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2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟』ということで、その弟の秀長を題材した歴史小説です。・現代の豊臣秀長像を決定づけたと言われる歴史小説『豊臣秀長上』豊臣秀長上ある補佐役の生涯(文春文庫さ1-14)Amazon豊臣秀長下ある補佐役の生涯(文春文庫さ1-15)Amazon全一冊豊臣秀長ある補佐役の生涯【電子書籍】[堺屋太一]楽天内容・レビュー豊臣秀吉の弟として、長生きしていれば徳川家康が天下を取ることもなかったのではないかという評価のあ
さてさて…本日二度目の更新(^w^)来年の大河ドラマである「豊臣兄弟!」🍁記念すべき最初のブログです🆕昨日で「べらぼう」が終わりましたが…それを待っていたかのように…書店やコンビニなどで、「豊臣兄弟!」のガイド本が発売され始めました🎵こうした傾向は、大河ドラマばかりではなく…朝ドラでも同じような傾向が見られるのですが…いよいよ、「豊臣兄弟!」が始まるんだな‼️という楽しみな気持ちが…徐々にではあるのですが、高まりつつあります😃✌️ところで…戦国時代が舞台にした大河ドラマ
いつの間にか、秀長銅像ができてました😄来年から大河ドラマで、豊臣兄弟が放送されるので、、秀長イベントに行ってみました。300人のホールに400人も来てしまい、あふれかえってました。私は25分前について、280番だったから、ぎりぎりだったわ。大和郡山城ホールの、小ホール。満席になるのを初めてみました😆
NHK大河ドラマ『べらぼう』が最終回を迎えました。いよいよ、来年からは『豊臣兄弟』主人公は秀吉の弟・秀長です。この秀長が郡山城(奈良県大和郡山市)が城主で名君として今に名を残しています。以前にもお伝えしましたがその大和郡山とはご縁があって、地元の有志からの依頼で♪豊臣秀長と言うタイトルの楽曲をレコーディングしています。(因みに♪こおりやまステキに金魚すくいの2曲収録)-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして
昨夜べらぼうの最終回が放映されました。一話と最終話だけ今年の大河ドラマをみました。去年の源氏物語光る君へと今年のべらぼう槍ではなく筆の力を見せる作品がここ2年間続きました。評価は見続けた視聴者がすればいいと思います。来年は久しぶりに戦国物の大河ドラマ豊臣兄弟です。木下兄弟でないところが良い。関白秀吉と大和大納言・秀長の兄弟の物語。どう転ぶかな?一昨年のどうする家康も、戦国物で期待してましたが第1話の馬が同じように動くメリーゴーラン
最近は体調不慮もあって遠出の外出は控え、行きたかったバスツアーも目をつむっていました。新しい年を迎えての2月のバスツアー。このツアーには、「絶対行くぞー!」と思って申込しました。万全の体調で臨む覚悟です。バスツアーで行くのは、個人では見せていただけないところを見せてもらえるのが利点です。だが不満に思うところもあります。それは、もっと観ていたいところも時間が限られていて急かされることです。2月のバスツアーの行先は、奈良大和郡山方面です。来年の大河ドラマの主役「豊
雨の大和郡山城Yamato-Kōriyamalinna豊臣秀長ゆかりの地来年の大河ドラマを前に準備が進んでいる11月中頃まで頑張っていた熱帯睡蓮Lumpeet(tropicalwaterlilies)ローズゼラニウムを剪定ついでに蒸留RoseGeraniumHydrosol完成秋まきズッキーニ寒さにどこまで
奈良県大和郡山市の銘菓、本家菊屋の御城之口餅(おしろのくちもち)です。温かいほうじ茶とともに、店先でいただきました。この地にあった郡山城主豊臣秀長が、兄の秀吉をもてなすため菊屋治兵衛に作らせたきな粉餅。気に入った秀吉は「鶯餅」と名付けたそうです。時代が経つとともに、城門の入口で売っている餅と呼ばれるようになり、御城之口餅となったとか。やわらかなお餅に粒あんがたっぷり入っていて、きな粉の風味と香りがよかったです。3つ入りで500円という価格もお手軽でした。
「豊臣兄弟!」主人公の秀長の像をお披露目NHKの大河ドラマ、「豊臣兄弟!」の主人公、豊臣秀長のかっちゅう姿の像がゆかりの奈良県大和郡山市にお目見え。像は、甲冑姿で軍配を手に戦場で指揮を執る様子を再現したもので高さ170センチ余り、重さは約30キロ。豊臣秀長の像は「やまと郡山城ホール」の1階展示室の前で公開。
伊勢と伊賀の二国は藤堂家の領国で、藩庁は津城ですが伊賀国は別の国ということで伊賀上野城が別途存在していました。一国一城令の原則に立てば例外でも何でもないのですが、一藩で二国に二城持っているというケースは非常に珍しいです。徳島藩が阿波と淡路に徳島城と洲本城を持っていますが、さて他に例がありましたですかね。肥後細川藩は熊本城と八代城を持っていますが、あれは肥後一国の中に二城ですもんね。さてそんな中、伊賀には伊賀上野城とは別にもうひとつ藤堂家の陣屋がありました。支藩的な存在であれば佐賀藩の小城陣屋や
人の一生を四季にたとえることがよくある。種が芽吹き花が咲きはじめる春は、人生の始まりや可能性に満ちた若さをあらわしており、人生でもっとも活動的でエネルギッシュな季節の夏は、情熱をもって目標に向かって努力する姿をあらわしている。収穫、成熟、そして物事の完成の秋は、豊かな経験や知識をえて実りを楽しむとともに、冬の近づきを前に衰えや終わりを意識しはじめ、そして、雪景色がすべてを覆う冬は、人生の終焉をあらわしている。数ある日本史の英傑のなかで、その生涯を四季になぞらえるにふさわしい人はいないかと見
今日は来年の大河ドラマ豊臣兄弟のNHK出版から出てるハンドブックを買ってきました📕結構あるかなと思ってたら2冊しかおいてなくて良かったですε-(´∀`*)ホッこれ見て改めてお勉強ですね📝📙秀長が長生きしてたら歴史はどうなってたのかなと改めて思います📙#NHK大河ドラマ歴史ハンドブック#豊臣兄弟#意外と置いてなかった#改めてお勉強📙#NHK出版#来年の大河ドラマ楽しみ
○未だに出てくる大発見◇読売新聞2025.11.21(金)朝刊33.社会面記事より秀吉が「本能寺の変」翌日に毛利方重臣を調略した手紙…直後に知った信長の死、和睦に影響した可能性【読売新聞】羽柴(豊臣)秀吉が、本能寺の変が起こった天正10年(1582年)6月2日の翌日、敵対する中国地方の毛利氏配下の武士に宛てた誓約状が見つかった。毛利氏を裏切った見返りとして、備後(現在の広島県)の権利を与えるなどの約束がwww.yomiuri.co.jp【「本能寺」翌日秀吉の誓約状】【信長
来年のNHK大河ドラマの主人公として今注目されている「豊臣秀長」。「この恋あたためますか」の味のある演技で好きになった仲野太賀さんが主演ということもあり、日曜劇場で名作を生み出した脚本家、演出家を揃えたドラマづくりにも期待が持てます。百姓上がりで信長の草履とりになった兄秀吉に頼まれ、家業の農業から離れ武士の世界に身を投じ、兄を影で支え決して出しゃばらず、豊臣家の天下統一に尽力された唯一の功労者としての「NO2」の生き様にはとっても憧れてきました。以下で大河通のタレント松村邦洋さんが実に詳し
大和郡山市にある真言宗のお寺、金剛山寺(矢田寺)の塔頭、北僧坊から郵送対応で拝受した今月の書き置き御朱印二体です。来年、仲野太賀さん演じる豊臣秀長公が主役のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」が放送されますが北僧坊には秀長公の時代に郡山城から移築された建物が現存しているので「豊臣秀長公御遺跡」という判子を使われています。
昨日は来年の大河ドラマの主人公豊臣秀長の新書本が届きました🏘🚙💨新書本ってあまりカバーとかないイメージですがカバーしてるので相当面白そうですね😉小和田哲男先生の書いた本なので余計に楽しみです😁#豊臣秀長#秀吉と泰平の世を目指したもう一人の天下人#小和田哲男先生#かなり期待してます😊#来年の大河ドラマの主人公📺#届けてくれてありがとうございます🙇♂
にほんブログ村にほんブロ脚本・森下佳子の大河べらぼうこぼれ話【2】-大河ドラマ「べらぼう」見どころ-大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」-NHKNHK公式【べらぼう】脚本を務めた森下佳子さんが、最終回を前に各話のこぼれ話を振り返ります。#大河べらぼうwww.nhk.jpNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」出演の吉岡里帆さん、「豊臣の快進撃が気持ちよくて、見た人も活力が湧くような構成になっている」…京都市長を表敬訪問【読売新聞】来年1月に放送開始の豊臣秀吉の弟・秀長を
軍師秀長(下)Amazon(アマゾン)下巻は、播磨から但馬・因幡へ向かう途中で荒木村重の謀反が発覚する場面から始まります。他の小説ではあまり描かれない、光秀支援のための丹波・氷上城攻めや、但馬の竹田城・出石城、因幡の鹿野城などが登場し、歴史好きにはたまらない展開です。ああ、あの“東洋のマチュピチュ”とも称され、雲海で有名な竹田城ですね。そして、出石そばで知られる出石城も登場します。どちらも今では人気の観光地です。下巻ではやはり秀吉が前面に出てきますが、それも致し方ない
高取城想像図1580(天正8)年織田信長により大和国が郡山城のみとされると、高取城は一時期廃城となります。しかし、戦国大名である筒井順慶(つついじゅんけい)により高取城は改修され1585(天正13)年に豊臣秀吉の異父弟である豊臣秀長が大和国の領主となると、本多利久(ほんだとしひさ)によって壮大な山城として完成されました。***関ヶ原の戦いのあとには、本多俊政(としまさ)が高取藩の初代藩主となります。本多氏が絶えると、1640(寛永17)年
【カバー袖部の内容紹介を引用】兄・秀吉の陰に隠れ、これまで知られることがなかった弟・秀長の生涯。だが、その実像に光を当てると、秀長の存在なくして秀吉の飛躍は成し得なかったことが明らかになった。二人はどのように支え合い、天下一統を成し遂げたのか。秀長亡き後、時代はどう動いたか。大河ドラマ「豊臣兄弟!」時代考証者が、同時代史料と最新研究から、兄弟の歩みをたどる。【引用終わり】⚫︎秀吉が「猿顔」とされたのは、のちの創作。「猿のような身のこなし」から猿と呼ばれたのではないか。⚫︎秀長は秀吉の三〜
こんにちは。気がつけば12月。大河ドラマ「べらぼう」も、もうすぐ最終回です。来年は大好きな戦国時代が舞台なので、いつも以上に楽しみ😊実は主人公の豊臣秀長、昔から親近感があるんですよね。秀長って、武将としてかなり優秀だったのに、いつも「秀吉の弟」って呼ばれて、影が薄い。秀長が長生きしていたら、豊臣政権ももう少し続いたかもって言われているのに、です。当時は違っていたのかもしれないけれど、今の人の認識って、そんな感じです。そんな秀長、現代の主婦みたい。
木曜はラノベ愛語り…ですが、今回は久しぶりに推し作家さんの書籍紹介です。今回紹介する推し作家さんは、noteもなさっている真山知幸先生です。そして、紹介させていただく書籍は、令和7年11月後半に発売された『戦国最高のNo.2豊臣秀長の人生と絆』…そうです。令和8年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の関連本となります。そもそも真山先生は、大河ドラマに関する記事をJBpressさんに書いています。令和7年のNHK大河ドラマ「べらぼう」に関しても、毎回、放送の後に解説記事を書いていました。
久しぶりの投稿です。いろいろ忙しく、サボってました😅お知らせです。大山崎ふるさとガイドの会では、12月13日にイベント「山崎合戦ウォーキング」を開催します。山崎合戦の地を光秀が逃げ込んだ勝龍寺城まで辿るウォーキングです。足軽たちが駆け抜けた道を歩きます。寒いですが、コスプレ歓迎です。
来年の大河は豊臣兄弟秀長が仲野太賀くん秀吉が池松壮亮くん脇を固める俳優さんもいい感じ大河が始まると注目される大和郡山市金魚の街でもありますそんな大和郡山市を奈良ソムリエのガイドの「お手伝い」として参加しましたわたしはお手伝いなので1番後ろから歩き、車がきたら「車がきまーすお気をつけくださーい」って叫びますまぁ、でも車通りの少ない道を歩くからそんなに叫ぶことはなく皆さまがはぐれないように後ろから促すくらい後ろを歩いてたらちょいちょい質問され質問の内容も高レ
大僧正天海(134)高虎の遺骸は、玉傷、刀傷等で全身穴だらけであった。右手の薬指と小指はちぎれて爪もなく、左手の薬指も半ばから欠損していた。これでは鎗をしっかり握れないので、爪の代わりに瘤のようになった肉刺が幾つもあったという。6尺2寸の巨体も瘦せ細り、高虎はひとり浄土に旅立ったのであった。家光と天海は、高虎を江戸上野山の寛永寺に葬った。天海は、盟友高虎の一生を「厳然として寒風に立ち向かう大きな松の木のようであった。」と偲んだ。そして高虎に「寒松院前伊州羽林
2026年の大河ドラマは「豊臣兄弟!」ドラマの主人公は豊臣秀吉の弟豊臣秀長ですね!秀長役は俳優の仲野太賀さんです今から放送を楽しみにしてるのですが1月4日の1回目の放送に合わせて出演者の方々によるトークショーが開催されます✨↓https://www.pref.aichi.jp/press-release/toyotomi-pv.html「大河ドラマ『豊臣兄弟!』グランドプレミアin愛知・名古屋」の観覧者を募集します!-愛知県www.pref.aichi.jp今
大僧正天海(133)家康との出会いは、小牧長久手の戦い後、家康が不承不承、上洛してきた時である。「藤堂家覚書」によると、秀長から、「京都に徳川様の御屋敷をつくるように」と指示されるが、これが防御の薄い公家風の邸であったため、独断で一部を改築した。家康は不審に思い、普請奉行であった高虎を問い詰めると、「主君の大切な御客人に万が一のことがあっては、主君の名折れである。お気に召さなければお手討ちにしてください。」と言った。これを聞いて家康は「いかにも武士の心得
長谷寺へ幼いころは親に連れられ大人になっても何度か訪れてる1300年の歴史がある大好きなお寺四季折々のお花が楽しめる今の時期は紅葉が素晴らしい菊の回廊も!来年の大河ドラマの豊臣兄弟にちなんだ豊臣秀長に関連する秀長公の肖像画や、長谷寺にあてて送られた書状、秀長公によって寄進された釣灯籠などを見学することができました特に感動したのは長谷寺の西『初瀬のイチョウの巨樹』大量の落ち葉が境内一面を黄色く彩りビックリしました!こんなに綺麗な落ち葉初めてみた!黄色の絨毯‼️美味
歴史が好き。こんにちは!歴史好きブロガーのキムです(また?)今日も、大河ドラマの予習(笑)。豊臣秀吉の天下統一を陰で支え、「副将軍」とも呼ばれた弟、豊臣秀長(とよとみひでなが)のずば抜けた能力について深掘りしたいと思います。彼は単なる武将ではなく、兄を天下人にするためにすべてを捧げた稀代の補佐役であり、また天才ビジネスマン武将でもあったんです!題して!🏯豊臣秀長のスゴさ!兄・秀吉を支えた「ナンバー2の哲学」と天才的な経済センス現代にも通じます。1.徹底した補佐役!兄のため
大僧正天海(132)司馬遼太郎氏の影響なのか、藤堂高虎を「次々と主君を乗り換えた世渡り上手」な武将と揶揄する者もいるが、とんでもない勘違いである。むしろ世渡りは下手で、最初は間違えてばかりであった。高虎の父・虎高は近江藤堂村の土豪で、はじめは父と共に浅井長政に仕えていた。人並み以上に体格が良く、身の丈は6尺2寸(約190cm)あったという。浅井家では磯野員昌に属し、姉川の戦い、宇佐山城攻めで活躍するも、同僚を斬り捨てて出奔した。次に阿閉貞征に仕えるが、またしても