった23年前、僕は一度、タバコをやめた。彼女の通夜があった日から再び吸い始めたが、「15年前のある朝の食卓」で娘と禁煙を約束。それ以来、タバコは吸ってない。2008年、千恵の
最後は帯状疱疹による高熱、誤嚥性肺炎などなど、かなり苦しんだ母の遺影の前で「ママ、少しは楽になりましたか?」「トモ子ちゃんは忙しくて忙しくて大変よ。代わってほしいくらい」と、思わず声を出す。慣れぬ事とはいえ、次から次へと波が押し寄せてくる。このコロナ禍の中で通夜・告別式を出すこともご迷惑な話だけど「お別れはちゃんとやってね」とは母とのお約束。親しいお友達が挨拶もなく目の前から消え去ってしまったことが寂しかったのでしょう。亡くなる前の晩、死の恐怖を察知したかのよう
少し待たせてしまうかも知れないけど…向こうで待っとってな。大好きだった…ラガービール!!また…一緒に飲もう!!☆
当て逃げの続きとりあえず父ちゃんはまた仕事中ドラレコ無し。でも絶対に見つける。周囲をウロウロしてたら一台車が来た。話を聞くと駐車場の関係者らしく当てたと思われる方の関係者から連絡があったとのこと。そこでまた1人男性の方が話しにこられて話を聞いてると目の前が工場なのだが目の前に停めてあった大型のトラックにガラス片がのっかておりほぼ間違いなくここの従業員の方と言う話でした。ただ本人は通夜に行った為連絡が取れないとの事。通夜だから仕方ないとはなれない。流石に。こ
そうなんですよおとうちゃんは旅立ちましたこの写真は64歳のおとうちゃんです最後のレースでした昨夜は通夜今日は告別式でした先程、火葬場から帰ってきました行きたいとこはどこやぁ〜とあたしが聞いたら…ニューヨークや!お前の家を見てみたい一回、行ってみたいわぁ…昨年の秋にはそう話していましたしかし、2月5日乗り物という肉体を乗り捨てました魂になった…おとうちゃんはあたしと一緒にニューヨークの街をキョロキョロしながら楽しむでしょうねそして…勝負師のおとうちゃんは