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「ゴールデンウイークどこか行きたいとこあるん?」「西成っ!」「は?」「え?ダメなん?」「いや、ダメとかじゃなくて・・・」GW前のダンナとの会話そんなわけで大阪入り~@動物園前パオーン大好きな新世界に背を向ける形で“動物園前一番街”を歩く動物園なんて可愛らしい単語が入ってるくせに子供要素は入口の鯉のぼりくらいにしか見当たらずふと横を見れば警察現地入りして、ものの二分で犯罪の香り・・・商店街なのに、お店は等感覚で呑み屋鴨川のカップル
橋本遊郭のメインストリート(目抜き通り)を多津美旅館方面に向かって歩きます3年前に歩いた時はまだあったガレージ横の建物が取り壊されてました2009年グーグルビュー(グーグルビューは現在、橋本では2009年まで記録が残ってます)橋本遊郭沿革史では、手前が化粧品店でその奥の小さい建物が飲食店フェンスの間から空き地を覗いてみたら謎に奥の一角だけ取り残されてた『和泉楼』跡その先、左が『三枡楼』跡にできたマッサージ店で右の空き地手前にあったのが竹栖譚で見
この記事は2月ですが、今日ビワイチ終了で近江を離れました。北岸が特に素晴らしかった!!そして飯がうまい〜近江いいところですね。大津の続きです。元藤田時計店ショーウィンドウ下のタイルが素敵釉薬タイルの奥からスクラッチタイルがのぞいてます。チンチン電車かと思ったら普通の電車が通過してビックリ。さて、遊郭に向かいます。古地図など照らし合わせていないのでここから、とは言えませんが、この路地から建物の作りが違いました。まあ、そうでしょうね。遊郭じゃないでし
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくおねがいいたします。新年から特飲街ですみません・・・私は駅前からではなく、西側から入りました。布施駅の南西側。高架そばからちらほらと普通の家なのですが、2F欄干は木製でちょっぴり花街のイメージがありました。現役料亭の若菜かわいい、星型の営業プレート!路地は狭く、かなり古い建物が並びます。こういうアパート?に住んでみたい・・ここは転業アパート・・元の楼閣名は失念しました。(涙柱や床のタイルが素敵
何回目かのデートの後、車がホテルの駐車場に停められても驚きはしませんでした。大人同士の付き合いですから自然なこと。そう受け止められるだけの自分になっていました。それまでに自分の中の「不良」性を認めていましたから「また来たか」みたいな軽い気持ちでした。同じ町内の幼馴染ということもあって、最初はちょっと照れくさい面もあったのですが、彼の何事にもこだわらないオープンさ、気楽さもあってすぐに私の方もオープンになれました。こんな気分は初めて、と気が付きました。何だかとても楽しい。これまで遊び半分で付
滋賀県の鉄道の起点?になる草津市。宿場町として栄え本陣2軒脇本本陣2軒旅籠70軒余りを構え多くの旅人で賑わっておりました。昭和24年国の史跡に指定され草津本陣として大規模な修繕を経て多くの人を江戸の世界へと誘っています。ここから8号線の方へ古い街並みを楽しみながら歩いて行くと8号線の手前に東新地があります。少し前までは当時の屋号を残した開成楼など面影はまだまだありましたが自身が訪れた際には解体が進み駐車場になっていました。それでも当時の面影が偲べる遺構が残っていまし
群馬県を通って長野に入ります。小ネタで磯部温泉にあるという日本最初の温泉マークモニュメントこのクラゲみたいなのが最古の温泉マーク。長野県佐久市にあった岩村田遊郭跡元遊廓だった、現在お蕎麦屋さんの北盛楼名残は一才なし、空き地だらけ。いわんだゴールデン街。カフェーの色合いが見受けられます。ですが・・来るのが遅すぎた、3、4件の建物以外みんな取り壊されてました怪しげなゴールデン街の電飾が詐欺かのように、清々しくなにもなくなってますまだ二件くらい営業してるっぽ
田舎暮らしや二拠点暮らし系のVLogを最近みています。丁寧な暮らしをなさっていて家が大好きなんだなぁ〜。。と。旅好きではあの暮らしは出来ないので、憧れますがその人生は封印かな。。夏だけ避暑地に居たいので、コスパよく効率的に過ごせる方法を模索中です。二年前までもう少し建物があったんですが・・今はこの一本だけでした。周囲は新しいマンションやビルが・・写さない様に頑張って撮影。赤線や私娼窟などの道って権利がどうなってるんかわからんけど、ほぼ未舗装路で味わい深い
****怪しい飲み屋街があった錦町の赤線跡地は、羽衣町のものとは異なり、わずかにその面影が残っていたしかし、開発の勢いが著しい立川の町は、この赤線跡地の直前まで押し寄せており、ところどころに飲み屋が残ってはいるが、いずれ近いうちに、完全に痕跡がなくなってしまうことは、まず間違いないだろう小料理「たぬき」の奥に写っているのは、立川駅方向から押し寄せているビル群である前回記したとおり、どうせついでだから、立川
花の都の五条の橋で濡れて見たさにしもみればヨイトセゆれる島田に蝶が飛ぶサテチョイトよいよいどうどすえ五条楽園どうどすえどうどすえ(五条楽園音頭)♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢京の赤線五条楽園が一斉摘発されたのが2010年10月わたしが写真を撮る目的で初めて訪れたのはその年の夏頃だったのでまだ普通に赤線として営業していた頃ですこの頃、五條楽園では15軒ほどのお茶屋が残ってました唐破風屋根のある昔ながらの遊郭建築モザイクタイルやス
旦那はんおいでやすええとこどすえ芸者ワルツでステップか五条楽園花えくぼ柳並木とぼんぼりがほのかに浮かぶ恋のみち(五条小唄)五條楽園のブログ書きますって言い続けて、早10年(笑)本日やっと着手(・∀・)オッソー♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢赤線とは、戦後から昭和33年の売春防止法完全施行までの12年間政府公認で売春が行われていた区域のこと青線とは、同じ期間無許可で違法に売春行為が行われてた区域のこと非公認区域の取り締まりを行う必要が
これは・・上物、富士山モチーフ!元カフェーで途中中華の改造を受けた建物ですね大通りのビルも昭和30年頃のお品でしょうか?私がみても古い。とにかく見渡す限り古いです。そしてほぼ空き店舗かなり歩いてへとへとですが、「戻ろうか」って思うと遠くに凄い建物が見えてしまった。。完全に花街仕様の銭湯。この辺巴遊郭かな現在は休業中です。。。。維持は難しいのですね。周囲には時間貸し駐車場が多く、広範囲に古い建物が壊された様子が伺えます。あ、トモエ・・・ここかぁ、じゃあこの周辺を散策し
一昨日伊東温泉に一泊してきました。「伊豆に宿泊?(笑)伊豆は日帰りの距離だ」の人生だったのにここ一年ほど西伊豆に宿泊し、ついに東伊豆で泊まるとは。。。泊まって夜に徘徊すると街の表情ががらりと変わって「ますます伊豆が好きになる」状態に陥っています。いい塩梅に昭和で時が止まっている伊豆、素敵なのでみなさまもぜひ無意味に宿泊してみてくださいませ。だいぶ減ったと聞きましたが、それでも沢山のスナックが残っていました。最盛期はどんなだったんだろう。神奈川にここまでの規模はないよ。みその
沼津の街並みは面白いよ。これなんか駅前大通りに面したそっけないビルでしょ。「ニュー駿河」ああ、駅前だしビジホかぁと思ったら・・二度見したわ笑。すごい自然な佇まいだった。棟横INNと同じ色とフォントじゃんw高砂横丁どこも途中でちょんぎられてる感じです。周囲は再開発の波が押し寄せてる。さくら横丁みんな一棟建てみたいに建ってます。最盛期はこういう小路や横丁の建物がぎっしりあったんだと思う。新築の戸建てが無いんですよ・・跡地にはマンションが建っているのでみんなそれなり
豊橋には小池遊郭(遊楽荘)東田園がある。そして豊橋駅西口を線路沿いに右側に進むとバラックの飲み屋の通りに出ます。バラックではあるものの家賃の安さから若い人が借りて飲み屋をやってる外観のポップな飲み屋さんが連なってます。見て歩くの楽しい^^バラックが終わり城海津跨線橋をこえるとドドーンと出現するのがこちら。昭和33年にはふじよし旅館と明記された記事をみつけました。1階はリノベーションされたのかな。このアングル定番で城海津跨線橋に登階段から撮ってます。サイディン
明治時代佐屋街道の起点としお茶屋として賑わい明治44年尾頭橋を起点に市電が開業大正6年料理屋兼芸妓置き屋が開業し10年八幡村が名古屋市に編入11年芸妓街八幡連ができ中村遊廓稲永遊郭の一部が八幡連に移転特飲街八幡園の誕生。売春防止法施行後トルコ風呂となり現在は住宅街となっています。芸妓置き屋や街道沿の宿場町の遊郭跡って風情があります。とてもとても素敵な妓楼跡丸窓はアップにしたくなる隣が駐車場になったので奥は深さがよくわかります。裏側です。カフェー建築です。有名な物
引き続き、下田のペリーロード周辺を散歩します。なんてこと無い建物ですら、伊豆石が張り巡らされてナマコ壁。下田の観光としての建物より、個人の家の方がいい味が出ています。全部の小道を要チェックですよ。美しい窓と台風マークみたいな紋瓦。元料亭か宿か。。というおうちが沢山あります。水路沿いがまたかっこよくて・・・ビックリしました。どれも幕末〜大正時代の建物勢です。現役でカフェ等になってます。全部の小道を見る時間が無い場合は、水路だけでも十分に満足できますよ。
前回のコメントでびっくりまさか東京の人が湘南弁を知らないなんて驚きました。。。「じゃん」は横浜弁です。そうだべ?行くべぇ?っていう語尾をあがりぎみに使う中居くんの喋り方が湘南弁。多分下げるのが栃木弁かと。湘南爆走族のとか、、あれは地元民が書いてるよなって漫画だった。特に湘南弁は海岸〜1国くらいで強く使われていた気がします。(そこから北に私が行ってないのもあるが)おじいちゃんの知り合いの漁師さんの家が酷い訛りだった記憶があります。「じゃん」が全国化したのはスラムダンクらしい
前回の建物かくせいざいってワード久しぶりにみたわーこの看板だけで銚子にきた甲斐があった!客引きが座っていたと思われる椅子どこもすごい窓がない花輪!懐かしいーここら辺も入り口に箇所、窓消失物件がたくさんこの店名どっかでもみたなーここら辺も近いうち片付くかも、、市役所の札を下げていた人たちが見回ってなんか書いてた。多分昔の地方歓楽街ってこんなだったんだろうなーってイメージそのまま女体で店名、レトロおしゃれギリッギリの隙間も塀で埋め
笠岡渡船へ向かう途中に小ネタ拾いします。小ネタ、八つ墓村の濃茶の尼のモデルだという「濃茶のばあさん祠」これは・・がっかり聖地認定!笑周囲は少しの田んぼと沢山のふつーの住宅街。。笠岡遊郭・・笠岡港と伏越港とJR山陽本線、鴨方往還が集まる場所。今は笠岡諸島に行く小さな船が着くだけですが、以前は複数の路線があったそうです。そんな港町の遊郭跡を見にいきました。2009年に火災があり大物が5軒消失したので、まぁ小ネタ程度の立ち寄り気分で出港前に寄り道しました。私は山側から・
三枡楼の二階に上がらせてもらいました以前は高齢の女性が、お一人で住まわれてたようで何年も二階に上がることができなかったらしくオーナーさんがここを買われた時二階は雨漏りで床も天井もかなりひどい状態で100枚近くあった傷んだ畳を全て撤去してフローリングに替えられましたざっと数えてみたら二階の部屋は全部で16部屋ベランダはオーナーさんが増築されたそうですお庭の紅葉が赤く染まることを楽しみにされてましたが全然お水をあげてないらしく今年は梅雨明け以降、夕立もほとんどなか
ちょっと広島県に行ってまいります。前後日も含めてコメント閉じさせていただきます。以前は旅先でもコメ返信できていたのですが、最近旅の後とか休みたくて(笑人より劣化が早い気がしますわ〜銚子にあった松岸遊郭、現在名残はほぼ無いと知っていたので今までスルーしておりました。今回来てみたくなったのは伊勢の古本屋でみつけた、昭和30年発行の日本売春史という本に下総の松岸遊郭の話があったからです。明治初頭に公布された売春婦会法令。一行でまとめると「他人に(養女含め)体を売らせるな、借金は帳消
北上して大田原市に向かいます。途中国道4号沿いにあるレトロ自販機に立ち寄ります。マーカーしてあったので来た、、多分ブロ友さんの記事でマークつけた物件だと思われる。。ドアが全開なのにものすごいタバコのすえた匂い。なんか、、子供の頃こういうドライブイン?に入った気がする。。「納豆ご飯自動販売機」にびっくり!旅の途中で下着を忘れてもここで買えます旅の途中でエッチブックを忘れても大丈夫。神奈川では絶滅してしまったエッチブック販売機!異国間楽しめたけど悪臭により早々に退出
(赤線地帯)こんばんは。いつもお立ち寄りいただきましてありがとうございます。若尾文子さん、、初々しい(青空娘)から一転して今夜は赤線地帯・・・・東京の色街・吉原で働く売春婦。この作品は溝口健二監督が1923年から活躍して、本作が遺作となった1956年公開作品である。何十年ぶりに本作を鑑賞しましたが、主役は誰ということなく、群像劇でもあり、グランドホテル形式の構成を思い起こしました。いろんな映画
カフェーや赤線を探す目印「案内所」も地味ですね。。隣は取り壊されてるし。。元ファッションビルは熱海っぽくてかっこいい。この建物から左の路地は元赤線の通りです。添地町・・遊郭名は不明、沼津は赤青白線がひしめいておりました。銅と豆タイル。色鮮やかだった頃は緑と赤で綺麗だったでしょう。2Fの窓枠はスクラッチタイル、しかも分厚い〜瓦も綺麗な色でした、そこかしこ豪華です。窓は元はテントで目隠しされていたのね、真ん中の銅の棒が変わったデザインだわ。大型の関東のカフェ
有名すぎるかんなみ新地ついに終了しました。何度も摘発を受けても生き残っていたのに、、ついに・・。現在はリフォームされて普通のお店が入っているそうです。なのでこの写真が最後の新地だったままの姿かと。せっかくなので写真大きく多めにUPします。この建物の目の前は大きな平面駐車場でした、赤線や私娼窟ソープにはよくあるスタイル。「・・?もう誰もいない・・はずよねぇ?」と心配になるくらいそのままです。やり手ババの椅子もそのまま。市が差し押さえてました、やはり終了しているようです。
愛知県一宮市泉に残る遊郭跡地・旧赤線地帯の「花岡園」を歩いてきました。愛知県の遊郭で有名なところでは「名楽園(中村区)」「城東園(北区)」「八幡園(中川区)」などがありますが一宮市にも存在していました。しかし全国はもちろん一宮市民にもあまり知られておらず情報は少ない。一宮市は人口約38万人、愛知県で第4位(2019年)の中核都市。名古屋駅から最速10分の便の良さから名古屋のベッドタウンでもあります。花岡園は一宮駅から徒歩18分ほど。遺構は少ないものの歩けばここが遊郭・赤線地帯だったのは感じ
※本日の記事内容に冷やかしの意図は一切ありません。飛田で働く方々の迷惑にならないよう最大限に配慮して散策してます。飛田新地には何度も足を運んでいますが軒先に座る女の子と目を合わせたことも顔を見たこともないです。働いてる女の子が見たい、って言うのは全くないです。むしろ働いてない時間滞にゆっくり散策したい。飛田は女人禁制、女が通りを歩くこと自体が御法度です。カップルもNGです。吉原のソープ街は普通に歩いてる人たくさん居たけど飛田新地に限っては利用目的の男性しか歩いてない。本
ツーリングテントを2回検索しただけで、、、→のCMが全部テントにぃぃ(T_T)ポチるまで続けるつもり?アタシ負けないわよ!!戦後すぐの赤線本に五条楽園という記載が無い。五条楽園と銘打ったのは売春防止法以降です、名称が古い感じなので昔からの名かと思っておりました。調べましたら「疎水の両側に・・」の記載。(おそらく現在の高瀬川、の両端)を「七条新地」と呼んでおりました。祇園などと違い、通称「橋下」と呼ばれるお安い娼妓タウン。「照らし」という蛍光灯で陳列棚に女性
人のブログを見て回ると「え、ここ・・知らない」って場所が出る度に調べていけそうならマーカーして行き先リストにコピペして・・・ってブログ巡りにめっちゃ時間かかってます。返信など遅れてすみません、全部自分の欲望で遅くなっています。中国地方求ム。沼津には飲み屋や赤線街の「⚪︎⚪︎小路」がたくさん残っている。全部見てきました。静岡って地方都市のわりにソープがそこそこ残ってて「珍しいな」っていつも思います。沼津にあるのを知らず、朝10時頃なら無人の歓楽街の写真取れると思ったの