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先週末、沖縄・糸満市役所のご担当からメールをいただきました2月に沖縄南部を訪れた際、道に迷って目指した戦跡に辿り着けなかったので、その行き方を問い合わせたんですね。メールにはルートを書き入れた地図が添付されていて、丁寧な説明が加えられていました特攻に関わってきた私にとってその終焉の地である沖縄は特別な場所でもありますメールの文面からはあの戦争の歴史を風化させまい、あの歴史を知ってもらいたい、そんな気持ちが伝わってくるんですよね何年前だったかな、初めて読谷村を訪
「土曜日の仕事、半ドンで終わるだろ?そのあとから車で出かけるんだよ何キロ走ったかなあ...北海道まで走ったからね...」板津さんは戦後名古屋市の職員となり、区役所に勤務しておられました。最初は、仲間のご遺族を探し出して、当時の状況や特攻出撃の様子を説明してまわっていましたが名簿を手に入れてからは全国を訪ね歩き、遺書や遺影、遺品を集めたんですねこれがもとになって昭和50年に「知覧特攻遺品館」ができます。現在の知覧特攻平和会館の前身で、現在の会館の位置より手前の場所
思えば戦国時代しかり、また明治維新から80年前の終戦まで日本はずっと「戦の世」であったから今に比べれば、「死」というものが、いわば「近いところ」にあったんだろうと思うんですね12、3年前だったかな「特攻」に向き合い始めて、特攻に関する本や資料を手当たり次第読みあさっていた頃、この本に出会いました「妻と飛んだ特攻兵」8月19日午後戦闘を継続するソ連戦車群に一撃を加えるためすでに日本軍としての組織的戦闘は全て終わっているにも関わらず、出撃して行った10人の特攻兵が