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昨晩、前々から靴や冬物衣料品の調達に行こうと思っていた「三田プレミアムアウトレット」へ翌日(2/8)に行こうと思い立ち、折角三田まで行くなら近辺の山城に立ち寄ろうと思い、ネットで行き先の山城を色々と検索した結果「淡河(おうご)城」(兵庫県神戸市北区淡河)に決め、縄張図をネットで抽出し予習をしました。家を9時に出て、「中国道」を西宮北インターまで乗り、そこから一般道を走りました。地図では「淡河道の駅」近辺となっていましたのでその駐車場に止めると、真ん前の段丘上に「淡河城址」と大きな看板が見え
いいものは何度見てもいい。国宝の天守を撮り撮りして、しばらく本丸のベンチでボ~と眺めてましたいつもボ~としてるけど出雲・松江城最終回です。本丸を後にして北方向に行きます。本丸を北ノ門から退出し馬荒池は横目で見て、北之丸を通り稲荷橋から内堀の外へ出で、ぐる~と廻って脇虎ノ口門(右側)から二之丸下の段(外曲輪)へ戻ります。北ノ門から本丸を後にします。今は冠木門が建てられてますが、石垣とデカい礎石があるとこからして往時は搦手門としてそこそこ厳重な門があったと思う。北ノ
この記事は2013年に書いた記事です。2022年に書き改めた記事を貼ります。中村城本編3:南・東先方の防御施設|えいきの修学旅行(令和編)(ameblo.jp)中村城本編2:北西先方の防御施設|えいきの修学旅行(令和編)(ameblo.jp)中村城本編1:城中枢|えいきの修学旅行(令和編)(ameblo.jp)中村城前振り(富山県氷見市)|えいきの修学旅行(令和編)(ameblo.jp)中村山城中村山城は、栖吉長尾を中核とする謙信の北陸方面軍が
今回の但馬遠征の一番の目的。出石城の背後にある有子山城(ありこやまじょう)攻め入ります。有子山城は豊岡市出石町にある出石城の裏山(南側)にある比高310mほどの山城です。出石の町から見た有子山。頂上に僅かながら石垣と休憩所が見える。下は出石城の西隅櫓。有子山城は永禄12年(1569)但馬山名氏の山名祐豊がそれまで居城であった此隅山城が織田軍の但馬侵攻で羽柴秀吉の攻撃により落城し、天正2年(1574)新たに有子山城を築城した。落城した此隅山が「子盗み」を連想させること
先日(3/5)に城友と一緒に「飯盛城」と「雨山・土丸城」に登城してきました。いずれも、大阪府内にある国史跡に指定されているお城です。「飯盛城(後篇)」(大阪府大東市)の続きをお届けします。このマップの左から郭を攻めましたこの案内図の上から各郭を攻めました深い「堀切」から「御体塚郭(Ⅴ郭)」へ上りきると、真ん中には大きな盛り土があります。この場所に「三好長慶」が亡くなった後埋められたという伝説があります。「御体塚郭(Ⅴ郭)」内の盛り土(碑は、どなたかの登山300回記念らし
先日の足つぼマッサージが好評だったので、今日は手のツボです。手のツボ押しは、いつでもどこでも、会議中でも、電車の中でも手持ちブタさんのときに気軽にできるメリットがあります。ではさっそく始めましょう。小指爪の両下角に「少沢」「少衝」というツボがあります。肩こり・首こり、目や耳の不調がスッキリします。爪を両側からつまむようにギューっと押しつぶします。そして、指のサイドをぐりぐりとひねりもむ感じで指の付け根までいきます。指の付け根に、水かき
所在地〒594-0081大阪府和泉市葛の葉町1(信太森神社)特徴和泉国北部にあった中世の平城で、神社境内の北東に土塁と虎口が現存している。感想周辺は住宅地だが、境内は元の地形が色濃く残っている。
4/17(月)に、我が家から手頃な場所である「北摂」(大阪府の北の方)の4つの「山城」巡りをマイカーで行きました。2城目の「丸山城(地黄古城)」から「清普寺」「地黄陣屋」を経て、「栗栖」のファミマに着いたのが13時過ぎでしたので、菓子パンを買って車内で昼食にしました。隣接した「コメリ」の広い駐車場に車を置かしていただき、3城目の「吉村城」(大阪府豊能郡能勢町)を目指しました。スマホのナビを頼りに「吉村城」がある山まで辿り着きました。「吉村城」がある山城主は、「吉村盛
今回は、茨城県鹿嶋市の城跡です。この城跡には、二度訪れています。一度目は電車で、駅から45分くらい歩いた記憶です。二度目は車で。最近駐車場が整備された、と聞いたような気がしますが、定かではありません。自分は、空きスペースに停めさせていただきました。入り口です。少し進むと、新しい案内看板があります。虎口でしょうか。虎口です。同じ虎口を反対側から見たところ。浅くなっているけど、空堀か。本末周辺は、きれいに整備されているのですが、少し改変されているのか、
4/1(金)の午前中に「伊賀上野城」(三重県伊賀市)へ登城した後は「伊賀鉄道」「近鉄大阪線」で「榛原駅」まで乗車し、そこから「奈良交通」のバスで「大宇陀」まで20分程揺られた後に徒歩で「宇陀(うだ)松山城」(奈良県宇陀市)に登城しました。私は、約20年前に訪城して以来でしたので、殆ど記憶にありませんでした。バスの終点「大宇陀」にある「観光協会」で「観光イラストマップ」と「絵図から見る宇陀松山」等のパンフをいただきました。特に後者は、帰宅してからジックリと見ると、お城の歴史、お城と城下