ブログ記事2,700件
善光寺街道の歩き旅11/27(日)は篠ノ井からゴールの善光寺を目指して歩きます丹波島宿まで歩いた前回★の続きです『善光寺街道を歩く篠ノ井〜善光寺その1』11月最後の週末の11/27(日)は、本格的な寒さが来る前に、長野県へ街道歩きに中山道の洗馬宿から善光寺までの歩き旅の7回目(7日目)今日はゴールの善光寺まで…ameblo.jp東側の枡形を曲がり丹波島宿を出たと思いましたが、曲がった先にあった丹波島宿の案内板を見ると[10]が旧枡形との表示ここがその旧枡形丹波島宿を出ます丹
常滑街道は「大井越」?の微かな峠越えで豊浜から大井の集落に向かいます。戦前の地図で見るとこんな感じで豊浜師崎間の海岸線には道はまだありません。崖の地図記号が並んでますね。その峠と思われる場所になんだか案内板が。七曲山、28社めぐりというのがあるらしいのですが、「不動明王約150M」って、道は完全に草叢ですが笑。150Mならば行けたら行ってみたいのですがこれはムリ・・・。見なかったことにして先に進みます。このあたりもホントに野生のビワがたくさんなってますよ。
3月2日、ブルーインパルスの来る小牧基地航空祭を見に行ったりしていました。凄い人ですね。美しい写真はSNSでたくさんアップされてるのでここでは展示しません笑。飛んでいる写真にブルー要素が全くない笑。秘密基地感とかメカ整備感は男の子にはなんだかテンション上がるシチュエーションですね。自衛隊型常夜燈。惜しくも基地祭に間はに合わず次の日です・・・。先日も書きましたが使用中だったコンデジ、SONYのTX-30が不調になり、
内海に向かう峠越えの道を進みます。現在はこの小野浦から内海の間は海岸沿いに国道247号が走っていますが、昭和の戦前の地図を見てもまだ海岸の断崖絶壁には道はありませんでした。Googlemap先生がいつの時代の常滑街道ルートを示しているかはわかりませんが、この日の進路は内陸部を迂回していく戦前マップにある峠越えの道です。見たことない白い花、露草っぽいと思って調べたらトキワツユクサという帰化植物でした。山中にメチャ大繁殖してる。鈴鹿にもあるこの中日新聞の旗があると、なんだかうらぶれ
善光寺西街道を歩く旅11/12(土)は、麻績宿から篠ノ井に向かって歩いています稲荷山宿まで歩いた前回★の続きです『善光寺西街道を歩く麻績宿〜篠ノ井その3』善光寺西街道を歩く旅11/12(土)は、麻績宿から篠ノ井に向かって歩いています猿ヶ馬場峠から一気に下り、間宿桑原の手前まで歩いた前回★の続きです『善光寺…ameblo.jp稲荷山宿を出た先にある「左せんこうじ道右東京屋代道」の道標を左折しばらく単調な道が続きます稲荷山宿を出てから40分くらい歩いたところにある塩崎
愛知県一宮市の臨済宗妙心寺派、妙興報恩禅寺。いわゆる妙興寺。一宮市博物館も隣接していて、今までも何度も散策しています。古地図を見ていると昔は妙興寺を囲むように家が建っていました。禁断のストリートビューで現在はどんな感じかなと覗いてみると・・・一基の道標を見つけました。地味な史跡定番のごみ収集場所になってて笑。車ならすぐ近くだし、いくらかの時間があったのでちょっと見物がてら歩いてみることに。ゴミがあっても回収済みの午後遅めの時間に笑。一宮市博物館の駐車場からスタート、反時計
先日の関ヶ原訪問では残念ながら今日は関ヶ原から伊勢の国桑名向かう道、伊勢西街道を歩きます。大きなくくりでの「伊勢街道」は関ヶ原を出て途中で養老山系の東側を回り三重県に向かう伊勢東街道と、西側を回る伊勢西街道に分かれます。伊勢東街道は[養老道を歩く]と銘打って2021年に歩いた南宮大社から桑名に歩いた道と近いルートです。今回の伊勢西街道、三重県側から見る濃州道、巡見道と呼ぶ街道とも重なりますが、(みえの歴史街道ウォーキングマップ参照)タイトルは岐阜県側から見た「伊勢西街道」に統一し
上街道は善師野宿を越えて峠越えの道を進みます。舗装が尽きるところに・・・。車止めのチェーンと「不要不急の無断通行禁止」なる札が立てられてました。車両通行止めとの表示と判断しますが・・・。何らかのトラブル等があったのかもしれませんが・・・。歩きの旅人にここから引き返せはあんまりなのでお願いですから通らせてくださいとつぶやきながら踏み入りました。この岩壁は犬山市のパンフレットの犬山たび街道の巻に載ってた、江戸時代に磐座として有名だった「箕岩」ですね。この江戸時代
***前回の記事、その41より続きです***伊勢神宮の内宮の参道、おはらい町に入り進みます。賑やかな参道は誘惑が多い多い、心を無にせねば。って、どんどん人が増えてきましたが!15時過ぎでもこれですか!おそるべきはお伊勢参り。赤福本店の赤福ぜんざいの行列、長っ!他の赤福の店の方がまだしも空いてるだろけどせっかく遠くから来たならやはり本店がいいのはわかる~。おかげ横丁を過ぎるとさらに・・・思わず言葉になった、「う、うひゃー!」「なんだこりゃ!」今日は
今回の歩きは八風道(八風街道)。鈴鹿登山をする方はおなじみの、釈迦ヶ岳と三池岳の間の赤い鳥居のある八風峠。先日も歩いたばかりです。その八風峠をまたいでの三重県と滋賀県を結ぶ街道があります。八風越とか八風街道とか八風道とか言い方はいろいろ。琵琶湖と伊勢湾を結んでいる昔の山越えルートのひとつです。Wikipediaでは・・・こちらをどうぞ。三重県側の登山区間だけは今まで何度も歩いてきていますが、伊勢湾の海沿いの富田一色から鈴鹿山麓までの区間を街道として歩いてみたいと思っていまし
10月も後半趣味の街道歩きにも気持ち良い季節になってきました夏が来る前に信濃国最後の宿の軽井沢宿まで歩いた中山道★『【道中記】中山道(継続中:信濃路まで)』区切りがついたタイミングでupdateしています♪♪今回は信濃路を歩き終わった所で(^^)v中山道を西から東へ歩く旅「日本橋」から「三条大橋」まで…ameblo.jp長野県から出て関東に入ってしまうのも寂しい(?)ので、この秋の街道歩きは、善光寺に向かって、中山道の洗馬宿から善光寺西街道を歩いてます先週10/15に続
昨年末の12月26日に、街道歩き休暇を頂き(勝手に命名:ただの有給休暇です)、鎌倉街道中道の旅の第5回として、新宿御苑から十条までの区間を歩いた旅の記録その7です。歩行ルートや立ち寄ったポイントは↓の地図の通り:寄り道併せると全部で歩いた距離は11kmでしょう。その6では、梵寿綱デザインのあるビルやサンシャイン60を眺めながら進み、鎌倉街道が都道305号と鋭角に接する部分で、シブい店舗の裏側を愛でたところまでをご紹介しました(↓再掲)。さすがに都道に出てしまうと街道の風情的
伊南房州通往還(房総東往還、単に房総街道、とも)の最終区間として小湊から館山までを5月1日~2日の二日間に分けて歩いた歩き旅の記録、2日目のその4(初日と併せ通算でその14)です。今回歩いた区間は↓。歩いた距離は神社仏閣などへの寄り道は含めずに44~45km程度でした。その3では、南三原(みなみはら)駅前の商店街のシャッター化に胸を痛めつつ、森永乳業の店舗だった看板建築=髙木商店というラーメン屋らしい、に思いを馳せたところまでをご紹介しました(↓再掲)。駅から街道に戻る最中に
・・・・・・前回の記事、その②より続きです。・・・・・・北方の町を出て一路南へ進んだ我が「北方美江寺墨俣竹鼻道(仮称)」または「西美濃往還(仮仮称)」。メジャー街道中山道と美江寺宿で交差します。中山道との合流ならアレがあるのはコース選定初期に調べがついていたので意気揚々と到着です。そう、道標です、バス停のあたりに・・・あれ?ない?。交差点にある美江寺宿観光案内マップにも載ってるのでここで間違いないのですが。てかここで我が「北方美江寺墨俣竹鼻道(仮称)」または「西美濃往
旧街道歩きの夏の休足期間中に思い立った、知多四国八十八ヶ所巡り『夏休みの日記〜知多四国八十八ヶ所巡り(まずは計画から)』令和の時代と共に始めた旧街道歩き★『■街道歩き道中記Library■』平成から令和に時代が変わる時から始めた街道歩き記録のための、道中記一覧■旧…ameblo.jp2023年10月から、歩き始める事にしました『知多四国八十八ヶ所巡り〜準備』今日から10月夏休み以降、久しぶりのブログです(いつのまにかアプリが少し変わっていた)9月はコロナに感染して高熱で
そろそろ緊急事態宣言下の散歩もネタ切れになろうかという1月末日、愛知県のブロ友さんが「古地図散歩」というアプリをご参考に、昔の地図(例えば明治時代)にあって、今も残っている道を歩くという企画をされていたのをパクっ、、、「インスパイア」され、近所にその名前が残るローカル古道、印西道(いんざいどう)を歩いてみることにしました。印西は松戸からだいぶ東の方に進んだところにある土地で、今も印西市がありますし、北総鉄道に「印西牧の原」という駅があります。歩行ルートは↓。二回に分けて歩きましたが、地図
新しい時代、平成→令和での新たなるチャレンジとしてスタートした★旧東海道ウォーキング『令和での新たなチャレンジ!』あと一週間で「平成」が終わり「令和」に今日は平成最後の水曜日新しい時代に何かチャレンジと思い、決めました東海道を歩くぞぉ〜詳しそうなガイドブック(マップ)をま…ameblo.jp2021年1月6日、無事に京都三条大橋に到着記録の為に、全行程のブログを整理します休日にこま切れで歩く事になるので、東半分と西半分に分けて歩きました緑線が東半分赤線が西半分◇◇東半分編
23.5.23(火)前日まで3日続けて好天の中で三国街道を歩いたが、この日は終日雨の予報。ビジホでデータ整理とブログ投稿。23.5.24(水)この日も朝は雨の予報。ビジホで朝食を取っている時に雨が強まってきた。当初は六日町駅8:23の下り電車を考えていたが1本パス。様子を見て、1時間後の9:23に乗ろうと駅へ行ったら駅の手前で雨。それでも電車に乗っている間に陽が射してきた。次第に晴れてくる予報だったので、このまま晴れますようにぃ~。↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で
熊川宿の街道歩きます熊川の宿は、若狭から京都を結ぶ重要な宿場で特に天正17年以来発展を続けました。奉行所・番所・お蔵屋敷の跡が残り、情緒あふれる街道沿いには、昔ながらの用水路が流れています。豊臣時代から藩政末期におよぶ古文書・御用日記なども保存されています熊川宿は、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、
2022年4月6日に日本橋にゴールして東海道の踏破を成し遂げました。その延長です。前回は大津市追分町の髭追分茶屋から丹波橋駅までを歩きましたが、その続きです。前回ウオークを終えたのは京阪電車の丹波橋駅でした。その続きを再開するのに京阪電車で向かうのでなく、近鉄電車にしました。同じ鉄道の電車で向かうのでなく違う鉄道の電車で向かいたかったのです。後から知ったのですが、京阪電車の丹波橋駅と近鉄電車の丹波橋駅は連絡路で結ばれており相互の行き来が出来る駅で、特急などすべての電車が停まる駅となっていまし
2018年1月6日(土)年末から体調を崩し、年末年始休みの全日程を伏せってしまいましたが、ようやく体調も回復してきたので、今年の初散歩は軽めの街道歩きとして、赤山街道の吉川道を歩きました。赤山街道の吉川道は一月半ほど前に歩いた、赤山街道の越谷道の支流的なルートで、越谷駅から東に少し進んだ地点の元荒川の川べり近くで越谷道から分岐し、二郷半領(今の吉川市)に向かっていた道筋です。吉川に、伊奈家ゆかりの陣屋などがあった訳ではありませんが、その二郷半領の人々と赤山城(赤山陣屋
自宅の愛知県には緊急事態宣言お隣の岐阜県も蔓延防止措置前回の緊急事態宣言が解除されるのを待って、桜の日の3月27日に三条大橋をスタートした中山道を歩く旅週末の暇を見つけて歩いて来ましたが、コロナ禍のため足踏みです昨年の旧東海道を歩いた際も今の時期は足踏み状態でした…と、嘆いていてもしょーがないので近江国の最後の宿まで歩いた前回までの記録の整理です▪️近江国▪️Day1-1三条大橋〜山科2021.3.27Day1-2山科〜大津宿Day1-3大津宿〜石山Day
11月11日、一週間ぶりの街道歩きだな、鍋掛宿・堀越宿を発って芦野宿まで歩く。黒磯駅からゆーバスに乗り、先日の鍋掛十文字で降りる。ほほえみの寺の看板に朝からニコッとする。山門脇に樹齢250年というしだれ桜があるが、季節になると山門と重なった風情を想像した。ここにも戊辰戦争で戦死した藩士の墓がある。那珂川の手前に「おとり鮎ぷくぷく」の看板がかかった店があるがまだ閉まっていた残念!!鮎の塩焼き食いたかったなあ那珂川を渡って堀越宿に入った。車も人もほとんど見かけず田畑が広
先日2日の西国街道の旅、後半です。(前半は→西国街道⑮-1(有年→船坂峠)|Eddie'sDiary(ameblo.jp))船坂峠を越えて、西国街道では初めての岡山県入り。峠道を下り、備前市の中心部に向かって進んでいきます。何度も出会う国道2号線に合流したら、すぐに分岐し・・・・、JR山陽本線の踏切と交差します。ここは上下線の線路が大きく離れる箇所で、この踏切は姫路・神戸方面行の線路。村の中の道を歩いて、旧国道と思われる道と合流し道なりに歩きます。
今年はなんといまだに山に行けてなかったのです。いつの間にやら雪解け、桜、花粉の季節に。鈴鹿の春の妖精たちに逢いに、はよ行かなきゃすぐに夏になってしまうよ!ということで、鞍掛峠冬季閉鎖がもう解除になっているらしい御池岳に。花の季節は駐車場も込み合うから早起きしないと!3月30日、夜明け前に鞍掛峠に向かいます。車の前を野ウサギが横切るハプニングがあり今日は良いことありそう。手前のコンビニの桜が満開過ぎて、桜を見に行くのもいいなと心奪われます。いやいや、御池も今日は快晴だし!
11月29日、2週間ちょっと間が開いたが自宅を8時前に出て、バス~電車~バスで12時半前に芦野に着いた。創業300年以上という鰻料理「丁子屋」でうな重とついでにお銚子1本を付けてもらう。今日は芦野をゆっくり観て廻ろう。三光寺は日本三聖天の一つらしいが諸説あるので深堀はしない。武家屋敷跡の枝垂れ桜は推定樹齢400年とか・・桜の季節の風情が頭に浮かぶなぁ陣や跡周りの紅葉は終わりに差し掛かっているが、落ち葉と絡み合って何とも言えない美しさだ。遊行柳は国指定名勝になって
12月2日、奥州街道歩きは昨日で完歩したが、やはり古関「白河の関」は外せない!!!帰りのバス時刻から逆算して行きは歩く事にした。南湖公園まではバスで行き、そこから約8キロの道のりを歩き11時過ぎ、ここからみちのく白河関跡に着いた。奈良時代から平安時代にかけて人や物資の往来を取り締まっていたといわれる奥州三関の一つである。奥州三関(さんかん):勿来(なごそ)/福島県いわき市、念珠(ねず)/山形県鶴岡市、白河江戸時代後期まで白河関の場所は不明となっていたが、白河藩主松平定信の考
というわけでその①養老公園編からの続きです。養老山三方山方面とアセビ平にある養老山スカイテラス方面分岐を右に。こちらは林道コースとなっています。登山、というには物足りない道ではありますが見上げれば・・・!やはり日当たり良好のこの道を選んでよかった。山全体が染まるってことはありませんが歩ていく先に次から次へと錦を身に纏った木々が現れて目を楽しませてくれます。思い返すとこの木がこの日ナンバーワンだっ!。鮮やかな錦のグラデーション。解説不要なのでどん
伊勢街道の街道歩きも最後となりました8回目となる3/19(日)は、伊勢神宮外宮から内宮までを歩きます外宮にお参り★した後『伊勢街道を歩く伊勢神宮外宮』伊勢街道を歩く旅いよいよ最終日となりました8回目となる3/19(日)は、外宮から内宮まで歩きますが、先ずは外宮のお参りからいつもクルマで移動していましたが、今…ameblo.jp前回のゴール地点★『伊勢街道を歩く斎宮〜伊勢神宮外宮その2』3/11(土)の伊勢街道歩きは、斎宮から伊勢神宮外宮まで途中の小俣宿手前までの前回
10月31日(土)と11月1日(日)に決行した23回目の中山道歩き旅、1日目の旅の記録その11です。寄り道分も含めて今回歩いたコースは↓の通り。歩いた距離は初日ざっと28km前後、2日目15km前後でした(寄り道含む総距離)。街道上の見どころポイントについては順次書き足してゆきます。その10では、伊藤忠商事と丸紅の創業者と言える伊藤忠兵衛の家(現資料館)を見て、同業者として自分も頑張らねば!と珍しい決心をしたところまでをご紹介しました(☟再掲)。既にだいぶ日が赤くなり始めて