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昨年12月9日に、旧東海道でも屈指の宿場である関宿から、前回シリーズの伊勢参宮道の津宿までを結ぶ伊勢別街道を歩いた記事のその4です。当日歩いたコースは↓。歩いた距離は寄り道含めて20kmちょっとくらいじゃないかなと思ってます。その3では楠原宿の出口で楽しみにしていた旧道を撮り忘れストリートビューに頼ったり、峠を越えた並木の風景が地味ながら美しく感じられたところまでをご紹介しました(↓再掲)。集落に入ると、古い屋根を残したままリノベされた民家が見えてきました。家々は現代の
<2024年4月27日>2024年のGWがやってきました。怪しい天気ではありましたがGW初日から早速街道歩きへ行ってきました。今回は近場の1回で完結する短距離の旧街道鳥羽街道です。平安京の朱雀大路の南端の羅城門から南へ伸びる古道で、平安京を造営する際に物資を運搬するために作られた鳥羽作道が元になった街道です。戦乱や川の氾濫などで平安時代のルートとは異なる箇所もあるのかもしれませんが、明治時代のルートがほぼ残っているようなので歩いてきました。小雨が降る中を昼前に自宅を出発、南海・地
2023年新年初歩きはどこに行こうか。伊勢西街道を下調べしてましたが、西濃あたりはかなり歩いてるし、ちょっと違う所を歩いてみたくなったのです、さあどこ行こう。同じ愛知県でもあまりなじみのない三河國を歩いてみたい。今年の大河ドラマも三河の徳川家康だしね。目についたのは「平坂街道(へいさかかいどう)」、山間部に入らず三河を横断するようなルートです。東海道の小坂井駅あたりからスタートして蒲郡、幸田、西尾、そして湊町だった平坂という町までの道。平坂から少し足を延ばすと一昨年歩いた大浜街道に
***前回の記事、その⑪より続きです***員弁川に架かる黄金大橋橋詰にいます。眼下に架かる旧道とおぼしき道の旧橋とおぼしき橋を見おろします。今日は時間がないのでやや距離が長くりそうな旧道はスルーして黄金大橋を渡りますが・・・。上から見ると欄干もガードレールになってるし特にどうということはなさそうな橋ですが、・・・その割には親柱は立派なのが立っているな~どうやら改造されたかな。うーん、見に行けばよかったかな。橋の名前は「三当橋」なのは調べられました、やっぱり黄金大橋
先だっての福島遠征奥州街道歩きの2日目です。(1日目は→奥州街道⑦-2(二本柳宿→福島)|Eddie'sDiary(ameblo.jp))前日福島入りした夜行バスの空調が寒くてあまり眠れぬまま1日歩いて疲労困憊。夜9時半には眠りにつき爆睡、翌朝は少し予定より遅く7時過ぎ出発しました。2日目のスタートは福島市街のさらに中心部へ入る国道13号線との交差点から。日曜日の朝7時20分頃、人の気配のない福島宿です。数日前は雨が降るような予報でしたがその心配はなさそうです。
旧鹿角街道歩きで次に歩く区間は、車之走峠を越える。南の石巻に注ぐ北上川水系と、北の八戸に注ぐ馬淵川水系との分水嶺であるが、わりとなだらかな峠らしい。ただし、JR花輪線,国道282号,東北自動車道からは離れていて、並行する公共交通機関はなく、平舘から荒屋まで歩き切らねばならない。前回は帰りの列車の時刻を誤認したため、3時間近く待つ羽目になった。その反省に立ち、今回はよく確認。盛岡6:55発・平館駅7:44着のJR花輪線は、この日の工事運休はなしだったが、歩き始め地点が平館駅から1kmほど
新しい時代、平成→令和での新たなるチャレンジとしてスタートした★旧東海道ウォーキング『令和での新たなチャレンジ!』あと一週間で「平成」が終わり「令和」に今日は平成最後の水曜日新しい時代に何かチャレンジと思い、決めました東海道を歩くぞぉ〜詳しそうなガイドブック(マップ)をま…ameblo.jp2021年1月6日、無事に京都三条大橋に到着記録の為に、全行程のブログを整理します休日にこま切れで歩く事になるので、東半分と西半分に分けて歩きました緑線が東半分赤線が西半分◇◇東半分編
***前回の記事、その⑫より続きです***旧立田小学校跡を通り過ぎ、桜を楽しみながら浮かれ歩きで伊勢西街道を北上します。このあたりは一般的には巡見街道と言ったほうが通りがいいかもしれません。でもこういった古民家もチラホラ見かけて、複雑な気持ちになります。そういえば路傍の石仏やお堂も少なくなってきてました。桜の写真ばかりで撮れ高増やしてるようですがやはり目がいってしまうと写しちゃいます。ここでも振り向けば羽田。善行寺、Googlemapによれば石碑があるよ
さあ帰りますか。「あざい」の散策を楽しんで帰路に就きます。駅に向かい面白そうな道を選びながら歩きますが特に見るべきものも見つからず、交通量の多い道の歩道歩きの中、交差点を右に曲がろうとしてたら、角にある尾西信用金庫佐千原支店の前に・・・ん?!南一ノ宮?なんと道標があるではありませんか!全然予期してない場所だったのでホントびっくりでした。別の面はと・・・ああやっぱり、右あざ井道です、方向的にもあってますから、昔からここにあって人々に道を教えてきたんですね。北ぎ
先日、所用があって稲沢市祖父江町を訪ねました。ぎんなんで有名な土地ですが、中心部は一昔前には八神街道の主要な町でもありました。こちらは善光寺東海別院、祖父江善光寺と呼ばれています。そのすぐ北を通る八神街道。渋い渋い、旅館澄川屋さんの建物もそのままの姿で無事健在でした。そこはかとなく街道感が漂っています。その一角にある割田屋さん、酒屋さんです。こちらに貴重な酒蔵の看板があり、これも健在でした。真ん中の小西酒造の「白雪」は今でもメジャーですね。両
皆さんこんにちは!さて、ここのところハマっている旧街道あるき。今回は山梨県に入って「旧甲州街道」を西に進みます。甲州街道は、東京・日本橋と長野県・下諏訪を結ぶ街道。古くから多くの旅人があるき、歴史の舞台となりました。そんな歴史の舞台となった場所を実際に歩いて旅することは、現代の「聖地巡礼」にも通じるものがあると思っています。ところで、甲州街道は、去年歩いた東海道と違ってアップダウンの多い道。距離はそれほどでなくても、なかなかハードな道のりが予想されます。特に今回歩く予定の「笹子峠
昨日はテレ東さんのほうで、土曜スペシャル、ザキヤマ街道歩き旅を見ました。釣り堀ができるテーマパークがあるんですね。夕暮れのなか、釣り堀している風景が印象に残りました。最後の夕暮れの神社の風景も土スペらしい感じで、良かったです。
10/1の奥州街道の旅、後半です。(前半は→奥州街道⑤-1(白河→矢吹)|Eddie'sDiary(ameblo.jp))一直線に伸びる矢吹宿に入りました。おもちゃ屋さんに昔のヒーロー3体。当方の世代的にはマジンガーZがリアルタイムですが、どちらかというと再放送で見たジャイアントロボの方が馴染み深いです。28号は世代は外れてますが、神戸の新長田駅で何度も見てるので親近感大!コンビニ横の広場で蔵と老舗のらしき店を眺めながらパンでエネルギー補給。シャッ
<2024年4月20日>土曜日の奥州街道の旅、後半戦です。写真を撮り過ぎて少し長くなりますがご覧いただけると幸いです。(前半は→奥州街道⑦-1(本宮→二本柳宿)|Eddie'sDiary(ameblo.jp))円東寺という寺の前で曲がり二本柳宿を後にします。宿場町を出てすぐに大きく下りまた登り返していきます。しばらく田園地帯の中、アップダウンが幾度も続きます。街道の脇に鹿の鳴石というのがありました。石の周りを3回周ると鹿の鳴き声が聞こえるそうですがホンマか
このところ雨天がずいぶんと続いていたこともあり、「雨でも歩けるプチ街道!」シリーズというのを考えてみました。以前Googleマップ上の旧道名記載と、アプリ「古道散歩」を元に松戸から、印旛沼の西=印西に続く印西道を歩いた要領ですね。今回歩いたのは、偶然Googleマップであちこち面白そうな道を物色していた時に見つけた(暇人っぽい言い草ですね)、「志茂旧道」という全長わずか2km程度の古道です。志茂エリアと、日光御成道(岩槻街道)の岩淵宿までを結ぶ短い古道だったようです。ここを歩いたのは
4月18日中山道、栗東駅から大津駅まで歩く。近江八幡駅前に車をデポして、東海道本線を利用して栗東駅まで行き、続きの街道歩きをスタートする。本日の歩行ルート(栗東駅から瀬田唐橋まで)(瀬田唐橋からJR大津駅まで)JR栗東駅を9時半頃にスタートする。前回歩き終えた交差点から、中山道を歩きます。9:339時48分、草津市に入ります。葉山川に架かる葉山橋を渡って、高架下を潜り東海道本線の隧道を潜ります。9:51隧道を潜って、線路沿いの道を歩きます
24.4.18(木)朝から少し喉が痛く、左の鼻から黄緑色のネバネバした鼻水が出る。時々咳も出る。副鼻腔炎-歯性上顎洞炎が少し悪化したかな。午後は予約していた歯科へ。右上に入れる差し歯の型を取った。1週間後にできるとのこと。24.4.19(金)午前中、鹿角街道歩きで次々回通る予定の、車之走峠へ車で行った。南側から峠方面へ向かう途中、県道に冬季積雪通行止の表示があり、この日4月19日まで通行止めとのこと。今日まで通れないのかな?行ったらちょうど、道路管理の職員がゲートを開けて通行止め解除の
去年の12月9日に、旧東海道の関宿から、前回シリーズの伊勢参宮道の津までを結ぶ伊勢別街道を歩いた記事のその3です。当日歩いたコースは↓。歩いた距離は寄り道含めて20kmちょっとくらいかと思います。その2では、街道沿いの古い石仏に何となく心を癒された状態で楠原宿に入っていくところまでをご紹介しました(↓再掲)。さて、最初の宿場となる楠原宿を進んで行きますよ。左右に昔ながらの家並みが続き、宿場の名残を感じます。とは言え、こういう建物もやはり見逃せないなあ。これ紐で引っ張って
熊川宿の街道歩きます熊川の宿は、若狭から京都を結ぶ重要な宿場で特に天正17年以来発展を続けました。奉行所・番所・お蔵屋敷の跡が残り、情緒あふれる街道沿いには、昔ながらの用水路が流れています。豊臣時代から藩政末期におよぶ古文書・御用日記なども保存されています熊川宿は、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、
≪トロッコ・レールやU字支洞も≫拙著「四国の鉄道廃線ハイキング」収録の国道194号の前身、加茂土工森林組合馬車軌道は元々、千町(せんじょう)鉱山の鉱石運搬のため、大正期、日本窒素肥料㈱が八之川から船形まで敷設した馬車軌道が前身である。鉱山は標高360m前後にあり、主要坑道は内部に手押しトロッコ・レールが敷かれ、索道場まで運搬し、そこから索道で谷川を越えた向こう岸の八之川へと下ろし、馬車軌道で船形へ輸送、そこで通常の荷車の馬車に積み替え、西条市街へと運んでいた。が、鉱脈が良くなかったせ
<2016年3月12日>3月に入って最初の街道Walkです。今日は1年半ぶりの竜田越奈良街道。これまでの2回はちんたらゆっくりと進みましたが、今回はそこそこの距離を歩いてきました過去に歩いた街道とも出会ってちょっと懐かしい気分も!(前回は→竜田越奈良街道②(寺田町→八尾)|Eddie'sDiary(ameblo.jp))JR八尾駅から数分のこの古民家横からスタートです。今日は道標がたくさん。一つ目は現JRの八尾駅を示す道標。ということは明治22年以降に置かれた
愛宕茶屋跡と戊辰役党軍戦死者埋骨地。画像の地蔵堂(一番町)の所へと土手を降りる。ココから再び千本通を歩く。妙教寺(Wikipedia)・淀古城跡(Wikipedia)コロナ禍で境内に入るの遠慮願います…みたいな貼紙があったので遠慮しときます。まだコロナ禍?(令和6年)🤔?境内には淀古城の石碑等あります。五番ノ橋(明治時代の建築石のアーチ橋?)を渡り行きます。納所村道路元標の碑。唐人雁木旧趾の石碑と納所(地名)の説明板。納所交差点で千本通は終わり、旧京阪国道
日本最長!長野県の「木曽路」にある奈良井宿は、中山道沿いに南北約1km続く日本最長の宿場町として有名ですが・・・今回の記事は、奈良井の街中を歩く外国人観光客に自慢できる「歩き食べ」フードをご紹介♪街道に沿って南(名古屋方面)側から上町、中町、下町の三町に分かれており、昔は町の中心部である中町に本陣、脇本陣、問屋が置かれました。※現在の観光案内所対面の路地奥、郵便局手前の駐車場が本陣跡入口に嵌められた大戸、そして日常の出入りに使う潜り戸、入口横のしとみ戸、さらには2階の手
2018年2月24日(土)の中山道歩きのその5です。当日の歩行ルート☟(歩行器よりは16㎞弱)。その4では轍のある雪道を歩いたところまでをご紹介しました(☟再掲)。その先、ちょっとしたスペースに「一つ家跡」の案内板があります。「ここには老婆がいて、旅人を苦しめたと言われている」などと書かれています。具体的に老婆は何をしたのかたいへん気になりますね。正確な位置は不明ながら、この辺りに三十六里目の一つ家の一里塚があったそうです。ここを一里塚に見立てて、三十六里、通過!
逢坂の関を過ぎると道は下り坂になっていきます。月心寺この近辺の茶屋があり走井餅が名物でした。大正時代に日本画家・橋本関雪の別荘でした。大阪への追分道標「みきハ京ミち」写真では見えてない左側には「ひたりハふしミみち」とあります。なぜか右部分に「柳緑花紅」って刻んであるのですよね・・・蘇東坡の詩の一節で禅宗の教えでも大事な言葉ですがなぜ道標に?閑栖寺ここの門前に車石が保存されています。大津~京都の東海道には牛車の通行を楽にするため花崗岩の板が敷き
鴨川を小枝橋で渡り、左岸の堤防沿いを少し歩き1つ目の曲角左折、城南宮道を歩き直ぐ画像の交差点で右折。交差点脇には、鳥羽伏見勃発の地説明板と石碑に城南宮道標石、右折直ぐの場所に愛宕燈籠。少し歩いて左手に鳥羽離宮跡(鳥羽離宮跡公園)鳥羽離宮Wikipedia少し行くと又もや愛宕燈籠。おっ!ここのお地蔵さんは化粧してる!この日はじめての化粧地蔵。この後、数カ所で化粧されたお地蔵さんを確認。戀塚寺。[ホームページ]ん?さっきも①恋塚浄禅寺ってあったよな。どちらも
この日も始発スタートで、多度駅に降り立ちました。駅前に面した名産商五月屋さんが渋い。駅前通りを進み振り返ると駅の向こうに大鳥居が見えました。後ほど近くを通る予定です。青空に多度山。駅からの道を銀行のところで右折、さあここから街道復帰です。養老鉄道線の下をくぐります。相変わらず大正時代の橋台は見事なレンガ造りなのです。この後もいくつものレンガ橋台を見ました。線路を越えてからすぐの小山小津神社がある角は、街道は右ですがまずは寄り道、香取という町に立ち寄り
琵琶湖周辺は戦国時代~江戸時代初期の史跡がゴロゴロ、歴史好きにはたまりません住宅街の中に膳所城(ぜぜじょう)総門跡、なんて碑がさりげなくたってたりします膳所城とは・・・関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が東海道のおさえとして大津城を廃しつくらせた城。「瀬田の唐橋を制するものは天下を制する」との昔からの言い伝えにより瀬田の唐橋に近いこの地を選んだといいます。明治期になり城は解体されてしまいましたが、この近辺の神社に膳所城の門を移築しているところが多く
こんばんは~、前回の続きです。野尻宿本陣跡を出て、明治天皇御小休所跡碑。歴代天皇で一番旅をした天皇かも知れませんね。そして、佐渡金山から運ばれた金を保管する御金蔵のあった安養寺お堂も今は骨組みだけを残すのみで、廃寺となっていました。街道と並走する18号線はバイパス工事も進み、旧国道を歩きます。こちらはスノーシェッド。この中を歩くのですが、実はちょっと怖い。向こうから熊が来ていたら、逃げ場がないですよね。直線だったら見通しが良いのですが、カーブなのでちょっとね。それでも無事に通過して、
中山道歩き最後の記録すっかり遅くなってしまいました昨年11月のウォークです。早朝にスタートするため前日の夜草津に泊まりました。駅前の道標のモニュメントライトアップされてました。中山道と東海道の追分の道標ところで草津から京都までの道のりは東海道と同じ。今回で歩くのは2回目ということになります。でも私の気持ちの中では「中山道」ラスト、と思っているので「東海道」という案内板が出てくるたびに「ん!?」となりああそうだった、同じなんだよね、とひ