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10年前の写真です当時10年後の事を想像すら出来ない状況でしたが。。。拙いブログをお読み頂き本当にありがとうございます。楽天☆関連会社勤務ネットショッピングもお得意大好き❣️食べるの大好き❤のんちゃんママです。長女の闘病記と⬇︎⬇︎⬇︎長女のこと「長女のこと」の記事一覧です。nodoka-mahalo.com三女の病気により⬇︎⬇︎⬇︎三女のこと「三女のこと」の記事一覧です。nodoka-mahalo.com無理を承知で中学受験をした発達に偏りがあった長男の受
多分15年位前の写真です。。。長男が長女に抱きついている写真長男が「ねーちゃん」と呼んでるのが聞こえてきそうな写真宝物です✨拙いブログをお読み頂き本当にありがとうございます。楽天☆関連会社勤務ネットショッピングもお得意大好き❣️食べるの大好き❤のんちゃんママです。長女の闘病記と⬇︎⬇︎⬇︎長女のこと「長女のこと」の記事一覧です。nodoka-mahalo.com三女の病気により⬇︎⬇︎⬇︎三女のこと「三女のこと」の記事一覧です。nodoka-mahalo.
先日22歳の誕生日🎂だった長女本人が居ない誕生日🎂は何回重ねても悲しみは癒えませんね。。。拙いブログをお読み頂き本当にありがとうございます。楽天☆関連会社勤務ネットショッピングもお得意大好き❣️食べるの大好き❤のんちゃんママです。長女の闘病記と⬇︎⬇︎⬇︎長女のこと「長女のこと」の記事一覧です。nodoka-mahalo.com三女の病気により⬇︎⬇︎⬇︎三女のこと「三女のこと」の記事一覧です。nodoka-mahalo.com無理を承知で中学受験をした発
2022年4月3日みく4歳のある日この日から私達家族の闘いが始まった朝7時起きて、みくちゃんの歩き方を見てえ?!ってなった。なんかおかしい。まさかと思い念のために麻痺の確認をするため両手を上げてそのままキープを伝えるけどできない...ちょっとこっち来てもう一度歩いてみて、とキッチンの所を真っ直ぐ歩いてもらうが歩行がふらふらしてるし、やっぱり麻痺あるようにみえる。いつもの椅子に座り、もう一度「両手を上にあげて、そこでストップしてみて」ママが言うと、みくちゃんはバンザイ。
はじめましてこの記事をご覧頂きありがとうございます入院40日目、スピーチバルブを試せる事になりました久しぶりにあの子の声を聞く事ができるかもしれないという期待でワクワクしました普段つけている人工鼻からスピーチバルブに付け替えますいよいよです言語聴覚士さんがあの子にえ〜〜、と言ってみてと伝えるとあの子がお口を開けて、、、................................................何も聴こえてきませんでした私達は意識しなくても声をだせます
昨日もよく寝た娘ですが今朝もよく寝てました。起きたのは9時半頃。体が怠いのかな?放射線の副作用があるかもしれないけれど娘も表現しきれないので様子で判断するしかないところもあり。不安です。起きて、ご飯を食べよう!と話したら「冷やし中華がいい。」とのこと。連日ですが、看護師さんに娘をお願いして今日もコンビニへと走りました遅めの朝食の準備も整い、いただきます。まずはお薬から。ホルモン補充療法のコートリルとタンを柔らかくする薬を牛乳でゴクリ。クリア。続いては冷やし中華をいた
娘がお空へ旅立ってもうすぐ2ヶ月。この写真は2022年3月なのでこんな笑顔の1ヶ月後には病気が発覚。そしてこの笑顔の1年後には、ここにいない。今も信じられません。なぜここに娘がいないのか。ここにいたよね?なぜ、なぜ、と考えても意味のないことばかりをずっとずっと考えながら1日が過ぎている、そんな感じです。会いたすぎて苦しすぎます。でもどんなに可愛くて、どんなに頑張ったか娘のことを思いながらこの怒涛の1年を記していこうと思いました。心に乱れがありすぎて文章が変になっ
2022年4月9日(土)ラキソ4滴お通じなしみく食べたもの朝:昨日のたこ焼き残り5個とクレープ少し昼:クレープ一個完食夕:チャーハン1/2今日は土曜にてリハビリなし。じいじに(ままの父)「一度外のお風呂にでも行ってきたら」と言われて全くそんな気分ではなかったけど土曜でパパが付き添い交代しにくる時間はママはどちらにしてもここにいられないから(1人しか病室にはいられない規則)じいじと病院近くの大きなスーパー銭湯へ。入ると、子供用の小さな洗面器とお椅子が目に入り涙が溢れ
ここ1年程頭痛が治らない旦那さんは39歳。1年以上治らない頭痛と眩暈に、脳外科へ行くように勧めても、いつもの片頭痛だからと軽視して精密検査を受けない。眼医者や、内科に行っては異常なし、との事。しかし、気が付くと、旦那さんがまっすぐ歩けていない事に気が付いた。ようやく検査へ行ってもらって、今日はそのMRIの結果が出る日。車で病院へ向かう旦那さん。仕事場で結果連絡を待つが、3時間たってもまだ結果が出ない。ようやくかかってきた旦那さんの連絡では、症状が軽くないので専門医にかかる
7月13日(月)朝起きたものの、またも寝てしまいお昼近くに起きました。起きてからいつものようにご飯お米などをミキサーしたスープ風ご飯を順調に食べ進めていたのですが途中で突然嘔吐しました。前触れなく、久々の嘔吐に驚き、ご飯は終了。でも、アイスが食べたいというので時間を空けてアイスタイム。こちらは戻すことなく食べました。いつもよりボンヤリしている娘。嘔吐したこともあり疲れているのかな?とゆっくりと過ごすことにしました。異変が起きたのは18時過ぎ。本日2食目を一口食べた後、なんだ
4月30日亡くなる当日の朝妹家族は県外から前泊して朝イチで我が家に来ていました。大好きな従妹ちゃんたちが来てくれたのが分かったのかこの日は少し穏やかな表情をしていました。ただ、私は連日の介護で寝不足になっており疲労困憊。ソファで休ませてもらって主人や長女と、妹家族に渚を見てもらっていました。午前中は本当に暖かく穏やかな時間が流れてたと思います。あれも幸せだったと今では思えるよ。事態が一変したのは
全国一斉レモネードスタンド2023無事に各地ほぼ終了したようです(お天気の悪い場所では日時変更、中止等あったかもしれません)まずは開催を呼び掛けてくださったレモネードパーク様そしてそれに応えるように全国各地で開催してくださった皆様お足元の悪い中でも立ち寄ってくださった皆様個人参加でTwitterやInstagram等で発信してくださった皆様本当に胸がいっぱいです。遺族としてはこんなにもたくさんの方が気にかけてくださったことが何よりも嬉しく思います
再燃してから治療を現在もしていますが、大学病院が計画していた治療も後しばらくで終わります。前回は国が負担してくださり、今回の治療費は全て大学病院が負担してくださったので助かりました。毎週毎週痛みに耐えながら頑張ってくれました。ですが次の治療がまだ決まっていません。数ヶ月前から主治医には次はどうしていくのか何度も聞いていますが、まだどうしていけばいいか決まらない状態だそうです。脳幹にある腫瘍が、いつ突然大きくなるか不安な気持ちでいっぱいです。不安な思いは消えず、あと残り2回の治療で一旦
2022年4月6日本日のMRI結果を踏まえて主治医OよりIC・所見は脳幹グリオーマで間違いないと思う・一刻も早く治療すべき・治療は放射線治療(30回)ラジエーションのみでいくのがスタンダードで週5日×6W(土日休み)・生検はやらない(調べたら確定診断できるけどリスク。そんなことやってたらオペの準備で放射線治療開始が2〜3Wとか遅れてしまうし)・放射線で一旦症状が改善するが、必ずまた悪くなる。→その時に化学療法(点滴でアバスチンや内服のテモダールをやっていくかも。・明日放射
七夕の夜7月7日夜18:002年8ヶ月の闘病生活を終えて、愛しい息子が旅立ちました。18歳10ヶ月でした。昨日の夕方はサチュレーションも安定して、7LのMAXまで上げていた酸素を戻して、5Lに下げようと思っていました。本当に落ち着いて過ごせていたのです。午前中は訪問診療の先生方、訪看さんも同じ時刻に来てくださいました。落ち着いた様子を見て、安心していて、今までの息子の頑張りを思い返して、「こいのぼりも、レモネードスタンドも七夕もできたね。次は何する?」と話していたのです。次は海
初めまして。主人がびまん性橋神経膠腫と診断されました。病気、治療に関して情報がほしくてブログを始めました。2024.3.7パパの脳幹に腫瘍があるとわかって2日が経過しました。こんなに辛い2日間は今までの人生で初めてでした。まとまりのない文章になると思いますが、記録用として自分の気持ちを形に残したいと思います。パパが体に異変を感じたのは2月の中旬。何だか目眩がする、立った時にふらつく。それが始まりでした。偏頭痛で普段通っていた脳外科を受診しました。立ち上がった時に限局して
2022年4月4日昨夜。悪夢の始まった夜は全く眠れず勝手に時間が過ぎて翌朝が来た。朝から花がっぱ見て笑ってるみくちゃん。みくちゃんは夜もよく寝れていたし朝も一見、元気。朝ごはんもお味噌汁にごはん入れてねこまんまにしたら食べやすい(飲み込みやすい)のかいっぱい食べてたね!パパが朝スライムを持って来てくれるのが楽しみで仕方なくて「楽しみ楽しみ楽しみ〜」って右手を横に動かす仕草をママと何度もやってたね。スライム持って来てもらうの楽しみすぎてはしゃいでたね「レッツラガチャポン
随分ブログを書いてなかったです。書ける気持ちになれなかったのが本音です。娘は今も頑張って病気と闘っています。今日は学校へ行く前に大量に嘔吐をしたのですが、学校へ行くと言うので行かせました。昼前に小学校から連絡がありました。「ふらつきと頭痛があるのですぐに迎えに来てください」以前より小学校からのお迎えの連絡が多くなりました。どれだけ体調が悪くても、いつも笑顔で明るいみーたんです。それだけが救いです。集団下校の時は同級生だけで帰ります。集団登校のみ1年生から6年までみんなで登校
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================6月に入ってもグズグズが続いていた娘。進級当初の4月は、クラスのママと話すと「うちもだよ!」が多かったのですが、この頃になるとそんな感じなのは娘だけになりました。情緒不安定なのかな?と思って、娘の楽しみを見つけ
小児救急についた。コロナ禍の為、夫は駐車場で待機。整形の先生が電話してくれていたから診察までスムーズだった。診察室に入って様々な検査をする。やはり右手指が動いていない。右足も明らかに引きずっている。だんだんと先生の顔が険しくなってくる。「お母さん、今から血液検査とCTを撮りましょう。頭に何かできているかもしれない」と言われすぐに承諾した。待っている間「注射いやだー」と叫ぶ次女に終わって病気が治ったら大好きなゲームセンターいっぱい連れて行ってあげるから頑張ろうと告
前日、私のPCR検査もした。いちいちコロナが邪魔をする。結果は陰性、無事に転院できることになった。そして翌日、救急車で大学病院に搬送された私となーちゃん。もうこの日には車椅子やベッドがなければ移動できないほどになっていた。あんなに大好きだったおしゃべりも口が動かしにくいのかそれとも言葉が出てこないのかわからないがほとんど喋らなかった。なーちゃんは病室で看護師さんとお留守番し、私と夫はロビーで合流し先生に呼ばれ部屋に入った。主治医となった先生以外にもとにかくたく
娘が休日救急受診で「十中八九脳腫瘍」と言われてから今日で1年です。「ママ、グーができない」と左手を見せてきた前日の夜。何かが変だと感じて3ヶ月決定的なことはなく病院を受診する程のこともなく1回嘔吐して発熱した時は夜間電話相談に電話した。ずっと抱えていた心配事やモヤモヤを話して言われた言葉は「お母さんがもっと甘えさせてください。」だった。そうか、私か。ああ...と思ったよ。でも、やっぱり何か変だと思ったから数日後に近所の小児科を受診した。
できる限り早めにしたい手術というこで、執刀医がいる日の最短で組み込まれた手術。時間は手術室が空いた瞬間に呼ばれるオンコール。予想より早めのオンコールだったので夫はギリギリ。でも、間に合った!良かった!手術室まで3人で向かいました。「手術終わったらご飯食べようね!チャーハン!パンでもいいかな!」って。可愛すぎる。終わったら好きなもの食べようね!麻酔をかける部屋へは1人しか入れなかったので、娘のご指名でパパが一緒に。パパの話ではものものしい雰囲気に泣いたそうですが、麻酔ですんなり
娘の病状説明と今後の話。夫と私と私の兄の3人で聞きました。生検手術直後の簡易検査で「ローグレードグリオーマかも」の説明があったので少し期待をしてしまっていた分結果を聞いてドン底でした。(以前のブログでも触れましたが、だから手術直後は聞きたくないと伝えておいたのに...。今思い出しても医療現場では真摯に改善してほしい点です)腫瘍にはH3K27Mの遺伝子があり結果的にはグレード4橋発症の典型的な脳幹グリオーマ正式名称『びまん性正中グリオーマ』1年生存率10%未満と話があり
診断から2年が経ちました。よく頑張っていると思います。振り返るのは辛くなると思いますが記録してみようと思います。2020年11月28日新人戦後から言われましたが…この時にスタンドから先輩の応援をしていて、「見えにくい」「ダブって見える」と感じたそうです。12月10日メガネを作る12月下旬眼科に行く複視、右目が内側に寄っていることから、「急性内斜視」と言われる。最近、スマホやタブレットの見過ぎで、子どもに増えていると。目の緊張を取る目薬をさしてから寝る、老眼鏡を100均で
本日、午後5時52分なーちゃんこと「渚(なぎさ)」は苦しみから解き放たれお空へと旅立ちました。闘病生活9ヶ月。5歳9ヶ月という短い生涯でした。治療法もなく診断と共に余命宣告される恐ろしい病気脳幹神経膠腫(脳幹グリオーマ)に罹患し少しでも救う方法はないか?小児がんへの支援の輪を広げたい一身でやりはじめたブログで皆様から暖かいご支援いただきまして本当にありがとうございました。最後の闘いはできずにお話しすることもできずにお別れすることになり悔しく寂しく今は本
前の記事を受けて、コメントやメッセージありがとうございます。返信ができずすみません。参考になり、励まされ、ありがたくて読ませていただいています。そのまま返信できずでしたらすみません。娘の初めての痙攣から過ごし方や、私の気持ちもまた変化があったりバタバタした日を過ごしていました。搬送の次の日はのんびりと過ごしました。ちょうど訪問看護師さんの日だったので、色々と話もできて、気持ちは穏やかに。この日夫と決めたこと。経口エトポシドの服用をやめることにしました。緩和を目的に飲み始めた
2024.3.18パパの頭(脳幹)に腫瘍(グリオーマ.神経膠腫)があるのがわかって13日目。目眩を自覚して1ヶ月が過ぎました。今日放射線外来を受診しました。脳外科の先生から先週の検査の説明とカンファレンスの結果を聞く前に放射線外来を受診したので、カルテに色々書かれている画面がとても気になってしまいました。横目でなんとか見ようとしましたが、結局あまりよく見えませんでした。脳外科の先生には、腫瘍であることに間違いはないから放射線は必要ですと先週電話でも聞いていたのですが、い
何をするわけでもなく家でのんびり過ごした4連休。家族で過ごす時間はなによりの幸せです。連休3日目の早朝の寝ている時に娘が突然嘔吐しました。その時は足はカタカタしていてすぐに寝ました。その後2時間毎ぐらいにも同じことがあり。早朝から午前中で計3回の症状でした。そのせいかいつも以上にボンヤリしている娘。起きているのか寝ているのかも分からない。脈もいつもよりゆっくりになった時間帯もあり訪問看護師さんに電話。顔色はいいのですが表情?目?がいつもと違い心配を感じるこの状況を共
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================「なんとなくママっ子になったなあ」そんなことを感じ始めた3月、4月娘は元々朝は1人で起きられないタイプ。起きたら2階から大きな声でパパやママを呼んで、迎えにきてもらって、おトイレを手伝ってもらって、抱っこへ