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気付けば梅の季節も、いつしか過ぎ去り、夏の到来に戦々恐々とする日々となりました。ところで我が家の梅、今年は今までになく不作でした。ですので少ない梅でも楽しめそうな梅干し作りに初挑戦しています。「重石は梅の重量の2倍であるべし」とレシピに書いてあるのですが、そんなピッタリなもの家にはないし、まず第一に容器の入口を通過出来る大きさでなければなりません。それで「重し連合」で対応する事にしてみました!ブレーメンの音楽隊ならぬ、耐熱小皿、湯呑み、ミニワイン・ボトルの3段重ねです。あとは天日干しを
歴史系アーティストさくらゆき6thアルバム制作中!現在発表しているテーマはこちら!・千姫(徳川家康の孫で、豊臣秀頼の妻)・今川義元公・豊臣秀長公(豊臣秀吉の弟)このあとも少しずつ人物発表をしていきます☺️豊臣秀長公は私が作詞を担当していますが、ある民族音楽をイメージして作っていただいたので、いつものさくらゆき音楽と少し違うかと思います。とても難しい曲なのですが、今からレコーディングが楽しみです🌸過去曲はこちらからCD・楽曲視聴|歴史タレント・小栗さくら、歴史系アーティスト
<京の一枚>10年前の京の旅。<西本願寺飛雲閣>豊臣秀吉の聚楽第の遺構だといわれる。僕は豊臣秀長のファンである。その評価は未だ高くない。ただ言えることは秀長がもう少し長生きしていれば、徳川家康も動けなかった。補佐役はもの凄く大事だ。来年は秀長の年になる。ラスプーチンにも言いたい。補佐役は大事だ。狂気のウクライナ侵攻は、秀吉の朝鮮侵攻に似ている。太閤の残した無二の飛雲閣その名の如く滅びが来るなかって見た京の都の奥のおくい
11月11日(木)と12日(金)の2日間、JR西日本の企画切符「関西どこでもきっぷ」を使用して5城巡りをしてきました。今回は11月12日(金)に訪城した3番目のお城「有子山城」(兵庫県豊岡市)をお届けします。「有子山城」は「出石城」で記載したように、「お城坂」の延長上にありますが、一応「稲荷曲輪」跡の脇から「有子山登山口」となり登山に関する注意事項の表示と杖の用意がされています。「有子山登山口」に立つ「史跡有子山城跡」碑日本城郭協会では、「有子山城」と「出石城」セット
4/1(金)の午前中に「伊賀上野城」(三重県伊賀市)へ登城した後は「伊賀鉄道」「近鉄大阪線」で「榛原駅」まで乗車し、そこから「奈良交通」のバスで「大宇陀」まで20分程揺られた後に徒歩で「宇陀(うだ)松山城」(奈良県宇陀市)に登城しました。私は、約20年前に訪城して以来でしたので、殆ど記憶にありませんでした。バスの終点「大宇陀」にある「観光協会」で「観光イラストマップ」と「絵図から見る宇陀松山」等のパンフをいただきました。特に後者は、帰宅してからジックリと見ると、お城の歴史、お城と城下
今年3回目となる「ブラサクラ」のお知らせです!開催は9月!今は海外からの観光客の方も多く、宿泊場所の予約が重要となりますので、少し早めの告知をいたします🌸今回は、2026年の大河ドラマの主役・豊臣秀長公の居城があった奈良県大和郡山市を中心に、戦国武将らゆかりの地を巡りたいと思います!巡る予定の春日大社には、秀長の家臣だった藤堂高虎公のほか、直江兼続公、宇喜多秀家公ら武将たちが奉納した釣灯籠があるのも有名ですね☺️さまざまな時代の史跡が眠る奈良で、ぜひブラサクラしましょう!以下、マネさ
只今、「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマで、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南に向けてお届けしています。本日は第16弾「大和郡山城追手向櫓、追手東隅櫓」、「小泉陣屋隅櫓」の3基です。①「大和郡山城追手向櫓、追手東隅櫓」(奈良県大和郡山市)、いずれも復興櫓1580年に「筒井順慶」が入城、「織田信長」の後ろ盾を得て平定し「天守」を建てます。1585年には「秀吉」の弟「豊臣秀長」が100万石で入城したの
名古屋市中村区の秀吉清正記念館で開催された特別展示・武具類展に行ってきました。これは秀吉清正記念館が所蔵する武具類をいくつか展示したものです。豊臣秀吉、豊臣秀長の生誕地といわれる尾張中村に建てられた記念館なので、豊臣氏や家臣たちゆかりの品々を見ることができました。>>秀吉清正記念館貴重な武具類まずは母衣(ほろ)。騎馬武者とかが、背中に風船みたいなものを付けている肖像画など見たことがありませんか?あれが母衣(ほろ)です。後方からの流れ矢を防ぐ防御のしくみで、折りたた