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やーーーっと今更ながらトトさんのランドセルを購入しました昨年から、ちょくちょくランドセルの試着をしていたのですが側弯のあるトトさんには、重いランドセルは絶対嫌だし…と悩んでました。こっちはニトリのランドセルこちらは、ふわりぃ障がい児用ランドセルこちらも、ふわりぃのランドセル。「この配色良いね」とトト父さんと意見一致。ネイビー✖︎キャメルです。でもランドセルって最低でも1.2kgくらいあるので、それだけでもトトさんには負担大なので、ランドセルにするのは早々に諦めました。ランリュ
発達っ子にありがちやけどうちの息子、座る姿勢が悪いです超未熟児で生まれたのもあるけど昔から体幹ができてないしグニャグニャでちゃんと座れないですなので現在の療育では何も言わなくても専用のイスが用意されてまして「そういや…コレやってるの我が家だけやん」と気づいたのは秋頃…(遅っ)療育でちゃんと座れないってのはすぐわかったんでしょうねー。「箱イス」というらしいです。背もたれだけでは横に動く。横にもガッチリあった方が体がホールドされて落ち着くらしい青テープが貼られて誰のイ
明日はキッズフェスタに行ってきまーす!久しぶりのキッズフェスタなので、初参戦の気持ちでワクワクしています。一応、各ブースの商品をチェック済なのですがコミケ慣れしている身としては、事前のカタログチェックができないのが歯がゆいところ。ホームページに出展社リストと出典品目一覧が載っているけれど、検索しずらいのよねあと、効率よく各ブースを回りたいのに、当日行かないとマップが手に入らない方向音痴の私は、あっちへ行ってはまた戻って…を繰り返すのでたぶん全体を3周くらい回ってます。それに付き合わ
(むすこのNICU時代の記事です。前回までの記事はコチラ。妊娠中のあれこれは、テーマ1回目の入院、及び、2回目の入院~出産、をたどっていただけたらと思います。)久々のNICU時代の記事です。搾乳の件で、産後4日目にして、朝から産後ブルー全開。メソメソ、わんわん泣いてしまった私。そして結局、面会に来ない予定だった主人に来てもらった4日目の昼……。主人が来てからNICUに一緒に面会にいきました。むすこが入院していたNICUは午後からしか面会できないため、この日は私も
6月10日✨✨無事に1歳になりました✨✨飾りがヘボすぎたので加工で誤魔化してます😅561g→6850gになりました。こんな日が迎えられるとは…😭✨あの手のひらサイズだった頃は想像がつきませんでした。転院したときから「赤ちゃんの命は覚悟してください」と言われていて分娩になったときも助からないだろうと思われてた命蘇生したあとも長くは無理だろうと諦められてたらしい23週生まれは予後が悪い重い障害、後遺症が残ると何度も言われて…でも無事1歳❤ここまで大きくなった😆❗❗脳内出血
2月末に誕生日を迎え、8歳になりましたー!!!7歳の1年間は体調不良ばかりでしたが2年生の担任教諭のおかげで、自立への成長もあり8歳の1年間はどうなるのか楽しみです。昨年の前期個別面談にて、担任から「車椅子を作って欲しい」という話がありました。トトさんは独歩できるのですが、歩くスピードにムラがあったり、すぐに息切れするようになったため学校内では移動の際に車椅子を借りているそうです。できる限り、独歩で学校生活を送ってほしいと思っていたのですが昨年は体調不良の時期が多く、側弯の手術後のコ
(むすこのNICU時代の記事です。前回までの記事はコチラ。妊娠中のあれこれは、テーマ1回目の入院、及び、2回目の入院~出産、をたどっていただけたらと思います。)むすこが脳室内出血を起こして2日後に退院しなければならなかった私。再出血を起こすのではないか、とてもとても心配で心配で、胸が張り裂ける思いとは裏腹に、毎日面会に行けないことは明らかでした。ともすれば、数週間は会いに行けないのでは……と思っていました。この頃には、超未熟児ママさんのブログを少しずつ見始めて
前回、5月10日に今の病院へ紹介された事まで書きました。すぐに、造影剤でのMRIと内診をし、子宮がん検査まで、一通り検査をしました。その子宮がん検査で、陽性反応がでて、組織検査へ。その時までも、まだ境界悪性との判断💦心の中で、検査の内容やDr.の雰囲気から、癌だ…と卵巣は事前検査ができないので、手術で取って組織検査しないと断定できないと言われました。私の手術は、両卵巣、子宮、大網をとる手術でした。子供を2人産んだとは言え、子宮がなくなるのは、現実なのに、信じられない複雑ない気持ち。
療育手帳の申請をすることにした!…ってブログに書いてましたっけ?そう考えた経緯やらを記録しとかな!と思いつつ夏に息子の様子がおかしくなり秋から毎月入退院を繰り返してるのでバタバタしすぎてて何から書けばいいのやら…とりあえず療育手帳を申請しようと思ったのは3歳になった4月に発達検査を受け5月に主治医と面談6月に発達障害の専門医に診てもらい(初)そこで療育手帳について話を聞いたからです。その当時にブログにアップしようと思いつつ保留していた内容がコチラ↓K式発達検査をし
最近、一人じゃ面会に行っていないわたしです。今日は子供らがいるので旦那かわたしのどちらかが行くしか無いのですが、わたしはやっぱり今は面会やめておいて。旦那がいきました。わたしいない方が旦那も聞きたいことが聞ける気がします。医者もわたしいない方が、説明しやすいかな?とか思います。旦那から聞いた話。呼吸は落ち着いてきた。ステロイドの効果。今後は1日10gとか体重増えていくだろう。増えたら呼吸器も変えられると。抜管までにはまだステロイドは必要になるだろう…と。再来週から目の検査ス
下書きに色々溜まってたので、いくつか上げておこうと思います↓7月くらいに書いてた来年度中学入学の娘ですが、就学相談は受けません。小学校入学の時は、本当にギリギリ感があったのと、不安が酷かったし、そもそも超未だから、受けるものって思っていて、何となく中学もそうかなと漠然と思ってたのですが…実は、保育園入園後から今まで、2歳の頃保育園で田中ビネーを受けた(受けてみませんか?と言われた)のを最後に、一度も娘の支援の勧めを受けたことが無いのです(私の認識では。。。)保育園の頃に通って
今日明日の1泊で超未卒業生家族4組で卒業旅行に行ってきますところで…書きかけを下書きに入れたままだった💦↓こちらの続き。無駄に長かったですが終わりです『就学相談は受けなかった③』『就学相談は受けない(受けなかった)』下書きに色々溜まってたので、いくつか上げておこうと思います↓7月くらいに書いてた来年度中学入学の娘ですが、就学相談…ameblo.jp作文が書けない(溜めてウジウジする)娘が、中学の案内を見て「支援教室に行きたいなぁ」と呟いたことから、支援教室について検討した続きに
こんにちは!みちこです。先生から早産の原因についてお話しがありました。心のどこかで、26週で出産したことは正解だったのか?もう少しお腹にいれたのでは?という気持ちがありましたが、お話を聞いてから、そんな気持ちは一切なくなりました。「もう少し遅ければ、赤ちゃん助からなかったでしょう」という先生の言葉が忘られません、、原因は3つ。①臍帯付着部異常による子宮内胎児発育不全②羊水過少症③絨毛膜羊膜炎どれもほとんど自覚症状がありませんでした。①臍帯付着部異常に
きーくんは在胎25週0日794gで産まれた超未熟児くん前回はシャント術前の話でしたが今回はシャント術後の話!無事に手術を終えたきーくんですが一日はICUに入るとのこで母は同室することができず・・・悲しかった・・・涙でもずっと看護婦さんが付き添ってくれていたようで本当にありがたかった。ICUの後、小児病棟へ移ったらすぐに笑顔を見せてくれたきーくん!よくがんばったね傷口は本当に痛々しくて、悲しくて、せつなくて、やるせなかったけどだけど、こうして生きて帰っ
我が子の出生体重は、755g数日後の体重は、667gネットで色々と検索してみた。『正常な出生体重よりも軽く生まれた赤ちゃんは「未熟児(低出生体重児・早産児)」と呼ばれ、その未熟児の中でも出生体重が1,000gを下回る赤ちゃんは「超未熟児(超低出生体重児)」と呼ばれます。超未熟児は新生児治療室(NICU)での綿密な管理が必要です。』まさに今、NICUでお世話になってるね。『赤ちゃんは出生体重で分類され、正常な赤ちゃんの出生体重は2,500g以上〜4,000g未満です。2,500g未満が「
ご訪問ありがとうございます2020.7.23我が家の末っ子『りょーちん』は、798グラムで生まれました。23週で破水してしまい、管理入院の末、28週での早産でした。約4ヶ月半のNICUでの入院生活を経て、今は、毎日一緒にいられる幸せをかみしめています。今までの出産と、今回の出産の経緯についてはコチラから『今までの出産&経緯について』私の今までの出産や、今回の早産の経緯について、簡単に書かせていただきます(^^)2006年に結婚し、12月に、第一子を原因不明子宮内胎児死亡にて死産
上の子は超低出生体重児。早い話が超未熟児でした。妊娠25週の早産で体重486g慎重29センチで生まれました。約五カ月の入院をへて在宅酸素のテイクアウトとともに退院。今三歳。お話はまだできないものの元気です。風邪をひくと入院しますが。その年の県内キングオブチビで生まれたみたいです。そして今お腹にいる下の子。骨形成不全症。私の出産NICUと母乳パックはつきものらしい。負けない。myPickAmazon(アマゾン)メデラ搾乳機(手動)ハーモニー搾乳機単体軽量で小型
22週542g、超低出生体重児で生まれた太陽の命の次に私が守りたかったものは、視力。初めてのレーザー治療は1000gになった頃でした。失明するかもと言われたあの日・・・平均1,500〜2,000発といわれていたのに、3,000発のレーザー治療に耐えた日。面会時間が終わっての帰宅は辛かった・・・未熟児網膜症でも“努力次第で伸び幅が変わる”と聞いていたから退院後は、★遊びながらの訓練を心掛けた!★一緒にアイパッチも貼った!メガネもかけた!★沢山お出掛けした!★沢
いろいろありました😭💦💦3月3日風邪をひき、痰がからみサチュレーションが下がりチアノーゼを起こしたり熱も出て救急外来行きそのまま入院となったり血液検査でも大丈夫だったんですがチアノーゼ起こしたから念の為…とそこで入院になりました本当は、小児医療センターに診てもらうって話になったのですが軽症だからか受け入れ断られたみたいです😅入院となったもののなぜか経管栄養一切使ってくれず。口から哺乳瓶で20-60しかもらえず体重減り…呼吸が不安定で哺乳しずらいから少ししかあげられないって…
我が子、23w0dで産まれたけれど22:25だったから、ほぼ23w1dな感じ。22w3dで入院した時このままお産になった場合、蘇生しないで看取ることも出来ると言われた。その時は現実的じゃなくて、ちゃんと考えてなかったな〜って今すごく思う。私は看取る選択肢もあった。旦那は一切なかった。じゃあ、看取ることを決断できたか?と言われたら、それは難しい気がする。だから結果的に蘇生をした今を受け入れるしかないんだけど……でも、もうすこしあの時ちゃんと話しを聞けば良かったなぁ〜て思う。
2020.7.23我が家の末っ子『りょーちん』は、798グラムで生まれました。23週で破水してしまい、管理入院の末、28週での早産でした。約4ヶ月半のNICUでの入院生活を経て、今は、毎日一緒にいられる幸せをかみしめています。当時の日記やLINEでのやりとりを元にして、切迫早産〜出産までのエピソードを綴っています。記憶が曖昧なところもありますが、ご理解頂けると幸いです2020.7.2328w1d「もうLDRに移動する余裕がないからここにモニターと機材持ってきて」何
5月28日5月の新生児科外来とリハビリでした。身長:65.8cm体重:6756g頭囲:43.2cm胸囲:43.1cm発達は修正の-2ヶ月くらいみたいです😣まだお座りが全然出来ないので😅酸素は日中オフしても平気なことを伝えて…寝る時、体調悪い時だけ付けて次の冬を越すまでは機械持ってて完全卒業は次の春頃という感じに❗酸素の機械持ってると月1受診なのでそれまでは毎月、診察かぁ😅💦毎月診てもらって安心はあるけどね😊リハビリはお座り練習と腕をつく練習。足の力のほうが強く
5月8日小児医療センターの新生児科以外の科は初めて!初診なので測定から。身長:64.5cm体重:6564g(服込み)超低出生体重児で生まれ、脳室内出血し出血後水頭症になりました。その処置としてリザーバーを頭に留置しそこから髄液を抜いてました。それで落ち着き、シャント術はせずに済みました。それのフォロー外来です。見た感じ、大丈夫そうと😊✨1歳すぎにMRIをしたいみたいでその計画を立てました。6月の下旬にMRIその翌週に結果を聞きに来いと。月一で新生児科、
誕生から1週間が経過していました。7日目のその夜、いつものNICU訪問へ。この日は、旦那のお母さんが来てくれていたので子供達はお義母さんに預けて旦那さんと2人でNICUに同時に行けました!久しぶりに旦那さんと同時に入室し、同時に先生から説明を聞くことが出来ました。今日の先生からの報告では、今日は安定していて、比較的特に危険な状態もなかった。と言われ安心していました。しかし。
きーくんは在胎25週0日794gで産まれた超未熟児くん出産時に脳室内出血を起こしていましたが脳室の状態も落ち着いていたので約7か月の入院生活から卒業して無事に退院することができました!が!結果、水頭症の手術をすることになったのですがその2週間ほど前から徐々にゆっくりと症状が現れていたな~と今振り返ると写真などでも、少しづつ顔つきが変わっていたことに後になって気づきました・・・もっと早くに気づいていれば後遺症も少なくですんだのでは・・・悔やんでも仕方ないです
お姉ちゃん。マイコプラズマ気管支炎。熱が出まして、午前中37,8℃午後38,3℃次の日には熱は下がったもの・・超未熟児(出生体重486g)で慢性肺疾患で産まれたお姉ちゃんとしては咳は大敵・・・。気管支拡張剤のお薬の予備を張りながら病院へ・・。休日でしたがお薬と吸入をしましたが、帰宅後せき込み・・嘔吐・・嘔吐・・翌日再受診し咳だけですがレントゲン、血液検査をしてマイコプラズマ気管支炎とのこと肺炎になってなかっただけ良かったかと。・・・・・行きません。息子の面会。万
ご訪問ありがとうございます2020.7.23我が家の末っ子『りょーちん』は、798グラムで生まれました。23週で破水してしまい、管理入院の末、28週での早産でした。約4ヶ月半のNICUでの入院生活を経て、今は、毎日一緒にいられる幸せをかみしめています。今までの出産と、今回の出産の経緯についてはコチラから『今までの出産&経緯について』私の今までの出産や、今回の早産の経緯について、簡単に書かせていただきます(^^)2006年に結婚し、12月に、第一子を原因不明子
(むすこのNICU時代の記事です。前回までの記事はコチラ。妊娠中のあれこれは、テーマ1回目の入院、及び、2回目の入院~出産、をたどっていただけたらと思います。)生後4日目の朝(生後約90時間後)に脳室内出血を起こしてしまったむすこ。先生の話では、脳室内出血のグレードは3。右は脳室の拡大あり、左は出血があって判定できずということでした。(脳室内出血のグレードについて、都立大塚病院のHPから引用すると、脳室内出血のGrade分類GradeⅠ:出血が脳室の周囲の一
※過去の記録を元に書いています。時々、記憶が曖昧な部分があるのはご了承ください2020.6.421w1d出血がおさまらないので、父に病院へ連れて行ってもらう。担当の先生に診てもらった。前置胎盤気味だったのも良くなっているし、赤ちゃんも問題ない、出血の原因がわからないとのこと。とりあえず張り止めリトドリンを1日3回飲んで、自宅安静。特に現状と変わりなければ、来週水曜日の健診時に受診すれば良いとのことで、少し安心して帰宅。2020.6.1022w相変わらず出血は続いているが
いつもより早く子どもたちを寝かせられたのに、なぜか私が眠れず…。夜な夜なポチポチとブログを書きます。トトさんの体調不良。昨年は感染症が多かったのですが、その合間に頻回の咳に悩まされていました。鼻水が喉に垂れ込んだような、痰がらみの咳。一度咳が出ると、連続して激しく咳がでてトトさんも呼吸が苦しそう。咳がおさまれば、spo2は97くらいになります。先週も火曜日から咳が始まり、どんどん咳の回数が増えたので木曜日から学校欠席。咳に対してはアスベリン散、メプチンとパルミコートの吸入を最