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🚲🚲📷🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲📷⑤撤去された千住大門商店街振興組合のアーチ大門商店街は荒川が大きく蛇行している扇状地にあり北千住の駅から離れているし、荒川の対岸の町屋からも当然離れている。そして主要な街道沿いでもなければ近くに商店街が成立するような大きな施設なども存在していない(現在は大学があるが)つまりこの商店街がこの場所に成立したのは、ひとえに遊廓が存在していたからだと言えようとなると遊廓は赤線となり売春禁止法によって壊滅したこ
地図上で新地が東と西に分かれてあるほど大きな遊里だったと思うのですが私の持っている本には記載がなくて。。海に面しているし、先ほどまで歩いて来た街を見ると、遊里も相当豪華だったと想像はできます。遊里のセット、質屋、美容院、交番。古びた病院が残って入ればさらによし。大型ソシアルビルの廃墟、粗大ゴミ置き場。これ三重も酷かったなー。田舎でも他のトコにはゴミが捨てられてなかった気がする。ビル全体は廃墟&シャッターなどで閉鎖しにくい形式だと行旅な人が住んじゃうのかな?ちょっと
現役ソープ街です、客引きが居ない条例なので写真とりまくれました。シーボルトの湯など普通の観光場所から100mくらいでしょうか。ふつーに神社へ行く観光客も通る道沿いです。これ、大型パチンコ屋サイズの風俗店。大きさにびっくりしました全面ミラー仕様もすごい日の出から営業ですから、当然営業中です。画面が流れる電光掲示板の料金表が眩しい普通っぽい商店や高級旅館と並んでソープがある、武雄もそうだったなぁ。立派な元旅館もありますが、屋根が崩れちゃってます。。もったいない名
旧赤線地域の路地を探訪した後、高崎電気館の西側の鉤型の路地を見に行きました。高崎電気館前の道路から南を望むと、見事に鉤の手に曲がっている路地がありました。高崎城の北東にあり、城内北郭だった場所なので、防衛のための鍵型なのか気になるところ。結論から言うと江戸期にこの路地は存在しませんでした。宝永期(1704年~1711年)の高崎城周辺の絵図で確認したところ、この場所はこの路地の形に武家屋敷が建っていたようです。写真右手が武家屋敷で、この路地から左側
懐かしい高崎オリオン座を見た後、そういえば近くにもう1軒映画館があったと思い出し、行ってみました。昨日ご紹介した中央銀座通りのこの交差点を左折し、西へ行きます。流石にここは学生時代にはほとんど通らなかった路地。その理由は、柳川町は昔、赤線地区に指定されていた地域で、私が子供の頃も特殊飲食店の流れを汲むような夜のお店が沢山あり、子供だけで近づいてはダメと言われた地域だったからです。路地に入った左手にはキャバクラがありました。かなりの大箱?その先
ドラマホットスポット面白いです。ほぼ名残は無いと知りつつ向かいました。妓樓は十五軒、娼妓は百二十名位居る。中々の規模ですね。直方は石炭集積地だった時期もあり、労働者=男性が全国から集まりました。「料理屋にランプのつかぬ部屋なく、芸妓にお茶ヒクものなし」と言われていたそうで・・・小さな山の上にある。建物は無いのですが、立派な門構えが残る箇所もちらほらこの辺りはどこも道路が広い宅地なので、大門のアタリをつけにくかった。ありました、立派な文字で・・・なんて書いて
100%留まっている蚊の退治方法透明のコップ(私はマーロウのプリン)コップの口より一回り大きいメモ帳蚊が壁に止まっている時でも手やクッションで押してもどこかいっちゃいますよね。あれって空気が動きすぎてるからなんですで、壁に止まっている時にガラスのコップをかぶせると・・・すんなりと捕まえられます。壁に押しつけたまま紙を入れ込む、床や机に置く。一晩放置すると死んでます。風俗街ってこういうレリーフ必ずありますよね洋酒喫茶の看板だーもう17時をまわってますが、誰
日本三大遊郭江戸の吉原、京都の島原、長崎の丸山現在の名残も、その名にふさわしい巨大な歓楽街でございました。当時は妓楼103軒、遊女は700人超丸山遊郭の特徴は「外国人OK」出島への出入りも許可されておりました。この辺は横浜と同じですね。長崎丸山遊郭の方が歴史は古くて、横浜のは丸山遊郭をモデルに組織化されました。外国人用の遊郭、、そう思うと独特ですね。長崎の遊女は近隣の娘たち、実家とのパイプも強かったそう。実は横浜のもなのです、遠方の見ず知らずの田舎娘ではなく、政府から決め
上からこの赤い橋がみえたので、ちょっと美保の町を散策してみました。美保神社の横から入ります、わー・・レトロな感じがいい!これは中々・・この手の街道で外国人が居ない、静かで綺麗で最高。このプラスチックの看板も素敵!道は人専用の狭さなので、建物写真がパンパンですが。。楼閣のような廃墟がある。あれ?ライトが・・赤線のこういう建物に定番の位置についてますね。。調べましたら、ここは遊郭があったそうです。出雲国には3大遊里があり、松江和田見、杵築、美保関。こちらは現役の
骨折2週間経ったので病院へ骨密度優秀なワタクシはもう仮骨ができていると確信したのですがポッキリのままでした。。おのれー骨折めー許せん!!中々この町に来る人はいないと思いますし、色町のお宝もたくさんあったのでたっぷりと拝見していただきたいと思います。橋を渡ってすぐ、大きな鉄工所の木造工場がありました現役みたいです、窓枠も木のままの鋸屋根工場門柱も古いなー鉄工所を右手に進むと、、リッチな総煉瓦造りの蔵、戦前からある工場かな記事を書くにあたり調べましたら