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Ⅳローマ世界の旅ローマ帝国にあって、ローマ人が何よりも重視したのは交通であった。その頃の交通の目的は、大きく4つに分かれていた。・軍隊の移動・政府役人の公用旅行駅伝制度を利用して、政府の伝令や飛脚、徴税吏、巡回裁判官、地方総督、そして皇帝自ら領土巡察・生産物の輸送交流・民間人の旅行人間の旅はローマの道を行く陸路を多用し、貨物は主として海路で運ばれるようになった。1世紀になると、ローマ帝国には次々といくつもの経済圏がうまれた。コルシカ島などを含むイタリア、ガリア、
【ロマンシングサ・ガ】【ロマサガ】久しぶりに遊ぶロマサガで三地点制覇を目指した際の自分用のメモです。三地点制覇の方法は主に、オールドキャッスルを出してから善行を積んで最後の試練に行く方法か、最後の試練を出してからガラハドを殺害して冥府で蘇生する方法の2つだと思われる。冥府の入り口を塞ぐフレイムタイラントの対応は一時消しで通過して保留にしておくのが無難だと思われる。どちらにせよ、とりあえず善行となる行動を一通り書き出してみる。【善行一覧】きれいな腕輪をファラにあげる。
いま、とてもきれいに咲いている。なんていう名前かなー?と調べたら、オルレアホワイトレースフラワー。まあ、なんてきれいな名前!と思ったら、別名ドクゼリモドキだって!びっくりしちゃう!あまりの名前の落差に驚いてしまう。植物の名前はみんな詩人がつけるわけではないから、がっかりする名前もときにはある。私は、オルレアホワイトレースフラワーと呼ぶことにする。まだまだ咲いているけれど、ネモフィラとオオイヌノフグリはよく似てると思う。オオイヌノフグリの大きくしたのがネモフィラ
ぼくの帽子(西條八十・作)母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。母さん、あれは好きな帽子でしたよ、僕はあのときずいぶんくやしかった、だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、紺の脚絆(きゃはん)に手甲(てこう)をした。そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。けれど、とうとう駄目だった、な
咲かせましょ花を咲かせましょ花を咲かせましょ薄紅色の少女の頬のような花を花を咲かせましょ花を咲かせましょ人の心の大地に優しさという種を蒔いて人の心に優しさの花が咲くように花を咲かせましょ花を咲かせましょ太陽が笑って風が優しく微笑んで幸せの花を咲かせましょ沢山の花がこの空の下沢山沢山咲きますようにMOMO(深謝)
昨日、あの「孤高の詩人」村次郎さんの本をいただきました!(生家は、八戸市にあるあの有名な石田屋)草野心平・司馬遼太郎・三浦哲郎(敬称略)などとの交流もあったそうですよ♪これ、限定非売品の貴重な小冊子なんです……!「うわぁ〜お☆」と思わず声が出てしまいました(笑)♫なぜ頂けたのか?の理由は、2週間後にお知らせしますね。出し惜しみしてすみません〜!(^▽^)/♪さっそく、大切に読ませていただきます八戸市図書館にはおいてあるそうですよ#村次郎#孤高の詩人#八戸市鮫町#八戸市図書館#
月々日々に――池田先生の折々の言葉2025年9月28日「言と云うは、心の思いを響かして声を顕す」。平凡にみえても、心のこもった言葉は、人の心を深く結びあわせる。新713・全563※『池田大作全集』第68巻を基にしています。名字の言御書を研さんし続けた男子部員の変化2025年9月28日自宅の観葉植物に先日、新しい葉が生え始めているのを見つけた。酷暑が続いたため、丁寧に水やりを行ってきた。葉は最初、みずみずしい薄緑色で柔らかかった。だが日ごとに緑の濃さを増し、しっかりとした、いでた
昨日、「谷川俊太郎さんお別れの会」が東京都内のホテルで開かれ、参加させていただきました。谷川さんは昨年11月13日に92歳でお亡くなりになりました。会場には、谷川さん宅の庭をイメージしたという、あじさいなどをあしらった庭園風の祭壇が設けられていました。私も入室の際に手渡された松虫草をささげました。ざっと見渡したところ、参加者は約600人。私は会場の前のほうにいましたが、前方には長男・谷川賢作さん、左のほうに池澤夏樹さん、私のすぐ右隣に池辺晋一郎さん、斜め右のほうに高橋睦郎さんがいらっ
わが家の「こでまり」が今年もたくさん花をつけました。(私が素人剪定をしたのでちょっと花付きが寂しいけど~)「こでまり」を見ると決まって思い出す詩歌があります。あの星野富弘さんの詩歌集に載っている詩を。ご存じかとは思いますが参考までに・・・星野富弘(ほしのとみひろ、1946-2024)は、群馬県出身の詩人・画家です。24歳で体育教師として部活指導中に頸髄を損傷し、手足の自由を失うという悲劇に見舞われましたが、その後、口に筆をくわえ
今年度から二年間『詩と思想』投稿欄の選者をつとめられる渡辺めぐみさんの冒頭のお言葉が胸を打ちました気がついたことを申し上げます。現代詩的な詩語が使われているのですが、作品全体として心を打たない作品に沢山出会いました「現代詩」を意識せず、詩をお書きください。(175ページ)ここからは私見です日本の詩界は「現代詩」とは何ぞやのイメージにとらわれて檻の中に閉じ込められているのかもしれません日本の現代詩を「現代」に押し込めている構造。そもそも「新しい」を追い求めるのはとっく
先月一時帰国した時に合せて、高田渡の息子の高田漣が編集した『マイ・フレンド-高田渡青春日記1966-1969』と『バーボン・ストリート・ブルース』の文庫本を買っておき、上海に戻る時に持って来て先日読み終えた。後でよく考えたら『バーボン・ストリート・ブルース』は単行本を持っていたかもしれないと気が付いた。読み進めていたら既読感が有って気が付いたのだ。年を取るのは嫌だなぁ。マイ・フレンド-高田渡青春日記1966-1969バーボン・ストリート・ブルース高田渡の詩集『個人的理由』の復刻
14日、何気なく見ていた「開運!なんでも鑑定団」のお宝ノートを見ていると、鉛筆のスケッチと添えられた言葉の「蟇」を見て、大手拓次さんの名前が突然に浮かんだ。好きな詩人でしたが完全に忘れていたので、名前が出てくるとは、なんと脳の働きの不思議さ。それとも神様の啓示なのでしょうか。大手拓次は、フランス象徴詩の影響を受け、生と死、夢幻的な耽美世界を口語自由詩で描いた日本の詩人です。没後に刊行された詩集「藍色の蟇(あいいろのひき)」が代表作で、孤独や病魔の中で紡がれた独自の幻想世界は現代でも高く評価され
1.はじめにまだ暑い時間帯もありますが夜分は冷えるようになってきました。外に出れば金木犀の香りがほのかに漂い鼻腔を楽しませてくれます。秋まっさかりの時期を迎えておりまして、秋刀魚もあぶらがのって美味しいです。さて、そんな中、本日は先々週から始めた楽器作成と詩人装備集めに関してご報告ができるようになりましたので記事にいたします。またFFXIプレイヤーの増加が話題になっておりますので、新規の方や復帰者の方でもイメージしやすいようにダウルダウラの作成の手順をしるしました。既に作成の仕方をご存知
言葉と文字は笑顔の源!産業心理カウンセラー&書道家の岡部あゆみですオランダの取り組みで次のようなものがあるそうだ家族や友人など弔う人が誰もいないまま一人で亡くなった人がいた場合その葬儀には市役所から詩人が派遣されるそうだ詩人はその人の住んでいた部屋、持ち物近所の人の話や残された小さな記録などからその人のための詩を書いて葬儀で朗読をするこの活動は『孤独な葬儀プロジェクト』と呼ばれていてどんな人生であっても最後に誰かがその人の名前を呼び、言葉を送る『誰
(いまだある福島の光景。©ToruYamada/IMPLEOInc.)2018年から撮影をはじめた山田徹監督のドキュメンタリー映画『三角屋の交差点で』(東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開中)は、東日本大震災から15年の節目を迎えた今年、ようやく船出しました。この15年間、福島と向き合い続けてきた山田監督は何を思うのか?そしてこれから山田監督はどこへ向かうのか?インタビュー第5弾のテーマは「福島から考える私たちの暮らし、山田監督のこれから」です。ーー山田監督は震
蒸気機関車乗車後ウィンダミア駅の裏の丘に登る💨『オレスト・ヘッド』標高239メートルの丘その高さで360度の景色が見渡せると!登る道は『フットパス』フットパスとはイギリスを発祥とする“森林や田園地帯、古い街並みなど地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くこと【Foot】ができる小径【Path】”のことイギリスではフットパスが国土を網の目のように縫い、積極的に歩くことを楽しみます!今回フットパスをたくさん歩いた👟
プラハ_ペトシーン展望台タワードブリーデンプラハを訪問し、まだ明るかったのであてもなく少し散策しようとプラハ旧市街の方角に向かって歩いたよ。10分ほど歩いたところで、展望タワーのある丘の横を通りかかったので、展望タワーに行くことにしました。丘を登り始めてすぐに出会うこの彫刻は『共産主義犠牲者記念』で生き延びた人々の喪失感や苦しみなどを表した彫刻だそうです。もう少し登ったところで出会った、カレル・ヒネク・マーハのブロンズ像。チェコ・ロマン派の著名な詩人だそうです。丘の中腹まで登って来
皆さん、おはようございますポンペイ遺跡、前回の続きです。そうそう、その前に、うちの愛猫マルコの名前は第16代ローマ帝国皇帝マルクス・アウレリウス(伊名マルコ・アウレリオ)からいただきましたがじゃーんでちポンペイ・ヴェスビオ火山噴火の時のローマ帝国皇帝はマルコ・アウレリオの6代前の第10代ティトゥスで、彼は救助活動と埋没したものの保護/警備を命じましたが、掘り起こしの作業は道半ばで頓挫した事は、言うまでもあり
キワモノではない、本物のアーチスト1980年代の最初に戸川純がテレビに出始めた頃の衝撃を知っている人も、もうあまり多くないかもしれない。強烈なアンダーグランド色と、テレビドラマやコマーシャルに普通(ではないが)に出るメジャー感を同時に持っていた戸川純は、多くの人にとっては「とっても変な人」という印象だっただろうが、一方でキワモノではない広くて深い支持も得ていた。その後の長い時間を生き残った戸川純は現在もライブ活動などを続けているのだが、多分多くの人はエキセントリックに受け取られていた
昨日から私のミュージックボックスは小澤健二。その周辺。このアルバムが出た時は、1993年未だにあの時の自分の部屋のベット横の窓からの風と、彼のこの歌と声はすぐに思いだせる。大学への受験生の私はそれなりに夜には自分の部屋で勉強📚をしてそして、夜に眠る前にこのアルバムを聞きタバコを吸って?一日に感謝して一日が穏やかに終わっていた。(この一日の最後にタバコを1本は今も実は続いている)彼の1番の特徴の歌詞禅問答(オザケンのインタビューで学んだ言葉)のようだけど