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同窓会が開催された尼崎市には、戦国時代の武将荒木村重ゆかりの尼崎城があります。戦国末期、織田信長が天下統一を目指した頃、荒木村重は摂津を任され、伊丹の有岡城、尼崎城、神戸の花隈城を拠点にしました。◾️尼崎城織田信長に反旗をひるがえし、有岡城で籠城した荒木村重は妻子を残し尼崎城に入りました。妻子を見捨てた卑怯な逃亡と言われてますが、毛利からの兵糧拠点で嫡男が守る尼崎城救援に向かったという説を信じたい。有岡城と花隈城は石垣の一部を残すだけですが、江戸時代初期に幕府の命で築城された尼崎
いやびっくりしました(笑)そういうことをいう人がいらっしゃったと、ウチにいらしてくださる方からお聞きしました(笑)表千家都流の家元は荒木草榮とおっしゃいます。華道の古流草榮流の家元もなさっておられます。当代は茶道が四代、華道が三代です。先代が荒木宗仙、先々代は荒木玉仙。遠祖は荒木村重。茶名は道薫。家元家は傍系ですが、荒木村重の末裔です。私の道舜は都流遠祖・荒木道薫に肖(あやか)ったもので、弟子を持ち、責任教授としての自覚を示すものとして名乗りました。なんでも、昔
去る11月25日(土)、午前は当研究会の例会、午後には「荒木村重交流会」(定員30名・当日先着順、無料)が、伊丹市の有岡城跡向かいのアイホール(伊丹市立演劇ホール)の2階(カルチャールーム)で開催されました。例会の方では、当研究会の今後の行事予定の連絡などがありました。「荒木村重交流会」については、(有岡城跡のお膝元の)有岡小学校区まちづくり協議会主催で、募集人数が少人数ということもあり、当研究会のブログでは広報されませんでした。交流会は、当研究会会員の内の、(私を含めた)村重の子孫4名に
8月13日伊丹市アイホールで開催された「こども能発表会」は満席、盛況のうちに閉幕。こども達の頑張りに感動しました。そのあとはプロの能楽師による能の上演、新作「村重能」が発表されるなど熱い舞台となりました。始まりの挨拶で紹介しました、村重の一子孫の移動について、配布資料をアップしましたので、ご覧ください。また、ご質問や情報提供がありましたらご遠慮なくご連絡ください。有岡城の戦いは、荒木摂津守村重が織田信長に謀反し、1578年(天正6)7月から1579年(天正7)10月まで籠城して戦い、その
令和6年2月4日(日)有岡城跡にあるアイホール(伊丹市立演劇ホール)にて、天理大学教授の天野忠幸さんに「伊丹城?有岡城?あなたはどう呼ぶ?」をテーマにおはなしいただきました。参加者は87名。はじめに山梨県甲州市から駆けつけてくださった荒木村重子孫の荒木Mさんより、江戸時代初期に甲州市にあった徳美藩の藩主伊丹氏は伊丹城主伊丹氏の子孫だった、甲州市と伊丹市には深い縁がある、との挨拶をいただきました。その後天野先生が登壇され、天野セミナーが始まりました。最近、村重が注目され
北陸新幹線福井・敦賀開業記念「福井県立美術館名品展」「特集・源氏物語」福井県立美術館では3/16(土)〜4/14(日)まで岩佐又兵衛の作品が、3/16(土)〜3/29(金)までは5作品、3/30(土)~4/14(日)は3作品を追加した8作品が展示されるようです。北陸新幹線の福井から敦賀までの開業を記念し「福井県立美術館名品展」と「特集・源氏物語」が、福井県立美術館で開催されます。「特集・源氏物語」では、岩佐又兵衛勝以《和漢故事説話図浮舟》17世紀(江戸時代)など、
月桑茶道教室では、随時お弟子さんを募集しております。■月桑庵の特徴①点前偏重はしない月桑庵のモットーは「主客を大事にする」です。主客というのは「亭主=点前をする人」と「正客=連客の中で一番上座に座る人」のことです。点前偏重というのは、お茶を点てることばかり教えて、お客さんとしての振る舞いとか、道具の由来や掛軸の意味、お菓子の種類と食べ方などを教えないということです。慣れてくれば正客の稽古もできますし、さらには御詰め(末席のお客さん)の稽古もできます♪月桑
大河ドラマファンには魅力的な1冊NHK大河ドラマ・ガイド「光る君へ前編」(NHK出版)大河ドラマファンである私は、今年も、早速購入してみました。全ページ(218ページ)中、7割位カラーで、写真(白黒を含む)が豊富です。内容は、登場人物関係図主要人物2名(紫式部役の吉高由里子さん、藤原道長役の柄本佑さん)の対談出演者紹介&インタビュー「光る君ヘ」が描く平安貴族の世界紫式部&源氏物語入門紫式部ゆかりの地を歩く和歌の世界(本作品の作家)大石静さんへのインタビューあらすじ平