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「スニーカーは足(の健康)によい!」というのは、多くの方の共通認識でしょうけれど・・・足幅の狭い方にとっては、スニーカーもラクでなく、、、長時間だと痛くて、疲れるものなのです。(これ、ホント。泣)通常売られているスニーカーは「Eワイズ」か、あっても「Dワイズ」なので、「Aワイズの私」にとっては、3−4ワイズ大きい。18mmー24mmも幅が違うと・・・靴紐でギュッときつく絞っても、絞りきれない。靴の中で足が泳い
花の都の五条の橋で濡れて見たさにしもみればヨイトセゆれる島田に蝶が飛ぶサテチョイトよいよいどうどすえ五条楽園どうどすえどうどすえ(五条楽園音頭)♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢京の赤線五条楽園が一斉摘発されたのが2010年10月わたしが写真を撮る目的で初めて訪れたのはその年の夏頃だったのでまだ普通に赤線として営業していた頃ですこの頃、五條楽園では15軒ほどのお茶屋が残ってました唐破風屋根のある昔ながらの遊郭建築モザイクタイルやス
翡翠じゃないけど、翡翠海岸で拾った綺麗な石を磨きたい。家でようつべ見て磨いてみたけど全然変わらない・・道具ややり方が知りたい。ググったら長野県塩尻に「ミュージアム鉱研、地球の宝石箱」という施設がありました。ドリルとか採掘機器のメーカーがやってる施設。よし、すぐ行く!ついでに小ネタを拾いながら北上する事に(ケチ)茅野のビジホ予約を取り出発。まず山梨県で小ネタ拾い。石和温泉といえば過激なピンクコンパニ・・すごいよね、客も嬢もお互い全力で軽蔑し合ってるのに盛り上がれるって笑私は
****小仙波界隈その③さて川越の遊郭建築の続きであるおそらくこの小仙波界隈の乙種料理店、つまり元遊郭の建物が固まった一角は、新築住宅、更地が目立つことから昔は、もっとたくさんの建物が残っていたものと考えられるそれでもまだ、こんなあからさまな遊郭建築が残っていることは、驚嘆すべきことであろう遊郭など、この手の都市のダークサイドに属する事柄というものは、ほとんどの自治体では“なかったこと”にしたいらしく、たいてい無
今回のブログも、めっっっちゃくちゃ長いです!京阪橋本駅線路沿いの津田電線天寿荘だった橋本貸座敷組合(検番所)横には、かつて津田電線の八幡工場がありましたそして、ひっくり返った防火用水槽のある津田家ここが橋本遊郭ファンの間で有名なやをりき食堂です念願叶って、ようやく橋本遊郭時代から唯一続いてるこのお店でご飯を食べることができました(゚Д゚ノノ"パチパチパチ!!!レトロな店内左上の四角い枠組みは、一昔前のダイナー風の飲食店でよく見かけた
まずは五番町と呼ばれた赤線区域ですが参考にした赤線本に名前が挙がっていた町名に色を付けてみましたオレンジ枠・・・五番町青枠・・・四番町赤枠・・・一番町ピンク枠・・・利生町緑枠・・・白竹町で、前編ブログで触れた三軒町と六番町は黄色枠にしました①喫茶マリア②千本日活③赤線時代遊女投げ込み寺だった報土寺④サムネ画像にした赤線時代の面影を色濃く残す建物⑤水上勉の小説にも登場した有名な石梅楼があった場所色枠は町別に引いたものですが五番町は北は千中商
しばらくバイク記事ではないので、興味がない方はスルーしてください。現在関西を爆走中8泊9日・・みなさまのブログへのコメントが相当遅れます、訪問は帰宅後の楽しみにしまーす。海岸沿いの料亭から一本はいり市役所のお向かいさんに新開(しんがい)新地があります。昭和三十年頃の全国女性街ガイドによると50軒180名ほど、市中には400名ほどおり、芸者はわずか20名。目の前に今も造船所がひしめいているので戦後も色町として賑わっていたようです。市役所や税務署の隣に私娼窟、は時々あります。
カフェーや赤線を探す目印「案内所」も地味ですね。。隣は取り壊されてるし。。元ファッションビルは熱海っぽくてかっこいい。この建物から左の路地は元赤線の通りです。添地町・・遊郭名は不明、沼津は赤青白線がひしめいておりました。銅と豆タイル。色鮮やかだった頃は緑と赤で綺麗だったでしょう。2Fの窓枠はスクラッチタイル、しかも分厚い〜瓦も綺麗な色でした、そこかしこ豪華です。窓は元はテントで目隠しされていたのね、真ん中の銅の棒が変わったデザインだわ。大型の関東のカフェ
松原稲荷通りは広島県三次市の歓楽街です。芸備線三次駅から北西に1.5キロメートルくらいのところにあります。赤い色をした巴橋の西詰のところにあります。三次市は広島県北部の主要都市で、馬洗川、西城川、江の川が合流するところにあり、船運の要になっていました。その後も芸備鉄道が開業し、後に福塩線、三江線が集まる鉄道交通の要にもなりました。しかし、その地形故、たびたび水害が発生し、昭和47年の大水害では江の川沿いの街とともに水没したそうです。サンパチ豪雪やたびたび起こる洪水をきっかけに、こ
暑くてバイクに乗らず、またあまり食べずをしていて回復が遅れてまたグズグズと・・各所からの励ましのお声にやっと動き出して先日宮ヶ瀬まで走れました〜、早朝だったので誰もおらず大変美しかった。やはり、、バイクは良いものですね。宮ヶ瀬に新しい熊看板が付いていて「これは果たして本物なのか?」とまた疑り深い心が出てきました。神奈川の小さな山に熊なんか居るの??自然のままの水場もろくにないのに。何度山に入っても見たことも嗅いだ事もないのですが。。。さてさて続きです。美しい建物はありませ
今週放送された開運なんでも鑑定団にかつて、橋本遊郭に現存した京華楼という妓楼を飾っていた伝説級のインコのステンドグラスが出展されると聞いてTVerで画像撮らせてもらってきたこの画像が在りし日の京華楼『櫂』という映画のワンシーンです『橋本遊郭京華楼』先月、長編ブログとして書き上げたばっかりの橋本遊郭ブログ今は無き京華楼『橋本遊郭再訪⓼∼失われてゆく街並不夜城橋本∼』橋本遊郭に限らず、売春防止法…ameblo.jp泰山タイル張りの美しい京華楼は
橋本遊郭街歩きの続きを書いていきます赤線時代が終わって旅館に転業された『石原楼』後に出てくる『辻よし楼』と共に全国女性街ガイドの中で橋本の大店として名を上げられた妓楼の一つ遊郭時代は、さぞや立派な造りの妓楼だったんじゃないでしょうか表が変わっても雰囲気残ってますもんねこのお宅の横に咲いてたモッコウバラを3年前に来た時に写真撮影させてもらっていて(過去ブログに写真残ってます)その最中に変な体験をしたんです突然男の人に「近隣住民の方ですか?」って声を
****「はごろも」という、かわいい看板が目印の羽衣商店街は、西友とサミットがある広いメインストリートのほかは、寂れてひと気がなく、終わったような雰囲気が漂っていたメインストリートと直角に交わる裏道の商店街は、この薬局から先は、完全に住宅街に飲み込まれており、その先には南武線の踏切があるぐらいで、店などはなさそうだった住宅街の裏手には、なにかの工場があったが稼動しておらず、あたりは静まりかえっている裏道を
****小仙波界隈その②さて、前回の記事で予告したとおり、川越に残る遊郭の跡地を散策する。跡地といっても川越の場合、首都圏では稀なことに遊郭建築が、ほぼそのまま残されているということは、大都会でもない小さな城下町の川越には、弁天横町のほかにも遊郭跡があることになり、これは首都圏のみならず全国的にも稀な例だろう前回の記事に掲載した銅板葺き看板建築とは、喜多院の反対側喜多院の西側の裏手のひっそりと
今も唯一、宿場町だった橋本で旅館業を営んでおられる多津美旅館さんにお邪魔させてもらいました休憩3000円と書かれているので3000円払って内部写真を撮らせてもらうつもりだったのですがお金はいらないと言われましたここ多津美旅館は、遊郭時代ダンスホールだったそうです玄関扉を開けた瞬間「うわぁぁぁ・・・」って声出たすぐ右側の壁廊下を右に曲がると、客室がある二階へ続く階段があります残念ながら二階はお客さんが宿泊中だそうで、見せてもらえませんでした下から撮った建物全体の大きさから
橋本遊郭のメインストリート(目抜き通り)を多津美旅館方面に向かって歩きます3年前に歩いた時はまだあったガレージ横の建物が取り壊されてました2009年グーグルビュー(グーグルビューは現在、橋本では2009年まで記録が残ってます)橋本遊郭沿革史では、手前が化粧品店でその奥の小さい建物が飲食店フェンスの間から空き地を覗いてみたら謎に奥の一角だけ取り残されてた『和泉楼』跡その先、左が『三枡楼』跡にできたマッサージ店で右の空き地手前にあったのが竹栖譚で見
引き続き、下田のペリーロード周辺を散歩します。なんてこと無い建物ですら、伊豆石が張り巡らされてナマコ壁。下田の観光としての建物より、個人の家の方がいい味が出ています。全部の小道を要チェックですよ。美しい窓と台風マークみたいな紋瓦。元料亭か宿か。。というおうちが沢山あります。水路沿いがまたかっこよくて・・・ビックリしました。どれも幕末〜大正時代の建物勢です。現役でカフェ等になってます。全部の小道を見る時間が無い場合は、水路だけでも十分に満足できますよ。
ニュースで「破滅するまでホストにはまる女性達」が話題になりましたよね。なぜホストとかいうひどくコスパが悪く先の見通しも無いものにハマってしまうのかという理由の一つに「サンクコスト」効果があるそうな。つまり「ここまで掛けた労力や金額が惜しいからそれが最悪なもんだとわかっていてもやめられない」らしい。あれ?これさ・・この感情!私、知ってる。。私、すんごく理解できるよ!!そう、これは私と林檎社との関係そのものです、10年かけても使いづらい仲良くなれん。重い、互換性がない、アップデート
2月14日東京の「赤線」について勉強する。昭和33年の売春防止法まで、警察は指定区域の中で「特殊飲食店」の営業許可を取った店に対しては、公然と売春を黙認していた。そういう店が集まった指定区域を「赤線」という。警察がその区域の地図を赤い線で囲んでいたことからそう呼ばれたという。有名なのは江戸~明治から続く遊郭街吉原、新宿、北千住、品川、洲崎。大正時代には浅草の「銘酒屋(めいしや)」と呼ばれる種類の店の多くが関東大震災で焼け出され、亀戸と玉ノ井に移転して東京の2大娼婦
兵庫県姫路市の遊里「梅ヶ枝遊廓」跡播但線野里駅から南西へ、姫路城の東側にあります。「梅ヶ壺」とも呼ばれていたとのことです。当時の建物は多分2軒か3軒ほど、街区のほぼ中央にあった大きな建物は解体されていました。道路の区画にも当時の面影があります。
念願の念願の念願の吉原初訪問っ。東京都台東区千束4丁目、旧吉原遊廓に行って来ました。赤線、カフェー建築がたくさん残ってました。現在、吉原は日本最大のソープランド街になってます!日比谷線三ノ輪駅で下車、吉原まで徒歩11分。途中で渋い建物発見。↓こちらは創業127年の老舗天ぷら屋さん。↓遊郭で遊んだ殿方が帰りに立ち寄って食事をしたそうです。行列出来てたよー。ついた、吉原大門交差点。↓見返り柳。↓ここを通って遊郭へ向かうんですが↓道がカーブを描いていて遊郭内部が外から見え
13章+ニュース記事で書いてきた橋本遊郭再訪ブログもこのまとめで終わりです♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢記事まとめ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢『橋本遊郭再訪⓵∼竹栖譚と天寿荘の解体∼』今日からしばらくまた赤線ブログ書いていきます今回もかなり長くなりそうですコロナ渦中、アマゾンで赤線本を探してるとこんな本に出会いました竹栖譚洛南橋本遊…ameblo.jp『橋本遊郭再訪⓶∼宝春楼と水嫌地蔵トンネル跡∼』橋本遊郭の歴史は古く、平安時代に
私の好きな映画の一つ『鬼龍院花子の生涯』は最初と最後のシーンに橋本遊郭がロケ地として使われています映画自体は1982年公開なので昭和56~7年に撮影されたものだと思いますが冒頭で昭和10年橋本遊郭と字幕が出ます売春防止法施行が昭和33年なので遊郭として思いっきり機能していた頃が時代背景です冒頭、松恵が淀川の堤防から遊郭に入ってくるシーンに出てくる橋と画面では見えませんが、石段と建物の間に大谷川という運河があり、橋がかけられていますラストシーンで花子が父鬼政に出したハ
人のブログを見て回ると「え、ここ・・知らない」って場所が出る度に調べていけそうならマーカーして行き先リストにコピペして・・・ってブログ巡りにめっちゃ時間かかってます。返信など遅れてすみません、全部自分の欲望で遅くなっています。中国地方求ム。沼津には飲み屋や赤線街の「⚪︎⚪︎小路」がたくさん残っている。全部見てきました。静岡って地方都市のわりにソープがそこそこ残ってて「珍しいな」っていつも思います。沼津にあるのを知らず、朝10時頃なら無人の歓楽街の写真取れると思ったの
先月、長編ブログとして書き上げたばっかりの橋本遊郭ブログ今は無き京華楼『橋本遊郭再訪⓼∼失われてゆく街並不夜城橋本∼』橋本遊郭に限らず、売春防止法が完全施行された昭和33年から60年以上もの時が経過してしまった現在赤線時代の建物は老朽化が進み文化財として登録されにくいのもあ…ameblo.jpこのステンドグラスは赤線時代どんな風に輝いていたのだろう・・・一生妄想で終わるはずがアマプラでおすすめに上がってきてた『櫂』って映画を見てたら突然、何の前触れもなく出
今日からしばらくまた赤線ブログ書いていきます今回もかなり長くなりそうですコロナ渦中、アマゾンで赤線本を探してるとこんな本に出会いました竹栖譚洛南橋本遊郭写真・小説集肝心のメインタイトルの漢字が読めない・・・たけすたん?ちくせいたん?とにかく橋本遊郭の写真集なんて今までなかったし、即購入同じ京都の遊廓誌でも、橋本は京都市ではなく八幡市なので他の遊廓に比べて、歴史的資料が圧倒的に少ないんです届いた本のページを、興奮を抑えながらめくっていくと1989年
蒲郡には4箇所の温泉郷があります。三谷温泉と形原温泉にはそれぞれ風俗営業をするお店の組合があったようです。三谷温泉♨️は小高い山にあります。三谷歓楽荘は山に登る手前です。温泉街として栄えていた頃は山の上にプラネタリウムがありました。プラネタリウムの横からお隣の山へロープウェイ🚡もあったようです。それぞれの温泉地がお客さんを呼ぶための策略だったのでしょうか?2018年頃のブログには旅館として屋号がありました。現在は屋号も外されてひっそりしてます。ベンガラに丸窓とそのもの。
田舎暮らしや二拠点暮らし系のVLogを最近みています。丁寧な暮らしをなさっていて家が大好きなんだなぁ〜。。と。旅好きではあの暮らしは出来ないので、憧れますがその人生は封印かな。。夏だけ避暑地に居たいので、コスパよく効率的に過ごせる方法を模索中です。二年前までもう少し建物があったんですが・・今はこの一本だけでした。周囲は新しいマンションやビルが・・写さない様に頑張って撮影。赤線や私娼窟などの道って権利がどうなってるんかわからんけど、ほぼ未舗装路で味わい深い
今回は伊豆長岡温泉周囲にありますちょんの間を探索。晴天うららかな日に似合わない探索地でございます。こちら現役が・・たくさ・・これ以上は軽く検索すると出てまいります〜「夜も早うござんす、春をお求めならば橋の向こうへ・・」との大人な会話はできませんが異国の花々がスナック等でお待ちしているそうです。周辺は廃業巨大ホテルが目立ち、他も外国人用にシフトチェンジしている様子。町自体温泉地というより半分は普通の住宅町、石和温泉のようにイオンもあります。現役のスナックをさけて廃業した路地を
福生市(ふっさ市)は東京都の中央から少し西にある都市です。東京都多摩地区の立川市から青梅線で20分くらい行ったところでしょうか。在日米軍の横田基地があるところです。1940年に開設された旧日本軍の飛行場を第二次大戦後に米軍が接収し、そのまま横田基地とされているそうです。あとそれと、東京や神奈川には米軍基地がたくさんあることを初めて知りました。また、東京都心のさらに中心の青山に米軍ヘリポートとプレスセンターという施設があることを初めて知りました。まだまだ勉強が足りません。この辺りは東京都