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2022年4月3日みく4歳のある日この日から私達家族の闘いが始まった朝起きて、みくちゃんの歩き方を見てえ?!ってなった。びっこひいている。ちょっとこっち来てもう一度歩いてみて、とキッチンの所を真っ直ぐ歩いてもらうが歩行がふらふらしてるし、やっぱり麻痺あるようにみえる。「両手を上にあげて、そこでストップしてみて」ママが言うと、みくちゃんはバンザイ。でも左手が落ちてくる。。。麻痺してる...いつものアンパンマンの椅子に座ると、左手が麻痺の人の手の位置をしていた。え、、、なに
先日、卒園式が行われました。幼稚園幼稚園側のご厚意で渚は退園とはならずずっと年長組さんに席を残していてくれました。とは言え、年度初めに旅立ちましたので年長さんとしての思い出は私同伴で出席した1日(午前中少し)と去年のブログには傾眠と記していましたがあっという間にもうほぼ昏迷、半昏睡になり意思疎通ができない渚を車いすに乗せて園外保育に現地集合してほんの十数分みんなと会って写真を撮っただけです。これが最後の幼稚園となりそ
随分前に図書館で予約していた本の順番が回ってきました。予約していた事はすっかり忘れていました。息子が亡くなって、間もない頃にグリーフケアの本を図書館で借りていたから、その時に予約したのだと思います。「亡くなった人が、あなたに知ってほしい40のこと」スピリチュアルテラーサトミさんの本です。スピリチュアルとか正直、信じておらず、拒否反応ですがせっかくなので読んでみました。(自分で予約したのにね…)スッと心に入り、響く言葉もあれば、流し読みした部分もあります。みえる人、の存在は信じて
お別れ会には予想を遥かに上回る本当にたくさんの方々が来てくださって嬉しくてたまりませんでした。闘病中は入院、通院もあったりで幼稚園は休みがちもしくは2時間だけとなかなかお友達と会える機会や私自身も保護者の皆様と会ってお話しできる機会も少ないし気持ち的にも余裕が無かった。身内と幼稚園の先生とお世話になった医療従事者の方々くらいかな…と思っていましたがそんなことは全然無くご近所さんや幼稚園のお友達お姉ちゃんの幼稚園時代のママさんたちなどお忙しい中、
小児救急についた。コロナ禍の為、夫は駐車場で待機。整形の先生が電話してくれていたから診察までスムーズだった。診察室に入って様々な検査をする。やはり右手指が動いていない。右足も明らかに引きずっている。だんだんと先生の顔が険しくなってくる。「お母さん、今から血液検査とCTを撮りましょう。頭に何かできているかもしれない」と言われすぐに承諾した。待っている間「注射いやだー」と叫ぶ次女に終わって病気が治ったら大好きなゲームセンターいっぱい連れて行ってあげるから頑張ろうと告
記憶が鮮明な内に・・・と言いながら、実はもうあまりこの頃のことは覚えていません・・・。訪看さんたちが毎日点滴しに来てくれたのは覚えているのですが娘には吸収する力すらもうなくてパンパンになった腕お腹にも刺してみましたがお腹もあまり変わらず・・・。SpO2が80後半から90前半だったことや最後に食べたのがアイスのピノ(それでも半分以上口からこぼれ落ちていました)苦しそうに呻き声をあげてもどうして欲しいかがわからない。腰が痛いのか体
今のなーちゃんは喋ることもできなくなってほぼ寝たきり。うん、ううん、も難しく頑張って意思表示をしようとするけれど分かってあげられなくてお互いに苦しむ。寝返りもできないから夜中もうめき声で呼ぶ。食事や飲水も難しく嚥下障害も酷くなった。そんななーちゃん先日MRIを撮りました。予想通り、播種がありました。想定内。水頭症になってる。想定内。手術はできません。想定外…、、、あっという間に意識障害が出て傾眠になるまで早かったから手術はできないんじゃないかとはう
結局一睡もできないまま朝を迎えた。コロナ対策でなーちゃんのPCR結果が出るまでは個室だった。ずっとザワザワしていた。今思えばあれもこれも病気のせいだったんだを繰り返し何度も謝った。朝、早い時間に先生に呼ばれ全て揃っている大学病院に転院、それもなるべく早くと言われた。明日には転院できるよう手筈を整えますと言われ脳外科の先生からお話しがあります。ご主人も来れますか?と尋ねられたのですぐに連絡。夫は週末まで丸々休みを頂いていたのですぐに準備して来てもらった。
※アメトピ掲載されたようでたくさんの方に「(小児)脳幹グリオーマ」という病気を知ってもらうことができました。ありがとうございます。また、たくさんの励ましやコメント、メッセージありがとうございます。現在まだ24時間付きっきりで入院中の為、娘が寝てからブログに書き溜め清書して投稿しております。なかなかお返事ができませんが時間ができたら順次お返ししたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願いします※悪夢のようなあの日から眠れない日が多くなり宣告された日も眠れないま
ブログを始めたのは娘の病気の周知とそれによって治療法が確立していくことの願いも込められています。この病気に詳しく触れていなかったので記します。娘の病気は「脳幹」というところにできた「グリオーマ」で一般的には脳幹グリオーマといわれることが多いのですが、この呼び名は正式診断名ではありません。正しくは「びまん性正中グリオーマ」2016年からの呼び名だそうです。英語表記で“diffuseintrinsicpontineglioma”なので「DIPG」とも呼ばれていま
さっき、口から出てきた言葉明日からがんばろう♪曜日で捉えるといつもと変わらない出勤しない日々でも、世間的には祝日続きしんどいつもりではなかったけど、しんどかったんだと思う明日からがんばろうなんて言うんだもん昨日は片耳に違和感があり、入浴中から片耳が聞きづらかった片耳塞いでTVの音量で試してみたら、倍以上の差が…突発性難聴!?よりにもよって祝日かよって感じだった3時間くらいで回復してきたけど、未だに少し聞こえにくいストレスかな何も予定もなく、かといって、賑
※現在まで書き溜めているのですがきちんと整理して書いていきたいのでゆっくり更新していきます。7月某日お姉ちゃんと2歳違いの次女が5歳を迎えてすぐ七五三の前撮りに行った日。なぜか、真っ直ぐ立ち続けるのが難しいようでお姉ちゃんに寄りかかったり右足がおぼつかない感じがした。今思えばこの日にはもう病魔に侵されていた。次女は人を笑わせるのが大好きな子で変顔だったりユニークなダンスをしたり面白いことをしたりするのが大好きでした。だから、歩くこともおしゃべりも普通にで
月曜日この日は姉妹初めての夏休みだけの短期水泳教室の日だった。長女が学校のお友達が泳げているのを羨ましがったのをキッカケに二人分申し込んだ。上手くできるか不安な長女とは裏腹に楽しみにしていた次女。早速始まった。私はガラス越しに見学する。あれ…次女のなーちゃんなんだか右足が動きづらそう………プールサイドに立ったときもやはりふらついている。そして、やっぱりおかしいと思う出来事が起きた。バタ足の練習
こんにちは。Twitterでは昨日報告ツイをしましたが・・・再燃後の放射線治療の評価(結果)を聞きに行ってきました。正直、心は無でした。どうなっていようと治す方法が無い以上できることをするしか無いですから。でも、診察室に入るとき主治医の暗い表情を見た時からあぁ、、、良くない事があったんだなとすぐに察しました。以下、結果として・再照射の脳幹部の腫瘍は縮小しているので照射の効果はあった。・播種部分も白い影が縮小しているので
朝イチでCTシュミレーション。朝ご飯は抜き。ニューロと共に向かいました。CT室で鎮静をかけて機械のベットへ。まずは照射で使うマスクの型どりです。前回は鎮静までであとは託していましたが今回は型どりまで立ち合わせてもらえました。こうやって作るんだー、という感心よりも温めた材料お顔にのせて型とれるまでギュっと顔にして、冷やして娘、熱くないかな、痛くないかな、冷たくないかなの心配ばかりでした。その後放射線科の看護師さんとお話。話が終わった頃にはすっかり鎮静から覚めていた娘。
2022年4月4日昨夜。悪夢の始まった夜は全く眠れず勝手に時間が過ぎて翌朝が来ました。朝から花がっぱ見て笑ってるみくちゃん。みくちゃんは夜もよく寝れていたし朝も一見、元気。朝ごはんもお味噌汁にごはん入れてねこまんまにしたら食べやすい(飲み込みやすい)のかいっぱい食べてたね!パパが朝スライムを持って来てくれるのが楽しみで仕方なくて「楽しみ楽しみ楽しみ〜」って右手を横に動かす仕草をママと何度もやってたね。スライムきたーーーー!!スライム到着で大喜びのみくちゃん。「さわって
MRI撮影の翌日に結果の話がありました。緊急入院先で結構ハッキリ話をしてくれたのでそれをもとに、前日までの間に色々ネットでと調べていたので、かなり覚悟をきめて話し合いにのぞみました。見せてもらった娘の画像はパッと見、腫瘍が3つあるように見えましたが実際には脳幹部と、脳幹から張り出しているものがあるだけで腫瘍としては1つだということでした。脳幹部グリオーマの丁寧な説明の後に主治医からの見解(脳外科や放射線科とのカンファレンスの見解)が語られそれは覚悟していた方向とは違
本日、午後5時52分なーちゃんこと「渚(なぎさ)」は苦しみから解き放たれお空へと旅立ちました。闘病生活9ヶ月。5歳9ヶ月という短い生涯でした。治療法もなく診断と共に余命宣告される恐ろしい病気脳幹神経膠腫(脳幹グリオーマ)に罹患し少しでも救う方法はないか?小児がんへの支援の輪を広げたい一身でやりはじめたブログで皆様から暖かいご支援いただきまして本当にありがとうございました。最後の闘いはできずにお話しすることもできずにお別れすることになり悔しく寂しく今は本
娘が眠った後に病室で夫とこれからの話をしました。細かなことは覚えていませんがこれから娘の病気にそれぞれどう向き合うか、ということは話しました。私は、祖父母やおじおば、養母など年齢の割には多くの闘病と旅立ちを経験してきました。実母も体が弱く、私が子供の頃は入退院を繰り返していたので、なんとなく病気や病院に対して冷静なところがありました。夫はあまりそういう経験がなく、男性ゆえに現実を受け止めることの弱さも持っていたので夫に完全に向き合わせてしまうと、この人は壊れてしまう、と思いま
※しばらく少し前の話になります。翌日も絶飲食とステロイドの副作用が辛いのか機嫌が悪いなーちゃん。「抱っこ!抱っこ!うわぁぁぁん!!」と泣き叫ぶなーちゃん。主治医にはステロイドの副作用で性格がガラッと変わる子は多いと聞いてはいたもののずっと泣くか怒るかしていて辛かった。正直変わってしまった娘のお世話も体力的にも精神的にもしんどかった。この日までまともに眠れていなかった為にヘトヘトだった。腕がしびれてはおろしまたすぐに抱っこ。それの繰り返し。本音を言う
4月30日亡くなる当日の朝妹家族は県外から前泊して朝イチで我が家に来ていました。大好きな従妹ちゃんたちが来てくれたのが分かったのかこの日は少し穏やかな表情をしていました。ただ、私は連日の介護で寝不足になっており疲労困憊。ソファで休ませてもらって主人や長女と、妹家族に渚を見てもらっていました。午前中は本当に暖かく穏やかな時間が流れてたと思います。あれも幸せだったと今では思えるよ。事態が一変したのは
先日七回忌の法要を終えました今日はたまちゃんの命日今年もたくさんの方がたまちゃんのことを想ってくれた6年経ってもたまちゃんを思い出してくれる人がいる事が何より嬉しいたまちゃんを見送る時に咲いていた庭のチューリップ🌷今年も家にたくさん咲いている4月から中学2年生
2021年1月高校1年生で脳幹グリオーマという悪性度の高い脳腫瘍と診断されました。診断と同時に余命宣告をされ、放射線治療で一時的な症状の緩和が見られますがわずかな期間で再燃をします。この残酷な病気を知ってほしい。息子の頑張りを知ってもらいたいです。当時の記事はこちらです。『【脳腫瘍】診断から2年(加筆修正済み)』診断から2年が経ちました。よく頑張っていると思います。振り返るのは辛くなると思いますが記録してみようと思います。2020年11月28日新人戦後から言われまし…amebl
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================翌日の朝、変わらず歩き方がぎこちない娘。この日は日曜日でしたが、夫も私も仕事のため夫の実家に子供をお願いすることになっていました。娘と息子と私、3人で朝ご飯。フリフリして小さな丸いおにぎりを作るキッチングッズで
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================ここまでと時系列は前後するところはありますが、その他のことも記していきます。ママっ子が強くなってきた娘。朝はほぼママの抱っこで1階へそして朝はご機嫌斜めが多い着替えや支度は甘えてくるが続きました。5月
前日、私のPCR検査もした。いちいちコロナが邪魔をする。結果は陰性、無事に転院できることになった。そして翌日、救急車で大学病院に搬送された私となーちゃん。もうこの日には車椅子やベッドがなければ移動できないほどになっていた。あんなに大好きだったおしゃべりも口が動かしにくいのかそれとも言葉が出てこないのかわからないがほとんど喋らなかった。なーちゃんは病室で看護師さんとお留守番し、私と夫はロビーで合流し先生に呼ばれ部屋に入った。主治医となった先生以外にもとにかくたく
※しばらく少し前の話になります。この日は週末で土日は放射線治療もリハビリもお休み。病室で長い時間なーちゃんと過ごす。ステロイドの副作用とストレスが限界なのかとにかく機嫌が悪い。ぼーっとしたり何度も何度も抱っこをせがまれる。この身体がもっと強ければずっとしてやれるのに…。腕がしびれては降ろしまた抱っこし体力の限界まで抱っこした。ただ、この日全く動かせなくなっていた指先がほんの少し動いた。ステロイドによってむくみがとれたのだろうか…。少し嬉しくなった反面で
今日は残されたもう一人の娘長女について少しだけお話ししようと思っています。彼女のプライバシーに配慮しつつきょうだいを幼くあるいは若いうちに亡くされた立場の方その親の気持ちなど参考になれたらとあくまで一個人としての記録として残せたらなと思い書き記します。4月に入って新学期を迎えクラス替えや新しい担任の先生など繊細な長女にとって慌ただしい日々が始まりました。幸いにも新しいクラス、先生も雰囲気が良いようで長女はとても安心して通っています。相
早いもので今日でもう7回目の月命日です。最近は時、場所関係なく涙があふれることもしばしば。ブログも何度か書こうとしたけれどネガティブな言葉しかでてこなくてやめました。色々公表したことはひとつも後悔してないけどプライバシーに関わることはあまり書けないなぁと。楽しい出来事だったらたくさん書きたいとは思うのだけれど特に無く・・・むしろ、長女のことで悩むことが増えてきてXでは弱音吐いたりそんな感じだったので全然更新できず。
緊急CTの結果から水頭症ではないことは確認され入院したものの頭痛と嘔吐は結局その日だけでした。恐らく放射線壊死や脳内出血した箇所が見られるのでそれが影響して頭痛を訴え嘔吐したのだということでした。その後もごはんはもりもり食べるわわりとすぐに元気になったなーちゃん。先生たちもホッとしていました。ただ、現実は残酷で2日後のMRIの結果・腫瘍の増大・播種(2か所)・麻痺が今も進行していること以上のことからほぼ間違いなく再燃でしょうということ