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全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)329〜330頁仏子よ、菩薩大士に十種の入がある。十種とは何であるか?一に願に入ること。二に行に入ること。三に衆に入ること。四に波羅蜜に入ること。五に具足に入ること。六に分別の願に入ること。七に性に入ること。八に荘厳の国土に入ること。九に神力自在に入ること。十に出生の示現に入ることである。仏子よ、これが菩薩大士の十種の入であって、これを以ってあまねく三世一切の菩薩に入る。(旧字体、旧仮名遣いは改めました)
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)328頁仏子よ、菩薩大士に十種の戒がある。十種とは何であるか?一に菩提心を壊(やぶ)らない戒である。二に声聞・縁覚の境界をはなれる戒である。三に一切衆生を観察し利益する戒である。四に一切衆生をして仏法に住せしむる戒である。五に一切の菩薩の戒をまなぶ戒である。六に一切の所有をはなれる戒である。七に一切の善根を菩提に回向(えこう)する戒である。八にあらゆる如来の身に執著しない戒である。九に一切の法を思惟して取著を離れる戒
華厳経「インドラの天(帝釈天)に瓔珞の網細工があり、その見事さは、瓔珞の一つの珠を見ると、そこに他のすべての珠が映っているほどである。これと同じように、この世界にある事物の一つ一つは、単にそれ自身であるのみならず、他の全てを巻き込んでおり、実際それ自身は、他のすべてのものなのである。」釈迦が、瞑想中に直観で得た5次元の姿。全体の中に個があり、個の中に全体がある。帝釈天が宇宙に張り巡らしている網は、現在のインターネット。
華厳経(GaṇḍavyūhaSūtra)はインドでいくつかの時代を経て作られた複数の仏教経典がまとまって一つの経典になったものである。2〜3世紀頃に成立したという。法華経や涅槃経と並んで、大乗仏典を代表する経典である。華厳経の内容は仏陀の悟り(大覚)の境地を表現したものであるとされ、仏教学者の鈴木大拙は「大乗思想の最高頂に達したもの」と評している。また、その表現の絢爛さ、壮大さから文学的にも高く評価されており、川端康成が「世界最高の文学」と述べているほどである。日本に仏教が伝わった奈良時代
全訳大方広仏華厳経巻上目次緒言····························································一凡例····························································一解題華厳経の主題·············································一華厳経の内容·······································
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)315頁離世間品(一)そのとき世尊は、摩訶提国の寂滅道場の普光法堂におわして、蓮華蔵のたからの獅子座に坐(ざ)し、等正覚を成就したまい、不二の念、無相の念を念じ、ほとけの所住に住して、あらゆる仏と等しく、無礙の地にいたり、不退の法をえ、無礙の境界をもって不思議に住し、三世を遠離し、一切の世界にあまねくその身を現じ、一切の法を知り、一切の妙行を欠けめなく成就し、とこしなえに疑惑をのぞき、無虚妄の身をもって、能くあらゆる菩薩に無量の智慧を
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)329頁仏子よ、菩薩大士に十種の受記の法があってみずから受記を知る。十種とは何であるか?一に一向に菩提心をおこしてみずから受記を知る。二に永(とこし)えに菩薩の行を厭捨しないでみずから受記を知る。三に一切の劫にもろもろの苦行をおさめてみずから受記を知る。四に一切の仏法を修めてみずから受記を知る。五にあらゆる仏のおしえを一向に信順してみずから受記を知る。六にあらゆる善根を欠けめなく修習してみずから受記を知る。七に一切衆生を菩
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)120〜121頁仏子よ、諸仏世尊に十種の大力那羅延幢(だいりきならえんどう)仏の住したもうところの法がある。十種とは何であるか?一切の仏身は至世界の災厄にも壊(やぶ)られない。諸仏のいのちは世のもろもろの毒にも害(いた)められない。一切世界の火劫のおこるときにも焼かれない。水劫のおこるときにも溺らされない。風劫のおこるときにも吹き飛ばされない。あらゆる魔軍・天·龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・羅刹・毗舎遮・人・非
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)118〜119頁仏子よ、あらゆる諸仏にことごとく知って余すところのない十種の法がある。十種とは何であるか?一にあらゆる諸仏は過去のあらゆる法界を知ってことごとく余すところがない。二にあらゆる諸仏は未来のあらゆる法界を知り、現在のあらゆる法界を知ってことごとく余すところがない。三にあらゆる諸仏はあらゆる言語の道を知ってことごとく余すところがない。四にあらゆる諸仏はあらゆる世間の成・壊の相を知ってことごとく余すところがない。五に
全譯『大方廣佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)序37〜39頁第五幕は兜率天宮会である。功徳林菩薩の十無尽蔵の講説をもって第四幕が閉じられると、仏陀は神力のゆえに地上の菩提樹下の宝座、忉利天の妙勝殿の宝座、及び夜摩天の宝荘厳殿の宝座を離れないで、而もさらにより高い兜率天にお昇りになる。兜率天は欲界六天の第四にあたり、夜摩天の上方十六万由旬、地上の大海を去ること三十二万由旬の虚空密雲のうえに処在すると伝えられる。兜率天王は仏陀の昇天を拝して殿上に如意宝蔵の獅子座を設けて勧請し、過去の
全譯『大方廣佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)序45〜47頁華厳経の伝承伝うる所によると、釈尊は大覚成就の当初において、一切万霊のために新たに発明した自証の境界を披瀝して聞かせたのが、現在伝わっている華厳経であり、それゆえに華厳経は仏陀最初の説法と云うことになっている。然しながら仏陀を囲繞した地上現実の人々は、余りにも深遠雄大なその教説を領納することが出来ず、反って手近な小乗の教法にのみ親しんで、進んで大乗を修学しようとする者がなかったので、華厳経は他のもろもろの大乗経典ととも
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)110〜111頁あらゆる諸仏は不退の法輪を転じたもう、もろもろの菩薩をして退転せざらしめんがために。無量の法輪を転じたもう、一切世間をことごとく了知せしめんがために。一切を覚悟する法輪を転じたもう、無畏の大獅子吼であるから。一切法の智慧蔵の法輪を転じたもう、明浄の法門を開示して愚痴の闇を除滅するから。無著の法輪を転じたもう、智慧は虚空に等しいから。無礙の法輪を転じたもう、一切法は有でもなく無でもないと観ずるから。一切世間のと
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)114〜115頁あらゆる諸仏はすなわち無尽の功徳の蔵におわし、よく衆生をして深信のこころを発して清浄を具足せしめ、その応ずる所にしたがって能(よ)くことごとく化度し、諸根具足して衆生を調伏し、皆ことごとく歓喜せしめ、一切衆生を教化するに真実の道をもってし、一切もろもろの菩薩のむれを悟らしめ、未だ道を求むる心をおこさないものに皆発心せしめ、すでに発心した者に智慧をそなえて他に由(よ)って悟らざらしめたもう。あるいは涅槃を現じて仏事をなし
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)117〜118頁仏子よ、あらゆる諸仏に十種の法王の無異の法がある。十種とは何であるか?一にあらゆる諸仏は記をさずけたもう言葉を等しくする。二にあらゆる諸仏は等しく念仏を修むる衆生をして意を満たさしめる。三にあらゆる諸仏はみな身を等しくし、等しく諸法の義をさとってことごとく異なることがない。四にあらゆる諸仏は三世の如来の智慧において異なることがない。五にあらゆる諸仏は念々にあまねく三世の諸法を知ってことごとく異なることがない。
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)119〜120頁仏子よ、あらゆる諸仏に十種の最勝のちからがある。十種とは何であるか?一に広大のちから、二に無量のちから、三に大功徳のちから、四に尊重のちから五に不退転のちから、六に堅固のちから、七に壊(やぶ)るべからざるちから、八に一切世間の思い議ることの出来ないちから、九に一切衆生の壊ることの出来ないちから、十に広大のちからである。(旧字体、旧仮名遣いは改めました)
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)111〜113頁あらゆる諸仏は村落・都市・あるいは王都に入ってよく衆生のために仏事を施作(せさ)したもう。あるいは人王の都城に入り、あるいは天王・龍王・夜叉・乾闥婆・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・羅刹・毗舎遮王(びしゃしゃおう)等――かような一切諸王の都城に入って、よく衆生のために仏事を作(な)したもう。ほとけが城門に入りたもうとき、一切の大地は六種に震動し、光明あまねく照りわたり、盲者は視ることをえ、聾者は聴くことをえ、狂者は正念
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)113〜114頁あらゆる諸仏はあるいは僧房・あるいは寂静のところ・あるいは離欲のところに住して仏事をなし、あるいは仏の住するところに住して仏事をなし、あるいは大三昧に住して仏事をなし、あるいは独処に住して仏事をなし、あるいは身をかくして仏事をなし、あるいは深智に住して仏事をなし、あるいは称量しがたい諸仏の境界に住して仏事をなし、あるいは応ずる所にしたがって仏事を作(な)したもう。あるいはまた天身の境界をもって仏事をなし
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)115〜117頁一切諸仏の涅槃に入りたもうとき、あらゆる衆生は歎き悲しみ傷み泣き「ああ痛ましいことである。仏世尊はつねに大悲をもって等しく衆生を念じ、大導師となってあらゆる衆生をあわれみ、利益し、世をすくい、天と人との帰するところ、げに仏世尊に値いまつることは難い。しかるにいま無上の福田はとこしなえに入滅したもうたのである」という。諸仏はすなわちこれらの衆生の憂いかなしんで諸仏を哀慕しまつることをもって仏事をなしたまい、その応ずるところ
全訳「譯大方廣佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)序1〜3頁解題華厳経の主題一部六十巻(或いは八十巻)の尨然(ぼうぜん)たる華厳経はいかなる主題のもとに何(ど)ういうことを説き現わした経典であろうか。この課題にたいして古今の華厳経研究者はそれぞれの立場からさまざまの見解を述べている。が、要するに華経経は菩提樹下の仏陀の正覚を主題とし、その正覚内容の光景を如実に表現したものに外ならぬと云うことに帰結する。この帰結には十分の妥当性がある。今後いかなる研究者が現われても、
「千枚地蔵流し」香川県弘法大師御出生地四国根本之御寺屏風浦海岸寺「千枚地蔵のいわれ」千枚地蔵は千枚通しと同じく大師が一筆を持って千枚に通された地蔵尊で三界六道の隅々までも身を千々にわかちて迷えるものを救い給う地蔵尊の誓願力と大師の念力によりて、この世に未だ妄念をかける亡者、あるいは成仏を意識せざる幽魂、ことに変死したる迷者の廻向にすぐれ、なきがらの行方不明なるとき現場と思われる辺りにてこれを供養するに日ならずして発見せらるるなど霊験多し少し前、ある方のブログを読ませていただいては
写真家野村哲也さん。果たして、どのくらいの方が彼の存在をご存知でしょうか。写真家故・星野道夫氏に師事を仰ぎ、アラスカ、アンデス、南極、南米など、世界中の美しい大自然を、そのままの姿で写真に収めてきた野村哲也さん。動物、植物、ひいては土偶😲とまで話ができるという、不思議な能力をも持ち合わせている写真家さんです。実は、彼の撮った大自然の写真は、たくさんの日本人の目に触れてきました。2022年現在、実に25枚の写真が、学校の教科書に採用されているそうです。一年のほとんど
寿命が来る前に一度読んでみたいな〜と思いつつもなかなか勇気が出ないのが「華厳経」華厳経は現代語で読めるものは「口語全訳華厳経」のみで確か漢訳を日本語に訳したので孫訳みたいな感じと言ったらよいのかな。それにしてもものすごい厚み•••紙の本は高額ですが、今はKindle版で小分けに読めるようになっています。口語全訳華厳経全2巻/帯付き徒然草全講義―仏教者の視点から/裸本江部鴨村講話集江部鴨村Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}サンスク
『華厳経』の中に占相を離れ、正見を習行し深く罪福の因縁を信ずべしという一節があります占いから離れて物事を正しく見る力を養い善いことも悪いことも原因(因)があり結果(果)があるという因果の道理を信じなさい占いを信じて、占いに惑わされ人生を左右されるのは愚の骨頂です占いは一つの参考として受け取り基本は本人の意思と努力を優先させるべきです。例えば受験生が占いに従って勉強部屋の配置や日当たりなどをきっちり整えたところで勉強をしていなければ合格しません