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妻が亡くなりました。生前、御厚情あった方々に感謝申し上げます。妻が亡くなってから、49日納骨法要までの痛恨の記録です。一人息子との確執が深まり窮地に落とされ、静かな環境での供養はありませんでした。郵便物の『受け取り拒否』・・息子自身の物なのに受け取り拒否されるとは想定外でしたwこれで事務的な連絡手段も失うことになる。郵便物は今後届かなくなります。よほど私からも要求が嫌だったようです。電話ではなく、葬式の打ち合わせ、詰めた話をしたかったので家に呼んだが仕事でいけないと断られた。な
ブログ開設から9年間にわたり「なんちゅう姑!」「いや、なんかおもろいで!」と賛否両論渦巻く中でも愛すべきキャラとして大活躍してきた姑っち。最後の三年は寝たきりでかわいそうキャラになったのは本人も不本意だったでしょう。でも皆様から寄せられるお悔やみのコメント、メッセージに本当に姑っちさん皆様に愛されていたんだなぁと。皆様、姑っちを愛してくださりホンマにありがとうございます。膨大なブログ記事の半分以上は
本日もゆうらり日記によおおこし!死してなお姑っちの戦いは終わらない?いやもうここは安らかに‥『姑っちvsイケメン僧侶!①』本日もゆうらり日記によおおこし!姑っちが旅立って2週間‥弟の忠夫さんの事や、すでに様々なドラマがありました。そして仏事命だった姑っちにとって…ameblo.jp『姑っちvsイケメン僧侶!②』仏事命だった姑っち。それは、かなり前に「ぽくぽく寺」にお墓を買ってからなのだがとにかく「仏のこと
本日もゆうらり日記によおおこし!フェニックストメ子さんが亡くなって1週間ずっと入院して家にはいなかったのですが病院に行けば会えるような気がして‥病院に行くことがルーティン化してたので病院に行きたくて仕方ない‥行っても姑っち、いないんですけどねそんな感じで、姑っちロスどっぷりおかんですがしかしここで立ち止まっては、フェニックスに申し訳が立たない!!姑っち新シリーズ始めます!!いや、始めてたか‥『通夜の意外な客①』
ジジイが亡くなって葬儀屋さんへ搬送の依頼電話している時、叔父叔母たちに電話をすると言い出したBBAこんな夜中(午前3時)にしなくても、朝になったら電話すればいいじゃないと諭してくれた義姉義姉のいう事は素直に聞くんだよねジジイを無事に安置でき、葬儀屋さんとの打合せが午前10時にあるので、とっとと解散!打合せに備えてぐっすり寝たいところだが線香の匂いとBBAのすすり泣く声と猫ちゃん達に邪魔され、ほぼ眠れなかった(´༎ຶོρ༎ຶོ`)朝6時からあちこちに電話をかけてるBBA相手も高齢者
本日もゆうらり日記によおおこし!姑っちが旅立って2週間‥弟の忠夫さんの事や、すでに様々なドラマがありました。そして仏事命だった姑っちにとって一大事のざわつく件も‥さてさて、なんじゃらほい???通夜の枕経を上げに来たのは爽やかイケメン僧侶‥じゃあいいじゃないのって思いますよね?しかし、しかーし!!続く②『姑っちvsイケメン僧侶!②』仏事命だった姑っち。それは、かなり前に
こんばんはつい先ほどとある方の通夜に参列してきました兄さんの同級生のお母さんがお亡くなりになりました(昨晩友人から連絡を受けました)(兄さんと)保育園・小学校と同じお嬢さんがいらっしゃるのですが持病や事故などではなく突然の怪我が発端の急死だそうです・・・詳しくは不明ですが恐らく私と、同年代本当に残念でなりません小学校を卒業してからはあまりお会いする事はありませんでしたがなんとも言えない気持ちですなんだかなぁ
仏事命だった姑っち。それは、かなり前に「ぽくぽく寺」にお墓を買ってからなのだがとにかく「仏のことならワテが一番知ってる!」と豪語して弱小檀家のくせに威張りまくっていた。で、おかんは同居してからズーーーーーっとその仏事につきあわされて義父さんの月命日は必ず二人で、おじゅすさんをお迎えしてた‥お経は十五分くらいなのだが姑っちの話が長い!!毎月、実はうんざりしてた‥『姑っちvsイケメン僧侶!①』本日もゆ
父が急逝。享年92歳。解離性大動脈瘤破裂(大動脈解離)。朝、倒れて、病院に救急搬送され集中治療室へ。これ以上治療の効果は期待できないとの救命医の診断で、延命治療中止とした。これまで脳梗塞などで何回か倒れたが、初期段階で治療したため、障害も残らずに命拾いをしてきたが、92歳という年齢から、次に倒れたらもう無理だろうという予感はあった。なので、母親(90歳)から倒れたという連絡を受けた時には、覚悟を決めていた。死亡以後の流れを以下にまとめておく。1日目(当日)死
次女のお義父様の葬儀に参列してきました…昨日の夜のお通夜家族葬でしたがけっこうな人数の弔問がありました祭壇もなく献花は、たくさんありましたが少し寂しい今風のお通夜でした突然お孫ちゃん1.2号ちゃんたちを預かることになりましたお弁当を食べお風呂に入れて寝かしつけましたお孫ちゃん2号(2歳)は、ママ〜ママ〜と大泣きで刹那かったですお通夜ではお義母様(みいちゃんと同じ年)は、とてもしっかりしていらして自分と重ねてしまいみいちゃんのほうが泣けてきてしまいました
通夜が終わり、私達親族は弔問に来て下さった方々を入り口付近でお見送りする事になった。皆さんが式場から出てくる前に入り口に立った時、初めてそれの存在に気付いた。通夜が始まる前は弔問に来て下さる方に気を取られ、わたわたとしていた。周りの事が目に入っていなかったのだと思う。通夜の会場の入り口には私の思いが詰まった旦那のメモリアルコーナー。そして、入り口左側には階段状になった棚が置かれ、一番上には遠くの方からでも見えるように・・・とデジタルにしたので使わなかった笑みを浮かべた旦那の
皆さんが会場を後にする時に、横一列になった私達が見送る。その時、一人一人、娘との関係やお悔やみの言葉、励ましの言葉をかけてくださった。旦那より娘の友達と接する事が多かった私は、懐かしさ、成長した姿を見せてくれる子供達が愛おしくて、感極まった。いつの間にか挨拶だけが、近況報告やら、ハグやら、お礼やら・・・長蛇の列、列、列・・・悲しみの中に、ほんの少しの喜びがあったり、笑いがあったり、複雑な思いで皆さんを送り出す事となった。長野
北海道は移民によって開拓された土地柄なのか同じ北海道でもその土地によっては通夜・葬儀の行い方が微妙に変わっている。旦那の葬儀での流れでは・・・葬儀屋さんと決めた事の中に葬儀委員長をどうするか・・・ということがあった。これは町内会の会長や勤め先の上司などがやってくれる場合が多いようです。が、うちのように葬儀委員長は立てず、葬儀屋さんにお願いして司会進行という形で式を進めていく場合も今は増えているらしかった。葬儀前までに香典返しの品や告別式後の品を打ち合わせで決めておきま
皆さんこんばんは💫💫💫いつも訪問して頂きありがとうございます😊リブログもありがとうございます🙇♀️安倍元総理の事件がこんな大風呂敷を広げてしまい今後どうなるのでしょうねテレビでも終日この事件を流していますし今日と明日で行われる通夜と葬儀もするそうで…増上寺の道路は外交官ナンバーや黒塗りの車🚙で溢れています先程、統一教会の会長さんが会見していましたねいままでこんな事がありましたでしょうか❓そもそも宗教法人が無税なのも
19時から始まる通夜。その数時間前に、娘の旦那の両親が葬儀会館に来た。私達や故人を思いやっているような、素振りの挨拶を済ませた。娘の旦那の父親は、喪服は着ているが、リュックサック姿だった。おい!葬儀に遠足気分で来ているのか!怒りがこみ上げた。えっ?娘の旦那は?何分待っても、何時間待っても来ない!なんで?意味わからん!まさかの・・・結局、奴は来なかった。故人と喪主の姓が違うと言う、何と
横になったとしても娘は同じ高さからは棺に横たわる娘を見る事はできなかった。事故の連絡後まともに食べるものが喉を通らなない。残暑厳しい今年の秋、なるべく水分は取るように心掛けたけどそれすら喉を通るのを嫌がった。更年期に入ってから暑い寒いを繰り返す女性が多いとは聞くけれど私の場合暑さだけしか感じない様な体質に変わってしまった。真夏も家族全員がクーラー効きすぎて寒いと言うなか、私一人、暑い暑いと言ってはクーラーをガンガン効かせるほどに。その私が寒いと思う
自宅にいた私に義弟から連絡があった。「義母が義実家にまだ残ってるんだけど、車がないから斎場まで連れてきてほしい」旦那が亡くなった直後、義母から「ふん!泣けば済むと思って!」と心許ない言葉を浴びせられてから、義母とはまともな会話はしていなかった。それだけに義母を迎えに行く・・・という事が今の私にはどれほどの行動だったのか、理解してくれる人はいないもんなのか・・・。しかし、ここは認知症が疑われる義母と張り合っても仕方ないし、心を「無」にして迎えに行く事を了承し、義実家まで迎えに行
通夜開始前、葬儀スタッフが用意するお布団の数と朝食の数を聞いてきた。正直、忙しすぎて布団の数や朝食の事なんかすっかり忘れていた。今晩ここに確実に残るのは私と義母、義弟夫婦。娘は大人しかいない場所で葬儀という普段とは違う空気になじめないだろうと思い、自宅へ帰そうと思っていた。会社関係の人達は残る人はいないと思い人数には含めず、義実家のご近所さんも残る人はいない。私の妹も残らないと言っていた。私の叔父夫婦には地方から来てもらっていたので「泊まっていって!ここにはツインの部屋があるから。」
「湯灌の義」が終わり、すっかりきれいになった旦那は義弟が気にして前日に応急処置してもらった口元もきれいに閉じられて、見た目にも安らかに見えた。接着剤などで閉じることもあるようだけど、湯灌でのマッサージと詰め物で少しふっくらとしているように感じた。湯灌師の方が納棺するので少しお待ちください。と言って準備の為席を外した。その間、私と義弟、義母は旦那の側でずっと顔を見ていた。準備が整い、葬儀屋さんのスタッフと湯灌師の方が用意した棺に旦那を寝かせてくれた。そして、納棺についての
おはようございます昨日も描きましたが、私の祖父の葬儀日程が急に変更になりました。母は母で自分のペースで動き、連絡があった2日後の通夜当日に到着。専業主婦で特に予定もあるわけではないのに…何故…。父「俺も行った方がいい?」ハァ????義父の急逝にはすぐ駆けつけなよ…何言ってるんだ?父「えーでも仕事あるから葬式の日に行く。」優先順位おかしくない…?会社に説明したら、普通わかってくれると思いますけども…。結局父は通夜当日の23時頃に到着。夫「行かない(即答)。忌引にならないし。
斎場を出て、自宅にいる娘と近所へ喪服を買いに行った。うちの娘、ぽっちゃりさんです。なのでいいかな・・・と思って選んで試着させてみても太すぎて着られない。なんとかこれから先も着れそうなデザインを見つけて、サイズを確認してやっとの思いで着れるのを見つけた。自分の初めての喪服に喜んでいる姿を見て、この服を着る事の意味を彼女は分かっているのだろうか・・・普段着る洋服とは訳が違う事などきっとわからないんだろうな。複雑な思いでちょっと悲しくなった。初めての喪服、パンプスなど葬儀に必要な物
司会のナレーションと共にしめやかに通夜が始まった。ナレーションは落ち着いた口調で、尚且つ悲しさを誘うような感じの語りだった。最前列の祭壇に向かって右側が遺族席になっていて、喪主、施主、親族と席に着いていた。旦那の遺影は遠くの席からでもよく見えるようにデジタルにしてもらったが、喪主である私の席は通路を挟んで遺影の真正面。よく見えすぎて悲しさが増すだけだった。娘の方に目をやるとまだナレーションが始まったばかりだというのにすでに号泣で用意してきたハンカチで一生懸命涙を拭いている姿が
葬儀までの、このゆったりなんだろなー我が家の時とは、全く違う気がするんだよね。まずは、病院から、いきなり葬儀場のオフィスの霊安室でしょう家を片付けたり、遺体を寝かす布団や枕花、来客用座布団とか、なーんにも、準備しなくていいの。霊安室のあるオフィスは、8時に閉めるから夜は、母の遺体は冷蔵庫へ。そして、家族は泊まれません。通夜の日は、葬儀場に移すから泊まれるみたいだけど。入院してた時と、変わらない生活だ。だから、ピンと来なくて、寿司たべて帰った。今日の午前中は、カメ子は、毛染
皆様お疲れ様です。今日は息子の月命日です今日一日、息子の事を思って過ごしていきたいと思ってます。あ、でも毎日思ってるからあまり変わりませんね笑…お通夜当日になりました。この日は納棺が14時からだったのですが受付の横のスペースに息子の思い出の写真や品々を展示するため朝から式場に入っていました。お通夜をやる会場は3階で受付は2階になるのですが受付横のスペース全てというかワンフロア全てを展示スペースとして使ってくださいと式場の方が仰っていただいたので広々と色々なものを
やはり関東は落ち着くというのもずっと北海道に急遽いっておりました。早朝に祖母が亡くなったと母から連絡がありまして。当日、午前中はどうしても抜けられず仕事を少しした後に夕方の便で到着。孫に見送らせてあげたいと、檀家さんだったのでお寺さんが特別に日程をあけてくださり、亡くなってから次の日には通夜、その次の日にはお葬式、納骨と、2日ですべて終わり。家族のみで、まだ古い風習なのか、葬儀場にお泊まりするんですよね。通夜の後泊まってお葬式。私と兄弟は仕事があるので、夜の便で帰ってきました。でも、23
今日は、祖母の通夜があり、車で4時間強を家族ででかけています。ずっと入院してたんですが、、年齢も94歳で大往生でした。苦しむことなく、眠るように…安らかな眠りを祈ります。娘にとって初めての通夜、葬儀で準備に慌てます娘の喪服なんて用意していなくて、1度きりになるかもしれないフォーマルを揃えるのも…なので持っているダークなもので。カーディガン...babyGAPワンピース...oldnavyタイツ...UNIQLO靴...赤ちゃん本舗靴だけは、赤いものしか持っていなくて、
本日もゆうらり日記によおおこし!姑っちが亡くなってからなにかすっぽり抜けたような空虚感があって‥。ずっと家にはいなかったので、家にいなくても病院に行ったら会えるような気がして仕方ないんだけど行ったところでいないわけで‥病院に行きたくて行きたくて‥病院に面会に行きたい症候群‥???お葬式が終わってすぐ毎日訪問の仕事があってなかなかハードだったけど何も考えず、虚しさを感じる暇なくてよかったのかも。だから
*現在アメンバー承認はしておりません*私のプロフィール・詳細経歴はこちら。↓**************************************義姉の母親が亡くなりやっと葬儀を終えました。(月初に亡くなっているので随分経ちました)家族葬とはいえやることは変わらないのですね。もうちょっと簡単に出来るのかと思ったわ。年老いた両親を気にかけながらの通夜、葬儀だったので非常に疲れました。久しぶりの喪の席でしたのでジェッ
本日もゆうらり日記によおおこし!姑っちと、タエコさんが亡くなった時のいざこざで絶縁していた姪のマイさん「来てくれないかもやけど一応連絡しようか」と連絡すると仕事帰りに夜遅くに来てくれて‥そこで初めて知らされた事実は‥なんと、姑っちの弟の忠夫さんは一ヶ月前から同じ病院に入院していたのでした‥びっくりやで!!『通夜の意外な客①』ブログ開設から9年間にわたり「なんちゅう姑!」「いや、なんかおもろいで!」と賛
おはようございます先日、私の祖父が亡くなりました。骨折で入院中の時でしたが、危篤の連絡があってわずか15分で息を引き取ったとの事。あっという間の最期に、近くに住む親戚達は急いで向かったものの、誰も間に合わなかったようです。残念だなぁ…という気持ちと、間に合ってしまうと頑張ってまた辛いかもなという気持ちです。というのも、祖父自身が「頑張るのがもうきつい」と言い続けていたのできつい時間を長くするよりは、これで良かったのかな?と思います。そんな私は大のじじっ子。90過ぎなので、もうそろそ