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所在地〒594-0081大阪府和泉市葛の葉町1(信太森神社)特徴和泉国北部にあった中世の平城で、神社境内の北東に土塁と虎口が現存している。感想周辺は住宅地だが、境内は元の地形が色濃く残っている。
安土城跡滋賀県近江八幡市令和5年(2023年)12月27日㈬撮影安土駅から歩いて1.5km、標高198mの安土山の麓に来ました。安土城跡に向かう石段、安土城百々橋口(どどばしぐち)その傍らには石碑安土城址と刻まれた石碑*安土城琵琶湖東岸の、近江国蒲生郡安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)にあった城(山城)。城址は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域になっている。織田信長によって現在の安土山に建造された。1576年(天正4年)に築城を開始。1579年(天正7
何が情けないって大のおっさんが子供みたいに靴を履いたまま座席に足を伸ばしている姿。新快速からの乗り換えだと思うけど加古川駅から乗ってきたオッサン。お前はガキか⁉️正直いってこんなオッサン、死んでほしいわ…近鉄の四日市駅ではあまり人が来ないところに待合室があるのですが、盗電してスマホ充電してる女がいるし…老いも若きもクソみたいな…いや、クソな奴らが増えてきた日本に憂いを感じます。軍事クーデターでも起こすか…第二の三島由紀夫、出てこないかなぁ。愚痴ばかり言っていても仕方ないので関
台風のような暴風雨で、桜散らしの雨が降った日。昨日、帰宅した日にパチリ♪スイセンアヤメシャクナゲの蕾さて、旅行日記です。備忘録ですが、よかったら、どうぞ♪『2024.4.7長野旅行1日目ー1』2024/4/7(日)~4/8(月)長野県へ1泊旅行してきました。2024/3/30ー4/7(1週間延期14まで)上田城千本桜まつり開催中の上田城跡公園へ出…ameblo.jp2024/4/7(日)~4/8(月)長野県へ1泊旅行してきました。2024/3/
2024/4/7(日)~4/8(月)長野県へ1泊旅行してきました。2024/3/30ー4/7(1週間延期14まで)上田城千本桜まつり開催中の上田城跡公園へ出かけてきました。2024年のソメイヨシノの開花は遅く、4/7はソメイヨシノの開花の発表日という感じでソメイヨシノは咲き始めでしたが、シダレザクラやヤマザクラ、ヒガンザクラなどが咲いていました。2024/4/7(日)長野旅行1日目ー1関越自動車道ー上信越自動車道ー甘楽PAー松井田妙義I.Cー碓氷バイパスー国道1
唐沢山城の別名は栃本城・根古屋城牛ヶ城と呼ばれています連郭式の関東一の山城で関東7名城の1つです築城は平安時代の927年に藤原秀郷が唐沢山に築いたと言われています940年の平将門が起こした天慶の乱を秀郷たちの活躍で乱を鎮圧した功績により秀郷は武蔵・下野両国鎮守府将軍となりますなので一説には940年に築城が始まり942年に完成したとも考えられています一方、築城は15世紀後半だったと言う最近の研究もあります「くい違い虎口(升形)」は土塁をくい違いにして直接敵が侵入出来ないよ
3月24日(土)は埼玉県嵐山町にある杉山城での見学会がありました。日本城郭史学会主催の見学会です。今回の見学会は史学会評議員の奥田好範さんが案内してくれました。集合場所は東武東上線の武蔵嵐山駅でした。集合時間になって参加者はタクシーに分乗して杉山城に向かいます。この日の参加者は杉山城現地集合も含めて33名でした。武蔵嵐山駅から延べ7台のタクシーに分乗して杉山城に向かいました。東郭からみた杉山城本郭、南郭方面天気予報ではこの日は雨のち曇りであまりよくありませんでした。雨天決行の
発見したぞッ龍といえば月が当たり前でした~誰しもが見慣れてしまって疑問なんてゼロでしたなんとビックリ月ではなくて獅子頭シシガシラ虎口はどこにあるのか?それはししがしら獅子頭に有りました獅子頭の象形文字はバッチリ獅子座から復元大成功イェイやったぞ龍の象形文字が姿をあらわす日時髪の毛座からはぎょく玉の象形文字が復元できましたおそらく
御主殿虎口です。かなり状態良く残っていたんでしょうね。主殿跡はかなり広大。さすが北条氏。御主殿跡を抜け、御主殿の滝へ。冬だからか、あまりにも水量が少ない。しかも、あまり高さがない・・・心霊スポットになるくらい落城の際に人が亡くなったようには思えないのだが・・・所々に石垣跡と思しき箇所が。八王子城跡管理事務所に戻り、本丸目指して登り始めます。階段などもあり、なかなか登り易いです。途中、少し開けた箇所があり、そこは金子丸。遺構は御主殿跡などに比べるとあまりないかと。本丸へ至
羽柴秀吉邸跡の向かいには、前田利家邸跡があります。この虎口、他ではちょっと見られない。いや、あるかも知れないけど、私の知識にはないです。石段の方からでは分からなかった。武井夕庵邸跡の石垣。修復とかしていない、残ったまんまなのかな。織田信忠邸跡。今は木々で遮られているけど、発掘などが進むと今よりもっと家臣や親族の邸宅跡が出て来るようです。石段の高さが緩やかに。森蘭丸邸跡。織田信澄邸跡。黒金門跡、石垣もより重厚さを増します!この先本丸ですからね。途中に供養塔。織田信雄四
名称:長谷堂城別名:亀ヶ城城郭:連郭式山城築城年:16世紀初期築城主:最上氏主要城主:最上氏、志村氏、坂氏所在地:山形市長谷堂堀跡土塁帯曲輪帯曲輪郡曲輪主郭へ虎口主郭復元図
先日3/6~8間の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)の投稿を順次しています。前回のブログでは「要害山城」をお届けしましたので、そこから車で10分もかからない所にある「躑躅ケ崎(つつじがさき)館」(山梨県甲府市)へ向かいました。当城は、2006年に訪城して以来の18年ぶりです。車を正面脇の駐車場に止めて、南側の「武田神社」の正面であり「堀」に跨る赤い橋を渡り、更に両脇の石垣の間を抜けて鳥居のある所へ石段を上がっていきます。「武田神社」の正面↓この正面の石垣は「
おはようございます、たけちです。2024年・令和6年3月23日土曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?たけちは、今日は調子の悪いレンジを買い替えに行ってきます。食事をするには、最早必需品と言っても過言ではないレンジ最近、異音がすごいんですよね。今にも爆発しそうな異音爆発する前に買い直すのが無難かな?かれこれ10年近く使用していることですしさて、今日は千葉県の続100名城のひとつ本佐倉城について紹介します。『フィット君最後の冒険⑥本佐倉城』おはようござい
大手虎口は1995年から石垣・排水施設石畳の通路を復元しています関東の戦国時代の山城のほとんどが石垣を用いていなかったので「戦国時代の関東の山城には本格的な石垣普請の城はない」と言う定説がありましたしかし新田金山城の発掘調査でその定説は覆ります!金山城は多くの石垣を用いた見事な山城だったのです‼️大手虎口の前に立つとその見事さに驚きます
戦国時代に関東七名城の一つとされた金山城10回以上攻められた城でしたが落城せず❗️金山城・太田金山城とも言われている連郭式山城でした現在は金山と呼ばれていますがかつては新田山と呼ばれていました標高239mの金山山頂の実城を中心に四方に延びた尾根の上を造成し曲輪としこれを堀切・土塁で守りを固めた山城です主な曲輪は実城・西城・北城(坂中・北曲輪)八王子山ノ砦の4箇所です西城の駐車場に車を止めて物見台に向かいます見附出丸には行きませんでした史跡金山城跡ガイダンス施設で金山城
所在地〒437-1611静岡県御前崎市新野特徴遠江に侵出した武田氏が、在地領主の山城を改修したとされる。比較的短時間で訪問できる城で、二つの郭に堀切や土塁・虎口など多くの遺構が残るが、風化も進んでいる。感想整備状態もそこそこ良好だが、規模と残存度合いがもう一つ。「高」にするか迷う「中」の上。
名称:九戸城別名:福岡城、宮野城城郭:梯郭式平山城築城年:1492年-1501年築城主:九戸光政改修者:蒲生氏郷主要城主:九戸氏、南部氏所在地:二戸市福岡城ノ内指定文化財:国史跡続日本100名城発掘調査堀跡、土塁石垣本丸虎口本丸二ノ丸
築城時期は不明ながら鎌倉時代中期には近江の南北の境目を見通す拠点として築かれたと思われますその後、堀氏→浅井氏の拠点となりますが近江が織田信長の所領となった際に廃城となった模様です堀切や虎口に残る石垣はなかなか趣深く主郭から見える雪を抱いた伊吹山の眺めもなかなかなものですただ主廓まで登るのは結構な修行で(笑)麓の駐車場からゆっくり登ること約80分程夏には山ヒル、更に熊も出ますし雨上がりでは滑落の危険もあります挑戦される方は充分ご注意くださいね
皆様こんにちは!にこぷらすのブログにご訪問ありがとうございます本日は左手がこんな風になっていませんか?ということで左手のNG特集です!これから紹介する形を見てあ・・・と思った方は早めに修正してくださいね!+++++++++++++++++++++++++++++++まずは、合っている時のフォーム+++++++++++++++++++++++++++++++手全体に余分な力がなく自然な感じで二胡を支持できます指はコの字の形になり弦には指の先端の爪に近い部分が触れて
皆様こんにちは!にこぷらすのブログにご訪問ありがとうございます本日はフォームシリーズで右手のフォームでございます弓の持ち方ということです運弓については別の機会にしたいと思いますはい、お約束のオリジナルテキスト抜粋です!弓を持つ時のイメージは完全に同じではありませんがお箸を持つ感じに近いですこう説明すると私、持ち方合ってないんですぅ~なんて言われて困ったわね・・・(-""-;)ひとまずこんな感じでやってみてください↓↓↓もう少し説明しますまずは手の各部の名
さて、楽しかった東北旅もいよいよ帰らないと行けません…(TωT)でも時間のある限り楽しみますよ❗️ということで着いたのは…何処か忘れた…とりあえずはお城です。出丸だったかな。お寺の敷地かも知れませんが、昔はお寺なども城を守るために兵を置く曲輪の役割もありました。この年は曼珠沙華もほとんど見ずに終わりました。コスモスもあまり見ていません。虎口ですか❗️枡形が分かりますね。しかし緑が美しいわ。先ほどの場所ですが、こう見ると食い違い虎口の枡形のように見えます。そうそう、此処は
マオーンの趣味は星座から漢字の象形文字を完成させることですシシガシラ獅子頭の象形文字が完成さらにここう虎口の象形文字も完成しましたかなり精度が高く完成しました虎口からはなにが呑み込まれたのか興味津々です獅子座の真向かいにはどんな星座が?!エジプトの大スフィンクスは真東を向いています真東には日本列島があります解けない謎はまだまだいっぱいあります獅子頭の象形文字完成ここからまだまだ
昨日2月24日は、飯盛城に行きました🏯飯盛山山頂に立つ銅像はやっぱり楠木正行なんで三好長慶じゃないん千畳郭飯盛城最大の郭になります今までお城らしい所が無かったのですが、いよいよ飯盛城虎口左右に石垣がありますちょっとショボいッスネ(^_^;)この時代の城で石垣があるのは珍しいそうですbyXperia1Ⅲ
皆様こんにちは!にこぷらすのブログにいつもご訪問くださっている皆様ありがとうございます初めての方はこれからもどうぞよろしくお願いいたします(^_^)みんな虎口のどのあたりで琴棹を支えているのかな?なんて気になったことはありませんか?というわけで本日は虎口について書きたいと思います虎口は親指から人差し指までのL字の部分です↓↓↓このあたり虎口は一般的に中国語風に「フーコウ」と読んでいます他の読み方をする先生もいらっしゃいますでは虎口が二胡の琴棹に触れている
昨晩、前々から靴や冬物衣料品の調達に行こうと思っていた「三田プレミアムアウトレット」へ翌日(2/8)に行こうと思い立ち、折角三田まで行くなら近辺の山城に立ち寄ろうと思い、ネットで行き先の山城を色々と検索した結果「淡河(おうご)城」(兵庫県神戸市北区淡河)に決め、縄張図をネットで抽出し予習をしました。家を9時に出て、「中国道」を西宮北インターまで乗り、そこから一般道を走りました。地図では「淡河道の駅」近辺となっていましたのでその駐車場に止めると、真ん前の段丘上に「淡河城址」と大きな看板が見え
12月中旬、Googleマップに導かれ、嵐山駅より徒歩50分、小倉城跡への入口に到着。道中、既に山道なので、距離は大したことないのに、結構時間がかかります。埼玉県の秩父の山中でもないのに、やっぱりお前はいるのか・・・枡形虎口は発掘中につき立入禁止本郭の北側の虎口虎口周辺の石垣跡、小倉城跡は良い感じで遺構が残っています。小倉城跡は無人ですが、丁寧な説明がありがたい。眺望も悪くないです。「全国的にも他に類を見ない珍しい石垣のある山城」とパンフレットにありますが、確かに!能登の
【以下ニュースソース引用】信長に先立つ石垣!中世近江の激動を伝える、六角氏の巨大山城観音寺城ARTS&CULTURE2024.01.15観音寺城の伝平井丸の虎口=滋賀県近江八幡市萩原さちこ城郭ライター小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす…観音寺城(かんのんじじょう、滋賀県近江八幡市)は、城ファンならば「一度は訪れてみたい」「また登りたい」と憧れを抱く城ではないだろうか。近江守護の佐々木六角氏が居城と
北城は城の北端にあり、南は搦手口の十二曲口に面していて、中城とともにその抑えの役割を担っていた。虎口は南東に1か所。もともとは展望が開けていたのだろうが、ここも植林に閉ざされている。東側には階段状に帯曲輪があり、その統括の役割も担った。西側から北辺にかけて土塁がある。侍屋敷の表示の場所から右上に北城がある。この近くに主郭の搦手門である桜門があったらしい。十二曲口を下ってすぐ水源らしい場所があった。湧き水のような感じもするが、古図では井戸になっている。そこからほぼ直線の沢になっている。
昨日訪れた薩摩川内市入来町の山城跡箕冠(みかぶり)城跡所在地薩摩川内市入来町浦之名字黒武者立地丘陵現況山林規模200×400複残存度良存続期間鎌倉末期〜戦国末期築城者渋谷氏在城者入来院氏、渋谷氏登城口は神社の境内にありました竹林の朽ちた竹を潜ったり踏み越え崖をよじ登って進んだ先には尾根切岸その先にも尾根尾根伝いに進んだ先に広がる曲輪虎口土塁所要時間1時間8分楽しめました
新年1城目は千葉県君津市の秋元城。ロープを掴みながら登る場所もあり、足元も枯葉で滑るので、ちゃんとした靴でないと登るのが大変です里見義豊の命で属将の秋元義正が永正五(1508)年に現在の地に築城したといわれています。堀切(切通し虎口)堀切曲輪千畳(曲輪)土橋?祠そんなに高い山にあるわけでもないので、眺めは今一つです次は近くにある千本城を目指します。