ブログ記事534件
いつも、源九郎稲荷神社を応援してくださり、ありがとうございます。10月からブログがストップしておりました。今、タイはバーツ為替が異常に強くて、円が続いていることから、観光客が激少しております。私がバンコクで経営している理学療法スパRENEは、4割がのお客様が観光客なので、観光客が減るとなかなかお店の経営が厳しくなってきております。さらに、日本から低コストのチェーン店スパが進出してきており、インスタやフェイスブックなどのSNSを通じて、芸能人などを使ってガンガン宣伝をしておりま
大和大納言豊臣秀長天野忠幸著補佐役か、もう一人の秀吉か2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公、豊臣秀長、その実像と足跡を濃密に描く決定版!豊臣秀長は、兄・秀吉を補佐しつつ、いかに天下統一事業を推進し、南近畿の統治を行ったのか。秀長の再評価を問う一書。「中世から近世へ」シリーズ最新作!著者天理大学人文部教授天野忠幸氏静かなる統一政権の首領豊臣政権の壮大な方針を先駆けて実施した武将。刀狩・検地をいち早く自領で展開。巧みな宗教政策や人材育成は、、後の江戸幕
いつも、源九郎稲荷神社を応援してくださり、ありがとうございます。源九郎とよは昨年、歴史や神話を発信するYoutubeである「tolandvlog」主催のエジプトツアー「結び」に参加しました。そこで、tolandvlogサムさんのお母さんと同じツアーバスになりました。途中、お母さんは旅の疲れで転ばれ足を捻挫されたため、整体師でもある源九郎とよが手当てをしてあげたのですが、なんと律儀にもその時のお礼だと言って、源九郎稲荷神社に参拝され、さらに寄付もしてくださいました
○未だに出てくる大発見◇読売新聞2025.11.21(金)朝刊33.社会面記事より秀吉が「本能寺の変」翌日に毛利方重臣を調略した手紙…直後に知った信長の死、和睦に影響した可能性【読売新聞】羽柴(豊臣)秀吉が、本能寺の変が起こった天正10年(1582年)6月2日の翌日、敵対する中国地方の毛利氏配下の武士に宛てた誓約状が見つかった。毛利氏を裏切った見返りとして、備後(現在の広島県)の権利を与えるなどの約束がwww.yomiuri.co.jp【「本能寺」翌日秀吉の誓約状】【信長
前回からの続き(5月17日のこと)です昼御飯も済んだので、次への目的地へ向かいます車で行けば良かったのかもしれませんが、そんな遠くないだろう!?と見知らぬ土地でうかつな行動したのが失敗でした💦嫁さんをけっこう歩かせることになりました😓大宮通りを歩いていると、道沿いに鳥居がありました拍子神社(ひょうしじんじゃ)住所・奈良県奈良市登大路町春日大社末社御祭神拍子神御例祭11月3日御神徳南都楽所(なんとがくそ)の祖で奈良時代の雅楽の達人狛近真(こまのちかさね)をお祀り申し上げる