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全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)336〜337頁仏子よ、菩薩大士に十種の普賢の行法がある。十種とは何(な)んであるか?一には未来の劫を尽して菩薩の行を行ぜんと願ずる普賢の行法である。二には未来のあらゆる仏を恭敬し供養せんと願ずる普賢の行法である。三には一切衆生を普賢菩薩の願行に安立せしめんと願ずる普賢の行法である。四にはあらゆる善根を積集せんと願ずる普賢の行法である。五には一切の波羅蜜に入らんと願ずる普賢の行法である。六にはあらゆる菩隆の願行を満足せんと
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)335〜336頁仏子よ、菩薩大士は十種の普賢の心をおこす。十種とは何んであるか?一には大慈心をおこす。この心ゆえに一切衆生を救護する。二には大悲心をおこす。この心ゆえに一切衆生に代ってあらゆる苦毒を受ける。三には一切の施しを首とする心をおこす。この心ゆえに一切もろもろの所有をことごとく捨てる。四には一切智を正念するを首とする心をおこす。この心ゆえに一切の仏法をねがい求める。五には功徳荘厳の心をおこす。この心ゆえにあらゆる菩薩
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)335頁仏子よ、菩薩大士は分別して十種の仏を説くことを知る。十種とは何んであるか?一には正覚仏である。二には願仏である。三には業報仏である。四には住持仏である。五には化仏である。六には法界仏である。七には心仏である。八には三昧仏である。九には性仏である。十には如意仏である。仏子よ、これが菩薩大士の分別して説く十種の仏である。(旧字体、旧仮名遣いは改めました)
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)334〜335頁仏子よ、菩薩大士に十種の陀羅尼がある。十種とは何(な)んであるか?一には聞持陀羅尼、この陀羅尼のゆえに一切の法を記憶して忘れない。二には持正法陀羅尼、この陀羅尼のゆえに一切法を実のごとく巧みに分別する。三には不生一切法陀灘尼、この陀羅尼のゆえに一切法の無自性なるを覚る。四には法明陀羅尼、この陀羅尼のゆえにあまねく諸仏の不可思議なる法を照す。五には三昧陀羅尼、この陀羅尼のゆえに現在のあらゆる仏のみもとに於(お)
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)334頁仏子よ、菩薩大士に十種の壊るべからざる智慧がある。十種とは何んであるか?一には衆生を知る不可壊の智慧である。二には諸根を知る不可壊の智慧である。三には受生を知る不可壊の智慧である。四には世界を知る不可壊の智慧である。五には法界を知る不可壊の智慧である。六には仏を知る不可壊の智慧である。七には法を知る不可壊の智慧である。八には僧を知る不可壊の智慧である。九には三世を知る不可壊の智慧である。十にはあらゆる語言を知
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)333〜334頁仏子よ、菩薩大士に憂悩を離れて心に疲厭を生じないための十種の方法がある。一にはあらゆる仏を供養し、憂悩をはなれて心に疲厭を生じない。二にはあらゆる善知識に親近し、憂悩をはなれて心に疲厭を生じない。三には専らあらゆる法を求め、憂悩をはなれて心に疲厭を生じない。四にはつねに正法を聞き、憂悩をはなれて心に疲厭を生じない。五にはつねに正法を説き、憂悩をはなれて心に疲厭を生じない。六には一切衆生を教化し訓練し、憂悩をは
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)332〜333頁仏子よ、菩薩大士に三世間に入る十種の方法がある。十種とは何んであるか?一にはもろもろの安立に入り、二にはもろもろの語言に入り、三にはもろもろの談議に入り、四にはもろもろの軌則に入り、五にはもろもろの名称に入り、六にはもろもろの制令に入り、七にはその仮名に入り、八にはその無尽に入り、九にはその寂滅に入り、十には一切の空なるに入る。仏子よ、これが菩薩大士の三世間に入る十種の方法である。この十種の方法に因
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)332頁離世間品(二)仏子よ、菩薩大士に十種の三世の説き方がある。十種とは何んであるか?一には過去世に過去世を説き、二には過去世に未来世を説き、三には過去世に現在世を説き、四には未来世に過去世を説き、五には未来世に現在世を説き、六には未来世に無尽を説き、七には現在世に未来世を説き、八には現在世に過去世を説き、九には現在世に平等を説き、十には現在世に三世即一念なるを説く。仏子よ、これが菩薩大士の三世を説くの十種であ
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)331頁仏子よ、菩薩大士に劫に入るの十種ある。十種とは何であるか?一に過去の劫に入る。二に未来の劫に入る。三に現在の劫に入る。四に可数の劫に入る。五に不可数の劫に入る。六に可数の劫はすなわち不可数の劫であるに入る。七に不可数の劫はすなわち可数の劫であるに入る。八に一切の劫はすなわち非劫であるに入る。九に非劫はすなわち一切の劫であるに入る。十に一切の劫はすなわち一念であるに入る。仏子よ、これが菩薩大士の劫に入るの十
幼少期、ワシに運ばれ奈良へ世界遺産・東大寺(奈良市)の創建に尽くし、初代別当(住職)となった良弁(ろうべん)僧正(689~773年)をしのぶ没後、1250年の御遠忌法要が令和5年に同寺で営まれた。良弁は幼い頃にワシにさらわれて大和にやってきたという伝説が残り、文学や歌舞伎の題材になった。時代を超えて親しまれる高僧ながら、その実像は謎に包まれている。東大寺建立に尽力、2023年は没後1250年がっしりとした体格に意志が強そうな顔。良弁僧正坐像<国宝、平安時代>は、東
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)331頁仏子よ、菩薩大士に世間に入るの十種がある。十種とは何であるか?一に不浄の世界に入る。二に清浄の世界に入る。三に小世界に入る。四に中世界に入る。五に微塵の世界に入る。六に微細の世界に入る。七に俯(うつむ)いた世界に入る。八に仰(あほむ)いた世界に入る。九に有仏の世界に入る。十に無仏の世界に入る。仏子よ、これが菩薩大士の世界に入るの十種である。菩薩はこれを以ってあまねく一切の世界に入る。(旧字体、旧仮名遣い
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)330〜331頁仏子よ、菩薩大士に衆生の心行に入るの十種がある。十種とは何であるか?一に過去の一切衆生の心行に入る。二に未来の一切衆生の心行に入る。三に現在の一切衆生の心行に入る。四に一切衆生のもろもろの善行に入る。五に一切衆生の不善行に入る。六に一切衆生の心および心のはたらきに入る。七に一切衆生の諸根の行に入る。八に一切衆生の種性の行に入る。九に一切衆生の煩悩妄念もおよび習気の行に入る。十に一切衆生の時および非時
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)330頁仏子よ、菩薩大士にふかく如来に入るの十種がある。十種とは何であるか?一に深く無量無辺の諸仏の菩提に入る。二にふかく無量無辺の浄らかな説法に入る。三にふかく無量無辺のもろもろの方便の法に入る。四にふかく無量無辺の微妙な音声に入る。五にふかく無量無辺の衆生の訓練に入る。六にふかく無量無辺の神力自在に入る。七にふかく無量無辺の種々の異身に入る。八にふかく無量無辺の三昧に入る。九にふかく無量無辺の無畏に入る。十にふ
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)329〜330頁仏子よ、菩薩大士に十種の入がある。十種とは何であるか?一に願に入ること。二に行に入ること。三に衆に入ること。四に波羅蜜に入ること。五に具足に入ること。六に分別の願に入ること。七に性に入ること。八に荘厳の国土に入ること。九に神力自在に入ること。十に出生の示現に入ることである。仏子よ、これが菩薩大士の十種の入であって、これを以ってあまねく三世一切の菩薩に入る。(旧字体、旧仮名遣いは改めました)
寿命が来る前に一度読んでみたいな〜と思いつつもなかなか勇気が出ないのが「華厳経」華厳経は現代語で読めるものは「口語全訳華厳経」のみで確か漢訳を日本語に訳したので孫訳みたいな感じと言ったらよいのかな。それにしてもものすごい厚み•••紙の本は高額ですが、今はKindle版で小分けに読めるようになっています。口語全訳華厳経全2巻/帯付き徒然草全講義―仏教者の視点から/裸本江部鴨村講話集江部鴨村Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}サンスク
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)329頁仏子よ、菩薩大士に十種の受記の法があってみずから受記を知る。十種とは何であるか?一に一向に菩提心をおこしてみずから受記を知る。二に永(とこし)えに菩薩の行を厭捨しないでみずから受記を知る。三に一切の劫にもろもろの苦行をおさめてみずから受記を知る。四に一切の仏法を修めてみずから受記を知る。五にあらゆる仏のおしえを一向に信順してみずから受記を知る。六にあらゆる善根を欠けめなく修習してみずから受記を知る。七に一切衆生を菩
「千枚地蔵流し」香川県弘法大師御出生地四国根本之御寺屏風浦海岸寺「千枚地蔵のいわれ」千枚地蔵は千枚通しと同じく大師が一筆を持って千枚に通された地蔵尊で三界六道の隅々までも身を千々にわかちて迷えるものを救い給う地蔵尊の誓願力と大師の念力によりて、この世に未だ妄念をかける亡者、あるいは成仏を意識せざる幽魂、ことに変死したる迷者の廻向にすぐれ、なきがらの行方不明なるとき現場と思われる辺りにてこれを供養するに日ならずして発見せらるるなど霊験多し少し前、ある方のブログを読ませていただいては
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)328頁仏子よ、菩薩大士に十種の戒がある。十種とは何であるか?一に菩提心を壊(やぶ)らない戒である。二に声聞・縁覚の境界をはなれる戒である。三に一切衆生を観察し利益する戒である。四に一切衆生をして仏法に住せしむる戒である。五に一切の菩薩の戒をまなぶ戒である。六に一切の所有をはなれる戒である。七に一切の善根を菩提に回向(えこう)する戒である。八にあらゆる如来の身に執著しない戒である。九に一切の法を思惟して取著を離れる戒
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)327〜328頁仏子よ、菩薩大士に衆生を成就する十種の法がある。十種とは何であるか?一に施をもって衆生を成就する。二に形相の端厳をもって衆生を成就する。三に説法をもって衆生を成就する。四に同行をもって衆生を成就する。五に無染著をもって衆生を成就する。六に菩薩の行を讃(ほ)めて衆生を成就する。七に一切世界の悶熱を示現して衆生を成就する。八に如来の功徳を讃めて衆生を成就する。九に神力の自在を示現して衆生を成就する。十に
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)326〜327頁仏子よ、菩薩大士に十種の正しい希望がある。十種とは何であるか?一に自ら菩提心に住するとともに、衆生をして等しく菩提心に住せしむる正しい希望である。二にみずから争いを離れるとともに、衆生をして等しく争いを離れしむる正しい希望である。三にみずから愚痴を離れて仏法に安住するとともに、衆生をして等しく愚痴を離れて仏法に安住せしむる正しい希望である。四にみずから善根を修めてもっぱら正法を求むるとともに、衆生をして等しく善
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)325〜326頁仏子よ、菩薩大士に十種の勤修精進がある。十種とは何であるか?一に一切衆生を教化する勤修精進である。二に一切の法に入る勤修精進である。三に一切の世界をして清浄ならしむる勤修精進である。四に一切の菩薩の学ぶところを究竟する勤修精進である。五に一切の衆生をして一切の悪を滅せしむる勤修精進である。六に一切の地獄・餓鬼・畜生・閻羅王処の苦をのぞき去る勤修精進である。七に一切の魔をくだす勤修精進である。八に一切衆生
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)325頁仏子よ、菩薩大士に十種の善知識がある。十種とは何であるか?一によく菩提心に安住せしむる善知識である。二によく善根を修習せしむる善知識である。三によくもろもろの波羅蜜を究竟せしむる善知識である。四によく一切の法を分別し解説せしむる善知識である。五によく一切衆生を安住し成就せしむる善知識である。六によく弁才をそなえて問にしたがってよく答えしむる善知識である。七によく一切の生死に執着せしめない善知識である。八によく一
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)324〜325頁仏子よ、菩薩大士に十種の行がある。十種とは何であるか?一に一切衆生にもっぱら正法を求めしむる行である。二に善根を淳熟せしむる行である。三によく一切の戒律をまなぶ行である。四に一切の善根をやしない育てる行である。五に一心不乱に三昧をおさめる行である。六に一切を分別するもろもろの智慧の行である。七に一切の修むる所を修習する行である。八に一切の世界を荘厳する行である。九に善知識を尊重し供養する行である。十に
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)324頁仏子よ、菩薩大士に十種の奇特な想(おも)いがある。十種とは何であるか?一に一切の善根において自分の善根のおもいを生ずる。二に一切の善根において菩提の種子のおもいを生ずる。三に一切衆生において菩提の器(うつわ)のおもいを生ずる。四に一切の願において自分の願のおもいを生ずる。五に一切の法において生死を出づるおもいを生ずる。六に一切の行において自分の行のおもいを生ずる。七に一切の法において仏法のおもいを生ずる。八に一切
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)323〜324頁そのとき普賢菩薩が普慧等のもろもろの菩薩に告げらるるよう、『仏子よ、菩薩大士に十種の依果がある。十種とは何であるかというに、一に菩提心の依果である、究竟して忘失せないから。二に善知識の依果である、随順して和合するから。三に善根の依果である、もろもろの善根をやしない育てるから。四にもろもろの波羅蜜の依果である、究竟して修行するから。五に一切法の依果である、とこしなえに生死を離れるから。六に諸願の依果である、菩
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)321〜323頁観察とは何でしょうか?行きわたった観察とは何でしょうか?奮迅とは何でしょうか?獅子吼とは何でしょうか?浄(きよ)き施しとは何でしょうか?浄き戒律とは何でしょうか?浄き忍辱とは何でしょうか?浄き精進とは何でしょうか?浄き禅定とは何でしょうか?浄き智慧とは何でしょうか?浄慈とは何でしょうか?浄悲とは何でしょうか?浄喜とは何でしょうか?浄捨とは何でしょうか?義とは何でしょうか?法とは何でしょうか?
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)320〜321頁身の業とは何でしょうか?浄き身の業とは何でしょうか?口とは何でしょうか?浄き口の業をもってもろもろの守護をうるとは何でしょうか?口の業をもつて大事を成就するとは何でしょうか?心とは何でしょうか?発心とは何でしょうか?行きわたつた心とは何でしょうか?根とは何でしょうか?素直な心とは何でしょうか?深き心とは何でしょうか?方便とは何でしょうか?楽(この)んで修めるとは何でしょうか?解脱して深く世界に入
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)320頁たからの住とは何でしょうか?金剛の心をおこして大乗を荘厳するとは何でしょうか?大事をおこすとは何でしょうか?究竟の大事とは何でしょうか?不壊の信とは何でしょうか?受記とは何でしょうか?善根回向とは何でしょうか?智慧をえるとは何でしょうか?無量無辺の広いこころを発(おこ)すとは何でしょうか?蔵とは何でしょうか?調順とは何でしょうか?自在とは何でしょうか?衆生の自在とは何でしょうか?国土の自在とは何でしょう
お釈迦さまの誕生日です。古称は灌仏会ですね。生まれて1年くらいしないと―母子関係でこころの機微を学ぶ時間歩いたり話したりできないのが人間の特徴なので―普通は個体発生後すぐに歩き出す。それを超えているというイメージ=セルフ大昔のことでというよりはたとえ話なので伝説部分も多く古事記も神話がいつの間にか☯現実につながっている。―色即是空空即是色諸説ありますがおしゃか説はユニーク火が強すぎて鈍った金属はおしゃかになるしがつよかった⇒しがつようか⇒4月8日
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)319頁持つとは何でしょうか?大いなる正しい希望とは何でしょうか?ふかく仏法に入るとは何でしょうか?依止とは何でしょうか?無畏のこころとは何でしょうか?あらゆる疑惑をのぞいて無礙の心をおこすとは何でしょうか?不思議とは何でしょうか?たくみな方便の微密のこと葉とは何でしょうか?たくみな方便の分別智とは何でしょうか?三昧とは何でしょうか?一切のところとは何でしょうか?法門とは何でしょうか?通とは何でしょうか?明とは