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利休は切腹していなかった細川忠興(三斎)が預かったという説があるのは、ちょっと知られた話なんだけどご存じかなこの話は、歴史ロマンとしては、とっても面白くて以前私のお茶の教室でも話題となったその根拠とするところは、これまで、利休の切腹の根拠とされていたのは、北野社家日記が、「宗易が売僧をして成敗されたことを聞いた」と記していることと、表千家4代が1653年に紀州徳川家に提出した「千利休由緒書」に「利休が大徳寺山門の上に自分の木像を置き、讒言す
今年気になるニュースは?米澤穂信氏原作の歴史・時代ミステリ小説である「黒牢城(KOKUROJO)」が、今年2026年に黒沢清監督・脚本の映画となって公開される…と言うニュース(…でもないか…)です。「黒牢城(こくろうじょう)」と言う小説は、戦国時代のエピソードとして大変有名な、主君織田信長に対して摂津の荒木村重が謀反したという出来事を題材にとっています。織田信長に叛逆した荒木村重は持ち城の有岡城(現在の伊丹城)に拠って戦うのですが、村重が籠城する有岡城を舞台として、冬春
兵庫県伊丹市。「伊丹」という名は、中世以来この地を治めてきた武士団・伊丹氏の名が、そのまま土地に刻み込まれたものです。今回は、伊丹という地名の由来、伊丹氏の歴史、そして城名改称の意味を一つの流れとしてたどります。地名「伊丹」の由来と伊丹氏「伊丹」という地名は、南北朝期にはすでに文献に見え、当時、領主であった伊丹氏の名と深く結びついています。(地名が先か一族名が先かについては諸説あります)。室町期以降、伊丹氏がこの地を本拠としていました。摂津国の有力国人として勢力を保ち、地域支配を長期にわ
どもデス最近よんだ読んだ本は米澤穂信さん「黒牢城」会社の偉いさんと飲み会で歴史話で盛り上がった後に貸して頂きました織田信長を裏切った荒木村重を説得にきた黒田官兵衛が牢獄されちゃった牢城した有岡城で起きる事件の謎解きを村重が牢屋の官兵衛に話に行くって感じのストーリーなんだけど、牢獄されたのに謎解きに協力するのは何故か?黒田官兵衛恐るべし!面白かった映画化されるよ~村重は本木雅弘、官兵衛は菅田将暉こりゃ楽しみじゃ次は今村翔吾さんの「じんかん」松永弾正久秀の一生の話松永久秀の事はあまり良
映画化と聞いて買ってしまい、早速読んでみました。いわゆる、直木三十五賞を受賞した史実を元にした歴史小説。角川文庫有岡城主、荒木村重が織田信長に謀反を起こして籠城したところ、和解に訪れた黒田官兵衛が約1年間幽閉され、その間有岡城内で起きた不思議な出来事を解決してく歴史ミステリー…って、感じで良いですかね。城内で人質となる少年が殺される死因と犯人の究明、手柄首を取ったのは誰か、旅僧の死と紛失した村重の秘蔵茶器の行方の解明と、長きに渡る籠城で毛利からの援軍も無く自らの行く末に不安を感じる荒木村
いささかなりとも「やきもの」に興味を示しますと、どうしたって古田織部の名前に行き当たるところはあろうかと。2023年秋に「美濃瀬戸やきもの紀行」の旅をした折にも、あちらこちらでその名を見かけることになりましたし。ただ、茶人として語られることが多い反面、織田・豊臣・徳川と天下人の移り変わる中にあって戦国武将として過ごしたあたりは、あまり多くは語られることがないような。そこで、こんな一冊を手にとってみたのでありますよ。諸田玲子作『織部の妻』と。戦国期には珍しく?たったひとりの妻と添い遂げた
先週末は、僕の故郷、兵庫県でロータリークラブ阪神第1グループさんで基調講演をしてきました。場所は伊丹市。兵庫県は故里ながら広いため、伊丹市はほぼ訪れたことがなく、少し早めに入り、伊丹駅前の有岡城跡を散策しました。有岡城は、あの荒木村重が織田信長に反旗を翻し、説得に訪れた黒田官兵衛を長年幽閉しながら、籠城したという有名な史跡。第166回直木賞を受賞した米澤穂信さん『黒牢城』の舞台でもあります。■群雄割拠の戦国時代を生き残るべく、上司力発揮に苦慮した荒木
2月3日火曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物武田佐吉(村上新悟)武田左吉(たけださきち)は、戦国時代の武士で、織田信長の近臣・代官を務めた人物。名は左橘とも。諱を信吉(誤伝か)とする史料もある。武田左吉は、信長の側近として活動した家臣で、高木左吉と並び両左吉と呼ばれた人物である。近臣として度々戦功を挙げたことが『武家事紀』等に記されている。『武家事紀』によれば、武田左吉は信長の近臣として活躍し、その子・坂井久蔵は六条合戦の後、信長が京都
尾道尾道ベッチャー祭江戸時代の文化四(1807)年、尾道で疫病が流行し、吉備津彦神社の祭事で、獅子頭とベタ(武悪)・ソバ(大蛇)・ショーキ(天狗)の3面の鬼神が、御神輿の先導を行なったのが始まりと言われています。毎年11/1〜11/3に行われ、11/3には、獅子と「ベタ」・「ソバ」・「ショーキ」の面を付けた氏子達が、御神輿と共に市の中心街を練り歩き、3鬼神は、子供を見つけると追い回し、「ささら」で頭を叩いたり、「祝棒」で体を突いたりします。「ささら」で叩かれると頭が良くなり、「祝
尾道[写真A]千光寺山展望台PEAKからの眺め[写真B]千光寺鼓岩(ポンポン岩)[写真C]千光寺本堂[写真D]千光寺鐘楼
尾道[写真A]豪商小川家跡(小川町)荒木村重と親しかった豪商、小川家跡です。江戸時代には、本陣でした。[写真B]尾道市庁舎屋上からの眺め[写真C]おのみち歴史博物館[写真D]浄土寺足利尊氏の供養塔があります。
尾道[写真A]伝荒木屋敷のあった場所(現在の様子)(土堂2丁目)尾道本通り商店街と浜の小路の交差する地点の西側です。下記の水之庵の他に、この辺りにも荒木村重の住居があったという言い伝えがあります。(「尾道志稿」福善寺由緒より)[写真B]尾道市立中央図書館辺り荒木村重は、図書館界隈にあった寺(後の「水之庵」という時宗の寺、廃寺になり現存しない)に居住し、その井戸(同図書館建物の北角マンホールの下)の水を茶の湯に用いたと伝わっています。(「尾道志稿」水之庵由緒より)[写真C]西郷寺(
福山駅北口周辺[写真A]福山駅北口広場から眺めた福山城のライトアップ[写真B]旬菜美酒ちどりお笑い芸人「千鳥」の大悟さんのお姉さんの店として知られています。
鞆の浦(福山市)熊野町(山田)[写真A]鞆城跡鞆城本丸跡で、丘陵を利用して壮大な二の丸・三の丸が築かれ、東端は福禅寺(対潮楼)、北端は沼名前神社参道、南は鞆港に面していました。毛利氏が築いた城を、慶長五(1600)年、安芸・備後の領主になった福島正則が修築しました。元和元(1615)年の一国一城令に先立って廃城になり、正則の後を受けて入封した水野勝成は、長子勝俊の居館を三の丸に置きました。勝俊が福山藩主になって以後は、江戸時代を通して町奉行が置かれました。足利義昭は毛利氏を頼っ
福山駅北口周辺(福山市)沼隈町[写真A]広島県立歴史博物館(ふくやま草戸千軒ミュージアム)内草戸千軒の町並みが実物大で再現されています。[写真B]阿伏兎(あぶと)観音(磐台寺)(国重要文化財)鞆の浦から西に約5キロの場所にあります。観音堂は、花山法皇が安置、毛利輝元によって再建されたもので、子授け・安産の観音様として、信仰を集めています。(浮世絵師)歌川広重により、六十余州名所図会の中で、当寺が描かれています。
鞆の浦[写真A]常夜燈[写真B]雁木(遠景)[写真C]福禅寺(対潮楼)からの眺め
鞆の浦[写真A]山中鹿之介首塚上月城(兵庫県佐用町)の戦いで、天正六(1578)年七月、織田方の尼子勝久は毛利方に敗れ、落城し、自害しました。(勝久の重臣)山中鹿之介(幸盛)は捕らえられ、毛利方に送られる途中に備中(岡山県)で殺害され、(鹿之介の首を)鞆にいた足利義昭が首実検したと言われています。[写真B]桝屋清右衛門宅(坂本龍馬の隠れ部屋)[写真C]太田家住宅(鞆七卿落遺跡、旧保命酒屋「中村家」)幕末の政変により、都落ちした尊王攘夷派の公卿7人が、鞆に立ち寄った際に宿泊しました。
鞆の浦小松寺(こまつじ)平清盛の長男、平重盛が建立した寺院です。(摂津)豊島河原の戦いで敗れ、京から落ち延びた足利尊氏が、陣所を構え反転攻勢を始めるきっかけになり、また、織田信長から京を追われた足利義昭が、(この場所で)再興を期した寺院でもあります。これらのことから、「室町幕府は、鞆の浦に始まり、鞆の浦に終わる。」と考えられているそうです。[写真A]本堂内部左側平家(「丸に揚羽蝶」)の紋が見られます。[写真B]本堂内部正面[写真C]地蔵堂珍しい「有髪薬師地蔵」が祀られて
鞆の浦沼名前(ぬなくま)神社能舞台(国重要文化財)豊臣秀吉が愛用した、日本唯一の組立式能舞台です。元々は、伏見城(京都市伏見区)にありました。[写真A]西側から見た能舞台内部床板の下には、音響効果を上げるために、大きな甕(かめ)(鞆の保命酒の甕であった古備前甕など)が、幾つも置かれ、使われて来たそうです。[写真B]西側から眺めた能舞台[写真C]南側から眺めた能舞台[写真D]説明板
鞆の浦沼名前(ぬなくま)神社[写真A]階段下から眺めた拝殿[写真B]拝殿[写真C]説明板
鞆の浦[写真A]小烏(こがらす)神社(拝殿)祭神は、鞆鍛冶の氏神です。伝統ある鞴(ふいご)祭(鉄工祭)は、毎年12月に行われています。古戦場としても知られています。南北朝時代の正平四(1349)年、(足利尊氏の弟直義の養子)足利直冬は、中国探題として鞆の浦の大可島城に赴任していましたが、反逆を疑われ、ここ(小烏の森)で(足利尊氏の側近)高師直(こうのもろなお)と戦い、直冬軍が敗れて九州へ退去しました。[写真B]小烏神社(本殿)[写真C]備後安国寺釈迦堂(国重要文化財)本
福山駅北口周辺福山城2[写真A]天守北側(鉄板張り)天守北側壁面は、1〜4階が総鉄板張りで、全国唯一でした。その目的は、天守の位置が本丸北側に寄っており、外部から直接天守が攻撃されることへ備えるためでした。[写真B]福山城博物館(天守)内最上階展望台からの眺め(南方面)福山城本丸内、福山駅のホーム、福山駅南側の建物群や遠くの山などを眺められます。[写真C]福山城博物館(天守)内最上階展望台からの眺め(西方面)ふくやま書道美術館・ふくやま美術館などを眺められます。左奥の教
福山駅北口周辺福山城1[写真A]筋鉄御門(すじがねごもん)(国重要文化財)福山城の正門です。柱の角に鉄、扉に数十本の筋鉄を打ち付けているため、そのように呼ばれています。柱や梁には、硬くて丈夫なケヤキが使われています。築城当時の姿を今に残しています。[写真B]伏見櫓(ふしみやぐら)(国重要文化財)伏見城(京都市伏見区)松の丸にあったものを移した痕跡が残る、全国に例のない貴重な建物です。武具庫として使用されていたと言われ、内部には敵の侵入を阻止する防御システムも完備していました。3
荒木村重研究会の有志が企画し、去る2025年11月1日(土)〜3日(月・祝)に実施しました。前回の歴史ツアー(2019年9月の兵庫県伊丹市から岡山県への日帰りバスツアー)以来、久しぶりの歴史ツアーでした。当研究会の会員の住所が、西は福岡県〜東は山梨県に渡っていることもあり、参加し易いように、今回の歴史ツアーから、現地集合・現地解散、全行程(3日間)のうち部分参加(途中から参加・途中から離脱)もOKという方式に変更して参加者を募集、実施しました。なお、宿泊が必要な参加者の方には、宿泊場所を、
28前掲、利休の手紙での「日向殿」について桑田忠親博士は定本利休の書簡の中で、日向殿を光秀とされておられますが、恐らく当時の**公式な官位(惟任日向守)**という「正論」を重んじられた結果だと思われます。しかし、この時期の文脈を深く読み解くと「荒木村重説」には非常に強い説得力があります。あえて桑田説に挑戦する形で、なぜ「村重」の方がしっくりくるのか、その論拠を整理してみました。1.「わつらい(煩い)」の言葉の重み光秀説の場合:光秀が多忙で会えないことが「煩い(面倒なこと
本木雅弘さんが、荒木村重役を・・!面白そうです・・そして、官兵衛役は、菅田将暉さんとの事で・・予想外のキャスティングで、わくわくします。(原作米澤穂信氏「黒牢城」)有岡城籠城のお話は、NHK大河ドラマ、「軍師官兵衛」をずっと見てたので、あの時の岡田准一さんの、熱血の熱演が、今も忘れられず・・今もあのイメージが強いんですが・・(あの時の荒木村重は、田中哲司さんでした)今回の映画は、また違ったテイストで、違
村重を詠んだ頼山陽(1780-1832)の漢詩信長が村重に見せた「刀の先の饅頭」という威圧的な行為が、後に村重の謀反、明智光秀の本能寺の変に連なり、信長の最期に重なるという、非常に鋭い皮肉が込められた詩です。月岡芳年《本朝智仁英勇鑑》より「織田上総介信長」、市立伊丹ミュージアム蔵大意いい男だ。(刀の先の饅頭を口で受けてくらうとは)摂津の口の十三郡。お前の切り取りにまかせよう。せっかく摂津を切り取ったお前だが叛いたので殺すことになった。叛くに一言があってしかるべきだ。私(村重)は
菅田将暉、知性と狂気を想像させる鋭い眼差しを向けて危険な天才軍師・黒田官兵衛役で映画『黒牢城』に登場!菅田将暉が話題になってますね^^知性と狂気を想像させる鋭い眼差しを向け危険な天才軍師・黒田官兵衛役で映画『黒牢城』に登場\(^o^)/それは1月22日に彼が更新したインスタグラムでのこと#黒牢城#2026年公開#黒沢清#黒田官兵衛とハッシュタグだけが書き込まれ1枚の写真がアップされていますそこに写っているのは映画『黒牢城』のポスタービジュアル主演の荒木村重役の本木
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、トータス松本さんが荒木村重を演じるというので、気になって荒木村重の人物像を追ってみました。岐阜・信濃の国に生まれたそうで、その後大阪・池田の池田勝正の家臣となるも、三好氏に寝返り、30代で池田氏を掌握もうこの時点で、かなりな下克上な人なんだよね。それで三好に取り入ってたのに、織田信長に気に入られて織田家の元へ。そこからひたすら織田信長のために功績をあげてたんだけど、何故か突然、信長に反旗を翻して、秀吉らの忠告も聞かず抗戦モードへ突入。村重
直木賞受賞作「黒牢城」映画化!!荒木村重役に本木雅弘さん監督黒沢清さん、今年公開決定!直木賞、山田風太郎賞、「このミステリーがすごい!」など史上初めて4大ミステリー賞を総なめにした米澤穂信氏の人気作「黒牢城」が映画公開されます。荒木村重を俳優本木雅弘氏が演じます。宣伝用ポスター引用ストーリー概要戦国武将有岡城主荒木村重は暴虐な織田信長のやり方に反発し、籠城作戦を決行する。城は織田軍に囲まれ孤立無援に。村重は、血気盛んな家臣たちを従え、妻・千代保を心の支えに、城と城下の人々