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リア充必死の息殺して書きたいブログ抑えてる皆様キョンバンは忙し忙して見られたいんですてホンマもんの其方の方々はさわざわざ騒ついてこのクソ高い時期に動きませんてーーーー笑
振り返るジョンさんがボイスオブアメリカで活動していた日々は猛烈で刺激的だった世界中のすばらしい・新聞記者・作家・哲学者・詩人などと知り合うことができた彼らの価値観や感性を身近に知り感じられたことがジョンさんにとってかけがえのない戦争体験になった
休み明けの朝はいつもダルさMAXでだから起きれた自分を褒めてもいいよね五月だし五月病なんとかなるだろう五月だし五月病やる気とかイラネサボっちゃっていいのかな迷惑とかかけないぐらいでやり過ごすそんな日だってあっていいサボっちゃっていいのかな帰り道でご褒美買おう自分の機嫌は自分でとらなきゃ明日から本気出す食べることが好きで理由つけてパクパク食べて寝てたら太った不思議ね不思議だね五月だし五月病痩せたりしたいけど五月だし五月病ダイエットムズイサボっちゃってい
😊🌟【永遠のはじめて】🌟詩🌹吉武祥子今日が1000回目の朝だったとしても初めの一歩を踏み出したあの日の気持ちを忘れない見えない未来に今日の一歩が続くこと見えないからこそどこまでも謙虚な気持ちで勇気を持って歩んでいこう見えないからこそ順風満帆スラスラ前に進める時も決してそれは自分だけの歩みではなく追い風があるから順調に歩める私なんだと感じる心かけがえのない"初めての気持ち"を抱きしめて今日の命を楽しもう🌹🧘♀️✨YOGAスタジオbefree🧘♀️✨🌹
西條八十『一握の玻璃』「石」より石の眠(ねむり)は深くして、花落つれども、ただ、しづか、石の眠は昏(くら)くして、雨ぬらせども、ただ沈黙(しじま)。〜西條八十〜西條八十は、大正から昭和にかけて流行歌や詩を生み出した詩人、作詞家。生涯で1万5000もの詩を書き続けたそうです。『【石にまつわる言葉集】鉱物学者フェルスマンの言葉』私は石だけでなく「石にまつわる言葉」も集めています。本を読んでいて「石」や「鉱物」というワードがあれば拾ってノートに書き写しています。それらの中から
🐄AnimalRights🐎🐇#よく見るYouTubeチャンネルAnimalEqualityPetaPetaアジアFarmTransparencyProjectL214エンドオブケージKinderWorld2024/05/0519:10YouTubeより引用子供向けアプリです活動休止中に配信された動物保護の動画https://youtube.com/playlist?list=PLpr0CghpzqBNVEb_lkZ_KzpctmNNXh3Tv&si=Dlx
『静かな殺戮』火を放つ引き金を引く拳を振り下ろす顔面を沈む気持ちまではわかるわかるよともし詩人が言ってしまえばそれというのはただ理性のそして行動力のまさか単にその有無だけの問題となり正しい生も真っ当な死も奪う愚かな攻撃との僅差に陥ってしまうそうではないそうではないだろう詩人は探さなければならない対岸に凛として立ち向かうべく斧のような盾の言葉を隣に肩を並べささやくような言葉では誤った狂気を弱者の憤死を救えないのだ叫べ対岸の静かな殺戮に静かなるも
スイレン(睡蓮)花言葉【清純な心】初夏の陽射しが戻ってきましたぁ〜〜〜。朝陽を受けて花を開き、夕方には花を閉じてしまうスイレンの花は、古代エジプトでは太陽のシンボルとして信仰の対象とされました。ギリシャ神話にはこんな話が有ります。その昔、ローティス(Lotis)という、美しい妖精がいました。彼女の美しさに目をつけた男根神プリアーポスが言い寄ってくるので、ローティスはいつも逃げ回っていました。それでもプリアーポスが諦めないので、うんざりしたローティスは水辺で神に祈り、真っ赤
文化「みんな、……正直か?」全員「正直でーす。」文化「本当に正直なのか?正直なんだな。」知らない人「本当は不正直かもしれません。」文化「君だ!君が一番正直だ!」根津甚八と小林薫の2枚看板がいて、唐十郎の状況劇場が一番ミーハー受けしていた頃に、初めて観た芝居が「蛇姫様わが心の奈蛇」。紅テントに染み込んだ昭和の猥雑な熱気は、今でも風化されずに「唐組」に引き継がれて、上演されています。文化「てめえら、死化粧を済ませないで、どこへ運ぼうってんだ⁉」青色「焼き場に
今回は、穂積忠を取り上げます。忠は「ただし」ではなく「きよし」と読みます。静岡県の伊豆大仁出身で、北原白秋、折口信夫の両氏に師事した詩人・歌人として伊豆では有名だそうです。当人は「学問の師は折口信夫、歌の師は北原白秋」ということを誇りにしていたそうですが、またこの両巨匠から愛弟子と目されていたことから三角関係のような形に悩みもあったようです。もう少し突っ込んだ話は次回、韮山高校で。今回は静岡県の松崎高校です。https://www.edu.pref.shizuoka.jp/matsu
偶に読み返すか、文章力なんて考えますか?まぁそりゃ日々進化するのか、活字の巧さなんてのはさ。表現力?絵が浮かぶ活動は。そんなん褒められてもね。売れない画家は、絵が上手いだけです。今日は何を書くかな。アプリで音楽聴いてる感ね。流れる音、日本語の歌詞なんて、詩人です。今はポルノグラフィティか、懐かしい。旬な時期て有りますか、アーチストの旬な。バンドマンも過剰か。売れなかったら一緒やでな。
耳を澄まして己のやりたい事やり仕事も精一杯やり家族を大切にして人に寄り添って弱い人間の気持ちを共感して伝えて行く事1人では出来ないことまわりの力を借り生きる助け合い認め合い尊重してなりたい自分を演じてどんどん自分を好きになる自分の幸せが溢れて他者を愛で満たす自己愛から始まり愛の他者の愛の恩贈りまずは1番近い人を愛して生きるそして周りに愛を捧ぐ自分軸で生きる難しいさを一つ一つクリアして生きる自分の幸せは家族の幸せ親の幸せは私の幸せ1人ひとり丁寧に向
スーツを着るのも慣れたピンヒールのコツも掴んだタスク管理も失敗しない大人になったメトロの乗り換えだって失敗しないし何だかできる女気どっていたけど実はそんなことないラインの返事とか気にして悩むあぁ今ごろ誰かと出かけているのかなこのトキメキはもう止まらないあなたのことを考えもどかしいこの感じわたし今恋してるんだこのトキメキはなぜ不安なの何度も同じ画面確かめるこの感じ苦しくなるよバーカウンターも慣れた一人でカクテル頼んだ既読スルーマジで凹む強いお酒くださ
不安な心には、茂みが熊に見えてしまうのですウィリアム・シェイクスピア(1564年-1616年)ウィリアム・シェイクスピア(英語:WilliamShakespeare,1564年4月26日(洗礼日)-1616年4月23日[2](グレゴリオ暦5月3日))は、イングランドの劇作家、詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、もっとも優れているとされる英文学の作家。また彼の残した膨大な著作は、初期近代英
やることやりたいことやれることやれないこと大渋滞だよ
コタツ掛けの想ひで詩人、童話作家タダノマサヲ秋は始まったばかりばあちゃんがコタツ掛けを編んでいる篠のカゴの中に大小さまざまな色のまん丸の毛糸貰った物もあるだろうけど自分で着たセーターやばあちゃんが生んだ私の母や母の兄弟たちが来ていたセーターを解いて丸めたさまざまな色とさまざまな大きさの毛糸大げさに言えば丸めた毛糸にはばあちゃんの人生が詰まっている丸めた毛糸を丸くなった背中で黙々と毛糸を編むば
この投稿をInstagramで見る恋愛アドバイザー星野美咲@甘え上手®(@renaiup)がシェアした投稿親近効果=最後に与えられた情報が、印象や判断に強く影響する現象「正しい恋」のマニュアルはないけれど「良い恋」だったと思えるのは最後の瞬間に笑い合えたからbyMisaki
新ラテン文法松平千秋・国原吉之助共著の中の練習問題に挑戦しました。あくまで私見です。もともとは日本語→羅語にする問題ですが、羅語にしたものをもう一度日本語で逐語訳した形にしてみました。1詩人たちは(poētae)の面前で(cōram)女王の(rēginā)歌っている(canant)2ローマから(Rōmā)あなたたちは離れる(abītis)3後(post)戦争の(bellum)水夫らは(nautae)へ(ad)祖国(patriam)帰る(
『心揺さぶられた詩と書「小林勇輝展」@金臺(きんたい)寺』本日もお読みいただきありがとうございます😊✒お天気の良かった昨日たまたま知った、書家であり詩人の小林勇輝さんの展覧会に行ってきました。〜〜〜とっても良かったで…ameblo.jp続きです。剛毅木訥ごうきぼくとつ心が強く、しかりしていて(原文のまま)飾り気がないさま論語の'剛毅木訥仁に近し'から抜粋別棟の2階に移動します。一見紙ごみに見えるものの一枚一枚に小林さんの思いがつまっていると感じます↓今になってみると読めな
関西フォークとその時代23年10月第1刷321ページ関西フォークそのくくりとして、音楽性、メッセージ性、年齢層などが明確に位置づけられているわけではないようだ。初めのだれかが何かをやり始め、それに同調した人々が寄り合って化学反応を引き起こす。アメリカ発のモダンフォークや反体制フォーク(ときどき反戦フォーク)が日本の若者(時間と暇があり多感で感性豊かな世代)にうけ、模倣するようにカレッジフォークとして広まり、その地域限定バージョンが関西フォークかその初めの人々がたとえばザ・フォーク・
この地球の味を感じてくださいあなた何色地球色永久の色色々あなたの自分は今、どこらへんここいらあっちらどこら今あなたはあなたが、望むような人生を歩めていますか文句を言いたくなったり不平不満が、溜まっていませんかあなたは、何処の星の生まれこの地球に来たのだから地球人生を味わうしかありませんあーやだなああーこんちきしょう今日、あなたの心の中はどんな感じ乙女のときめきエトセトラ私は私色の人生を歩むのです歩いた先が地球色私の意図目的を大切に歩みます起
シュトルム・ウント・ドランクッ2014年8月16日公開大正時代に存在した無政府主義結社“ギロチン社”に参加した若者たちの姿を、極彩色の映像美の中に描いた青春活劇。あらすじ大正11年、冬。放浪の旅を終えた詩人兼社会運動家の中浜哲は、再会した旧友の古田大次郎たちとともに、革命を夢見て無政府主義結社“ギロチン社”を結成。大企業に対する恐喝で資金を得ながらテロルを企てる。しかし、酒と色に溺れながら革命を目指す彼らの計画はことごとく失敗。そこへ関東大震災が発生し、彼らが慕う社会運動家の大杉
ねね大人しくお留守番してるのようんねねちゃんはママの声に大きくうなずくいってらっしゃいママはお仕事に出かけてねねちゃんはお留守番ですママがいないのは寂しいけどお仕事頑張ってるんだからちゃんと大人しくしてようねさて本でも読むそれともパズルでもする?あれれねねちゃんは台所に向かい包丁を手にしますねねちゃん駄目だよ包丁なんて危ないよねねちゃんは包丁を握りしめ冷蔵庫を開けてなにか呪文を唱えますそしたらなんと冷蔵庫の中から声がしましたオッスねねちゃん今日も練
🚗【新】ビバリーヒルズ青春白書の中から、エイドリアナが歌う歌詞の一部を朗読しました。📝エイドリアナ/準主役の女子高生(女優で歌手)●テキストの出典/新ビバリーヒルズ青春白書より一部引用●曲/HealYou●アーティスト/FreedomTrailStudio※挿入曲は「YouTubeオーディオライブラリー」より選曲し、楽曲を無償提供してくださるアーティストの皆様に心より感謝し使用させていただいております。~いつもお世話になっているサイト~🍓画像・動画パブリックドメイン
(星野富弘、魂の詩人)24歳で全身不随となり、全身不随のまま78歳まで、54年間を生き抜いた魂の詩人・星野富弘が1週間前の4月28日に亡くなった。本日が葬儀だった。牧師の内田和彦が語る。星野富弘兄と親しくお交わりをいただいて、いつも思うことは彼の「内なる人」の豊かさでした。実に50年以上も前に彼の「外なる人は衰えて」しまいました。自分ではほとんど何もできない体になってしまい、絶望の淵に立たされたのです。しかし、そのような中から彼は立ち上がりまし
新ラテン文法松平千秋・国原吉之助共著の中の練習問題に挑戦しました。あくまで私見です。1アリの(formīcārum)驚くべき(mirum)勤勉を(diligentiam)私たちはほめる(laudāmus)2夕方の(vesperī)星々が(stellae)空(caelō)に(in)輝いている(lūcent)3彼は訪れる(visitat)永遠の(aeternī)街である(oppidum)ローマを(Romam)4大きな(magnō)神殿
銀色夏生さんのエッセイ本の新刊です今回も楽しく拝読しましたほのぼのと癒されます「人間として生まれてどこまでの感情、幸福感を得られるのか、得られないのか。自分の中でどこまで行けるか。どうなるか。そのあたりをつぶさに観察しながら生きていきたい。それを書いていきたい」毎日の日常の出来事や感じたことなど、なんかいいなと思います明日も心地よく過ごしましょ
・詩と思想2024年3月号の佳作に選ばれた作品です。※2023年11月の作品です。最後まで読んでいただきありがとうございました。いいね、リプログ、フォロー、コメントしていただけるととても嬉しいです。これからも応援よろしくお願いします。・自己紹介、SNSなどはこちらから有原野分lit.link(リットリンク)artist、有原悠二から改名しました。小説家、詩人、(△純文学▲絵
本日もお読みいただきありがとうございます😊✒お天気の良かった昨日たまたま知った、書家であり詩人の小林勇輝さんの展覧会に行ってきました。〜〜〜とっても良かったです小林さんのことも展覧会のことも多くの人に知って欲しいと思いました場所は嵐電等持院駅から北に2〜3分金臺寺(金台寺)さん妙心寺の境外塔頭です。通常は非公開。正親町天皇ゆかりのお寺です。立派な鬼瓦小林さんは愛知県在住の書家であり詩人。まだ43歳の、お若いアーティストです。スタッフの方が一つ一つの作品について
夫も、私も、年齢の割に忙しい。(笑)昨日は、詩集『パッサル、パッサル』に続き今年2冊目となる夫の本『観音移動』の刊行を記念して、下北沢のお気に入りの和食店「楽味」にうかがった。夫と私が「楽味」に行くようになって、すでに30年以上になる。最初は、腕はいいが少々怖そうな大将にびびっていたが、いつもいっしょに行っていたテクニカルスタッフのKさんが2006年に亡くなった時に泣いてくださったり、フラメンコ公演の度にポスターをお店の廊下に貼って応援してくださったり…と、いつも優しくしていただいて