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同じ摂津国の難読地名やさしい編「吹田市」に、遺構は残らず、場所も定かではない山田城跡てありますが、同じ摂津でも毎度お馴染みの大阪府のいちばん上、いわゆる北摂(ほくせつ)の城跡です。ちなみに吹田市も北摂になります。そしてわしは自称・北摂守である大阪府豊能郡能勢山田摂津・山田城(やまだじょう)別名能勢山田城、亀ノ屋城山田城は、治安2年(1022)多田満政の五男である山田忠国(清和源氏経基流、源忠国)と、兄忠重が在城してたと記録があり、その時期に築城されたと推測される。山田氏代々の
おまんたせしました。三河・大給城後編。最終回になります。現地縄張図から。Ⅱの郭(2)、水の手曲輪(D、E)を制覇したので、これより主郭(1)、館跡(3)へ進撃します。水の手曲輪と主郭の分岐を主郭へ。主郭への坂道。坂道正面に石積みがあり、左折れの虎口ですね。坂道からの正面には虎口を形成する石積み。左折れの枡形虎口。ご覧の通り平べったい石材です。虎口から下の腰曲輪から見えた高石垣見えた高石垣は主郭北面の隅部で、虎口の横矢効果を狙