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沖縄・米軍嘉手納基地ここはかつて陸軍沖縄中飛行場一番手前付近が当時の滑走路の場所でしたその北側を流れる比謝川そしてこの比謝川をまたぐ久得橋80年前の今日昭和20年3月26日の夜この久得橋近くの兵舎で廣森隊長率いる武剋隊先発隊9名は人生最後の夜を過ごしました誠第三十二第三十六乃至第三十八及第四十第四十一飛行隊沖縄(中又ハ北)又ハ徳之島飛行場ニ前進シテ神参謀ノ指揮下ニ入ラシム神参謀ハ前項第二號部隊ヲ指揮シ好機ヲ捕捉シテ敵戦艦ヲ攻撃セシムヘ
80年前の今日昭和20年2月10日彼は満州の首都・新京にいました(新京=現在の中国吉林省・長春市)「関東軍編成の特攻隊第一号」である誠第32飛行隊(武尅隊)の一員に選抜された彼は隊長以下総勢15名でここ新京に集結この日、朝から隊員全員ひとりずつ「声の遺書」の録音に臨みます録音作業を行った「関東軍報道班」報道班員の回顧手記が残っていました凍結した録音版がカッティング不能となる全員が肌に当て体温で温めながらかろうじて収録すると、今度はエンジンオイルの凍
思えば戦国時代しかり、また明治維新から80年前の終戦まで日本はずっと「戦の世」であったから今に比べれば、「死」というものが、いわば「近いところ」にあったんだろうと思うんですね12、3年前だったかな「特攻」に向き合い始めて、特攻に関する本や資料を手当たり次第読みあさっていた頃、この本に出会いました「妻と飛んだ特攻兵」8月19日午後戦闘を継続するソ連戦車群に一撃を加えるためすでに日本軍としての組織的戦闘は全て終わっているにも関わらず、出撃して行った10人の特攻兵が