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米澤穂信さんの『黒牢城』のレビューになります。こちらは映画ではなく、原作のレビューになるのでご注意を!さっそくですが、あらすじ〜ネタバレ〜感想をどうぞ!◇あらすじ◇祝第166回直木賞受賞!本能寺の変より四年前、天正六年の冬。織田信長に叛旗を翻して有岡城に立て籠った荒木村重は、城内で起きる難事件に翻弄される。動揺する人心を落ち着かせるため、村重は、土牢の囚人にして織田方の智将・黒田官兵衛に謎を解くよう求めた。事件の裏には何が潜むのか。戦と推理の果てに村重は、官兵衛は何を企む。デビュ
2月3日火曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物武田佐吉(村上新悟)武田左吉(たけださきち)は、戦国時代の武士で、織田信長の近臣・代官を務めた人物。名は左橘とも。諱を信吉(誤伝か)とする史料もある。武田左吉は、信長の側近として活動した家臣で、高木左吉と並び両左吉と呼ばれた人物である。近臣として度々戦功を挙げたことが『武家事紀』等に記されている。『武家事紀』によれば、武田左吉は信長の近臣として活躍し、その子・坂井久蔵は六条合戦の後、信長が京都
兵庫県伊丹市。「伊丹」という名は、中世以来この地を治めてきた武士団・伊丹氏の名が、そのまま土地に刻み込まれたものです。今回は、伊丹という地名の由来、伊丹氏の歴史、そして城名改称の意味を一つの流れとしてたどります。地名「伊丹」の由来と伊丹氏「伊丹」という地名は、南北朝期にはすでに文献に見え、当時、領主であった伊丹氏の名と深く結びついています。(地名が先か一族名が先かについては諸説あります)。室町期以降、伊丹氏がこの地を本拠としていました。摂津国の有力国人として勢力を保ち、地域支配を長期にわ
駄六川(だろくがわ)駄六川は、兵庫県伊丹市を流れる川で、伊丹市北部の瑞ヶ池(ずがいけ)などを水源としています。川は南下し、最終的に猪名川に合流します。法定河川としての延長は約3.3kmです。Googlemap伊丹駅前地図掲示板歴史的に見ると、川の流域にはかつて北河原村や天津村などの農村があり、灌漑用水として利用されていました。また、猪名川との合流点付近は「川湊(かわみなと)」と呼ばれ、江戸時代には伊丹の酒を運ぶ水運の拠点でした。伊丹観光略図(抜粋)村重の時代の有岡城は、もっと広く
6月19日に公開される映画「黒牢城」や現在放送中のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、有岡城(伊丹城)の城主・荒木村重が登場します。伊丹市では「村重プロジェクト」と題し、下記の事業を実施します。伊丹ゆかりの武将・村重プロジェクト|伊丹市大河ドラマや映画に登場する荒木村重をテーマに、伊丹の街を盛り上げていきます!荒木村重ってどんな人?戦国時代の武将。天正2年(1574年)に伊丹城の城主の伊丹氏を追放し、「惣構(そうがまえ)」の有岡城へ大改造しました。天正6年(1578年)、それまで織田信長の主
🏯「寛文九年伊丹郷町絵図」この絵図は、江戸時代中期の寛文9年(1669年)に描かれた、伊丹郷町(現在の兵庫県伊丹市)の様子を示した地図(複製)です。伊丹は、戦国時代に武将荒木村重(あらきむらしげ)が拠点とした有岡城(ありおかじょう)があった場所です。しかし、村重は織田信長に反旗を翻し、最終的に城は攻め落とされて廃城(1580年)となりました。その後、伊丹は城下町としてではなく、「在郷町(ざいごうまち)」として発展していきました。つまり、武士の町ではなく、農村地域の中にできた商業と手工
大河ドラマ『豊臣兄弟!』で倉悠貴さんが演じる黒田官兵衛の若き頃の失敗を『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|全番組が無料放送』の内容メモ確かに理も大事だが、情が分からなかったので荒木村重を説き伏せられずに幽閉されてしまった若き黒田官兵衛の失敗(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)内容と感想今回は、信長に反旗を翻した荒木村重を単身で説得しにいくも捕らえられ、幽閉生活を送ることになった黒田官兵衛のその失敗の理由を探る回です。<黒田官兵衛
姫路フィルムコミッション支援作品、映画『黒牢城』のプロモーションがついにスタートしました!まず注目は、姫路市観光案内所(観光なびポート)。入口2箇所のドアが映画仕様にラッピングされ、訪れる人の目を引くインパクト抜群の仕上がりとなっています。さらに、姫路駅周辺の大型モニターでは、主演・荒木村重役を務める本木雅弘さんからのメッセージ付きプロモーション映像を放映中!現地で見ると迫力が
荒木村重による黒田官兵衛の幽閉について、実際にわかっていることは、次の点だけです。荒木村重により有岡城に約1年間幽閉されたこと、および救出後に足に障害が残っていたこと。これだけなので、幽閉場所の具体的な構造や環境、および脚が悪くなった原因を確定させる史料は存在しないのが実情です。幽閉されていた官兵衛は有岡城落城時に救出されましたが、以後この一連の出来事が物語(フィクション)によって度々描かれています。特に軍記物やドラマでは、幽閉場所は「土牢(つちろう)」という最も過酷な形で描かれます。
越前一向一揆の地圓宮寺(福井県越前市あおば町)龍門寺城跡(福井県越前市本町)金ケ崎城跡(福井県敦賀市金ケ崎町)荒木村重は、天正三(1575)年七月頃より「摂津守」となり、同年八月、織田信長の越前一向一揆攻めに参加しました。「信長公記」には以下のように書かれています。「1、大良越え(だいらごえ)(*1)・杉津(すいつ)(*2)の城。大塩(*3)の円強寺(えんこうじ)(*4)の勢力に加賀衆が加わって立て籠もっている。1、海岸(*5)に新城を造り、若林長門・甚七郎父子が大将とな