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同じ摂津国の難読地名やさしい編「吹田市」に、遺構は残らず、場所も定かではない山田城跡てありますが、同じ摂津でも毎度お馴染みの大阪府のいちばん上、いわゆる北摂(ほくせつ)の城跡です。ちなみに吹田市も北摂になります。そしてわしは自称・北摂守である大阪府豊能郡能勢山田摂津・山田城(やまだじょう)別名能勢山田城、亀ノ屋城山田城は、治安2年(1022)多田満政の五男である山田忠国(清和源氏経基流、源忠国)と、兄忠重が在城してたと記録があり、その時期に築城されたと推測される。山田氏代々の
大善城(岡山市北区長野・福谷・大窪)『備陽国誌』にみえる大窪村の「大膳城」に比定される。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)北西六郭緩傾斜の北七郭北堀切下がって北西五郭北西四郭北西三郭緩傾斜の北西二郭主郭主郭の北西土塁主郭の北東土塁主郭の南土塁主郭の南東虎口緩傾斜の南東二郭緩傾斜の南西二郭主郭南西帯曲輪大善城遠望軌跡ログ岡山市北区の城
宮内城(赤磐市仁堀西)近世地誌類では、城主を羽床大和守貞久とし、尼子氏の家臣であると記載する。しかし畑和良は、この羽床氏について、当初から尼子氏の家臣ではなく、大永年間(1521~1528)頃には浦上兼泰のもとで赤坂郡山手村の代官を務めており、浦上氏靡下の国衆であったと推測している。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)曲輪群Ⅱ主郭曲輪群Ⅱ南三郭曲輪群Ⅱ南三郭南東腰曲輪曲輪群Ⅱ南三郭東帯曲輪曲輪群Ⅱ南二郭西上段曲輪群Ⅱ南二郭の南虎口曲輪群Ⅱ南二郭東下段主郭南帯曲
画像はお借りしましたありがとうございました獅子舞の七不思議にチャレンジ獅子舞どうしてナゼアタマを噛むのか獅子舞ししまいはししが舞うのかアレアレアレシシガシラは漢字で獅子頭だと思ってたらアレなんだコレは虎口ここうアレ獅子頭を見ていたらこんなものが出てきましたアレ不思議さらにますます不思議です獅子座からシシガシラの象形文字を見事に復元成功ししかしらには虎口が有りましたよししまいはじつはシシガシラのことで獅子座全体がししかしらだっ
長野城(岡山市北区長野)別名:永野城畑和良によると、当城跡に関する文献・伝承は限られる。『備前記』に「村北二長野古城山アリ、城主今田右衛門尉ト云フ」とあるのみとのことである。関連する可能性がある一次史料は1点のみで、年欠三月十三日付け宇喜多直家感状写には3月12日に「永野城山下」に「敵」が襲来した折り、防衛に尽力した橋本四郎太郎の功績を称えて恩賞を約したものがあるという。花押の特徴から天正8~9(1580~1581)年の史料と評価されている。なお、所在地の字名は城山である。(※岡山県中世城