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月命日もう11日ですが…2月の月命日は仕事がお休みでした。毎月、休み希望は出しているけど、人が足りない時は出勤しちゃう。家でゆっくりできる、お休みの方がいいのかな。毎日、朝と寝る前に息子の前に座る。何で遺影に話しかけているのかなーと不思議な気持ちで悲しくなる。普段から普通に話しかけてはいるけど。毎日、泣いたりはしないけど、急にドッと悲しみが襲ってくる時がある。段々と麻痺が進み、自分の体が動かなくなっていった頃。息子は何も言わずにいたけど、泣きたくて、悔しくて、本当に辛かったと
4月30日亡くなる当日の朝妹家族は県外から前泊して朝イチで我が家に来ていました。大好きな従妹ちゃんたちが来てくれたのが分かったのかこの日は少し穏やかな表情をしていました。ただ、私は連日の介護で寝不足になっており疲労困憊。ソファで休ませてもらって主人や長女と、妹家族に渚を見てもらっていました。午前中は本当に暖かく穏やかな時間が流れてたと思います。あれも幸せだったと今では思えるよ。事態が一変したのは
4月も半分が過ぎました。最近、予定を詰め込み過ぎているなと振り返るとほぼ毎日、外に出ている。仕事もあるけど、友達に会ったり、出掛けたり…そのお陰か最近は涙を流すことがない。月命日にいつも使うお線香も忘れていた。朝晩のお線香とジュースのお供えは欠かさないけど。そろそろ大きな波が来るのではと少し怯えているけど、それもまた日常なのかもしれない。息子がいなくなってしまった現実から逃げて、辛さに蓋をしているのかな。Xで、フェリシモから赤ちゃんの頭のにおいのクリームとやらが発売されていると知
今この瞬間も何人の人が大切な人を失うかもしれない恐怖に泣いてるんだろ何人の人がその恐怖を振り払い笑顔を取り戻すんだろ幸せ過ぎたんだろうねそんなはずはないんだけど皆が笑っててくれたらいい神様、もう十分だから誰か助けて欲しい
夢を見た。渚はいなかったけど私は何故か彼女の靴を持っていた。場所は小学校の下駄箱。多分、入学式。一生懸命訴えてる。みんなとは一緒に入学できなかったからせめて靴だけはここに置いて写真を撮らせてほしいって。でも、みんな困っていた。あぁ、駄目か・・・ってガッカリしたところで目が覚めた。起きたら泣いてた。久しぶりだった。目が覚めて泣いていたのは。ここ最近は、明るくいようと
2022年4月3日みく4歳のある日この日から私達家族の闘いが始まった朝起きて、みくちゃんの歩き方を見てえ?!ってなった。びっこひいている。ちょっとこっち来てもう一度歩いてみて、とキッチンの所を真っ直ぐ歩いてもらうが歩行がふらふらしてるし、やっぱり麻痺あるようにみえる。「両手を上にあげて、そこでストップしてみて」ママが言うと、みくちゃんはバンザイ。でも左手が落ちてくる。。。麻痺してる...いつものアンパンマンの椅子に座ると、左手が麻痺の人の手の位置をしていた。え、、、なに
2024.4.15放射線15日目計27Gyテモゾロミド内服18日目今週も放射線が始まりました!15日目。今日で予定量の半分が終わりました。最初はどんな副作用が出るか分からず不安で、副作用が出たと思ったら結構辛くて、今は最初に比べて症状は落ち着いてきたように思います。残りあと半分。何事もなく通院で行えますように。脱毛や皮膚の炎症は今のところありません。最近はテモゾロミドの副作用なのか、宿酔の影響もあると思いますが、吐き気が1番強い症状で食べれはするけど気持ちが悪い。吐くま
先日2日連続で天使ママ仲間とお会いしました。心菜の闘病中から同じような境遇のご家族とパパママ問わず繋がり情報を交換したり気持ちを共有したり。主にはSNS上の交流ですが実際にお会いしたりすることもあります。またDIPGに関する活動や小児がん支援団体を立ち上げてからは悩みや問題を相談することもあります。同じような気持ちや同じような経験を重ねているから話が止まらないこともしばしば。活動については時に苦しいことや悲しくなることもあり吐き出し始める
娘がお空へ旅立ってもうすぐ2ヶ月。この写真は2022年3月なのでこんな笑顔の1ヶ月後には病気が発覚。そしてこの笑顔の1年後には、ここにいない。今も信じられません。なぜここに娘がいないのか。ここにいたよね?なぜ、なぜ、と考えても意味のないことばかりをずっとずっと考えながら1日が過ぎている、そんな感じです。会いたすぎて苦しすぎます。でもどんなに可愛くて、どんなに頑張ったか娘のことを思いながらこの怒涛の1年を記していこうと思いました。心に乱れがありすぎて文章が変になっ
小児救急についた。コロナ禍の為、夫は駐車場で待機。整形の先生が電話してくれていたから診察までスムーズだった。診察室に入って様々な検査をする。やはり右手指が動いていない。右足も明らかに引きずっている。だんだんと先生の顔が険しくなってくる。「お母さん、今から血液検査とCTを撮りましょう。頭に何かできているかもしれない」と言われすぐに承諾した。待っている間「注射いやだー」と叫ぶ次女に終わって病気が治ったら大好きなゲームセンターいっぱい連れて行ってあげるから頑張ろうと告
先日、卒園式が行われました。幼稚園幼稚園側のご厚意で渚は退園とはならずずっと年長組さんに席を残していてくれました。とは言え、年度初めに旅立ちましたので年長さんとしての思い出は私同伴で出席した1日(午前中少し)と去年のブログには傾眠と記していましたがあっという間にもうほぼ昏迷、半昏睡になり意思疎通ができない渚を車いすに乗せて園外保育に現地集合してほんの十数分みんなと会って写真を撮っただけです。これが最後の幼稚園となりそ
※アメトピ掲載されたようでたくさんの方に「(小児)脳幹グリオーマ」という病気を知ってもらうことができました。ありがとうございます。また、たくさんの励ましやコメント、メッセージありがとうございます。現在まだ24時間付きっきりで入院中の為、娘が寝てからブログに書き溜め清書して投稿しております。なかなかお返事ができませんが時間ができたら順次お返ししたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願いします※悪夢のようなあの日から眠れない日が多くなり宣告された日も眠れないま
2023年12月中旬頃付き添いができなくなったので面会時間は15分だけ。その15分間娘は力強くママの手を握っていた(寂しいよね…心細いよね…ママも一緒に居たいよ…いつもそんな思いだった)付き添い出来なくてゴメンネ看護師さんに頼んでいるからもう少し待っててねといつも娘に言ってた。娘は大部屋に移ってからだんだん元気がなくなっているのを感じた。面会に行くといつもウトウトしている。声をかけると一瞬目をあけるけどまたウトウト…(手は力強く握ってた)いつもウ
結局一睡もできないまま朝を迎えた。コロナ対策でなーちゃんのPCR結果が出るまでは個室だった。ずっとザワザワしていた。今思えばあれもこれも病気のせいだったんだを繰り返し何度も謝った。朝、早い時間に先生に呼ばれ全て揃っている大学病院に転院、それもなるべく早くと言われた。明日には転院できるよう手筈を整えますと言われ脳外科の先生からお話しがあります。ご主人も来れますか?と尋ねられたのですぐに連絡。夫は週末まで丸々休みを頂いていたのですぐに準備して来てもらった。
遺族外来遺族外来をご存知ですか?遺族ケア外来とかグリーフケア外来などというそうです。どこの病院にもある訳ではないのですが大切なご家族を亡くした方が医師や心理士さんにお話を聞いてもらい、必要な場合は投薬治療をするそうです。グリーフケアには段階があるそうで、今の私は「引きこもり期」なのかもしれません。どのくらいで立ち直るのか…「子どもの場合は5年」なんて書かれているのを見て、まだまだーーーって思いました息子が通院していた病院にも遺族外来があります。存在は知っていましたがその時はあまり興
デカドロン投与以降食欲旺盛な娘。この日はパパの手作りチャーハンを心待にしていました。その姿がかわいくて病気になってからママがいないとダメになりましたが元々は超パパっ子。だからパパがいてくれるのは嬉しいしとても仲良しなんです!ナイショ話この日は夫の弟家族と私の友達がお見舞いにきてくれました。入院してから基本パパママとしか話さない娘ですがいとこは違いました!向き合って、時折笑顔を見せながら接してました友達は、自営業休業の私のInstagramを見ていち早く連絡をくれた人。
心菜の妹で我が家の末娘が来月で3歳になります。心菜よりちょっぴり細身ですが(心菜は少しポッチャだったので標準な末娘が細身に見えるだけですが)姉妹だけあって顔や活発なところは似ています。同じ年のころの写真を見比べるとドキッとすることもあります。でも心菜に関わった園の先生たちは「ここちゃんと全然違う!」と言うんです。「ここちゃんは活発なようで、周りをちゃんと見てる子だった!」とのこと。先生はそれぞれ違う場所で同じこと言っていたので心菜はそういう子だっ
月曜日この日は姉妹初めての夏休みだけの短期水泳教室の日だった。長女が学校のお友達が泳げているのを羨ましがったのをキッカケに二人分申し込んだ。上手くできるか不安な長女とは裏腹に楽しみにしていた次女。早速始まった。私はガラス越しに見学する。あれ…次女のなーちゃんなんだか右足が動きづらそう………プールサイドに立ったときもやはりふらついている。そして、やっぱりおかしいと思う出来事が起きた。バタ足の練習
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================情緒面以外の変化として、時期も含めてはっきり覚えているのはお菓子のグミを食べなくなったことです。4月初旬の出張のお土産に、ご当地グミを買ってきました。グミは以前から好きでしたし、パッケージが可愛くて娘も大喜び!
こんにちは。今日は皆様にご協力をお願いしたくブログを書いております。闘病中、そして今もお世話になっている・小児脳幹部グリオーマの会そして同じ小児脳幹部グリオーマでお子さんを亡くされた方たちからなる各支援団体様でプロジェクトチームを発足されました。目的は今年5月8日〜9日にカナダのトロント小児病院にて小児がんの医薬品開発を加速させることを目的とした会合「ACCELERATE」(公式サイト)にてDMG/DIPGに特化した治療研究フォーラムが開催さ
2024.4.18放射線18日目計32.4Gyテモゾロミド内服21日目今週も早いもので明日の放射線で4週目が終わりです。吐き気は相変わらずあります。テモゾロミド内服中は仕方ないのかもしれません。朝から吐き気は始まり、午後が吐き気のピークで寝る前には落ち着く感じです。ご飯は食べられています◎便秘も変わらずあります。食事で気をつけているつもりだったので残念なところもありますが、便秘は辛いし、怒責をかけて脳圧があがったら嫌なので薬に頼ります。排便コントロールは
改めてになりますが娘の心菜はDIPGという病気に命を奪われました。わずか5歳でした。DIPGは日本では広く脳幹部グリオーマと言われていてその文字の如く脳幹に悪性度の高いグリオーマができる脳腫瘍です。脳幹は生命を司る器官で多数の脳神経が出入りしているためそこにできた腫瘍を手術で取り除くことはできません。また、腫瘍に有効な抗がん剤などの薬剤もありません。40年50年前からずっと治療法がなく医学が発展していく中でも治療法も見つからず、進まず発覚と同時に余命1年を宣告される病です。
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================ここまでと時系列は前後するところはありますが、その他のことも記していきます。ママっ子が強くなってきた娘。朝はほぼママの抱っこで1階へそして朝はご機嫌斜めが多い着替えや支度は甘えてくるが続きました。5月
こんばんは🌕あっという間に4月が来てしまいました。こんなにワクワクしない春は人生で初めてかもしれない胸をギュッと掴まれるようなそんな時季になってしまいました。それでも、生きている限り時間は進むわけで。春休み前半は、長女がスイミングの春期講習に通いました。渚の異変をハッキリ感じた例のスイミングスクールですね。相変わらず複雑な気持ちを抱えつつもあの日ここに来なければ発覚が遅れ治療がズレていた可能性もあったと思うと運命だったの
ママ友に嘘をつくこの間、スーパーでママ友に会った。上の子繋がりなので、息子との関わりはない。息子の病気の事を少しだけ話していた別のママ友がペラペラとこのママ友に「脳腫瘍」と話してしまっていた。腫瘍が再燃して、息子が車椅子生活になった頃にスーパーで会い、「聞いたよー連絡したかったけど、勝手に聞いちゃったから、連絡もできなくて。でも、◯◯ちゃんママ(さらに別のママ友)に元気そうにしてるよって聞いてたからさー」なんて言われて絶句…どこかで見られているのね。そして、先日スーパーで会った時に「
2024年3月9日午前8時47分次女は闘病生活277日を終え、天国へ旅立ちました病気の進行が早すぎて心が追いつかず書けなかったこともあるので記憶をたどって書き留めいけたらと思います。これはママ友が次女が闘病中に送ってくれたパワーストーンのストラップ娘が旅立った直後に壊れました……なんか意味あるのかなー?と思ったりしています
七夕の夜7月7日夜18:002年8ヶ月の闘病生活を終えて、愛しい息子が旅立ちました。18歳10ヶ月でした。昨日の夕方はサチュレーションも安定して、7LのMAXまで上げていた酸素を戻して、5Lに下げようと思っていました。本当に落ち着いて過ごせていたのです。午前中は訪問診療の先生方、訪看さんも同じ時刻に来てくださいました。落ち着いた様子を見て、安心していて、今までの息子の頑張りを思い返して、「こいのぼりも、レモネードスタンドも七夕もできたね。次は何する?」と話していたのです。次は海
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================私の仕事は土日祝もあり、子供たちがお休みの時に仕事に出ることもよくありました。基本は夫がみてくれますが、2人とも仕事の時はどちらかの実家にお願いすることもありました。娘は生まれた頃からほぼ人見知りなく、ママへの後
ちょっと色々あって疲れてます。なーちゃんの状態も波があってでも、落ちてる時間の方が(傾眠傾向)圧倒的に長くなってきて段々死神の足音が近づいてきてるようなそんな気持ち。ママきらい〜!ババァ〜!ぶさいくー!なーんて軽口を叩く悪ガキなーちゃんでしたがママ、そばにいてママといたいママが良い…って言って私の腕を不自由ながら一生懸命つかんでくるんです。言葉も段々出にくくなってるのに頑張ってかすれた声でゆっくり、ゆっくり私を呼ぶ娘。こんなこと今まで一度も無かっ
ブログを始めたのは娘の病気の周知とそれによって治療法が確立していくことの願いも込められています。この病気に詳しく触れていなかったので記します。娘の病気は「脳幹」というところにできた「グリオーマ」で一般的には脳幹グリオーマといわれることが多いのですが、この呼び名は正式診断名ではありません。正しくは「びまん性正中グリオーマ」2016年からの呼び名だそうです。英語表記で“diffuseintrinsicpontineglioma”なので「DIPG」とも呼ばれていま