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歴史系アーティストさくらゆき6thアルバム制作中!現在発表しているテーマはこちら!・千姫(徳川家康の孫で、豊臣秀頼の妻)・今川義元公・豊臣秀長公(豊臣秀吉の弟)このあとも少しずつ人物発表をしていきます☺️豊臣秀長公は私が作詞を担当していますが、ある民族音楽をイメージして作っていただいたので、いつものさくらゆき音楽と少し違うかと思います。とても難しい曲なのですが、今からレコーディングが楽しみです🌸過去曲はこちらからCD・楽曲視聴|歴史タレント・小栗さくら、歴史系アーティスト
気付けば梅の季節も、いつしか過ぎ去り、夏の到来に戦々恐々とする日々となりました。ところで我が家の梅、今年は今までになく不作でした。ですので少ない梅でも楽しめそうな梅干し作りに初挑戦しています。「重石は梅の重量の2倍であるべし」とレシピに書いてあるのですが、そんなピッタリなもの家にはないし、まず第一に容器の入口を通過出来る大きさでなければなりません。それで「重し連合」で対応する事にしてみました!ブレーメンの音楽隊ならぬ、耐熱小皿、湯呑み、ミニワイン・ボトルの3段重ねです。あとは天日干しを
本日発売の週刊大衆。歴史偉人「裏素顔」は、先週の秀吉に続き弟の秀長の特集です。原作/跡部蛮イラスト/萩山明日香次回掲載は、7月1日(月)です。歴史偉人「裏素顔」をよろしくお願い致します。
紫陽花の季節✨たくさん咲いています〜。子供の誕生日。うちの子が低学年の頃、スタンプカードを手に持って、放課後、友達と一緒にこちらに通っていました😊お世話下さっている中川様に御礼を伝えました。切り絵の御朱印。レーザーで細かい細工も見事に仕上がっていますね😊2026年の大河ドラマに豊臣秀長が取り上げられることになりました。源九郎稲荷神社さんにも、NHKから撮影に来るとのご挨拶があったとおっしゃってました。はやいですね〜😆
名古屋市中村区の秀吉清正記念館で開催された特別展示・武具類展に行ってきました。これは秀吉清正記念館が所蔵する武具類をいくつか展示したものです。豊臣秀吉、豊臣秀長の生誕地といわれる尾張中村に建てられた記念館なので、豊臣氏や家臣たちゆかりの品々を見ることができました。>>秀吉清正記念館貴重な武具類まずは母衣(ほろ)。騎馬武者とかが、背中に風船みたいなものを付けている肖像画など見たことがありませんか?あれが母衣(ほろ)です。後方からの流れ矢を防ぐ防御のしくみで、折りたた
さてさて…今日の関東地方は夕方から広範囲で雨だそうで…東京は7週間連続で雨の月曜日になるのだとか…まぁの…最近は豪雨災害の心配も大きいんだけどさ…雨が降るべき時に降らないと夏場の水不足が待っとるからの…そうそう…先週、風邪で寝込んでいた時に30年ぶりくらいに新田次郎の「新田義貞」を読み返してみた…新田次郎の歴史小説と云えば誰がなんと云おうと「武田信玄」なのだろうけれど…自分的には「新田義貞」の方を先に読んだし面白かった…実際に執筆したのは「武田信玄」が1969年~19
1585年紀州征伐の副将軍として出陣した豊臣秀長が当時「若山」と呼ばれていた場所に秀吉から命じられ普請奉行に藤堂高虎、補佐役に羽田正親・横浜良慶を迎えて1年で完成させましたこの時に「和歌山」と改めています「不明門」は「あかずの門」とも言われ急用の場合のみ使用された門でした今は和歌山城の駐車場のゲートになっています
5月24日(金)晴天近鉄郡山下車郡山城に出陣郡山城は筒井順慶の築城(1580年)に始まる大和でもっとも大規模な城郭で、近世期には、豊臣家、水野家、松平家、本多家、柳澤家の居城となりました。信長の「大和一国破城命令」により筒井城を廃城とし、居城を郡山城に移しました。NHK大河ドラマ「麒麟が来る」では筒井順慶役を駿河太郎さんが演じていらっしゃいました。城跡は、まず石垣から強固な野面積み何かの台座かも?柳澤文庫長いむくり屋根柳澤神社復元された天守台(野面と算木積み
リアルタイム旅行記三日目。本日は奈良県。本日も一発目から予定外の薬師寺大納言塚大和郡山城法隆寺藤ノ木古墳法起寺明日も大和国。
今年3回目となる「ブラサクラ」のお知らせです!開催は9月!今は海外からの観光客の方も多く、宿泊場所の予約が重要となりますので、少し早めの告知をいたします🌸今回は、2026年の大河ドラマの主役・豊臣秀長公の居城があった奈良県大和郡山市を中心に、戦国武将らゆかりの地を巡りたいと思います!巡る予定の春日大社には、秀長の家臣だった藤堂高虎公のほか、直江兼続公、宇喜多秀家公ら武将たちが奉納した釣灯籠があるのも有名ですね☺️さまざまな時代の史跡が眠る奈良で、ぜひブラサクラしましょう!以下、マネさ
<京の一枚>10年前の京の旅。<西本願寺飛雲閣>豊臣秀吉の聚楽第の遺構だといわれる。僕は豊臣秀長のファンである。その評価は未だ高くない。ただ言えることは秀長がもう少し長生きしていれば、徳川家康も動けなかった。補佐役はもの凄く大事だ。来年は秀長の年になる。ラスプーチンにも言いたい。補佐役は大事だ。狂気のウクライナ侵攻は、秀吉の朝鮮侵攻に似ている。太閤の残した無二の飛雲閣その名の如く滅びが来るなかって見た京の都の奥のおくい
大和郡山城訪問レポートその2です。大和郡山は日本でも有数の金魚の養殖地として知られています。もともとは柳沢吉里が甲府から郡山藩主として国替りしてきた時に甲斐の国から伝えられたといわれています。大和郡山の地は水質、水利に恵まれた農業用溜池が数多くあり、溜池に発生する浮遊生物が金魚の稚魚の餌に適していたことなどの自然条件に恵まれていたこともあり、江戸時代は下級藩士の内職として、また明治維新後は農家の副業として盛んに行われるようになりました。本丸を出て、東の毘沙門曲輪から、北の復元櫓群へと向か
「お城紀行」の投稿で、暫く中断していましたブログテーマ『城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」』を再開します。「平櫓(一重櫓)」については、「はじめに」をブログで掲載していますのでどうぞご覧ください。「平櫓(一重櫓)」の「はじめに」↓『城郭建造物『全国「平(一重)櫓」を巡る”はじめに”』』今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三…ameblo.jp※全国の「平
豊国神社は豊臣秀吉を祀っていたため徳川幕府の時代には取り壊されていました。今の社殿は明治13年(1880)に建立されたもので唐門だけは伏見城の遺構です。境内奥には宝物館があり太閤ゆかりの遺品などが展示されています。天下を取った豊臣家を象徴する立派な鳥居方広寺梵鐘「国家安康・君臣豊楽」の二節が家康の名を分断。豊臣家のみの繁栄を望む因縁の鐘です。今いる所から日本の歴史が変わったんですね。そう考えると不思議な感じがします。唐門豊国神社にある桃山時代建築の国宝建造物。本殿正面に建つ四脚唐門。
『虎に翼』寅ちゃん、轟さん、久保田さん、中山さん。司法試験、合格おめでとう!でも、よねちゃん、優三さん残念だったね。優三さん、とうとう諦めてしまいましたね。。。寅ちゃんが修習生となり、雲野法律事務所で1年6か月、弁護士実務に必要なことを学ぶ一方、優三さんは猪爪家を出て、寅ちゃんのお父さんの工場に住み込みで働くことになったみたい。寅ちゃんは優三さんに側にいて欲しかったのに、寂しいね。でも、お父さんの工場で働くことになったのだから、
koriyama11奈良県大和郡山市に、郡山城跡がある。ここは、天正8年(1580年)織田信長に仕えた大名・筒井順慶が築き、その後、豊臣秀吉の弟・秀長の居城となった。江戸時代は享保9年(1724年)より、柳生氏の城となり、これが明治維新まで続いた。現在では、石垣、堀に、現代に復元された門、櫓が残るだけになってしまった。大和国の郡山が一番栄えたのは、豊臣秀長が城主だった頃だ。秀長は、天下人秀吉の弟だけに、百万石も領していた。その中心地だけに、
大和郡山城は天正8年(1580)、筒井順慶が織田信長より大和一国20万石を与えられ築城したのが始まりです。筒井氏のあと、天正13年(1285)に豊臣秀吉の弟、秀長が、大和・紀伊・和泉100万石の太守として入城し、城の大拡張工事が行われました。秀長は同時に城下町を整備し、奈良や堺の商人や職人を郡山の城下町に呼び寄せ、「箱本十三町」をつくりました。これは税を免除するかわりに、当番制で治安・消火・伝馬などの自治活動を行う制度です。業種で住み分けたため、現在でも大和郡山市には魚町・鍛冶町・紺屋町
岐阜県関市の県博物館をご存知でしょうか岐阜県関市の県博物館では、5月11日から戦国時代に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が、弟秀長の家臣に充てた書状「羽柴秀吉朱印状」が一般公開されます書状「羽柴秀吉朱印状」は、38年前に東京大史料編纂所が調査した事が知られています県博物館が、2023年度に実物を購入されたとの事です。6月23日まで、期間限定で公開されるとのことです「羽柴秀吉朱印状」は、天正12年(1584)11月8日付で、秀吉から弟秀長の家臣、桑山重晴に出されたもののようです。当時、秀
ブログテーマ『城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」』にスポットを当てて、具体的なお城の写真をお届けしています。「平櫓(一重櫓)」については、「はじめに」をブログで掲載していますのでどうぞご覧ください。「平櫓(一重櫓)」の「はじめに」↓『城郭建造物『全国「平(一重)櫓」を巡る”はじめに”』』今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三…ameblo.jp※全国の「
先月、2026年のNHK大河ドラマが、豊臣秀吉・秀長兄弟を描く『豊臣兄弟!』に決まったことが発表されました。といっても、主人公は秀吉ではなく秀長の方、次は関東か九州かと噂される中での予想もしない変化球でした。発表から1ヶ月以上経っていてもう存分に話題には乗り遅れているので、今日はスピード感を求めずゆっくりと秀長の事跡を追ってみたいと思います。豊臣秀長肖像(春岳院蔵)2024年は紫式部、2025年は蔦屋重三郎が主人公で、2026年は3年ぶりの戦国モノということになり、すなわちゆか
4月13日(土)国立奈良博物館の帰り西大寺で橿原神宮行きに乗り換えて大和郡山に行きました。初めての路線はわくわくします(笑)目的はお昼ご飯。ここもかなり久しぶりに『とんまさ』に寄せていただきました。バス停に名前が書いてある!近所に豊臣秀長さんのお墓もあります。お昼時が少し過ぎていたのでスッと入れました。とりあえずビール。食べたくてしょうがなかった「鶏かつ定食(並)」を発注。隣りの若者は(大)を頼んでいました!(写真はお借りしました。)(並)と300円くらいしか
こんにちは。ならどっとFM温故知新パーソナリティーの岡田千晶ですならっどっとFMの情報誌『784PRESS』木曜日P.8とP.11に掲載されております。ぜひご覧ください。http://narafm.jp/press/784press.pdf奈良に繋げた伝統・歴史・文化についてお伝えしています。そして毎週末神社仏閣を訪れています。明日4月25日(木)ならどっとFM《温故知新》にて毎月第4木曜日20:30~20:44日本の伝統・
4/20(日)ずうとるびライブの前にお参りしてきましたpart2🛕太閤山常泉寺豊臣秀吉公誕生の地に建てられたお寺たくさんの御朱印がありその中で選びました🛕正悦山妙行寺清正公誕生地
次の次の大河は「豊臣兄弟」かあ。仲野太賀くんには悪いけど、豊臣秀長こそ、早死にしたお陰で評価が嵩上げされている典型的な人物でしょう。実際のところは大和の統治で私腹を肥やして秀吉から叱責されている程度の人物で、秀吉との器量の差は、家康と秀忠の差どころのもんではありません。秀長さえ長生きしていれば、というのは、それこそ「死んだ子の歳を数える」ってやつで、豊臣贔屓の幻想に過ぎません。堺屋太一先生あたりが秀長持ち上げ派ですけど、あのひと典型的な大阪人ですからね。ちなみに、秀忠ほど、出来た二
こんにちは。久し振りにスキー以外のネタの投稿(笑)お勧めと言うか、子供の頃に見た大河ドラマ「独眼竜政宗」は、主演の渡辺謙の演技が、子供ごころに強烈でした。今の大河「光る君へ」、歴史好きを自負する者として、日本人としては平安時代の事も知らないとイカンと思い、最初の5話位まで見ましたが録画してあるのみで、視るのは止まっています。スキーシーズン終わったら見たいと思っていますが…後は来年の豊臣秀長を主役にした「豊臣兄弟」に期待です!やせても枯れても、NHK大河ドラマは
令和6年4月13日友人と来ました。10年ぶりくらいに行きました。以前行けていなかった所をゆっくり見てまわりました。城下町も見ることができました。桜は先週が満開だったので今日は葉桜でした。写真もたくさん撮ったのでリニューアルアップします。平成25年11月3日いつもの相棒とぷらっと奈良までドライブに行ってきました。高市郡高取町といって、奈良市をずっと南下したところにあり、京奈和自動車道を通って2時間半くらいかかりました。麓のたかとり観光案内所「夢創館」で100名城スタンプをゲットして、城に関する資
奈良・大和郡山市を散策。初代城主・筒井順慶が築城し、二代目に入城した豊臣秀長が大拡張し、城下町を整えました。天守台に上ると、山々に囲まれた大和盆地が一望できました。若草山や東大寺、平城京、邪馬台国があった説もある矢田丘陵、二上山‥。江戸時代には、京や大坂に近いこの場所を水野、松平、本多、柳沢家といった譜代大名が治めていたというのも頷けます。大和郡山は金魚のまちとして有名で、生産量日本一が続いていました。柳沢家が大和郡山に転封となった際に、甲府から持ち帰ったのが始まりで、
3年連続の出演✨第63回大和郡山お城まつりが開催中です最終日4/7(日)に開催される〝お城まつりコンサート〟大和郡山市観光協会様よりお声がけ頂き、やまとこおりやま観光PR大使として今年も出演させて頂きますこちら、ご観覧Free、どなたでもご参加頂けるイベントです会場は、追手向櫓おおてむかいやぐら私の出演は、午前11:40頃です(10:40お城よさこいさんからSTART✨)市制70周年を迎えた大和郡山市、再来年は、大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、豊臣秀長ゆかりの地、大和郡
先日、2026年大河ドラマの制作発表がありました!主人公の豊臣秀長役は仲野太賀さんです(個人的には大好きな俳優さんです)ちなみに2025年は蔦屋重三郎です喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵などの版元として有名です実はその陰で、岡山県高梁市(昔の備中松山)がずっとNHKの大河ドラマに推していた人物がいましたその名は、備中聖人こと山田方谷(やまだほうこく)です9年連続NHKに要望するも、未だに実現していません・・・はたして山田方谷は、映画化や大河ドラマ
豊臣秀長再来年の大河ドラマはこの人だという。タイトルは『豊臣兄弟!』。言わずと知れた豊臣秀吉のただひとりの弟だ。兄弟は他人のはじまりというように古来、兄弟は父の持つ権力をめぐる骨肉の争いの最たる対象であった。源頼朝とその弟・義経足利尊氏とその弟・直義織田信長とその弟・信行伊達政宗とその弟・小次郎徳川家光とその弟・忠長いずれも最後は不和となり、弟がその命を奪われている。秀吉の家は例外であった。そもそも秀吉に家などというものがない。彼はいわばこの世の最下層から出てきた者なの