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鰐尾山城(松江市)鰐尾山城は秋葉山に築城された大廻氏の城です。本宮山城の大野氏(紀姓)の家臣として本城の東方を守備していました。当地は大野氏の支配下ではあったのですが、日御埼社領もあり、日置氏(小野氏)が関わっていたようです。小野氏は和邇氏の流れなので、鰐尾山城なのかもしれませんが、大廻氏が一族であったのかについては不明です。(※源行近のブログ鰐尾山城より)鰐尾山城の城主は大廻三郎左衛門正次と称し、地方の豪族なり。尼子氏滅びて毛利氏に属し、天正十年毛利氏の家臣宍道正慶の命により、大野、大
同じ摂津国の難読地名やさしい編「吹田市」に、遺構は残らず、場所も定かではない山田城跡てありますが、同じ摂津でも毎度お馴染みの大阪府のいちばん上、いわゆる北摂(ほくせつ)の城跡です。ちなみに吹田市も北摂になります。そしてわしは自称・北摂守である大阪府豊能郡能勢山田摂津・山田城(やまだじょう)別名能勢山田城、亀ノ屋城山田城は、治安2年(1022)多田満政の五男である山田忠国(清和源氏経基流、源忠国)と、兄忠重が在城してたと記録があり、その時期に築城されたと推測される。山田氏代々の
黒山城(倉敷市福田町浦田)これだけの優れた縄張りを持つ城ながら、一次文献には一切記述がみられない。一方、岡山大学付属図書館所蔵池田家文庫にある『内田玄綾先祖書』には天正2~3(1574~1575)年に勃発した備中兵乱に際し、三村方として戦った国侍、内田牛介が本城に居住し、毛利方の攻勢により戦死したとされる。以後、毛利方の在番として塩津三河守が入城し、内田九郎兵衛が相番を務めたとする。しかし、『新修倉敷市史2』ではこの城の技巧的縄張りから、その築城は天正7(1579)年に勃発した宇喜多氏・毛利氏
〇田園地帯に保存された史跡公園へ近代~21世紀にかけて、非常に多くの城館の史跡が姿を消してきました。現代においてもこれら城跡の史跡でも非常に価値が高いと認められる物件でも史跡維持で危機に晒されているのが現状。そんな中で今回紹介する新潟県三条市にある五十嵐館は元々田園地帯にあり、昭和47年に圃場整備の為に消滅する運命にあったのです。しかし、発掘調査によりその史跡としての価値が認められ、昭和50年に史跡公園として整備されることになったのでした。多くの史跡が近代の開発の中で消滅した中にあっては