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皆さんこんにちは♪おかんです!行で入れてます茶道における茶花は床飾りと掛け軸、花入れ、薄板、等広範囲にリンクしているので、やはりその全体像が見えなくては理解出来無いと思います。↓のサイトはとても親切でわかりやすく説明してくれてます。すごいですよ!https://www.hanamonogatari.com/blog/1752/?hl=ja-JP【茶道】花入れの種類素材と格で分ける基本とは-ブログ茶道において、茶室を演出する花はとても重要な存在です。そもそも、茶道とは日
皆さんこんにちは♪おかんです!今年の目標なので先ずは設えからお借りした茶花大事典を、見ながら出来るだけ忠実に設えてみました。1月なので干支の絵の私が先日描いた大津絵を色紙で飾りました。今日は草の設えです。花入は備前焼きの素焼きなので蛤端の丸の薄板にしました。花は蝋梅に椿のつぼみウォーキングで採ってきたので名前は分かりません。蝋梅は道の駅で買いました。葉っぱは7枚で奇数にしてます。枝先は掛け軸に向くようにやけど、逆かな?こっちなんかな?一番高い枝が掛け軸向いてなあか
茶道教室のお問い合わせはこちらから初釜も無事終わり通常の稽古が始まりました。今日は宗旦好みの及台子で後炭、濃茶、薄茶、花月、そして運びの薄茶の稽古をしました。稽古の花は蝋梅と侘助でした。岩木秀斎作の一重切竹掛け花入れに入れました。初釜で使用した結び柳はそのままにしています。まだお目に掛かっていない方と新年の挨拶をしてから外したいと思います。今日も楽しく稽古をしました。御蔭様。
紅雲庵あかね塾茶の湯に、和のしつらえにご興味のある方は随時ご入会いただけます「お茶をしたいな、どうしようかな」と迷っていらっしゃる方は多いと思います稽古日が決められてると通えないかも…夜しか時間が取れないけど…それでもお稽古予約制の紅雲庵なら大丈夫です詳細はこちらご一読ください『茶の湯のすゝめ紅雲庵あかね塾のお稽古』2010年から自宅で茶の湯の手ほどきのお手伝いをしています。現在の名称は紅雲庵あかね塾、他のお稽古場とは随分違った内容ですのでここであらためて概要のご
お庭に咲いている花をいただいたら、こんな可愛らしいものがぶら下がっていて。蓑虫でした。久しぶりに見ました。「花は足で活ける」と言いますね。今日は茶会用の花を求めて、奔走しました。用意できそうなものではまだ不安ですので、東京の茶花屋さんからも、少し送ってもらうことにもしました。これで床に納まる花のめどがついて一安心です。都会に近いマンションくらしの今の環境では、近くを歩いてお花を手に入れるということはできません。花を見つけても、人様のお庭だったり、管理された公園だ
あの与論島の綺麗な海がすでに恋しいな〜と思う、今日この頃。夜は町中にも出てみたので、レポ▼与論島についてはこちらも『【与論島】異国感&リゾート感◎1泊では物足りない〜PRICIAresortyoron〜』与論島へ行ってきました一度は行ってみたかった与論島島自体のホテル数は少ないですが、その中でもこの「PRICIAresortyoron」は与論島とい…ameblo.jp私たちは夕ご飯はホテルでは取らず、「茶花」というエリアにある
行き暮れた思いで過ごしていた時、幼少期に助けてもらった女性住職からお寺を閉じるとの連絡がありました。揺蕩う心を繋ぐよすがを求めていましたし、住職に感謝の気持ちを伝えたかったので、山の寺を訪ねることにしました。手紙は何度も送り合っていたました。それでも、久しぶりに入った茶室で、変わらぬ佇まいで迎えてくれた住職は、齢を重ねても、なお美しいと思える女性です。茶花は、白侘助が白磁の壺に品よくおさまっていました。境内には咲いていない白侘助を、山を下りて需めてきてくれた、その心に思わず涙が零れ
今,珠洲ではツバキが見頃だ。珠洲市の市の花は「ヤブツバキ」ということになっている。ヤブツバキとツバキとの違いがよくわかっていないのだが,まあ,名前からして「ワイルドに見えるやつ」「野生で生えたっぽいやつ」が「ヤブツバキ」なのだろうと,勝手に判断して生きてきた。でも,一応,調べてみる。ヤブツバキ(藪椿)【画像】ヤブツバキは代表的な茶花で、日本最古の観賞用花木。自生地は海岸近くの丘陵など。江戸時代に数多くの品種のツバキが作られたが、単にツバキという場合は・・・www.ue
義父母の写真の辺りに置いている植物仏花の花束の添えに入っていたグリーンとても生きが良く長持ちするので水替えしながらずっと生けてます^^きょうマジマジと見ると葉の裏側に蕾⁉︎実⁉︎写真から検索してみましたルスカスと言う外来種のようです別名ウラバナナギイカダ茶花でもハナイカダは裏に花が咲くのを見たことがあるのですが華奢でいかにも和花と思ってました^^学名ルスカスナギイカダもハナイカダも同じ種類のようです水仙と白梅白梅もそろそろ終わりのようです寒いので花が長
上村松園画伯は間之町通竹屋町上がるにお住まいされていました。上村松篁先生が「母は2階の部屋で絵を描いていました、2階に上がることは許されなかった。」と言われていたとお聞きしたことがあります。その部屋は左端の2階の部屋と思い込んでいました。が、こぬか薬師参拝の帰途、久しぶりに通り、うーんと。南隣のお宅が無くなっており、2階の部屋はどれだったのかなあ?と。この辺りは立派な京町家が並んでいましたが、この数年で殆んど姿を消しています、残念_| ̄|○上村家三代のお名前をキチンと覚えてく