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80年前の今日昭和20年2月10日彼は満州の首都・新京にいました(新京=現在の中国吉林省・長春市)「関東軍編成の特攻隊第一号」である誠第32飛行隊(武尅隊)の一員に選抜された彼は隊長以下総勢15名でここ新京に集結この日、朝から隊員全員ひとりずつ「声の遺書」の録音に臨みます録音作業を行った「関東軍報道班」報道班員の回顧手記が残っていました凍結した録音版がカッティング不能となる全員が肌に当て体温で温めながらかろうじて収録すると、今度はエンジンオイルの凍
思えば戦国時代しかり、また明治維新から80年前の終戦まで日本はずっと「戦の世」であったから今に比べれば、「死」というものが、いわば「近いところ」にあったんだろうと思うんですね12、3年前だったかな「特攻」に向き合い始めて、特攻に関する本や資料を手当たり次第読みあさっていた頃、この本に出会いました「妻と飛んだ特攻兵」8月19日午後戦闘を継続するソ連戦車群に一撃を加えるためすでに日本軍としての組織的戦闘は全て終わっているにも関わらず、出撃して行った10人の特攻兵が
彼のアルバムの表紙裏丁寧に貼られた一枚の紙後ろに一枚の写真が...外泊證明書官氏名陸軍兵長理由墓参行先東京都世田谷区玉川用賀町東條英機方右ノ者自二十年二月二十一日十二時0分至二十年二月二十五日十八時0分ノ間外泊ヲ許可シタル事ヲ証明ス昭和二十年二月二十一日と号第三十二飛行隊長陸軍中尉廣森達郎武剋隊隊員15名が整備班に遅れて各務原から松本にやってきたのは昭和20